No.34 野鳥 2017315

最近我が家の周囲に鳶が一羽居座っている。電信柱の上で「ピーヒョヒョロ」となく声には愛嬌がある。私も口笛で応対するのだがほとんど対応できていないようだ。それでも口笛を吹きながら電信柱の下を歩いても鳶は逃げない。ずーと遠くに居た鳶の姿を見たことはあるがこれほど身近に感じるのは初めてだ。

鳶はタカ科人に懐きやすいとは思うのだがそこまでは行かないようだ。我が家の周囲には数本の電柱がある。それぞれを巡りながら「ピーヒョヒョロ」と泣いているようだ。鳶は猛禽類、近くにえさ場があるに違いない。

そういえば塩ビの箱に入れた荏胡麻のもみ殻を畑に撒こうとしたら、中からネズミの死骸が出てきた。どうして密閉した箱の中にネズミが入ったのかも不思議だが、荏胡麻だけでは生きていけないのだろうか、まだまあらたしい死骸である。鳶は猛禽類であるのでネズミは大の好物。もしかしたら我が家の回りにネズミの大量発生があるのかもしれない。

私が旗に出ると畑でも周囲にある電信柱で鳶が「ピーヒョヒョロ」と歌っている。ネズミは畑にもたくさんいるに違いない。小林農園は有機肥料、農薬も使わないのでミミズなどが大量発生する。ミミズが居ればネズミの好物である。ネズミの大量発生もうなずける。我が家で勝っている猫の一匹畑が好きである。時々ネズミを加えてくるのだが、猫もネズミを狙ってのは竹の散歩である。畑にはネズミ以外にもモグラ、イモリ、蛇などの小動物も多い。それを求めてかタヌキ、キツネ、アライグマも見かけることがある。彼らもまた、地中のミミズなどを狙っている。

鳶の鳴き声はいかにも田舎田舎しているので私の生まれ故郷の田園風景を思い出させてくれる。時々畑に繋いだ二匹の犬の一匹が激しくく吠える。彼女は「オビンタレ」で何時も覚えて吠える。よく見ると鳶が上級を飛んでいた。1m以上もある羽を広げてか滑空すると、その影が不気味である。私さえ何が襲ってきたかと感じるほどだ。まさに鳶が居る自然は豊かである。

 

鳶に比べるとカラスは群れを成して「カーカー」となくので煩い。昔歌った鴉の歌の風勢とは全然趣が異なる。ついつい石を投げたい気持ちになるが肩や腰を痛めている身ではどうにもならない。ただ鴉の方も私を警戒しているので近づけば逃げる。鴉は集団で動くが都会では残飯を狙うカラスも小菅村では何を食するのだろうと疑問い思う。

先日のことだが、十数羽のカラスが騒いでいた。よく見ると電信柱の上に鳶が泊まっていた。口笛を吹きながら畑から家に近づくと鴉は居なくなったが電信柱の下に鴉の羽の一部が転がっていた。

どうやら鴉の騒ぎはその一羽が鳶に襲われたようだ。鳶は集団で鳶を襲っていたに違いな。鳶は平然と電信柱の上で動かないのであるが。鴉は何時も森の中に集まる。森の中が賑やかである。鴉や鳶が畑の中に居るのを見るのは少ない。

ところが福島のような広大な田んぼでは鴉の集団が闊歩していて近づいても相当に近くないと移動しない。移動してもちょいと動く程度だ。福島に比べると小菅村のカラスは人を怖がる。

昔都会の鴉の嘴は丸みをおび、山の鴉の嘴は尖っていると聞いた。山の鴉は餌を得るのが厳しいということだが、未だに小菅の鴉ん嘴を都会の鴉と比較するほど見つめたことはない。確かに小菅の鴉が鳶と同じく小動物を漁るのであれば嘴は尖っていることに限る。

 

山鳥と言えば山鳩のことを言うようだ。昔は山鳩の頭が良いことを聞いたことがある。小菅村に来て土肥の家の前の畑を耕したころ、土肥が言うには山鳩は人間が植える野菜の種などを遠くから観察していて、種を植え終えるとやってきてその種を全部食べてしまうというのだ。

