No.65  生命力  20181215

寒気

小菅村にもようやく寒気が訪れるようになった。庭の水道が凍って水が出ない。溜まっているバケツの水に氷が張っている。夜から朝にかけての寒さが本格的な冬を迎えたようだ。そのうちに家の中の水道が凍ることがあり最初はトイレが詰まる。トイレ前の洗い場が一番早く凍る。今は大丈夫だがいつ凍るとは予想できない。天気予報では寒気の始まりがクリスマス前後と言っているが、気温が零度以下になるのは微妙なタイミングである。今年は暖冬と言いながら、12月になっても気温がなかなか下がらない。このまま、冬を迎えるのかなと思いきやや最近は結構の寒さである。寝るためにマット、敷布団、毛布、そして掛布団、毛布2枚、シャツを着て、着物を着て、靴下履いての睡眠であるのだが、結構眠れない朝を迎える。要するに夜は冷えるのだ。最近のテレビで、かけ布団の下でなく上に毛布を引くと良いとの情報があった。早速試すとこれが効果てきめん、あったかさが今までと異なる。理論上当然のことであるが今まで何故気が付かなかったかが不思議だ。夜の冷えが急速に来て、貧すれば貪するの心境でとりあえず、毛布を一番外側に置いた。

エンドウ豆の生命力

秋口に目的もなくエンドウ豆を植えた。比較的密度が濃く植えたので、途中畝を増やし植え直したのだが、増やした方はほぼ全滅した。当初は勢いもあったのだが、元の畝のエンドウ豆の花が咲くころになっても花を咲かせるどころではない。植え替えが悪かったのかそれとも既に植え替えが出来ない気候だったのか。やがて、植え替えた方は枯れてしまった。一部は頑張ったものもあるが、花を咲かせることはなかった。元の畝のエンドウ豆は花を咲かせ贅沢なほどにごちそうになった。一段落したところで寒気が襲い始めた。しかし、エンドウ豆は相変わらず花を咲かせ始めた。本来は一段落したはずのものが改めて元気に花を咲かせているのだ。もともとエンドウ豆を冬前に植えると芽が出た時に寒気で凍って枯れてしまうことが多い。それは既に何度も経験したことだ。今回は秋口に植えて冬前に成長し随分と収穫を得た後である。確かに上下の畝で下の分は見事枯れてしまった。そして上の畝のエンドウ豆が二番手の花を咲かせているのだ。収穫は少ないが彼らも必死のようだ。寒さのために成長が遅いので、収穫の多くは望めないが、それなりにごちそうにありつける。そして、12月も末本格的な寒気が断続的にやってきた。流石に花から実を持つには苦しいようだ。その上実になってもすぐに寒気で凍ってしまう。成長するまでの余裕が無くなりつつある。それでも花は咲き実をつけようと頑張っている。このエンドウ豆の生命力にただただ感心するばかりである。今日は本来実になれば5倍の大きさにはなるであろうエンドウ豆の実を申し訳ないが数個採ってきた。そのままおいてもその実は枯れ落ちる。まだ全体が枯れていく中で花が咲いている木も数本ある。このエンドウ豆の生命力、どこまで維持するのか興味深々である。そのようなことを考えながら、改めて例年のように冬口のエンドウ豆の種を撒いた。寒気にも拘わらず、芽が出始めている。これがそのままだと例年のごとく芽が凍るか、せっかく育った葉っぱが凍るかの競争だろう。どうやら、葉っぱに供給する根からの水分量が葉っぱが凍るのを防ぐようだ。雪が降るとそこだけが葉っぱの熱で早く溶ける。エンドウ豆の茎、葉っぱがある程度の温度を維持しているためだ。あくまでも寒気の前に根をどこまで強くしておくかが大事だ。現在花を咲かせているエンドウ豆も、異常気象で根をしっかり伸ばし、寒気に耐えるようにまで成長させたに相違ない。新しく植えたエンドウ豆がこの寒気に耐ええるか今後の気候次第というか私のエンドウ豆への支援次第である。以前には寒気を防ぐための防御柵、色々と枯れ木で覆うこともしたが、ほとんど効果がなかった。今年は土を盛り上げてみようかと思っている。何せ、土の保温力は半端でないことは分かっている。土に水を含ませることも重要だが、霜で凍った土が朝日で溶けるときの見ずに期待もする。

