No.8 原風景小菅村 20151025

 

◆原風景

人が親しんだ村(故郷)はその人の心に原風景を残す。

いわゆる、原風景とは人の心に潜むものだ。

それを引き出すことは難しい。

私の原風景があるとすれば、兵庫県揖保川、そして山梨県小菅村、福島県南相馬である。

それぞれに何か共通点があるとすれば、里山、川、そして田畑である。

この環境で育てられた、人の心、そして動植物である。

,6時中親しむそれらの環境をデジタルに表現などできない。

それは私の心に深く刻まれたに違いない。

確かに東京には長く住んだ。

帰還は短いが青梅とて5年以上住んでいる。

しかし、私の中に原風景としては浮かんでこない。

 

理由は、私の心の中の余裕があるかないか、あったかなかったの問題であるかもしれない。

そして、余裕を持たせる、時代背景とか、自然環境があったのか無かったのか。

揖保川、小菅村、南相馬には、私の心の中に余裕を持たせる時代背景、自然背景の何かがある。

田舎での4,6時中の遊びは余裕そのものだ。

小菅村での農業も、南相馬市での環境放射線モニタリングもそうだ。

そこには、貨幣に追われないという余裕だ。

それに加えて、揖保川では中国山脈とその周辺にある里山、南相馬では阿武隈山系とその周辺の里山、そして小菅村でも秩父山系とその周辺男里山。

これらの時代背景、自然環境に私が偶然に嵌められた感じである。

他の人の体験ではなく、私の体験である。

それは私のアイデンティティの発露である。

原風景とはアイデンティティの発露である。

ただ、この経験は私特有のものであるけれども、他人が同じアイデンティティを持つ必然性は無い。

私のアイデンティティは更に複雑な要素からなる。

それは、文章化できないものだ。

このことが、個性とか、性格とか、一律に包括できない人の何かである。

人の何かを特定する要素が、指紋とかDNAとか、人の特定の行為を裏付けるには役に立っている。

明らかに指紋とかDNAはデジタルだ。

 

そのことがコミュニティに関係することは明らかだ。

コミュニティが権力の基礎であることも事実である。

権力は民主主義を手段として用いる。

現状マイナンバーとか、悠長なデジタルを用いた国民管理だが、指紋管理、DNA管理は時間問題である。

ここが示すアイデンティティとこのデジタル管理とのギャップの大きさは、権力のアキレス腱である。

権力に対抗するには、このここの持つアイデンティティの発揮である。

ところが、このアイデンティティは権力によって、潜在化される。

人々の能力が発揮できない根拠でもある。

このギャップが人類史の究極課題である。

それが、集落とか家族とかで、時には解決される場合がある。

それは恵まれた人とか地域の問題である。

この芽を大切にすること、逆にこの芽が出る瞬間がカタストロフィにあることも明らかである。

 

◆小菅村の橋

小菅村には沢山の橋がある。

それだけ、集落が山や谷を挟んで散在していることだ。

良く、言われている話だが、ホッキョクグマの生活圏はシベリア大陸を挟んで巨大である。

それは、ホッキョクグマが、肉食獣として生活するための獲物を狩る範囲である。

日本での狼や熊、鷹などもそのように言われる。

この植物連鎖の頂点に関係することとして小菅村を考える。

その基本は橋である。

 

人が生活する範囲は川から100m範囲と言われる。

だから、集落の発達は、川に沿い、もしくは用水路を作ることで発達してきた。

ところが、川はその発達の阻害要因でもある。

川があるために生活圏を広げることが出来ない。

生態圏の頂点にある熊や、狼はこの川を国しない。

人はこの川を利用しつつもそれを超越したいと思う。

それは橋だ。

橋を作ることで生活圏を広げることが出来る。

道具の利用と同じに、動物には出来ないことだ。

ところが、橋は人が動物に増して優れたものであるが、橋は自然の力には弱い。

 

小菅村には色々の橋がある。

もちろん、最近居はコンクリート橋、永久橋といわれる。

でもそれとて万全ではない。

しかもコンクリート橋は砂金のことである。

橋には、倒れた木によるものや、その切った木を組み立てたもの、更にそれに土や石、鉄板など様々だ。

小菅村には、谷川の川幅が小さいことあり、手作りの橋が多い。

基本は、大水で流されても良い橋である。

永久橋に比べれば、常に準備の橋である。

それゆえにあらゆる工夫が橋に施される。

しかも、場所によって、作る人も違えは、架ける環境も違う。

私はこの橋に小菅村の文化を感じる。

文化こそ、地域のアイデンティティである。

橋の文化については、「日本の橋」というタイトルでの著作があった。

これは、故土肥正長さんが、私が小菅の橋の写真撮影を行なっていたときに紹介してくれたものであるが、橋の文化よりは橋の宣伝、余り参考にはならなかった。

小菅村の文化を語る上では、橋を抜いては語れない。

 

◆小菅村の集落

小菅村の集落は、橋がもたらしたものだ。

橋は、人の生活圏を広げる。

それは、人と人との接触よりも、集落と人との接触を進める。

集落が広がる契機となる。

小菅村には、そうした集落の発達が見られる。

もちろん、山は人を隔離する壁であるけれども、川は目の前に広がるゆえに人を隔離するが壁ではない。

そこに人が接触したいとする弾みが付く。

弾みは創造の契機となる。

もちろん、見えるものが獲得できないことは、人に色々の弾みを作る。

果物、山菜等はその弾みである。

例えば、月、太陽、星だとそこに到達したいという要望は生まれる。

この人の欲求を隔てるものを解決するものの1つが橋の製作である。

やがて、橋を作ることで集落は大きくなるだろう。

これは人類の進歩の証である。

ところが、この進歩は集落抜きには考えられない。

 

集落は自給自足抜きには考えられない。

橋を通じての集落形成はこの延長線上にある。

これは、進歩の原型を何処に求めるかの1つの例である。

現在は、コンピューターとか、ロケットとか、進歩の原型は失われ分けの分からない状態である。

この状態は分業がもたらした進歩の結果である。

分業は交換関係、貨幣の生みの親である。

集落形成では、この分業は導入される必然性は無い。

必要なものを自らが作るという訳だ。

トクイ、ふとくいはあるかも知れないが、いずれ取得しなければならない生活手段である。

そこには、技能の継承はあっても、交換関係は存在しない。

よく誤解されることがある。

余剰生産が、交換関係を生む話である。

集落における余剰生産がある筈も無い。

自給自足集落で消費できないものはし自然に返すだけのことである。

それは、細々であるが、現在も集落に伝わる文化である。

貨幣社会であってもなお、維持されてきているのである。

以上 20151025日      No.7へ   No.9へ