No.58 山菜 2018430

タケの子

春たけなわ山菜の季節である。その王様はタケの子だろうか。小菅村のタケの子は竹藪が少ないことでもあり、貴重である。その貴重なタケの子がサルやイノシシに食われる。サルは芽の出た部分をかじる。イノシシは根っこら掘り返して食べる。それ故に住民が手にするのはまぐれに近い。それでも道の駅には数本のタケの子が売り出されていた。1本250円から600円なので高めである。現在出回るタケノコはモウソウ竹のものだ。私の畑の隣に竹藪がある。どうやらそこはタケの子畑にしたいようだ。去年からその兆候が見え、三々五々タケの子が出始めた。まだ竹藪としては浅いのでタケの子も小さかった。ところが今年は立派なタケの子が生えだした。タケはあらゆるところに地下深くから進出する。去年は畑に進取してきたものを防ぐのが大変だった。ただ、その苦労が報いてか畑への進出は阻止できているようだ。逆に竹藪目的の畑には立派なタケの子が生えだした。毎日そのオーナーがタケノコ採りに参上する。畑の番を兼ねて繋いだ犬二匹はその都度吠える。いい加減慣れても良いのだが吠える。ただ私が犬の傍に行けば吠えるのを止める。昨日は私は東京だったが電話があってタケの子を犬小屋の傍に置いたとの伝言だった。犬はタケの子をサルと同じにその先を食べる。食べるというよりは遊びで齧るのだろう。タケの子が犬の傍に生えると心配だった。今日東京から戻って畑の行くとタケの子は大丈夫だった。どうやら遊びを止めたらしい。竹藪畑と私の畑の境界線は電柵が敷かれた。電柵の内側はとりあえずサル、イノシシから作物は守られる。その境界線に沿って外側に二匹の犬を繋いでいる。一度境界線に生えたタケの子を掘ろうと思ったら犬に食われた。彼らは遊び半分なので多くは食わない。ただ境界線に生えるタケの子は小さくほとんど食にならない。幸い竹藪の中はまだ荒らされていない。それでも竹藪はオーナーが大切にしているもの犬の繋いだ範囲にタケの子が出ると犬が荒らさないかと結構神経を使う。オーナーがタケの子を掘ってくれると安心する。ずっと前は気にも留めなかった竹藪畑だが、タケの子畑にすると宣言されてから結構針の筵に立たされた気分である。いわゆるタケの子が無くなると私が採ったと疑われるようで気が重い。私の父親は竹藪を大切にした。彼の仕草を見ながら竹藪の育て方を習った。タケの子よりも竹が貴重な時代だったので、立派なタケを育てるのが目的だった。私の田舎は播州揖保川という龍野醤油の本場だったの醤油樽にはタケは欠かせない。それ故に一晩でトラック一台分のタケが盗まれることもある。そうした竹藪を育てるのであるから父親が持ち帰るタケの子は曲がった物が多かった。素性の良いものは竹に育てる。立派な竹藪は子供ながらに自慢だった。今の時代竹の値打ちは小さくほとんど用途がないためかタケ本体よりはタケの子が重宝される。しかも立派なものが美味しいと小さなものは捨てられる。小菅に最初に来た頃はタケの子を他人の藪からタケの子を取った。いずれイノシシかサル、シカに食われるので罪意識はなかった。ところが最近は小菅村の人々とのタケの子への思いを知った。おいそれと他人の竹藪からのタケの子採りはとてもとてもその気になれない。福島南相馬市に初めて入ったころまだ放射線汚染のことを深刻に考えなかったので知り合いがアルバイトで牧場で働いており、その牧場主がタケの子を持って帰れというので随分期待したのだが、その時は持ち帰る余裕がなかった。放射線測定で山間部歩くことが多く竹藪に接する機会は多い。立派なタケの子に接すると持ち帰りたい衝動に駆られる。場所によってはタケの子はイノシシの好物、竹藪がことごとく荒らされている場合が多い。それに現在は放射線汚染による怖さもあってかタケの子を持ち帰る意思が生じない。1昨年は放射線測定の中心となった日の出町二塚処分場の麓にある竹林舎所有の竹藪からタケの子を貰ってきた。ところがこの竹藪も二塚処分場からの汚染が酷く竹藪が汚染されタケの子を掘らせないようにしたようだ。何故か私の周囲でますますタケの子が重宝されるようになり、私の隣の竹藪の価値がグーンと高まるような気がする。そして電柵が設置される前から畑の番をしていた二匹の犬は50m程度の番線に繋がれているのだが、その周辺でのイノシシ、サルの被害は出なかったらしい。電柵は今年敷かれたのだが、竹藪は電柵の外、イノシシ、サルからタの子を守るには重要な役割を果たしている。

