No.56 放射能測定  2018315

「源流小菅村農作業通信」0056

放射性物質の循環

有る人物から以下の質問をうけた。日本科学未来館シンポジウム「原発事故から7年、放射能汚染の状況はどこまで改善したのか」に出席してきての感想だそうですが、問題ありますか? というものである。

土壌に落下した放射性セシウムは、粘土鉱物や有機物と吸着、結合し、降雨による下層への移動はほとんどない。放射性セシウムのほとんどが深さ5センチ~10センチ以内にある。植物の放射性物質による汚染は、人の立ち入りの少ない山頂付近のエリアでは、放射性物質の減少スピードが遅く、落葉などにより放射性物質が循環している可能性が高い。落葉に付いた菌類が放射性セシウムを吸着する。実験では、その落葉を除去する方法でセシウムを30%ほどの減少効果がみられた。 カリウム施肥が土壌中セシウムの植物への移行を妨げる効果がある。農業分野で期待されている。

私の回答は福島県南相馬市での測定結果から以下のようなものである。

については粘土鉱物や有機物とはセシュームとの親和性は高いのでこれらで構成される土層を通過することは少ないことは確かです。想定されているのは田んぼだと思いますが、田んぼは20~30cm深さに粘土層があり、セシュームがそれを通過することは難しい。それ故に田んぼにはセシュームが滞留している例は多いです。ただ、降雨によって表土が流されるので表土と一緒にセシュームが田んぼから流出することはあります。ただ、放射性プルームが降った直後にはセシュームはまだ、5cm~10cm程度の表土に付着しているのですが、数か月もすればセシュームは粘土層にまで到達しているので、表土全体が汚染されていると見ることが出来ます。ちなみ政府はこの視点に鑑み5cm~10cm以内の表土を剥げばセシュームが除去できるとしたのですが、それはプルーム降下後の数週間以内であればの話で数ヶ月~数年経った現状での除染作業は除染にはほとんど役に立っていないのが実情です。「放射性セシウムのほとんどが深さ5センチ~10センチ以内にある」というのは田んぼの表土層がそのように浅いものとは思いませんが、何かの間違いでは。「土壌に落下した放射性セシウムは、粘土鉱物や有機物と吸着、結合し、降雨による下層への移動はほとんどない」というのは下層の意味が不明ですが粘土層より下層とすれば正しいですが、粘土層のない場所。地域もありますのでこの指摘は田んぼ、その田んぼも表土層の5cm~10cmの限られた田んぼに限られるのではないでしょうか。

については植物が栄養吸収する際に土中のセシュームを取り込み、やがて一部は落ち葉・実として地上に落下、一部は幹に取り残されます。山頂付近に限らず山間部は保水性が強くセシュームが山間部以外に流出し難いわけですが、ただ降雨による流出がないわけではありません。従って、「人の立ち入りの少ない山頂付近のエリアでは、放射性物質の減少スピードが遅く」は間違いです。また、「落葉などにより放射性物質が循環している可能性が高い」ことは事実ですが、山間部での放射能が高いのはプルームの流れ、山間部の地形など様々な要因によるものです。

菌類による放射性セシューム吸着は事実ですが、その吸着率についてはほとんど分かっていないので今後の課題です。同じような実験はヒマワリなど植物によってもなされていますがまだ全容は掴めていません。「その落葉を除去する方法でセシウムを30%ほどの減少効果がみられた」というのは除去された対処が明記されていないので無意味。

について、「カリウム施肥が土壌中セシウムの植物への移行を妨げる効果がある」というのはセシュームがカリュムに似て居るからですが、どの程度まで吸収率を下げたのかを示さなければ無意味です。

以上、放射能については百科騒乱、皆さんが悩んで居ます。私もこの状況をどうするべきかが分かっていません。

放射能測定

先日、久しぶりに福島南相馬市の地に立った。放射能測定の為であったが、実際に私が参加したのはたったの1日である。たったの1日であっても小菅村から福島までは9時間を要するので、前後1日は通勤のためのもので二泊三日の工程である。未だに南相馬市は孤立した地域に属する。

いうまでもなく南相馬市に行くには常磐線で向かうのが早いのだが、その常磐線がふくいち事故の為に未だに富岡町から浪江町までは代替バスである。小菅村からだと東京駅まで約3時間、東京駅から南相馬市の原ノ町迄4時間、待ち合わせ等を考えると南相馬市のモニタリング宿泊所と私の家までのドアツードアで9時間を必要とする。

こうしたところにある南相馬市での放射能測定を既に6年近く行っているのがふくいち環境放射線モニタリングプロジェクトの活動である。私は体調を崩しこの1年はモニタリングには参加していなかっただが、それを継続しているメンバーもあり久し振りに参加したわけである。

