No.50 労働と資本 20171215

賃労働

労働が貨幣と交換されるようになったのは何時のことかは定かではないが、明らかに奴隷労働は賃金が支払われることはなく、奴隷は家畜同然に食うことのみが許されていた。同じく、農民は食わず殺さずで言われるように生産したものを領主もしくは地主に提供することが強いられて、残されたもので自らの食を足した。初めて奴隷もしくは農民が貨幣を得るようになったのは飢饉で農産物が不足した時に賦役で課税を収めざるを得なかったとき、貨幣の授受はないものの、賦役が貨幣の代わりであったに違いない。

課税制度が農産物から貨幣に移行するのは農産物が貨幣に代替できる仕組み、交換経済の始まりであるが、それは商人の登場、貨幣のやり取りを業とする人々の存在があったからに他ならない。彼らもシルクロードではないが、地域産物の交換を前提としていた。ともすれば物々交換ですらない交換経済が、より持ち運びが優しい貨幣的なものに代替されていったことは予想される。

勿論、貨幣は信用が前提であり、国が保証することによってのみ価値を生む。生産物であればそのものの有用性評価であるが、貨幣は国の保証なしにはただの石ころや紙切れでしかない。そのような貨幣を国の課税として登場させたのは国の戦争行為がそうした交換経済を必要とした結果である。戦争行為は戦争行為を支える背後支援と言われるが、としても戦争行為は戦場での略奪もしくは調達であり、そこでもっとも便利な方法としては国が保証する貨幣による交換である。

戦争に出向く兵士に与えられるのは貨幣であり、それを典型的に表しているのが傭兵である。国家は人々を貨幣の虜にすることによって貨幣制度を確立していった。その中で国家に関わりなく労働への対価として貨幣が見てられて、賃労働が確立していく。これは資本家もしくは企業主が人々を労働に就かせる唯一の契機である。

ちなみに資本と労働の関係について労働付加価値を契機とする議論も成り立つが、貨幣が賃労働の契機となることを飛び越してはこの議論は成り立たない。貨幣の成立は国家による貨幣への信用無くしては成立しない。あくまでも貨幣は国家なり国家が推進する戦争、国家維持につながる課税等がその契機を作り出している。

労働

人々は自らの生命維持のために行動する。それが百姓である場合には直接食料の確保のために自然への働きかけが基本である。もちろん、百姓以外にも狩猟、漁労など食料を得るためのは自然への働きかけは雑多な形態を持っている。その際にその働きかけを円滑化するための道具の取得は自然である。たまたま道具作りに長けた人物も登場しその道具のために共同作業が生じる。自然の働きかけでもたまたま自然現象を把握するのに長けた人物が登場するとそのための共同作業もまた発生する。

こうした生命維持のために行動する人々について、共同作業はあっても分業は成立していない。物々交換があっても貨幣の成立する要素はない。人々は共同作業で、自然への働きかけを行うものである。現在社会の発達の中で分業が異常に発達した中で小菅村における共同作業はいちぶではあるが未だに存在する。勿論、小菅村が分業の発達の中で取り残された社会であることも事実である。ただ、日常的には共同作業は極めて多く、分業になれた人々にとっては煩わしくもある。当然余った農産物を交換する「お裾分け文化」も存在する。

労働の基本はあくまでも自然への働きかけすなわち生命の維持が基本であるのだが、分業世界ではその基本が忘却されている。要するに生命の維持とはほとんど無関係な労働が労働として認められてきた。昔、私が学生時代だと言えば60年以上も前の話だが、演劇、芸者、娼婦などが労働かどうかを争ったものだ。実際には演劇、芸者、娼婦と言えども人々と共同作業の一種と見なせばよいのではと結論したものだ。

それでは金融業に携わる人々の行動を労働の評価としてみなせるかどうかと言うと、それは疑問である。彼らはもともと生命維持とは無関係な貨幣のやり取りを通じて存在できるが、当然貨幣を必要としない共同体では意味をなさなかったし、生命を維持するどのような活動ともリンクしないのである。確かに国家は貨幣なしには成立しないし、国家が栄える現在、金融業こそわが世の春である。

実際のところ、実経済の1割、すなわち国家経済規模が貨幣交換で表されているわけであるが、それではその10倍上の実経済はほとんど貨幣では表現されていないと見るべきである。すなわち、ほとんどの実経済(生命活動)は貨幣の外で行われているのである。人々の生命活動は多岐に渡る。その本とんどが貨幣としては表現できない。

その証左が賃労働の評価である。労働に支払われる対価は企業家、資本家に拘束された時間労働として評価されている。彼が7時間労働を行うとしてもその他3.4倍の労働時間は評価されていないし、ましてや彼の周囲を構成する2,3倍の家族が営む生命活動時間は評価されていない。

さらには賃労働に回されている貨幣は国家予算規模であり、その10倍の貨幣が眠ったままである。にも拘わらず、貨幣交換を業とする人々が存在するのはこの眠った貨幣の仮想社会を形成しているに過ぎない。この仮想社会のお陰で踊らせる人々が存在する。

生命維持に関わる活動の忘却は労働の意味を変貌させている。賃労働も労働の変貌の極端な例であるが、それ以上に7時間労働い言う労働の時間売りが更にその変貌を拡大している。労働の本来の意味である生命維持という機能から逸脱することによって、労働と言う概念そのものが死語となっている。