ノビル

私はノビルという植物を知らなかったしそれが食べることも知る由もない。ところが荒れ地を耕すうちにそこは村人がノビルを採取していた場所だったと話しているのを聞く度に心が痛む。おばさん連中がわいわいノビル取りに来るところだった。ところが私が荒れ地を耕すとそこは私の土地ではないが私の畑となり、ノビル採りが出来なくなったと結構罪作りなことをしたと思うことがある。それにそこはノビルが一杯出たところだったと声をかけられとおばさん連中の遊び場を無くしたとますます私の罪意識が高まる。先日もノビルを取ってもよいかと声がかかり了解すると逆におばさんからノビルを栽培しているのかと問い返される。私にとってノビルは雑草、ノビルを雑草と一緒に抜きとり積み上げたところがノビルの畑のようになっただけなのだ。昨年までは耕すたびにノビルの繁茂に悩まされ、食べようかと持ち帰るのだがせいぜい味噌をつけて食べる程度、とてもとても大量に食べる対象にはならなかった。ところがパートナーが上野原か貰ってきたノビル料理に興味が沸いた。プチツとした歯ごたえとその味わいは他の食材に得られないものだった。俄然私はノビルファンになった。まずは朝鮮料理でみられるチジミ、ニラの替りをして余りある。パートナーが作ってくれたマーボー豆腐も捨てたものではない。ノビルの酢漬け、味噌をつけての食べ方知らなかった私だったのだが、勢いを得て道の駅におすそ分けしようと張り切った。去年は道の駅に出しているノビルを見て興味も沸かなかったのだが今年はちと雰囲気が異なった。雑草と化したノビルを積極的に引き抜き綺麗にして道の駅に出すことにした。それに雑草であるノビルの繁殖はすさまじい。今はそれをシカなどが食う気配もないのも幸いする。小菅村ではおばさんたちがノビルのことをヒルという。最初は「ヒル採ってよいか」と言われても返事に困った。元私が耕す前の畑はヒルの伸び放題だった。そのためか荒れ地を耕しても耕してもヒルが無くならない。それどころか増える勢い。あたかも私が昼を栽培しているかに見える。昼は植物循環の一つにしようかなと思いが広がる。

