No.26 小菅村の秋(2)   2016119

 

大地の恵み祭

小菅の秋は収穫の秋だ。

1030日に小菅村では大地の恵み祭がある。素晴らしい名前だ。

毎年参加しているように思えるのだが、実はたまにしか参加していない。

結果論だが、タイミングが合わない。

今年も雨が降り、ゴロゴロしていると一日が過ぎた。

祭りに気が付いた時にはすでに遅く後の祭りである。

大地の祭りには村のいろいろの団体が参加するが100%自然塾の面々が前日にキノコを採ってきてキノコ汁、キノコそのものを販売する。

特にキノコは評判が良い。

私も1昨年はキノコ採りに参加した。

 

険しい山を下りたり登ったりするものだから、とてもとても辛い思いをした。

それでも村人は走るようにして山を下ったり登ったり、いわゆるキノコは川に沿う斜面に沿って倒木を中心に生えている場合がある。

毎年同じような場所に生えるので一度経験するとそこが宝の山だ。

従って、なるべく人に知られないように穴場を見つけておく。

そして生えるタイミングが短いのでそのタイミングに沿ってその穴場に向かう。

それでも100%自然塾の人々はキノコ採りではプロ級だが穴場も沢山知っているのを惜しげもなく教えてくれる。

ただ、その穴場たるや、到底一人では行けるところでもないし、ましてや私の体力では無理な話である。

それでも1昨年はやっとの思いで村人に従い穴場に辿り着いた。

切り立った斜面必死の思いでキノコを沢山採った。

そうしたキノコが祭りに出展される。

 

一見高そうに見えるが採るときの苦労を考えると安いものだ。

買う人も分かっているように思える。

 

キノコ採り

昨日のことだが、大地の恵み祭に参加するのをついつい忘れたこともあって、キノコ採りにわが畑の上の山に出かけることにした。

腰痛も癒えたわけではないので心配だ。

ましてや人気のない山登りは危険である。

畑で飼っている二頭の犬(名前はバン、ランコ姉妹)を連れて行くことにした。

ところが二頭とも猿の怖さを知っている。

 

以前にも山に登ったことがあるが、最初は猿に威嚇されて尻尾を巻いた。

それでもだましだまし山に入ったのだが、初めての山登り、急峻な場所でもあったので、逃げ腰の犬二頭を連れての山登りは大変だった。

キノコ採りどころではなかった。

二頭の犬の世話がやっとだった。

今年は方角を変えてより奥からの山登りを考えた。

そこにはキノコ採りが大好きで66歳の若さで亡くなった土肥のお墓もある。

大丈夫かと二頭の犬を連れて行ったのだが、山には既に暗い。

夕暮れ時でもあり、山は暗くなりつつある。

二頭の犬は調子よく先頭を歩いているのだが、いざ山に登ろうとすると入り口で頑として動かない。昔のことを覚えているのかもしれない。

この調子ではとてもとても駄目だと諦めて入り口で犬を待たせて山に登った。

 

すそ野は暗くても上の方には日が射している。

小菅の山は急峻なので這いつくばるようにして山を登る。

腰痛を考える暇はない。

やっと見つけた穴場の楢の倒木を見つけた。

ところがすでに楢タケはあるもののほとんどが腐っていた。

それ以上の散歩はご法度。

暗くなっても、転んでも、獣に襲われても、いそいそと山を下りた。

二頭の犬は鎖を絡めながら神妙だ。

どうやら、この分だと私のキノコ採りは無理なようだ。

やはりキノコ採りは村人についていくに限る。

少ない経験の中で、楢タケだけは覚えている。

不思議なもので家に帰るとシイタケを埋め込んだ楢の木に沢山の楢タケを見つけた。

本来はシイタケが生える予定だが、不思議にも楢タケだった。

 

荏胡麻の収穫

どうやら荏胡麻が弾け始めたようだ。

まだまだ葉っぱもあって収穫するには早いと思っていたのだが、この寒さと暑さの繰り返しに一挙に荏胡麻の実が弾くようになったようだ。

腰痛の私にとっては荏胡麻の収穫は恐怖である。

昨年も無理を強いて腰痛の進捗の原因にもなった。

その腰痛が治りきらない内に収穫期を迎えるとはぞっとする。

荏胡麻の収穫方法は毎年進歩している。

今年も少しは改善された。

貧すれば鈍するではないが、腰痛を悪化させないための要領が必要である。

 

