No.42 環境容量  2017716

 

百姓仕事

私はこの10年ほど小菅で百姓の真似事を行っている。

小菅の住民は何事も10年継続しないと小菅人にはならないと酒席でよく言われたものだ。

実際には数年前に亡くなった土肥などはもうすぐ10年になるとその日を待ち望んでいた。

ただ、彼は土日だけを小菅に住んだ。

だから小菅人の資格を得るには更に長期にわたった。

彼が亡くなる前に交通安全協会の役員や100%自然塾の代表になったのは10数年経てからだ。

村人の間には自然の信頼関係がある。

以心伝心というやつでこの絆は簡単には壊れない。

壊れれば村八分になるので10年ぐらいはお互いの素性を確かめる問うのが筋と思う。

私は小菅に15年前に来て、5年して青梅に移り、その5年後に福島に移住、同時に小菅に現住所を置いた。

この間百姓は続けている。

 

最初は土肥の家の庭、その裏の畑。

余りに獣の鋪場のようで、哀れんだ村人が電柵内の畑を借りてくれた。

それでも執拗に猿はわが畑を襲った。

この2年は電柵はないが、犬2頭を畑に住まわせて、獣対策は成功している。

私の百姓仕事は土肥の家の庭の小さな畑を耕してから約13年になるだろうか。

ただ、百姓仕事と言えば聞こえは良いが、この数年以前は畑を作るのが趣味仕事。

村人にも趣味だからと言い続けた。

ほとんどが荒れ地を耕したので、作物を本格的に作ったのはここ数年である。

荒れ地の耕しは村人が一番嫌う仕事らしい。

というよりも荒れ地を耕す体力を持つ住民が居ないのが実情だ。

荒れ地を耕すには年に1反は当然無理である。

その半分150坪(0.5反)が相場かもしれない。

耕したから作物ができるわけではない。

とにかく、最初の年は色々植えてみる。

育てば幸い、ほとんどが途中で育つことはない。

要するに試行錯誤が続くのだが、農作物は1年に1回しか育てられない。

試行錯誤するにはあまりにチャンスがない。

しかも作付けのタイミングが年に一度しかない。

このタイミングが1ヶ月もづれると作物は育たない。

私が春前ジャガイモ、夏前えごまの栽培タイミングを得たのは偶然かつ成功例である。

今でも私の試行錯誤は続いている。

 

ところでこの百姓仕事を見ると10年で一人前になるのは無理である。

巷では百仕成功物語が流行っている。

羨ましい限りであるが、そのたびに百姓とは何かを考える。

最近では百姓ではなくて農業だ。

農業が数年で施工した例が多い。

それは機械化農業、薬物農業、そして肥料農業の成果である。

確かに小菅の斜面地でも薬剤除草し、耕運機で耕し、著作から種まき時期を選び、肥料添加時期を選び、収穫時期を選び、最短で数年すれば作物は収穫できる。

これは作物の種類を一つに限ってのことである。

別途工場制農業ならばもっと手っ取り早い。

聞くところ、これらは百姓(農業)成功物語であるだろう。

勿論、それ以上に私のように試行錯誤の百姓を行っている人も少なくない。

百姓と農業とは根っから識別すべきである。

小菅では農業は可能だろうか。

百姓は可能だろうか。

 

農業

この一連の作文が農業通信となっている。

私は農業的なことはしていない。

まあ百姓も農業の一部と見えるのだろう。

百姓通信と言うには余りに遠い存在だ。

農業が近代化するか否かを私の学生時代に私の先輩生物学大学院生と論争した。

私は農業は近代化しないと主張し彼は近代化すると主張した。

私は私の経験から農業が近代化するとは夢だに思えなかった。

ところが私が企業経営を始めたころ私の同級生が農業工場を作るのだと言っていた。

とにかく彼は北辰電機で通産省の助成金を得たようだ。

 

最近には農業の近代化以上に工業化が進んでいる。

また、私の同級生が青森の六ケ所村でシャトル用の農業(自給自足)実験施設を作っていた。

既に農業は工業生産が可能になっていた。

これら実験に農業は近代化を飛び越えて工業化が進んだと言ってよい。

ところが私が小菅村で行っていることは近代化どころか原始的な百姓だ。

その作業は荒れ地を鍬で耕し、草や木は鎌で切り、何が育鵜化を色々試す。

雨が降らない時には赦免したの家から水を運ぶ。

余り雨が降らなければギブアップ。

出来た作物は獣や鳥、虫などの餌食。

獣は石を投げて脅かす。

鳥は網で防ぐ。

害虫になるとギブアップ。

こうした一連の作業を作物の品種ごとに繰り返す。

実れば成功、実らなければ失敗。

この期の遠くなる作業を何故続けるのだろうか。

 

そこにはこうした苦労を共にしている村人が居る。

猿が来たか、ジャガイモは育ったか、青虫は、捕りは全て挨拶代わりだ。

挨拶が出来るということは尾内経験をしているからである。

昔、私の小さいころ今日は雨、今日は日照り、名dあらゆる気象の挨拶があった。

きっとその調子で作物の出来具合を語ったに相違ない。

それが人の絆である。

百姓には百の仕事がある。

百の挨拶が出来る、

実は仕事、天気、健康などを含めるとそれは数千数のお挨拶となる。

その言葉は簡単でも長い歴史と経験と育ち続ける作物がある。

全てが挨拶だ。

 