確かに私は土井の家の前を耕しエンドウまめを植えたことがあたが一つも芽が出なかった。土肥は鳩に仕業と納得したようだが私は納得したわけではない。小菅の人は大豆などを育てるのは旨いし、結構琢さんお収穫を得ている。

昨年のことだが、荏胡麻を渡り鳥から守るためにカスミ網を畑中に張り巡らしたことがある。その網に山鳩が引っ掛かった。隣の畑の豊さんがその鳩を網から外そうと一生懸命だった。鳩は暴れるので網が絡まり可哀そうなことをしたと思った。最終的には網を破って鳩を解放し、鳩は一目散に森に逃げ延びた。ほっとした気分と豊さんの優しい人柄を改めて知った。

鳩は荏胡麻畑に来ても数匹でであるので気にすることはないし彼らが垂れ流す糞は畑にとっては素晴らしい肥料である。鳩の鳴き声は「オーオー」と獣の鳴き声だ。飛び方もバタバタと忙しい。ただ鳩の種には伝書バトが居るように極めて超音波を見分ける力があるのでは。山鳩とて土の中に埋め込んだ種とか小動物を見つけるのは難しいことではない。網を張らなくなった畑には鳩の到来はしょっちゅうだ。限って番であるし多くても数羽である。鴉とは違った愛嬌がある。

 

ガビチョウ

外来種の代表でもあるガビチョウは賑やかだ。その鳴き声は人に話しかけるように「チョビチョビチョビチョービ」と鳴く。とにかく家の周りでも、山でも畑でもその声を聞くので良くわかる。ただ声の割には余り大きな鳥ではなくまた色も茶色の目立たない姿である。

もちろん私がガビチョウを知ったのは小菅村に来てからだが、亡くなった土肥が教えてくれたことだ。その声や姿がどこにでも聞いたり見たりできることは相当の繁殖能力を持っているに違いない、当然在来の小鳥たちの繁殖を邪魔するのではと心配もする。ただ、こればかりはどうすることも出来ないようだ。

 

鵜と鴨

多摩川では鵜が繁殖し、放流した鮎が全滅すると言った話がある。鵜は川岸にコロニーを作り退寮繁殖するらしい。長良川での鵜による鮎魚は有名だが、多摩川ではそれが災害となる。

多摩川の鮎の激減については色々説があり、その1は砂防ダムによる石灰土砂の流入で藻が育たないtこと、その2は釣り人が多く放流した鮎を全部釣り上げること、その3は洪水調整用のダムがところどころにあり、鮎の遡上を阻止ていること、その4は川にも外来種が多くなり鮎を食ってしまうことなど。その5に鵜の繁殖があるのだろう。

小菅村で放流した山女魚が鵜に食われて絶滅状況にあると言う。鵜を退治するんは爆竹を鳴らすと良いと言う。朝早く鵜が川に登場するのを待って爆竹を鳴らす問うものだ。その成果については余り聞いたことがない。

小菅村の養魚場では鴨が山女魚を捕りに来るそうで時々養魚場に被せた網に引っ掛かるようだ。それをどうするのかと聞いても大した返事はない。鴨肉は美味しいと思うのだが。ある日村人が空気銃で鴨を仕留めたと鴨を解体していたが、果たして鴨ネギにこぎつけたのかを知らない。

 

故土肥の家の裏の畑を耕した時、キビなど雑穀を植えたので琢さんお鳥が集まった。裏の畑は電柵の外にあって、比較的獣が闊歩しやすい。ところが電柵の中では鳥どもが自由である。

ある日故土肥の家に近づくとバタバタと音がする。番の雉がバタバタ電柵に筆禍理想だったが、メスの方は直ぐに電柵の外の私の畑に逃げ延びたが雄は電柵を前にして右往左往。

それでも私が近づくと必死に電柵の外に逃げ延びた。オスはメスと違い体はでっかいし羽も綺麗だ。福島でもモニタリングの最中には雉の鳴き声、番の姿などを身近に感じることが多い。

