No.49 山の恵み 20171130

山の幸

有害動物と言えども、もともとは山での自給自足を行っていたものが、山への人の進出に伴い、住処、食べ物を失い、人が作ったものを奪わざるを得なくなった。もちろん、生存競争の中では、その昔小菅村を中心とした山岳地帯でも狼を頂点とする捕食の関係が維持されており、要するにこの地域では当然人は狼伝説の中で御嶽神社のように狼を神として敬ってきた。

ところが、人が山岳に進出することで、この捕食バランスが崩れて今この地域では狼の姿を見ることはない。どうも捕食関係の転移は熊が頂点に存在するようであるが、彼らもまた、人が育てた栗などを好み、有害動物として人から嫌われる。ただ、こうした熊を頂点とする植物連鎖を維持したいと熊を保護する団体もあるようだが、その後の消息は分からない。どうやら植物連鎖の頂点にあるものは順次絶滅種として地球から居なくなる傾向にある。

ところで人は植物連鎖の頂点として、あらゆる動植物をわがものとして食べてきたのであるが、このところその変化が表れている。要するに野生の植物を回避する傾向にある。栗、柿、胡桃、山芋など山野に植生する食べ物への期待が薄れているようだ。

逆に工場野菜などが好まれるようになり、山野と言えば観賞の対象でしかないらしい。野生の食べ物ほど匂いも味も濃くて素晴らしいものだが、最近の若者は美しさ、料理の手間暇を惜しむようになり、食べ物の味は二の次である。食生活の変化と言えばそれまでだが、人間の複雑さが失われているのであろう。

私は小菅村の百姓で自然性を重んずる。無農薬、無化学肥料を徹底しているが、野菜は限りなく野生に近いと思っている。えごまではないが既に種が弾き落ち、芽が出て、花が咲き、実がなるのを10年も続けていることになる。こうしたことは、ミニトマト、大根でも続きている。

こうした畑で無い野生の幸と言えば、キノコである。キノコも養殖が激しいが、山にも一杯キノコが生える。キノコ名人であれば、生計を養うだけの収穫を得るようだ。その他山野菜はノビル、ヨモギ、セリなどあるが今やそれらは食の対象としては稀有である。

山野菜は落葉樹のように土を潤し、水を溜め山を肥やす意味でも重要である。こうした山のバランスを保つには食物連鎖も大いに関係する。鹿、猪、猿、鳩、鳶など、それぞれが食物連鎖の役割を持つ。彼らの生命そのものが山を潤すのである。人はそのおこぼれに預かったというの実態だった。

最近には食物連鎖のバランスが崩れていて、何が何だか分からなくなっているが、山野の重要性はこうした食物連鎖の観点からも評価しなおす必要がある。鹿、猪が増えすぎて有害動物して、その肉は結構美味である。ある低で、山での彼らの生存を維持することは牛、豚、鶏依存の植生化を変える契機となる。

先日貰った鹿肉は筋を取るのが難しかったが、意外と美味しく頂いた。ちょうど昔田舎で年一度ぐらいの牛肉の固さ、甘さを思い出した。すき焼きにすれば野菜にも適度の味が浸みこんだ。すき焼きは昔を思い出す絶好のチャンスとなった。

猪や熊の肉は昔から評判が良い。もともと美味しい肉なので、違和感が無かったが、どうやら熊は取り過ぎる傾向にある。広大な山野が、こうした動植物の育成場として再生させれば、薬漬け、運動不足、ぶよぶよ肉との交代も可能になるのではと思う。

小菅村には、畑もそうだが、谷水を利用したヤマメ、イワナ、ワサビなど名産が多い。それは山岳地帯ならではの小菅村名産だ。それぞれが貨幣経済の波に流され気味ではあるが、山野の幸を利用する一つのソリューションであることに変わりはない。

畑の幸

傾斜地の畑作は厳しい。老齢化が進む小菅村ではほとんどの傾斜地が放置されてしまった。傾斜地には、水の便が悪いし、雨が降れば土の養分が流されてします。土の養分を確保するには落ち葉を投入するのが良い。私のように畑だけを耕している分には落ち葉の回収が大変である。昔から、山と畑は一対のものだ。

昔は小菅村ではほぼ頂上に近いところまで山を切り開き、桑の木、こんやく、麻などを植えてきたようだ。これらは水が少なくても育つ。ただ、こうして山を切り開いてしまうと、やがて山は荒れ、水枯れが起きる。それでも貨幣経済は刹那的に開墾を人々に強いた。

私が耕す畑も昔はコンニャク畑、桑畑だったようだ。ふんだんに落ち葉が投入されていたのか土地は最初豊かだった。しかし、数年は良いがやがて土が痩せる。要するに土の養分が少なくなるのだ。落ち葉をふんだんに供給してやれば良いのだが、それも出来ない。

まずは土の養分が逃げないように雨でも土が流れ落ちないように工夫する必要がある。小菅村では石ころを拾わないでそのままにしておくと土の養分が保たれるようだ。先人の知恵と言うやつ。ところがそれでは作業が非常にやりづらい。段々畑はそのための策のように思えるのだが、その手間暇は私にはない。最近編み出したアイデアがえごまの根っこを残す策だ。えごまの根は1年近くで腐るが、丁度肥料にもなる。土の流れを阻止する石ころに代る策にもなる。