ジャガイモ、サトイモ等根菜の生命力

根菜では里芋が最も寒さに弱いようだ。里芋が零度以下の気温下に置かれると、凍てついてそのまま細胞破壊、そして腐ってしまう。腐るとやがて、土となり、サトイモの跡形もない。この経験は今年のことだった。土の中に埋めれば大丈夫であるとの話でそのまま信じて埋めて春を待ったのであるが、土の溶ける春には里芋の姿はなかった。

きっと今年は予想以上に寒かったことも、土の掘り方が十数cmでは不足したようだ。それではどの程度掘れば良いのかと、凍土が発生しないレベルであろうが、それは気候次第、結構根気の居る仕事で私の性分ではない。サトイモと同じ運命を辿るのがコンニャク芋である。ここでも失敗を繰り返している。コンニャク芋が絶える温度はほぼサトイモと同じレベルだろう。要するに家の中ならば大丈夫であろうと踏んだのだが、コンニャク芋は見事腐ってしまった。家の中が零度を超えるのを考慮しなかったためだ。家の中でも場所によっては零度を超えないところもあると、今年は暖冬だと予想されることも家の中での保存を再度考えてみた。

サトイモ、コンニャク芋での保存失敗は当然、越冬温度を配慮しなかったためだが、気象条件が読みづらいので、どうしても試行錯誤の繰り返しを選択する。それは先人が辿った道でもあるだろうし、私もその道を辿り事を恐れてはいけないようにも思える。確かに種芋を買ってくる、貰うという方法もあるし、それを否定するものではないが、失敗せずして、それらを頼みにすることは避けたい。

比較的成功に近づいているのがヤーコンとジャガイモである。ヤーコンは一度失敗し腐らせて、昨年、一昨年と収穫がほとんどない。ただ、細々と育てることは出来た。要するにヤーコンは10年前に昭島市の友人から段ボール箱一箱貰ったものを育て続けているのだが、段ボール一杯貰ったものを1年目は成功したものの、その後保存に失敗し続けている。ヤーコンの場合には、翌年に備える子供のような芽を持つのだが、その扱いに失敗したためのようだ。その芽を土の中で保存すれば翌年にはその芽が大きくなることが分かった。今年は寒かったが、この方法である程度の収穫が見込めた。土の深さもそれほど深く掘ったわけではない。来年に向けても同じ方法を試みる。成功すれば一つの経験枠を広げることになる。要するに、ヤーコンはサトイモ、コンニャクほどには寒さに弱くは無い。見るからに生命力を期待できる根菜である。

小菅村と言えばジャガイモであるというほどにジャガイモの味は良いし、誰でもがジャガイモを栽培している。最近にはジャガイモにも種類が増え続け、昨年などはあらゆる種類を植えて混乱を招いた。植える時期も、成長も、収穫量も、味の方も、識別困難なのだ。数年前にも同じことを試みたが、この時には新しく導入した種がほとんど育たなかったことが幸いし、翌年には種類を限定することにした。小菅村に来た時にはジャガイモは男爵だと言われていたが、最近にはその話はない。メイクイン、キタアカリ、アンデスレッドなどなどがさくつけされている。先日には長作集落の守重さんがテレビで、小菅村固有種富士種というジャガイモの作付、収穫、料理法までも説明していた。素晴らしいドキュメントで私は直ぐにも守重さんに電話してその素晴らしさを伝え、その場で富士種の栽培を行いたいので種を分けてくれとお願いしたが、テレビの項かは大きく富士種は全部無くなり自分の来年の作付分もないとの返事だった。