ただ、広大な田んぼで草木の茂ったままなので彼らにとっては絶好の生息地になっている。私が小菅村で雉を見つけたのは数回。1回は小菅の城跡を散歩していた時にやはり番を見つけたがその場所では1回きりだ。白沢集落から作の宮に向かう村道では何度も雉の鳴き声を聞く。

例の長作観音像は皇女が長作近辺で産気づき流産して死に至った伝説で皇女が亡くなった時に記事が飛び立ったということでその後記事を大切にしていると言う。それ故でもないが、私も雉を見つけた時には親しみがわく。

 

鶯とメジロと百舌鳥

鶯の鳴いている時期は小菅では長い。山奥でもあるのか梅の咲くころには鳴き始め紅葉の時期にも泣いている鶯が居る。鶯が鳴き続けるのは雄が雌を見つけられないためだと言う。鶯は相手を見つけると泣くのを止めるらしい。小菅村の山奥に行くと鶯の合唱が聞ける。寝そべっていると四方八方から鳴き声が聞こえる。鶯を見つけるのは非常に難しい。人影を察知すると直ぐに旅立つ。結構遠くで泣いているのだが、気配を感じるらしい。鶯の居るところメジロも多い。

ただメジロは竹やぶを好むのでその姿を見t蹴るのは更に難しい。警戒心から見ると鶯よりも強いのではないだろうk。鶯はほぼ一匹でないでいるが、メジロは数匹で居ることが多い。ちょろちょろしているので分かりそうなものだが、見つけることが難しい。

鶯は春先に泣くときはそんなに旨くないが段々と旨くなる。最終的には売疑スの谷渡りで無いがホケキョーカラケキョケキョと飛び立つことが多い。

鶯と百舌鳥は見分けが難しい。百舌鳥は鶯よりも大きめであるがどちらかというと目に付きやすい。鳴き声も違うのだが、ただ私がそれを見分ける力はない。百舌鳥は獰猛でカエルを木の枝に刺し止めたり、会告で鶯に自らの卵を抱え指すという話を聞くのだが、私がそれを見つけたことはない。

 

雀と渡り鳥

雑穀を荒らすのはスズメと渡り鳥、しかも大群である。その鳴き声は凄まじくトタン屋根に雹が降り注ぐような声である。ただ、雲のように空を舞う大群が何かを私の知識では知ることは無理である。畑から一斉に飛び立つと電線が砦埋め尽くされる。

福島南相馬でのモニタリングでは雀の大群が稲を荒らすのでその追い出しに色々工夫がされていた。小菅村ではそれがない。確か土地が狭くその大群の規模が小さいのかもしれない。これらの大群が押し寄せると畑が踏んで臭くなる。雑穀以外にもサクランボを啄む野鳥の大群も居る。鳥撒きと言われるぐらいに桜の木のサクランボを啄む勢力は大変なものだ。

実際にその鳥を見たことはないのだが、サクランボの種を集めて植えようとしたときに拾った種がほとんど実が啄まれていることに気が付いた。

 

雑感

青梅では野鳥の会の人と一緒に山巡りを何回も行った。彼らの観察力は鳴き声で鳥の朱里を聞き分け望遠鏡で遠くの野鳥の種類を言い当てる。野鳥の会はほとんどの地域にメンバーが居て定期的に観察会を行いその経験を高めている。

福島でも野鳥の会の観察力が放射線による野鳥への影響を知るには随分と役だったように思える。実は昔代表を務めていた会社で野鳥の会のメンバーが居て東京都北区の環境調査を数年手がけたことがある。

環境調査は地域をメッシュに区切りそのメッシュごとに生態系を知る仕事である。その調査でも野鳥の種類、植物の種類等は覚えておくことが必須で私の及ぶ範囲ではなかった。小菅村での環境調査は必須なのだが、同じく私の及ぶ範囲ではない。

 

 

以上   No.33    No.35