No.53 有害駆除  2018131

獣との共存

小菅村は東京の秘境でもあるので、獣を含め動植物の宝庫である。それ故に害のなるもの、益になる者それぞれが共存する。すべては人の都合で識別するのであるが、人の都合とて時代と共に変化する。昨日の友は今日の敵ではないが、人の都合程勝手なものはない。例えば、狼は村の守り神であった。この地域では狼が君臨し、山林を収めていたので、現在の猿や猪、熊のようにのそうやたらと人を襲うものではなかった。

ところが山林が開発されて狼が生きるための獣類が少なくなり、逆に狼自身が人を襲わざるを得なくなり、人と狼の闘いは人に凱歌が上がった。狼代わって、山林を支配する熊も、山林の荒廃に従って人間との闘いを強いられて、今やその戦いの真っ最中である。狼と違って、熊はドングリなど木の実を食するのでまだまだ他の動物との共存関係は残っている。

狼や、熊は御嶽神社、熊の神社とそれぞれが神として崇められてきたのであるが、どうも人は狼、熊が悪者のように語り継がれてきたようだ。それが何時ごろかは知らないが、とにかく神社の荒廃は酷い。それに従い、狼や、熊への信仰も薄くなった。

ところで、わが畑は化学薬品、化学肥料を使わない畑を耕しているので、小動物がすごく多くなっている。その昔、千葉の稲田を見たときには、トンボの飛ぶ姿も見えず、カエルの鳴く音すらしない無風地帯であった。そうしたところでの作られたコメが出回る。私とて米を買って食するのだから偉そうなことは言えないのだが、警鐘が必要だ。

小動物の住む地域は豊かである。あらゆる動植物が共存する。生物界の共存は地球が維持してきた生物多様性の理想境でもあった。それには、神、人間を頂点とする植物連鎖、共存共栄の原理が貫かれて居たようにも思える。ところが、その原理に綻びが生まれる。人は都合で神を襲撃し、小動物を殺戮する。

子供の頃から殺生はするなと言い聞かされてきた訳であるが、今では子供たちはそうした気分すらない。それは、牛、豚、鶏等大量殺戮文化が横行する。地域によっては猿、鹿、犬なども殺戮の対照だ。戦争では人までが殺戮対象であるので、驚くことではないという見方もあるがやはり、生きて居る者への尊厳は失いたくない。それは獣に限らす全ての生き物への心構えである。

そしてバクテリアから人間までの食物連鎖、共存共栄の原理原則が始まる。食物連鎖は最底辺に居るミトコンドリア、光合成を行う生き物以外は非生物を食しても生きていくことは出来ないので、やはり最底辺生物からの生物を順番に食することで生きていくことが出来る。そこには食べれば良いという原理は無くて食する時には自らが他の生命を犯すのだという悔悟の念がなければならない。

そして、人が肉獣化する中で、この悔悟の念が育たなければ、最終的には人が人を食するようになるとの警鐘が聞こえてくる。とにかく、肉獣化となる前に、既になって居るとしても、人は獣と共存する歩みを始めなければならない。所謂、かっての家畜との共存という生き方である。

小菅村では、獣は有害駆除として警告が発せられれば、有害駆除隊が発動する。彼等は村人が畑を荒らされたという情報を下に鉄砲隊を組織し獣退治を行う。要するに畑が荒らされたリ、人が脅されなければ獣と人とは共存する。

有害駆除

とにかく、小動物たちは増えすぎても減り過ぎても植物連鎖に支障を来す。狼や熊が神で無くなった今は、人間の都合ではあるが其の他の獣が増えたり、減ったりを繰り返す。最も厄介なものはシカ、猿、猪である。アライグマやハクビシンなど外来種の繁殖もあるが、とにかく、この三大悪獣は始末に負えない。小菅の畑は自給自足が前提なので、土地が狭く家庭菜園程度の耕作である。