仕事

百姓仕事とは百姓が行っている活動を総称したものだ。百姓仕事には、まずは賃労働は存在しない。すなわち24時間、365日が労働時間なのだ。私の母親は一人で6人の子供育て、1町近い田畑を維持していた。父親が精神を患って母親は大工の祖父に願い出て百姓を始めたと聞くが、百姓での母親はそれを一人で切り盛りせざを得なかった。

彼女はいつ寝ているのだろうと子供ながらに思っていた。要するに胆石で「殺してくれ」と痛みをこらえて寝ている以外は彼女が寝ている姿を見ることはない。6人の子供の選択、食事だけでも大変な労働である。ましてや百姓仕事は猶予と言うものがない。彼女は24時間365日を生命維持活動として行動していたのである。

勿論百姓仕事、子育て仕事には対価が支払われることはない。それでも彼女は65歳までを生き抜いたのである。勿論、父親が手伝うこともあるが気ままである。6人の兄弟はそれなりに手伝うこともあるが限定的である。大工である、祖父母が畑仕事は手伝うが田んぼを手伝うことは限定的である。

私は母親の中に労働の原点、生命活動の原点を見る。私が小菅村での百姓仕事は母親の仕事に比べると余りに乏しい。山岳地帯の厳しさもあるが、とてもとても母親の足元には及ばない。ただ、聞くところによると小菅村の先人たちは相当の働き者であったらしい。

私の育った播州平野とは異なり、山岳地帯の傾斜地を開拓するのは大変だったろうと思う。今でも山頂まで切り開かれたこんにゃく畑、ワサビ畑、桑畑その形跡は残っている。ただ、現在の小菅村の人々の多くはその形跡を振り返ることはなさそうだ。

がむしゃらに傾斜地に向かう私の姿を不思議に思う人も多い。ほとんど荒れ地と化した、かっての豊かな畑を懐かしむ人も少なくなった。私の仕事を賃労働、労働と考えると余りに異常な姿に村人には見えるようでもある。ただ、私は畑に魅せられているだけなのだが。

仕事はそこに自然があるからついつい鍬を持つようになる。野菜が育てばそれが脅威である。雑草が生えてくれば改めて生命力の脅威を感じる。私が口にする1粒の米、それすら永遠に続くであろう生命を絶つことになるのだ。雑草を引き抜く手に、自らが生命を絶つ行為を思い走らせる。

要するに百姓仕事とは生命との向き合い、私が手を下さなければ無限に維持されるであろう生命を絶つことなのだ。どちらかと言うと、牛、豚、鶏などの生命を絶つことの苦しさを表現しがちであるが、実は、人は無限の生命を絶つことによってしか生きていけない宿命を負っている。百姓仕事には自然が育む生命との闘いによってしか成立しない。

私の祖父は大工であった。彼も育てられたように弟子二人(一人は私の父親)を小学生時代から育てた。父親は1人前になった時点で挫折したが、もう一人の弟子源さんは実は数百人の孫弟子を持つという大工の棟梁となっていったのだが、彼が若い時には何時も百姓仕事をさせられて、ほとんど大工仕事を教えて貰えなかったと話すのを聞いた。ただ、今思うに百姓仕事には無尽蔵の知恵が隠されている。その知恵を引き出すことが大工仕事でも必要だったのはと思う。

生命活動

生命活動は仕事である。仕事には様々なものがあるが、生命活動に関わらぬものは仕事とは言えない。もちろん、生命活動に関わるか否かの判別は難しいけれども、いわゆる賃労働、労働時間として定義されてきた活動は仕事とは言えないのではと思う。

少なくとも仕事には何時間働いたという時間概念が必要ではない。いわゆる資本家、企業家に雇われるために設けられた拘束時間については仕事の概念とは程遠いのである。人々は拘束時間だけをそこに居ればよいという仕事の錯覚にとらわれている。更には、労働時間の拘束が疑問視されその成果だけが重視されるに至っては、更に酷い仕事無視が闊歩する。

彼の仕事の成果の評価が問われるのだが、その評価とは貨幣価値のみである。賃労働、労働時間では少なくとも拘束されるという苦痛が約束される。ただ、成果主義ではその苦痛さえ無視されて、結果として与えられるであろう貨幣規模だけが評価される。

世間でいう仕事と言う概念が益々生命活動から遠ざかっていくという生命を蔑ろにすることと一致する。戦争はその最たるものだし、貨幣ゲームはその仕上げである。戦争は生命をいとも簡単に抹殺し、貨幣ゲームは生命活動とは無関係に貨幣交換を営む。

百姓仕事がこの生命の尊さを喚起する契機であると考える。ただ、農業、特に近代農業では生命の尊さは生じない。機械化農業では、生命は無生物同然に扱われるし、その生命がどのように育まれるか、その後無限の生命継承の種であることを無視する。遺伝子操作を語らずとも、と殺工場での生命の取り扱いを見れば分かる。

人々はあたかもと殺工場を知らない振りをして一部の人々は飽食に耽る。それは70億人以上が飢える人類が1億人以下の人間の飽食に嬉々とする現実を作り出している。これは戦争やマネーゲーム以上の犯罪でもある。人々がこの生命を蔑ろにしていると危機を感じるのは何時のことだろうか。

以上   No.49    No.51