No.62 小菅村大地の恵み祭 2018111

エゴマの収穫

今年の夏は暑かった。気温35度を超える酷暑の日数も多く、その上に台風の到来が多くの作物、雑草の育つには絶好の条件だった。自然は人間の都合のよいようには作動してくれないので、畑にはエゴマと雑草が競うように育った。私はエゴマだけが育つことを願うので雑草には憎しみが沸く。生命体としては雑草もエゴマもないのだが、雑草には怒りが込み上げてくる。雑草も私の気持ちが分かるらしく、更に強く私を刺激する。要するに私にはエゴマの成長だけが必要なのだ。怒りを抑えながら、雑草だけを抜き取る作業を根気よく繰り返す。雑誌もさるもの引き抜かれまいとエゴマにまつわりつくのが多い。したがって、雑草を引き抜くとエゴマも引き抜くことになる。仕方なく引き抜いたエゴマをその場に再度植え直す。エゴマと一部の雑草とは若い時にはほとんど区別できない場合が多い。この場合にはエゴマと雑草が同じ株として育つので、当然に同時に引き抜いてエゴマだけを植えなおす。もちろん雑草と言ってもその種類は豊富である。ほとんど名前を知らないのだが、その数の多さからして私は覚えることを諦めている。

とにかくとエゴマと紛らわしい雑草が二種ある。大きくなり実がつく頃には識別できるのだが、その途中での識別が難しい。ただ、両者は成長過程が違っていて一方が早めに成長する。大きい方は簡単にエゴマの背丈を超える。実がなるころには茎の色も真っ赤で色が異なる。さらには枯れるのも早い。それでももう一方の方はほぼエゴマと成長が同じである。これは実がなってもほぼ同じ形状なので、良く観察し引き抜くしかない。成長期の紛らわしさから言えば前者であるが、こちらは早めの成長で識別しやすい。エゴマの背丈をはるかに超えるので分かりやすく、しかも根の生え方が単純なので引き抜くのも簡単である。もう一歩は成長期も成熟期もエゴマの形状に似たところがり識別が困難なうえに、根の張り方がエゴマに似ている。要するに混ざって植えているとエゴマと一緒に根こそぎ引き抜くことになる。

エゴマを植えるときには慎重に苗を見分けることが重要である。当初はこの苗の見分けが出ず、雑草取りが極めてきつかったが、慣れたためか最近はそうでもない。ところが今年の夏は趣が違う。雑草、エゴマが急成長したのである。雑草の生えるのを防ぐために、エゴマの畝の間にジャガイモを植えることを覚えたのは良いが、エゴマの成長が早くジャガイモの植えた位置が見えなくなったことも混乱の要因でもある。冬を迎えてエゴマの収穫期になり、例年とは異なるエゴマの成長を喜びながらもエゴマの収穫は悲劇である。とにかく雑草の成長で雑草を抜き取る作業が大変で雑草で手を切ることが絶え間ない。草で手を切ることはまだまだ修業していないことにも通じるが、要するにまだ手は傷だらけである。

エゴマの収穫でエゴマの成長はうれしいがその木が太く鋸鎌でも切ることが困難な場合が多い。もちろん成長したエゴマの木を引き抜くことは出来ない。根を残すことは私の畑作の戦略でもあるのだが、引き抜くとしても難しいこともある。今年の収穫では米作を思い出しエゴマを刈り取り束ねて、稲束を干すようにエゴマの束を干す。これは私に取っては初めての試みで我ながら傑作である。稲わらを干す場合は毎年のこととして、ヒノキを3本組み合わせたものを二組作り、間に竹竿を張り渡して、竹竿に束になった稲束を割り裂いてかける。稲束の重みで竹竿のたわみを防ぐために3本組の間にさらにヒノキを二本に組んでつっかえ棒にする。これらは稲わらを干す為だけのもので、稲わらを干す時期が終われば、翌年のために軒下に保存しておく。まさに稲わら干しは日本の秋の風物詩でもある。こうした風物詩が米所から消えて久しい。ただ、この秋口長野県大鹿村、戸隠村高地に旅した時には稲づくりでこの風景に出くわしたのはまさに嬉しかった。

