No.9 小菅村の農業 20151110

No.9 小菅村の農業 20151210日改訂

◆農業解体

農業は、産業の一部と、第1次産業としてある。

既に農業が死語化していることは、日本の産業構造が物語る。

TPPで議論されているのは、日本の農業が解体するということだ。

何を持って解体と言うかは色々議論がある。

かって、私は194年ごろだろうか、大学解体を宣言して大学を去った。

その前に、1969529日、東大助手共闘、日大教員共闘共催による万余の人々の前で文京公会堂での造反教員の集会でその宣言を発した。

この宣言を託されたとき、私は一部の反対を押し切り、帝国主義大学解体ではなく、大学解体を宣言文に盛ることを行なった。

この宣言文は、大きな反響を呼び、全共闘新派であった教員が全共闘から離反する現象が起きた。

特に、関東における私立大学では、厳しいようだった。

既に、当時私は、大学解体を宣言して、日大教員共闘を結成していた。

いわゆる大学解体は、先行きの無い泥沼を作り出した。

そして、ほとんどの大学で、全共闘も退却を余儀なくされた。

全共闘は、大学の近代化に抗して、ありうべき大学を模索し、従来(近代化が進む)の大学を葬ることは当然だった。

当然、国家権力からの反撃に会い、全共闘は全面撤退を余儀なくされた。

全共闘という組織があったのではなく、国家権力が行なったのは、大学からの学生排除だった。

排除された学生は行き場を失う。

国家権力の支援を受けて、大学権力は、学生に闘争を止めるか否かの踏み絵を突きつけた。

学生は致し方なく、この踏み絵を踏んだ。

そして、大学の近代化が成立した。

大学の近代化とは、大学が営利目的として経営されることだ。

これは、私立大学のみならず、国公立大学にも強制された。

当然従来の大学の機能は失われた。

これをもって、大学は解体されたとも言える。

TPPにおいて議論されていることは農業の近代化である。

果たして、農業が近代化されるのであろうかと思うが、それは今後の問題だ。

近代化されないとすれば、従来の農業が維持される。

もちろん、農業は既に解体され、近代化が進んだと言う説も多い。

この闘いは、ずっと日本農業において議論されてきた。

TPPはその総仕上げである。

私は、従来の農業が解体され、大学闘争で起きたように、新たな農業が生まれると考えている。

ここで、従来の農業という言い方には問題がある。

既に農業は近代化されていて、それに抗する戦いがある。

ただ、解体されてしまっているので、この抵抗を読み取ることは難しい。

小菅村での農業の近代化は考えられない。

一部機械化農業は存在するものの、近代化は程遠い。

いわゆる、近代化して、ビジネスできるほどの農業地は無いのである。

私の斜面での農作業がまさにそれを象徴している。

機械化すら出来ない、三本鍬とスコップの作業である。

小菅での農業は、自給自足を担うだけのものである。

商品生産としての農業は成り立たない。

近代化のしようが無いので、抵抗そのものが存在しようが無い。

当然、日本の農業の例証すらならない。

そうならば、TPPと言うところの農業解体は、どういう意味なのか。

近代化された農業者の抵抗なのか。

なお、農業の理想を求めた農業者の抵抗なのか。

小菅の農業からは、この戦いの方向性を見ることは出来ない。

 

