No.14 小菅の春 2016314

 

日本の四季

日本列島は春夏秋冬の四季で潤う。

従って、日本人の生活は四季それぞれで異なる。

春に桜、夏にひまわり、秋に紅葉、冬に梅、四季それぞれの花が咲き人々はそれを愛でる。

特に春には数え切れない花が乱れ咲く。

野菜も秋に向けて繁茂するが、春にほうれん草、夏にはトマト、秋にはジャガイモ、冬に大根。

春野菜、夏野菜、秋野菜、冬野菜と種類も豊富である。

ただ果物、穀物になると一挙に偏りがある。

穀物の王者米は秋、夏に麦。

果物の王者りんごも秋、夏にみかん。

それでも実りの秋には無数の穀物が木々を揺らす。

 

人々は、季節に偏る収穫を何とか年中の収穫へと切り替える。

特に冬枯れする食物へのこだわりは強い。

特に乾燥、発酵は永年の人々の努力の賜物である。

こうした習慣を育てなかった動物は自らの体の仕組みで年中収穫に変える。

逆に人間だけがその身体の仕組みを持たない。

その上に人間は弱肉強食の頂点に立つ。

あらゆる生物を食料にする。

いわば雑食でこの仕組みの無さを補う。

最初は狩猟・採取が主だが、現在は養殖が主となる。

 

人々が四季から遠ざかった生活を営むようにもなった。

人々の感覚も四季離れである。

ただ、四季を特徴付ける気温・湿度、雨風雪は健在だ。

だから、春夏秋冬、生命のあるものの四季も賑わう。

もっとも、変化のある気温は地球の公転・自転の組み合わせで見事な変動を遂げる。

特に太陽を周遊する公転は四季そのものである。

1年間に示す太陽と地球の距離の変化は四季そのもので、冬寒く、春暖かく、夏暑く、秋涼しい。

ちなみに自転は太陽と地球との対面時間を示すもので、朝冷え、昼暑く、夕方涼しく、夜寒い。

これが雨風雪となると更に複雑だが、季節風と言われる東西南北風向きが異なる。

人々は風の向きで季節を感じる。

 

小菅の四季

ところで小菅にも四季がある。

ただ、驚くほどに春秋は短く夏冬は長い。

まるで四季でなく二季である。

冬の象徴梅と春の象徴桜はほぼ同期に満開である。

流石に夏野菜、秋野菜はそれぞれの季節に合わせる。

私のように種さえあれば、畑に撒くやからには小菅の季節はありがたい。

種付けの当たり外れが少ない。

 

小菅の冬はすごく長いので、畑の土が凍っているタイミングも長い。

時期を間違え鍬を入れるとまるで岩盤を叩いているようなものだ。

スコップとて歯が立たない。

畑は比較的暖かい斜面にあるので凍土化は弱いのだが、日陰に位置する家の周囲の凍土化は押して知るべし。

長い冬が過ぎると春だが、そのタイミングが実に短い。

梅と桜を間違えるほどの開花のタイミングである。

作付けのタイミングが難しく、隣の畑を見比べながらやばいかやばくないかを判断する。

このタイミングは紙一重である。

夏は長いようだが、直ぐに秋を通り過ぎて冬になるので、穀物の取入れが難しい。

 

エゴマだが、実が青いと思っていると直ぐに弾いて畑に散る。

冬の速さは霜の降り方である。

霜が降りないと果物は甘みが増さない。

霜が降りると果物は直ぐ熟す。

柿が熟すと干し柿には無理である。

サトイモ、サツマイモ畑に放置すると直ぐこの霜にやられる。

山の紅葉も一瞬である。

やがて冬将軍、雪が降る。

雪が降ると畑は真っ白、踏み込む余地は無くなる。

野菜は霜枯れ、雪が降るとほとんどが枯れる。

中でも根野菜は立派である。

土の中にある限りは、サトイモ、サツマイモと言えども立派に生きている。

もちろん、取り出す途端に腐る。

これは全ての根野菜に共通することだ。

 

小菅の四季で見逃せないのがヤマメ養殖である。

冬に入ると奥多摩水産試験場から数十万個の卵を仕入れる。

と言っても小さな桶に入る規模だ。

小菅の冷たい川水でゆっくりと孵化を待つ。

春に孵化すると一挙に稚魚に育っていく。

成長の度により大きな生簀へと導く。

夏には、その成長が特に激しく、餌も食う。

小菅川、白沢川ところどころに放流行事がある。

秋には立派な成魚である。

この養殖に初めて成功した酒井養魚場、ヤマメの小菅ブランドの歴史は古い。

木下養魚場、多摩川養魚場、小菅養魚場はこの伝統を受け継いでいる。

これこそ、小菅の四季を全うする行事である。

 

小菅の春

短い小菅の春は忙しい。

とにかく夏に向けての種付けとその準備である。

多くの農家は落ち葉を畑に撒く。

落ち葉は多ければ多いほど土が豊かになる。

ただ、落ち葉は山主の持ち物でおいそれと持ち出しは禁止である。

 

都会ものの私は落ち葉をごみ扱いと考えていたが、よくよく考えると落ち葉は宝物で誰もが競い合い集めていることに気がつくようになった。

特に道路の落ち葉には手が早い。

畑に落ち葉を撒くとそれが腐り、やがて土となる。

腐葉土である。

この行程を一瞬に終えて春を待つ。

中途半端には出来ないことだ。

今年は車が無いので、この行程を省かざるを得ない。

その分、畑がやせるのは目に見えている。

 

落ち葉を植え終えると、ジャガイモ、野菜などの作付けである。

十分耕さないと雑草が煩い。

雑草の成長は半端ではない。

綺麗な花が咲くも雑草にもお構いなく草取り作業は大変なことこの上ない。

それでも時々心を痛めることもある。

雑草のように野菜が強くなるのを夢見る。

その中で、雑草に馴染んできたミニトマト、エゴマなどは私の宝物だ。

今年は小菅直参のネギに思いを凝らす。

出きれば富士種という小菅ブランドのジャガイモに思いを弾ませているのだがまだまだの感じである。

 

小菅の春で怖いのは猿の到来である。

特に幼少期のサルは遊びが好きだ。

数十匹のサルが畑で遊ばれると畑は全滅である。

彼らには、野菜の生長を待つ考えは無い。

手当たり次第抜き食い散らかす。

にんじん、ジャガイモ、ネギなどサルの好物である。

現状ネギ畑を広げているが、まだ猿害は無い。

山に繋ぎ止めた二匹の犬のお陰と思うのだが、猿軍団が襲うのは一瞬である。

緊張する一瞬である。

ジャガイモ、にんじんは夏本番これからである。

とうもろこしは夏の終わりに実る。

春が来ると、このサルへの警戒心が自然と目覚める。

猪は用心深く、特に犬には敏感である。

鹿は木の芽を好み春先は見えない。

渡り鳥も穀物狙いで春は来ない。

次の一瞬、体力を考える。

今、四面(ABCD)の畑がある。

全て斜面で上り下り、草取り、水遣りが大変である。

この激しい重労働は体力の限界に挑む。

小難しい環境容量を提唱する我が頭だが、このときだけは人間容量だ。

 

以上 2016314日       No.13へ     No.15へ