小菅村でのエゴマ作りで稲作の真似ごとを行えたことは大きな進歩である。竹もヒノキも十分用意していない中で、資材を駆り集めて実現に漕ぎつけたばかりである。勿論、エゴマの実は直ぐに弾き飛ぶ。早いうちでのエゴマ干しが必要である。初めてのことなのでタイミングは難しかったのだが、ギリギリセーフのタイミングだった。いつもならばエゴマを刈り取るときに地面にエゴマの実が弾き飛んでいるのだが、その量は少なくなった気がする。いつもは刈り取りと同時にエゴマを枝ごとフレコンバッグに投げ込むのだが、今年はエゴマの竿干しをすることで、エゴマの実の弾きを少なくし、逆に熟していない実を袋に入れることでのエゴマの実の蒸し風呂状態を防ぐことになった。ただ、エゴマの収穫は始まったばかりである。成功か失敗かの判定はこの数か月で決まる。

エゴマの収穫でもう一つの困難は台風24号の影響でエゴマの木が倒れてしまったことである。普段等大きく育った木が倒れるはずもないのだが、今回の台風24号は強烈だった。稲の場合も台風の影響は厳しくていつも倒れた稲わらを起こす作業が必要だった。この作業を怠ると稲穂が地面に接して直ぐ芽を吹き出す。したがって、最近の米作りは稲わらの背を低く台風でも倒れない米づくりが流行っている。逆に日本人の生活の基本である畳生活が稲藁不足で無くなりつつある。もっと驚く現象では稲わらの青田刈りで牧草の代わりに利用する農家も現れた。米よりも肉の時代を象徴する現象だ。エゴマの木については現状その利用は肥し程度である。エゴマの木が倒れたからと言って困ることもないのだが、それでも木が倒れると作業が困難となり、それに枯れるのが早く実の弾きが多くなる。

ジャガイモの収穫

エゴマの植え付けはジャガイモの畝の間に植え付ける。エゴマの根っこで畝が崩れないのが新発見だが、エゴマの木は腐り易いので肥料としても十分効果がある。エゴマの根っこで育つジャガイモは大型である。小菅のジャガイモの美味しさは高度が700mと高くジャガイモの産地アンデスと似た環境に近いこともあるが、斜面で石ころが混ざっていてジャガイモにストレスを与えていることもある。石ころは栄養を含んだ土が斜面から崩れ落ちるのを防止する効果もある。もともと山の斜面は石ころが多い。エゴマの根っこを残すことでこうした土のみならず石ころが畑から消失するのを防ぐことにもなる。

斜面での作業には色々と制限が多い。石ころのこともあるがまずは機械の導入は難しく、水不足にも悩む。水はけがよいことはジャガイモにとっては好環境であるのであるが、水分を必要とする葉っぱ物の成長には適さない。斜面下から水道水をバケツで運び上げるのも大変な作業である。水道水も山の水を利用しているので干ばつの時にはその水道水すら持ち出すには気が引ける。山地では溜池を作っておくのが普通だが、小菅のような狭い山地ではその溜池の土地すら確保することが困難である。さらに溜池を作るには砂地だけでは無理で池底には粘土質が欠かせない。小菅村での粘土質の土地を探すのは困難である。いずれにしてもジャガイモの栽培には適した土地であることが事実で、小菅村のジャガイモの評判が良い。北海道や東北地方で見られるでっかいジャガイモではないが、こじんまりと育ち引き締まった味が特徴である。煮崩れしないのも特徴である。形の悪いものもあるが、小さいので丸ごと料理にも適している。小菅村特殊な富士種というジャガイモ種はさらにその形状の複雑さが激しい。ただ、その中身はもち肌のように白く、もち米のように粘り気があり、擂粉木で潰せば団子にさえできる。

ところで雑草とエゴマで囲まれたジャガイモ掘りは大変な作業だった。例年より高温多雨で雑草とエゴマにとっては絶好の気候であったことでジャガイモの影が薄くなった。その上にジャガイモの居る場所の指定が難しく探り当てることが難しく掘っている時にジャガイモを傷つけることが多い。それに今年のジャガイモは大きく育っている。逆に鍬がジャガイモにぶつかることが多い。作業は倍加する。掘るタイミングがずれる。エゴマの取入れが終わりに近づいているのにまだジャガイモが掘り切れていない。既にジャガイモたちは来年のために芽の準備を始めている。既に芽を吹き出したものもいる。芽が出るとその味が落ちると言われる。その程度は分からないが、わざわざ芽を出せないようにする薬剤を掛けることもあるようだ。ただ、芽が出るのは自然も摂理である。それを防ぐ方法が良いとが思わない。