◆私の小菅における農作業

小菅村における私の農作業は、スコップと三本鍬を用いてのものだ。

これで、2反余の畑を耕すのであるから、大変である。

斜面と石が多い畑では、機械化は無理である。

もちろん、小菅村でも小型耕運機などを使う人は多い。

その誘惑もあるが、とてもこれらを使える畑ではない。

それに10年~20年放置されてきた畑がどのようになるかは想像できる。

小菅村では、このように放置された畑は多い。

工作されている畑は平地に近いが、放置された耕地は斜面である。

とても、老人が耕せる代物では無い。

機械化農業でなくて、集約農業であるが、小菅村には、集約されるべき人口は無い。

さりとて、機械化も無理である。

商品化よりも自家消費を前提としているのでそれで十分である。

自家商品は最小単位での耕作でよいのである。

こうした小規模農業が村を支える。

それは「おすそ分け」、おすそ分け農業である。

こうした文化に支えられて、私の農作業は成立する。

一番助かるのは、各種種のおすそ分けである。

小菅村では、小菅村固有の野菜が存在し、村人はそれを大切に継承している。

小菅村固有とは、市販もので無い、それぞれの畑で採ったものだ。

その味は、独特な香りと味がする。

私が小菅村の野菜と称して、子供たち、知り合いに送るとすごく喜ぶ。

美味しいと言うのだ。

確かに美味しい。

そのことでは、福生に店を持つ「栗ちゃん」というテキヤ風八百屋さんが、「きらり野菜」と称して売り歩きたいというので、余った野菜を「栗ちゃん」に預けている。

商品と言うよりは「おすそ分け」の延長と考えている。

商品とするには、余りにその手工業過ぎるのである。

この付き合いは小菅村でも珍しいものだ。

小菅村では「物産館」を閉じて「道の駅」が出来た。

よく見ると、並べてある野菜の少ないことか。

私も野菜を並べて見た。

合せても数千円と言う極少々のものだ。

これもおすそ分けの延長である。

おすそ分け文化は、小菅特有のものではない。

本来は日本農業特有のものだ。

私が生まれた、播州では、米こそ商品化されているものの、後はおすそ分けである。

初めて東京を飛び出し、山形での新規事業を模索したときにも、ある女性の知り合いは、白鷹市でおすそ分けを強調していた。

実は、日本の農業の基本はここに原点があったのだが、農業近代化の流れでこの基本が壊された。

もちろん、後戻りは出来ないだろう。

しかし、この原点はいつか守らなければならない、文化原風景である。

と言うわけで、農業自体は解体されて、近代農業に到ったのだ。

もちろん、この現象は農業に限ることは無い。

 

◆農作業

最近でも、東南アジアでは稲を一本一本しごきながら収穫する光景がある。

米収穫の基本である。

米を植えるのも種を撒くだけのことだ。

稲が自然に育つ。

手を加える必要が無いのである。

山形県の山村で経験したことだが、屋敷の周りに自然に育った蕎麦を手で削ぐ。

その蕎麦の美味しかったこと。

もっとも原始的な蕎麦の栽培である。

原始的農業が近代化されるに連れて、その味も落ちる。

味は慣れなので、現在人は、味の元を辿れない。

栄養が満たされれば良いである。

宇宙食は究極の姿である。

現在の食材が宇宙食に取って代わる時代は必ずやってくる。

そして、本来の食べ物が廃れていく。

良く、小菅村の食材をおすそ分けすると誰もが美味しいと言う。

まだ、人々には、味覚の原点が残っている。

しかし、若い人にしてみれば、それは異次元の世界だ。

既に若者は宇宙食化している。

そして、こうした時代の流れがあるにも関わらず、小菅村の食材文化を守る必要があるのだろうか。

大量の食材を作り、大量の商品を流通させる。

農業が辿ってきた道のりである。

とすれば、近代化の農業の先は工場制農業が見えてくる。

既に一部の食材は工場制食材工場の方が主流を占めるようになった。

その先には、宇宙食生産工場がある。

話はそれるが、北海道で横道知事の時代に食の祭典があった。

私の友人は宇宙食を出品した。

アメリカのアポロが打ち上げられ、まさに宇宙時代の幕開けの時期である。

彼はブームと称して、5000万円もの宇宙食を仕入れ、売りに出した。

見事、宇宙食が売れ残り、我が家にもその売れ残りが届いた。

実に不味い。

私は食することを躊躇った。

家族はもちろん、それを食することは無かった。

 

40年以上前の話であろうか。

この食に対する一連の流れは、農業文化の全体像を浮き彫りにさせる。

このときの選択は、明らかに人間の食文化を破壊し続ける。

このとき、スコップと三本鍬の農業は何を意味するのか。

確かにおすそ分けを受けた人々はそれを美味しいと言う。

それだけのことかもしれない。

でも、味の原風景は残るだろう。

全てが多様化する時代に、味の文化もその一つである。

DNAから言えば、多様化が人類を生み出したとも言える。

次の時代が来るとすれば、この多様化にどう対応するかである。

そのためには、その特殊と言うか原点となる文化はのこの差が無ければならないし、残るであろう。

そうでないことが、新たな進歩から取り残される。

例えば、大量生産された豚のように、それは食材として、そのアイデンティティを失う。それは時代の流れだとしても進歩とは関係なくなるだろう。

小菅村が生き残るのは小菅村のアイデンティティである。

いつか、このアイデンティティが日本や世界の進歩に繋がる時が来る。

私はスコップと三本鍬でそれを感じる。

 

以上   No.8   No.10