やはり水の運びは最も厳しい。昔は谷川に下りて水を運んだようだが、水道が発達して水道水を畑まで引く人も居るがそれは恵まれた畑である。遠くから谷川の水をひいてくる手もあるが、結構な工事である。そこで考えたアイデアが雨水を溜める策だ。捨てられた風呂桶を畑に置いておくと結構な雨水が溜まる。島の住民の知恵である。

落ち葉はふんだんに山道に落ちているものだが、回収すると道掃除にもなる。体力がある時にはバイクで運んだものだ。最近は老齢化を考慮して免許を返上しバイク免許証のない私には落ち葉の回収能力はない。そこで、村が営む、土壌改良材を最近は撒いている。土壌改良材は生ごみとおが屑、下水汚泥を混合して腐らしたものだ。いわゆる物質循環を促進するもので悪くない。昔は源流きらりを混ぜて腐敗を促進させていたのだが、今は行っていないようだ。

おが屑、生ごみの混合は落ち葉以上の効果がある。金肥であることには不満があるが、もともとは物質循環の基本的な要素として大事にした。

畑の幸に欠かせないのが有害駆除だ。有害駆除部隊が小菅村にも居るがなかなかわが畑にまでは手が回らない。その対策として電柵だ。電柵は電池を相当必要とするので数年で諦めた。次は霞網だ。カスミ網には鳥が引っ掛かり危険である。近眼の私もひっかけ易くで今は諦めた。確かに現状策を講じるので猿は危険を察知してこない。その作業が半端ではない、要するに漁師の網繕い作業に近いものだ。ただ、次々と新しい策を講じないと猿の学習能力には勝てない。

有害駆除の代わりに畑に繋いだ犬二匹が役立っている。確かに猿に脅されてて尻尾を撒く犬ではあるがその吠え声は傍に居れば脅威である。それに私が飼う村の二匹の犬は村の有線放送から定期的に流れるメロディー、救急車の音、野菜売りが流す演歌、いずれも二匹の犬が反応して吠える。素晴らしい番兵だ。長い番線である程度の距離は動ける。この番線の方式は放射能測定で福島に行ったときに福島の農家の庭先で見つけた方式fだ。

川の幸

小菅村には谷川が無数にある。すべてが本流小菅川に流れ込む。それぞれは小菅村を囲うように聳え立つ、雲取山など山々からのもたらされる。源流一滴の水が大河を形成することは良く言われるが、無数の谷川が大河を形成する。ただ、谷川は源流と言うよりもコミュニティの形成だ。

谷川沿いに集落が形成される。谷川を挟む集落を往来するには橋が作られる。呼べば届くほどの谷川を挟んだ集落間でも橋がないと往来が出来ない。小菅村には沢山の橋がある。橋の作りは様々だ。木のはし、土の橋、鉄の橋、コンクリートの橋、それぞれの谷川の広さ、深さ、目的に応じて作られている。住民の知恵の凝縮したものだ。

勿論橋はコミュニティのためと言うよりも川向こうの山、畑へ移動するには橋を作るしかない。狭い土地を便利に利用するには橋鹿手段がない。新開地は橋によって切り開かれる。猿橋ではないが動物とて橋を意識するものだ。最近の箸は一元化されて情緒がないが、小菅村の橋はそれぞれに情緒、歴史が刻まれている。

ところで川の水は生命の源である。文明が大河によって齎されたとはよく言われるが、集落の形成、コミュニティの形成は川の水によるものだ。谷川が運ぶ水辺には人が住居を作る。畑を作る。家畜を養う。水辺は人のコミュニティを促す。水争いもあるが、水を大切にする心はお互いを引き付ける。

川向こうむ川向いは喧嘩の始まりだ。それでもそれは少ない住民体操だ。勿論川だけでなく山越え峠での喧嘩の種は尽きない。川の上下では水争いが絶えない。水を汚しても、使い過ぎても喧嘩の種だ。それにしても、山が荒れ、水枯れが怒り、川下の民の苦しみも分かる。ところが山間部には谷川の水がある。雨水を貯めた池がある。

不思議と小菅村には池がない。平野部では良く見られる溜池がない。それは谷川の水が枯れないためだ。滔々と流れる水を見ると山の豊かさを思う。山の木々に蓄えられた水が逐次谷川に注ぐためだろう。源流の水滴一滴はこの種の表現であるが、谷川の水は、無数の木々のお陰様である。

小菅村ではヤマメの養魚が盛んである。昔以上ではないがそれでも数軒のヤマメ業者が潤っている。観光ブームでヤマメへの期待は大きい。ただ、水の量に制限がある。ヤマメの養殖に制限がある。

ワサビ田は山頂まで続いている。それは山頂まで谷川の水が存在するということだ。山頂まで至る所に湧水があり、ワサビ田を支える。それでも水の量にも制限があり、ワサビ田も限りがある。ワサビもヤマメも小菅村の谷水がもたらしたものだ。

谷水の冷たさは半端ではない、年中10以下の水温はヤマメ、ワサビの成長には必須である。湧水ならでは水温、いずれも山の木々が齎したものだ。

 

昔子供たちはこの冷たい水で泳いで鍛えられた。最近の子供たちはこの水の冷たさを知らずに育つ。不幸と言うか知らず知らずに体力が衰えているに違いない。自然は過酷である。過酷な自然に耐えるには体を鍛えるしかない。
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