既にジャガイモの出荷は終わったらしく代わりに里芋がジャガイモに変わって出荷に代わっている。小菅村道の駅を見ると里芋が棚をほとんど占めていてジャガイモは棚の隅っこに追いやられている。ジャガイモと同じに小菅村の里芋も味が良い。ただ、私は昨年隣のおばさんからもらった里芋を土に埋めておいたのだが、ほとんどが腐ってしまった。今年の冬が極度に寒く土の中で大丈夫だからと埋め込んだのだが、芽を出したものはほとんどなかった。里芋は寒さに弱い。厳重に温度管理をしないと駄目だと分かった。代わりに青梅のカインズから里芋の種を買ってきた。高いので7m程度の棟一筋植え付けるのがやっとだった。彼らは立派に育ったがお裾分けで精いっぱい売るほどはない。昨年も試しに里芋を植えた。なかなか芽が出ないので焦ったが収穫期には立派に育った。ところが後で考えると八頭と言って里芋とは違った種類だった。八頭はその茎が食べることができる。残念ながらそのことを知らずに茎を腐らせてしまった。逆に今年は八頭を植えることはしなかった。きっと並んだ八頭と里芋を見て里芋よりも高い八頭を買うことに気が引けたのだろう。八頭も里芋どちらも小菅村の名産でもあるようだ。来年はこの両者を育ててみたい気がする。

小菅村大地の恵み祭

103日は大地の恵み祭と言って小菅村で収穫した農産物を売り出す祭りである。ところが小菅村の名産とは何だろうとふと考え込む。ジャガイモと里芋は確かにマイナーな名産品である。メジャーといえば、ヤマメだろうか。そのブランドは何度も書いたことがある。小菅のヤマメの価格はプライスリーダとして未だにヤマメ市場をけん引している。キノコはどうだろう。長野を旅した時にマツタケへの関心の凄さには驚いた。キノコの王様、マッタケは小菅村ではほとんど採れない。隣村の丹波山の方が採れる率は高いらしい。先日書いた100%自然塾では恵み祭ではキノコの販売を行う。メンバーが山で採ってきたキノコを祭りで売り、並行してキノコうどんを売る。流石にマツタケの姿を見なかった。この時期キノコの季節は終わりに近く、その種類はクリタケ、ムキタケ、イグチ、ヒラタケと少ない。キノコうどんではマイタケ、ナラタケなどは祭り前に採れたものを使っているので盛り沢山だ。ただ、キノコ採りは知る人ぞ知るで、マイタケなどはかご一杯採って販売する人も居るらしい。これらの人はほとんど村外の人で村人が採る前に採りつくすらしい。この事情は小菅村も丹波山も変わりはないらしい。

小菅村のブランドと言えばコンンニャク、ワサビも数え上げてよいようだが、その量は多くはないようだ。今でも革家庭ではコンヤク作りが盛んではあるが。昔は山の頂上までコンンヒャク畑を切り開いたと聞いているがその面影はなく、私のように跡地を耕しているものもあるが、ほとんどが荒れ地か檜林に変わっている。コンニャクの前には桑畑が盛んだったらしいが、桑は日本の戦前の産業を支えたものでどこの村にもその名残がある。要するにどこの家にも蚕を育てた部屋がある。ただ、現在も畑毛に数本残された桑の実はサルや鳥にとっても絶好の食糧でその時期にはサルや鳥が群れを組む。今年は畑に電柵を山梨県の予算で張り巡らせた今はサルが来ることはないが代わりに鳥がやってくる。百舌だろうかその声は鋭い。

小菅村の柿の木の多さにはいつも感服する。柿はサルの好物で大きな柿の木にサルが群れを組んで上ってくる。渋柿とて関係ないらしい。時々熊も来るらしいが私は見たことがない。柿が熟す時には鳥が大群を為す。渋柿は干し柿にすればブランドになるのではと思うのだが、今その動きはない。私は毎年知り合いの渋柿を貰って干し柿を作る。ただ、最近の子供は干し額を好む傾向にはない。私が栽培を始めたエゴマとネギ、小菅村産として評判が良いのだがそれがブランドとして認められるには何かが不足しているようだ。同じく私が始めた源流きらり、今でも創始当時から頑張っている吉沼が細々と続けているのだが、やはり何かが足りないらしい。小菅村の檜は素晴らし材質だと村人は言うのだが小菅村の檜を好んで使うには至っていない。やはり一工夫が必要なようだ。檜を細かく砕き油を搾り出してのヒノキ油は評判が良い。油を搾り出した粕は生ごみと混ぜて発酵させて土地改良材畑の素として販売している。私の畑にも畑の素を大量に使用する。としても小菅ブランドとしては今一の評判を持っていない。最近は地ビールの工場が誘致された。値段が高く私の手におえないのだが、地ビールの時代先行きが楽しみである。

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