ウド、タラの芽、ワラビ、ゼンマイ

ワラビ、ぜんまい、ウドも私が食べるものとは思っていなかった食彩である。ところが、ウドをてんぷらにするとすごくおいしい。小菅村の村人が営む100%自然塾は小菅村の源流祭りに合わせて、てんぷらうどんを販売する。このてんぷらが山菜オンリーなので評判が良い。マヨネーズとか酢でしか食べなかったのだがおかげでウドへの興味が沸く。福島でもタラの芽は美味しいと評判だったので自らもてんぷらにしたことがある。福島の山間部でのタラの芽は相当に放射線汚染が激しい。1lg当たり100ベクレルという基準はオーバーしている。だからタケの子同様、その芽を持ち帰る気分ではない。小菅村ではタラの芽は村人が栽培している場合が多い。小菅村に来たことにはむやみやたらに山を歩きタラの芽を採ってきたが、最近はそれが盗みだと分かったので、ほとんどタラの芽を口にしない。大事に育てたタラの芽をシカに食べられてしまったと嘆いていた村人が居たが、村人にとってはタラの芽は貴重な食彩である。飲み屋でもタラの芽は美味しい食材である。このウド、タラの芽と同じ貴重なものがワラビ、ゼンマイである。昔はそれらが食材だとは考えても居なかったが、小菅では貴重な食材である。最初は山歩きでワラビも採っていたのだが、最近は流石にワラビを採ると盗人気分である。余程注意して採らないと土地の所有者にどなれ、盗人扱いを受けそうだ。そんな中で時々はワラビ採りに来ないかと誘われる場合がある。誘われるだけあってそうした畑にはワラビが一杯である。ワラビの成長はタイミングがあり、実際には見事そのタイミングがずれる。その場合にはワラビは葉を開いて食べられない。ゼンマイはさらにその採取というか発見が難しい。いずれにしても私としてはオヒタシかテンプラにするしか食べ方を知らない。ところが同じテンプラ食彩でもウドのテンプラは少し勝手が違う。矢張りウドも食祭として考えたこともないのだが、青梅に住んでいるころ店頭でウドが売り出しているのを見て買ってきて酢やマヨネーズで食べ結構好きになった。ウドの大木ではないがその太さはグロテスクである。それが天ぷらで食べれると知ったのはやはり100%自然塾でウドのテンプラに出会ったときからである。自然塾で採ってくるのは山ウドと言ってキノコと同じにどこの山でも手に入るらしい。東京から友人が少し散歩すると言って出てくると山ウドを沢山採ってきた。どうやら川辺にあるらしい。それ以降気を付けながらウドを探すのだがあまり成功していない。店頭にあるのは地下で栽培されたウドだが、山にあるのは自然に育ち、とにかく気兼ねなく採れるのが良い。と言っても私はウドを取るのに成功していない。

コシアブラ

いまだにコシアブラがどのような木の芽なのかを知らない。ただ、一本の木を見つければ相当にたくさん採れるようだ。貴重な食材なのだが私が見つけることが困難である。それでも山菜といえば、コシアブラなのかもしれない。

ツクシンボウ、タンポポ

タンポポは小さいころには沢山採ってきて葉っぱをゆでてオヒタシにすると結構おいしい。それに田舎ではタンポポはあらゆるところに繁茂していて、ウサギの餌としても重宝である。ところが小菅村畑ではタンポポは厄介者である。根っこが深くなかなか絶滅とはいかない。それにウサギも飼っていないのでタンポポには興味がない。そのためか田舎に居た時のような気分で食べる気がしない。その上に私の畑はスギナだらけであるのでツクシンボウがそれなりに繁茂しているということである。昨年は昔を思い出し、ツクシンボウを摘んできて甘辛く煮て食した。ただ、ツクシンボウの胞子の異常な青さに驚いた。こんなに毒っぽいものを食べていたのかと回顧したものだ。今年は去年以上にツクシンボウが繁茂したのだが、食べる気が起きなかったのは昨年の食べたときの経験のためか、食べたい気持ちにならなかったかは分からない。ヒルを摘みに来たおばさんたちも流石にツクシンボウの繁茂に目をやるも興味は沸かないらしい。3.11ふくいち事故後飯館村に行き畑のお手伝いを行ったときに、あるメンバーがツクシンボウを珍しそうに摘んでいた。その時は私はツクシンボウを持ち帰りたいと衝動に駆られたのだが、誰かが大丈夫かなと一言漏らし私は逡巡した。それでもツクシンボウを摘み続けた御人には感心するしかない。

その他山菜

小菅村に15年以上いながら、山菜についてはゼロ知識である。どれが美味しいかなどとチャレンジする器量もない。そんな中で100%自然塾は山菜知識の宝庫である。小菅村にきて沢山のことを覚えたが、その知識は小菅村に住む人々のほんの一部であるだろう。例えば、畑にある食彩でネギ坊主のテンプラは美味しい。クワの葉っぱ、エゴマの葉っぱ、キクナなども捨てたものでない。それに小菅の湯でも山菜の天ぷらを出す場合がある。ネギ坊主の一品は初めて知った食彩である。

 

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