久し振りと言っても南相馬市の放射能汚染が軽減されているわけではない。国は除染が終わり現在は清掃作業と称して一部除染作業は行て入るものの、結局除染作業は蔑ろにされているのである。除染作業中には除染前後の放射能汚染を気にする住民も多かったが、現状では住民側に除染問題、放射能測定への関心も薄くなっているとも思われる。

としても放射能汚染が経年的にどのような変化を遂げるのかは把握しておかない訳には行かない。国が設置したモニタリングポストは福島県だけでの3千ヶ所以上と言われているが、その実情を見ると設置場所がわざわざ放射能汚染の少ないところを選んでいるのではないかと思われるところが余りに多い。

従って、国とは対立する方向ではあっても放射能測定は必要と思われるのだが、私のように体調を崩したり、モニタリングメンバの中には病気に罹るもん、関心が遠のくもの等も多く、実情は参加メンバーの減少、固定化は免れない。

ただ、全国的に見れば放射の測定の市民活動は以前よりも増えており、ふくいち事故による被ばく者による裁判闘争がようやく佳境に入ってきており、ふくいち事故への問題提起は広がりを見せている。

こうした状況を踏まえての放射能測定、私としては私自身による行動も必要であるが、やはりなるべく多くの人の参加を期待する活動がないものかと試行錯誤している。その一つが多摩川周辺の放射能測定であり、ふくいちから数百km離れている地域とは言え、放射能汚染を免れたわけではないので、その実態を把握しておく必要があると考えている。

農作業と放射能

最初のフレーズでも述べたが放射能汚染と食料生産の要である農業とは切っても切り離せない関係にある。一般的には、山間部におけるキノコ、山野草の類は放射の汚染を受けており、それを食料とすることは禁止されている。

所謂食物の汚染基準が1kg当たり100ベクレル以下と定められており、食物検査でここの基準をクリアーできないものは食べることもは出来ないし勿論販売禁止である。ところで、では100ベクレル以下だと良いのかという問いかけがある。ふくいち事故までは1kg当たり1ベクレル以下のものが殆んどでありそもそも放射能汚染などは気にする必要もなかった。

それ故に放射性物質と言えば1kg当たり100ベクレル以上を指したものであるが、それが現在の基準では100ベクレル以下は食べても良いというものだ。確かに100ベクレルを堺とする放射性物質か否か、食べて良いかの基準が同じ数値であることに違和感は隠せない。要するに100ベクレルを境界とすることで放射性物質に限りなく近いものを食して良いことになった。

南相馬市での百姓さんとの会話で、市場からは100ベクレル以下だと出荷して良いと出荷を迫られるのであるがいくら何でもこれに近い数値で出荷する気にはなれないと話していた。これは当然の感覚である。100ベクレル以下が独り歩きした現状では、こうした農家の感覚は失われ、放射能汚染すらが、忘却されるようになった。

食物生産が1kg当たり100ベクレル以下だと良いという宣伝は土中の放射能汚染があって当然、農家はその放射性物質の食物への取り込みを防げば良いとの錯覚を持ち始めた。土中からの放射能物質(主に放射線セシューム)の吸収さえ抑制すれば良いとの勘違いが始まった。

今までは福島産は放射線汚染が酷くその栽培を控えていたものが、実はそこで生産される野菜、コメ、果物などが食料基準をクリアーしているとなれば、福島での食糧生産は大々的に受け入れられるようになる。要するに土壌除染ビジネスが食料除染ビジネスに転進しつつある。

農作業者のモラルがまさに崩壊寸前に来ているわけである。遺伝子操作で大量生産を確保した農家が、今度は測定操作で食料生産の開始を始めたのである。

私が参加したモニタリング現場で山中に1町歩地下畑にネギが植えられているのを知った。これだけのネギはどこへ搬出されるのだろう。この地域のモニタリングではこの地域が放線管理区域(0.6μSv/h以上)であることは分かっているのだが、放射線管理区域である以上、一般人はこの地域の立ち入りは禁止されるのだが、そして放射線管理区域である以上その地域には放射線物質が一般人が立ち入れないほど存在していることを意味するのだが。

豊な南相馬の大地で自由に食物栽培を行ってきた農家が、ふくいち事故後7年を経過してなお、ほとんどの田畑を荒れ地として放置せざるを得ない状況の中で、農家が放射の汚染された食料生産に携わざるを得ないというモラルハザードに追い込んでいる実情について悲しみと怒りが増す。以上   No.55     No.57