これほどのコミュニティ要素は他にない。

サラリーマンはどのような挨拶をするのだろう。

ぞっとするような毎日だ。

サラリーマンにとっての人の噂は欠かせない。

小菅村の人々にとっても人のうわさは欠かせない。

違うのは小菅村にとっては人の消息である。

そのことで健康であるかどうかを確かめる。

サラリーマンにとっての人のうわさは処世術だ。

サラリーマンはそのことで相手との距離を測る。

小菅村には私の経験上農業近代化は無理だ。

工場制農業も無理だ。

自然や人との対話のみが小菅村の農業を維持する。

 

労働容量

人は7~8時間働きその生産量はどの程度になるのだろうか。

百姓仕事ではその生産量はほぼ明らかだ。

特に小菅村での百姓仕事は機械化が進まない中で、その限界が見える。

私が一生懸命耕して300坪、1000平方メートルがやっとだ。

それでも病気でもすればその耕作面積は狭まる。

それでこの耕作面積で生きて行けるだろうか。

余程うまくやらないと自給自足は無理だ。

冬には耕作不能で山での仕事となる。

狩猟とかは結構なたんぱく源で欠かせない。

夏場の耕作地での野菜、穀物の栽培には輪作というか結構の計画性が問われる。

畑の有効活用にはそれなりの経験が必要である。

連作が不能の野菜もあれば、気候、土質に会わない作物もある。

そうしたことは難題も続けて耕作することで経験的に蓄積される。

残念ながらその伝統は今はない。

 

私が10年程度続けて得られる知識ではない。

こうした百姓仕事の衰退は急速に進んでいるので労働容量は更に小さくなっている。

昔の村人は10人以上の子供を生んでいた。

長男、次男だけが狭い土地を与えられて家督を継いだ。

それ以外は村を離れるしか方法はない。

村に残れたとしても生活できるわけではない。

山での狩猟が周流であったろうが現在は出稼ぎが誰でもが行うことだ。

村人が考えて副業としての工場誘致、副業としての林業、大工、養殖業、蚕など洗油ツ可能性を切り開いてきた。

現在まだ維持されるのは養殖、土建に限られるだろう。

狭い耕地を使ってのコンニャク、蚕、麻などは直ぐ限界が来た。

手っ取り早いのは工業成製品の下請け業だが、時代の進歩に追いつくほどの展開は無理だ。

本来は山を背景とした林業、炭焼きが本命だが隔離された山奥ではその可能性が低い。

山を背景とした観光業が盛んだった。

その旺盛を伺える旅館も多くみられるがほとんどが閑古鳥だ。

今また観光業への期待もある。

 

観光にしても工業にしてもその生産量を測る尺度は時間労働だ。

労働時間が貨幣に換算される。

この労働時間、貨幣換算が対象となる仕事内容は限られる。

百姓仕事にはその換算は無理である。

本来人間の生活で労働時間、貨幣に換算されるものはない。

生きることが時間であるならば、それが貨幣に換算される根拠はどこにもない。

ましてや労働時間という細切れの時間などない。

小菅村にはこの労働時間と生きることが併存するようになった。

今後この展開がどちらに向くのかについては明らかだ。

貨幣経済の中で小菅村での抵抗力はない。

 

環境容量

環境容量はその地域にどの程度の人間が住み食ことが出来るかである。

地球上には70億人の人間が住んでいる。

その数はやがて100億を突破すると言われる。

日本列島には13千人程度の人間が住んでいる。

やがてその人口は7~8千人にまで落ち込むとみられている。

果たしてその人口の適正はどこになるのであろうか。

私が小菅村で耕している畑面積は1000平方メートルである。

勿論この耕地面積が自給自足を賄う筈はないが、私にとっては労働限界である。

どうやらこれ以上の耕地は耕すには無理がある。

もし500人の人口に対して私程度の耕作面積を得ようとすれば50万平方メートルいわゆる50ヘクタールの耕地面積が必要である。

仮に小菅村の耕地面積が50万平方メートルとするならば、この程度の耕地面積を有効活用すれば一つの環境容量が推測される。

すなわち、小菅村の環境容量は500人である。

 

環境容量を決めるには別の要素がある。

その1は工業生産であるが、現状の作業効率では無理と思う。

スキル、設備が伴わないのである。

観光も環境容量を変動させる要素である。

果たして耕地面積を狭める形での観光産業は無理と考える。

何時かそれは下向線を辿る。

養魚場、林業、コンニャク畑等耕地面積を補完する材料も多いので、耕地面積の縮小が環境容量を緩和する可能性もある。

小菅村で耕地面積である筈のものが荒れ地と化しているのはそのためである。

一時は観光、土木が盛んとなり数千名の住民が住んだと聞く。

今は700名だが、まだまだ環境容量としては厳しくなるだろう。

環境容量を300人と見ることも出来る。

 

小菅村の住民がより豊かな生活を来るには適正な環境容量を知ることが大切である。

確かに小菅村の高齢化率は高い。

最近には若者の移転率が高いので嬉しいニュースではある。

ただ、それで環境容量が増えるという保証はない。

彼らは農業に従事しないし、耕地面積を増やす要素にはならない。

農業の近代化、工業化があたかも日本列島の環境容量を増やしているかの錯覚を持つ。

日本列島は現状447万ヘクタールの耕地面積がある。

小菅村の50ヘクタール・500人の環境容量を考慮すれば、447万ヘクタール・4470万人の環境容量である。

日本は観光、工業、様々に環境容量を増やす要素があって、13千万人の人口を維持している。

小菅村の経験を活かせば45千万人の環境容量に落ち着く可能性がある。

勿論、工業、商業、観光などがどの程度の環境容量への補完を成し遂げるか計測する必要がある。

第二次大戦後に起きたすべての廃墟を考えれば、この種の要素は考慮する必然性はない。

 

 

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