それはそれは手間暇かけて畑を耕し野菜を作る。この丹念に育て上げた野菜を、猿、鹿、猪はごっそりと荒らしまくる。猿の集団が来れば一日で300㎡の野菜は荒らされる。シカは集団ではないが、彼は野菜や果物などの芽を荒らす。猪も集団ではないが、畑中を掘り返す。勿論、子供連れ家族が現れると半端な荒らし方ではない。

流石に私も猪、猿、鹿を見ると怒りが込み上げる。被害が少ないと愛嬌だと思っていたのだが。私の為すことを見て人は鋪場づくりだと揶揄されたものだが、最近は私にも守りの姿勢が見え見えである。だから、有害駆除には反対もせず、喝采すら送る。有害駆除で捕獲された獣肉を頂くと嬉しい。

ある人が獣肉を捌きながら、「お前らも悪いことをしたのだから仕方ない」と話すのを聞きながら納得する。猿の肉は流石に食う習慣はないが、鹿、猪の肉は貴重なたんぱく源である。海は遠く、河は清流、魚類のたんぱく源は限られている中で、鹿、猪の肉は貴重である。

村人に依れば蛇もカエルも良きたんぱく源であったようだ。ただ、蛇は殆ど見かけない。小動物の話ではないが、わが畑、蛇が増え、モグラが増えてきたようだ。勿論、ミミズも確実に増えている。確かに荒れ地よりは植物種は貧困である。荒れ地の時よりは小動物は少ないに違いない。

しかしながら、化学肥料、化学薬品を使わない農法で少しは小動物や獣の生存への支援でもあると自己満足である。勿論、私が耕す畑は猫の額ほど狭い。それでも1000㎡だと小菅村では広い方だ。

電柵と獣

なにやら、山梨県に3億円近くの小菅村当てに電柵予算があって、5年経っても消化できないのでとにかく昨年暮れから集落ごとに電柵を作る作業が進んでいる。以前にも電柵が施されていて、その面倒見が大変で高齢化の進む中で電柵はあるが機能しないで放置されていた。勿論、機能しているときを知っているのだが、相当の高圧で触ると大きなショックを受ける。その時に、電柵の中に紛れ込んだ鹿が私の姿を見て驚き慌てて、電柵を出ようとしたのだが、電柵網に引っ掛かり気絶した。私の方も余りに大きな鹿なので、誰か助っ人を呼ぼうとしたその瞬間に鹿は気を取り戻して必死に電柵網を蹴破って逃げて行った。逃げる時に私の方を見た姿が愛らしく未だにそれを思い出す。当時はそれが鹿なのか、カモシカなのかは分からずに村人に聞いたがやはり鹿だったようだ。

この事件が最後で電柵が機能しなくなったようで数年放置されていた。それでも村人が罠で熊を捕ったり、鹿を捕ったりした話は多い。勿論それらは有害駆除という大げさな事業ではないが、村人の自主的な行為によるものだった。勿論、罠ならば私にも可能であると寸間思うのだが、気持ちは複雑だし、その資格も煩い。とにかく、資格なるものに縁がない私の考える範疇でもなさそうであった。

そして数年ぶりに電柵工事が始まり、2月末までに完成しそうである。今度は電柵網ではなくて2m30cmの高さまで網を張り巡らし、高圧線はその頂上に置く。勿論、太陽発電なので、それ自体の面倒見は少ないと言われるものの、山里は雑木、雑草の宝庫、特に藤やかつらの成長は著しく、その除去が大変である。高齢化の中で耕作する人、面倒を見る人も少なく、少なくとも私の畑の周囲は私が面倒見を見なければならない。100m四方の畑に張り巡らされた電柵周辺の雑草、雑木の除去が重くのしかかる。

電柵と言えば田吾柵という電柵製品があって、個人個人が買って自分の畑の周囲に張り巡らす村からの奨励があり、私も2万円のものが半分補助が出るというのですっかりその気になって、2回も買って張り巡らしたのは良いが大量の電池を用意しなければならず、それだけでギブアップした。