それに荏胡麻の収穫は1ヶ月以上は要するだろう。

持ちこたえれるかどうかもある。

最初は腰に負担をかけないために立ったままで荏胡麻の木から荏胡麻をしごき紙袋に入れる方法だ。

紙袋は大工の豊さんが風呂のたき火として木材の切れ端を10kg用の紙袋に入れてくれたのを使うことが出来た。

数年前は40kg用塩ビの桶を使ったが何分重すぎた。

 

腰を曲げないでしごけるので結構やれると見た。

ところが荏胡麻の木は立っている気もあるが倒れている木が多い。

立ったり座ったりそれは重労働だ。それに紙袋の口は小さく荏胡麻の弾くの止めきれない。

途中で紙袋の限界を感じた。

そこで昨年採用した1屯用フレコンバックを持ち出した。

フレコンバックの口は広く荏胡麻の弾くのをほとんど防げる。

フレコンバックの使用は福島での除染に使っているのを見ての思い付きだ。

昨年のフレコンバック使用ではまずは荏胡麻の木の刈り取りを優先して木を刈り取ってフレコンバックにまずは詰め込んだ。

今年は昨年よりは時間がある。

まだ、弾かない荏胡麻の木も多い。

フレコンバックの口の大きいのを利用して、荏胡麻を伐採ししてフレコンバックのうえで荏胡麻をしごいでいる。うまく行くかどうかは体力次第、気候次第。

気候が荒れるようだとまずは伐採した荏胡麻の木をフレコンバックに詰め込むしかない。

今の状態で気候が維持されれば、荏胡麻をしごきながら間に合うかもしれない。

淡い期待である。

 

野菜の収穫

エゴマだけの畑になって他の野菜の影が薄い。

他の村人の畑では、白菜、大根が大きくなっている。

時期を失したのかわが畑の大根は小さい。

白菜は鹿に食われたり虫に食われたりでほとんどトラウマ状態で植えていない。

ニンジン、ゴボウはそれなりに収穫できそうだ。

自慢の地ネギは見事だが小菅のネギは店頭に並べられたネギとは大違い。

葉っぱが多く、根は短い。

それでも恐る恐る小菅の道の駅に出すと売れたようだ。

世田谷の雑居祭りでも売れたようだ。

そしてテキヤの栗ちゃんはまた売ってくれるので今日も14束ほど持ち帰った。

ゴボウも持ち帰ったが、ニンジンは小さくて駄目なようだ。

小菅のネギはおいしいと評判取れば次が開ける。

勿論おすそ分け文化、ただ同然の持ち込みなのだ。

昨年は地ネギと言っても荏胡麻の陰でほとんど枯らしてしまった。

今年は畑一面にネギを増やした。

 

村人がそんなに植えてどうするのだと心配した。

そのっとり、どうすればよいかと思案したものが、これも村人の提案で5,6本束ねて100円で売ることにした。

テキヤの栗ちゃんもそのように売るとした。

考えればその栽培の苦労を考えればやってられない。

でも小菅の地ねぎには惚れ込んだ。

根は短いが葉っぱも食べれるし、匂や甘みが強い。

都会人、若人は面倒くさいというが結構美味なのだ。

昨日も未知の駅にこのネギを置いてきたが、すぐに売れていた。

地ネギは私の田舎を思い出す。

田舎ではネギは葉っぱだけを食し根は生やしたままで次なる目が出るのを待つ。

 

小菅の文化の一部は関西京都風である。

京都に憧れた甲斐武田家の影響だと思う。

ただ、今感じたのはこの地ネギだけだが。

そう言えば道の駅には青物が少ない。

私の出した地ネギは立派な存在だ。

そこに大根の葉っぱを店員が置いていった。

わが畑には一杯あるのだが、まだそれを出す勇気がない。

数年前から小菅村の百姓の会が栽培を始めたマコモダケが評判が良い。

山の崖下1町を耕しその一部で栽培しているものだ。

昨年は鹿のため初期に水田が荒らされ収穫できなかったが今年は豊作だった。

ところがマコモダケの収穫は9月初旬からの1ヶ月ばかり、もう既に収穫が終わったようだ。

道の駅でもそのてんぷらは評判が良い。

テキヤの栗ちゃんも期待したのだが、1ヶ月前の1回きりだ。

水田なのでわが畑では栽培が無理。

わが畑ではホウレンソウ、レタスが大きくなり始めた。

まだまだ小さいのだが、試食すると旨い。 

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