数年前には私は余沢の横瀬さんから富士種の種を段ボール箱一箱分を貰った。富士種は肌がきれいで粘り気があり昔は餅代わりに加工したということだった。そのことに惚れこんで富士種を畑に植えたのであるが、収穫量が少なくその形の複雑さを考えると、扱いが難しいと感じた。それでも小菅固有種というだけで売りたいという人も居て種を残す努力も怠った。その後富士種はヤーコンではないが細々と育っているのであるが、ほかのジャガイモと混ざってしまっていて、富士種だけを選ぶのが困難になった。そんなこともあって、テレビを見て、昔を思い出し富士種を分けてもらおうと電話したのであるが、後の祭りだった。代わりと言えば申し訳ないが、守重家にはアンデスレッドは沢山あるというので、アンデスレッドを10kg守重家から分けてもらうことにした。電話での話で守重家の畑は標高800m、アンデスの山と同じ高地なので上手く栽培できるのだという。昔その畑で真っ赤なアンデスレッドの山を見つけたので羨ましく思った経験がある。小菅村の寒さでどうして保存しているのかと聞くと、種芋の保存を行うにはそれなりの手当ては必要なようだ。きっと畑の中での保存も可能なように思えるが、畑では凍土になるところもあるので、どこで保存代わりに畑に放置しておくかは今後の課題ではある。

聞くところによるとアンデスでは必要に応じて畑からジャガイモを掘り起こすという。あの高地、寒さにも拘わらず畑に放置されたジャガイモは必要に応じて掘り出せばよいのである。きっと取り残された芋は自然に翌年に向けて芽を吹き新たな芋を成長させる。私の畑でもそのことの可能性は高い。掘って保存しようとすればそれなりの保温が必要である。家の中でも零度以下になることを考えないで、ジャガイモを腐らせたことはある。表向きジャガイモ、ヤーコンは寒さに強いと言っても零度以下の長期に放置すると腐る。ジャガイモ種のどの種が寒さに強いのかと選択することも重要であるが、それ以上に機構の変化が激しく、思ったようにはいかないのではないかと思う。最大公約数的に村人の経験を活かすのも良いのだが、それでは自らの経験にはならない。

ジャガイモの生命力は寒さを迎える前に芽を吹きだすことだ。芽を吹きだすと、毒素があるというので普通は食べるのを避ける。芽が吹けば早めに植えれば良いとも思うが、芽を吹くと霜で直ぐに枯らされる。これはエンドウ豆と変わるとことがないので作付は霜が降りなくなる3月末ごろが良いという。

人の生命力

自然界を眺めていると、その生命の脆さ、強さがどうも偶然の産物で、そのタイミングによっては運の強いのと強くないものとがありそうだ。雑草すらが、人の手によってに来とられればその一生を終えるし、偶々人の出入りの少ない土ではその雑草は延々と子孫を増やす。逆に人の出入りの激しい土でもその雑草が花を咲かせてきれいなm、おのであれば、人によってその雑草は子孫を残すこともできる。

人に命とて変わりはなく、人生80年と言われた時代から今は人生100年と言われている。この時代に生まれることで長生きできることも普通だが、一昔前だと60歳だと80歳まで生き延びるのが大変だった。ましてや戦争などでは二十歳前後で命を絶つ人が多い。これは人に命が雑草のように選ばれた地域時代では、長生きは出来るがそうでないときには若死にがやってくる。この命のコントロールは努力して出来るものではなく、死が訪れるのを待つしかない。人々は生きているとほとんど死を意識していられないので、本来死は偶然にやってくると覚悟した方が良い。でも人は死を恐れてびくびくしても居られないのでがむしゃらに何かを為す。それで死がやって来たらしめたものと考える。

この何かをがむしゃらにやれることが重要で、病気とか高齢とか環境次第ではそうもいかないことも多い。してみれば私のように80歳になるまでがむしゃらに生きてしまった人間は珍しいのかもしれない。ところが、それも束の間、終活とかが煩くなってきてついつい弱気になった自分が見えた。死を迫られている心境の中で、ようやく人生100年という周囲の環境を利用し再度がむしゃらに行動してみることにした。

命に関しての収支については雑草であろうが人間であろうが区別されるものではなくて、この宇宙空間に生まれた一瞬、亡くなる一瞬、同等である。それが意識しようと意識されまいが、それが大きかろうが、長かろうが、この一瞬を生きたに過ぎない。ただ、がむしゃらに生きようとすることで、少しは違いがあるのかもしれないが、がむしゃらに生きた証がどのように継承されるかについては保証の限りではない。

 

以上   No.64    No.66