この簡易的な電池式田吾柵の効果は猪には聞いたようで、彼らは電池も繋いで居ないのに近づいては居ないようだった。流石に猿は頭が良くて、直ぐ見破り自由自在に畑のジャガイモを荒らしてくれた。そして、今回の電柵は本格的な工事で、立派な建築物である。これならば大丈夫であるという代物であるが、それでも猿、猪との闘いが終わったわけではない。とにかく、近くに電柱など高い構造物があればそれを伝って、電線を伝って畑へ侵入するらしい。高い樹木があれば、枝を伝って飛び込んでくるらしい。要するに近くに電柵を凌ぐ高い構造物があってはならないのである。猪と言えば、少々の建造物でも穴を掘って侵入するらしい。今回は地面を這わして侵入防止を施してあるのだが、どうだろうか。

とりあえず、太陽電池の寿命を考えれば10年や20年は維持できるらしい。私の寿命を含め、関連する村人は高齢である。要するに電柵寿命とお互いの寿命を争おっているようなものだ。

犬と獣

犬はもともと狼を飼いならしたものとも言われる。私の畑ではワン公二匹が畑の番をしてきた。牧畜犬のように勇ましくも賢くもないのだが、結構役に立っているようで、鹿が来ても犬から離れて歩き、猪は近寄ってこない。ただ、猿だけは集団で畑を伺い、ワン公どもは猿には弱いので、人間様(私)が石でっぽうで脅かす。近くでは爆竹で猿を追い払う村人も居るがほとんどその場限りである。むしろ、ワン公と人間の二人三脚の方が効果を上げている。

ワン公でも甲斐犬は素晴らしく勇敢で、鹿を追いかけ、獣に対する闘争心が強いと聞く。ただ、ワン公に対しては人間様には好き嫌いが多い。今回の電柵工事人にもワン公嫌いが居て、工事中は遠ざけて欲しいと注文もあった。ただ、うちのワン公は雌二匹、結構人懐っこく、この1,2か月の間に慣れてきた。吠えはするのだが、噛むことはない。それにワン公好きの人間には結構弱いところを見せる。

いずれにしても、電柵が完成し、畑は頑丈な鉄条網で囲われた。てっぺんには高圧電流が流されるので、猿が電柵を飛び越えてくることはない。猪も頑丈な番線網が地上に這わしてあるので入る余地がない。すると、ワン公どもにとっては100m四方の運動場が出来たに等しい。

今までの住まいは電柵の外に在るのだが、朝に食事を運び、電柵の中に話す。今までは50mほどの番線の範囲でしか動けなかったが今回からは広々とした畑の中を駆け巡る。昔にも畑での放し飼いを試みたが、段々と自由を謳歌し、どこに行ったかが分からなくなる。畑から村に下りてしまっては大変だと心配したものだ。

電柵工事のお陰様で、ワン公たちの自由が確保できた。

ただ、新たな心配ごととが増える。ワン公が畑を荒らすこともそうだが、寧ろワン公が電柵の外に居るときの獣との闘いが起きるのではと。今まではまだ起きて居ないが、檜原村の住民に依れば、飼っていた犬が山で居なくなり、数日してその死体を発見し、どうやら獣と闘って死んだらしい。犬どもが野生化するとそれなりに闘いが始まる。猪、鹿、猿も含めて、ワン公よりも大きく獰猛である。

自由を得たワン公、野生化するであろうワン公、電柵の外での戦いに耐え抜くであろうかと心配する。犬小屋の中で守りに入ったワン公は極めて手ごわい。家を守る姿勢は太鼓判である。ただ、自由を得たワン公がこの姿勢を維持できるであろうか。ワン公はもう13,4歳である。後数年で寿命が尽きると思うのだが最後まで頑張ってほしいと願うのみである。

 

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