No.29 小菅村の冬(2) 20161230

 

寒さ

南相馬市の末永さんから電話があり、「寒いですね。小菅は南相馬よりはさむいですよね」と。

私も南相馬市と小菅村、青梅市との間を6年近くを往復、その実感はある。

既に朝起きると水道の凍結が見られる。

凍結すると水が出ない。

この時期には水道が凍らないようにと水道に断熱材を巻く。

更には断熱材と一緒にヒータを巻くこともある。

電気代が半端ではない。

ただ、私の借りているうちは水道菅が外に出ているところは少ないので断熱材を巻く場所がない。

ただ、土の中、部屋の中に張り巡らされた水道管が凍結しない保証はない。

部屋の中が零度を下回ることは度々である。

流石に土の中が凍結すことはない。

土の断熱効果は抜群である。

ただ外に顔を出した水道管が凍結するとそれが伝染する。

土の中までその凍結が侵食するものだ。

私が金風呂集落に住んでいたころは度々である。

ある時などは土の中の水道管が凍結し業者を頼んで土を掘り返して水道管を取り換えたほどである。

人の知恵はその前に手当てすることを覚える。

まずは水道水を出しっぱなしにすることだ。

水道水を出しっぱなしだと凍結は避けれる。

最初は水がもったいないと思ったが、村の人にはそれが常識だと言われた。

それでも最近は水を大切にしようとする風潮がある。

私も出しっぱなしには抵抗がある。

それでも外の水道は防ぎようがないので出しっぱなしとする。

出す量を最小限にするのだが少ないと凍結する。

多すぎても気が引ける。

小菅村では水道菅の凍結に備えが欠かせない。

凍結は蛇口から始まるので、お湯を沸かし蛇口にお湯を掛け続けると凍結が回答する場合がある。

小菅の冬は水道菅の凍結は瞬時も忘れられない心配ごとである。

一旦凍結すると冬中我慢することすら予想できる。

12月師走その脅威が襲ってくる。

一番の脅威は二月であるのだが。

 

小菅の冬には畑の土も凍土と化する。

そうなるとスコップだろうがトンガだろがびくともしない。

そのため冬は畑仕事を諦める。

ただ、太陽光線はどこよりも強い。

太陽の力は抜群である。

現状だと凍土化する前に霜が張るが直ぐ溶ける。

この霜が解けなくなると凍土化する。

最近は朝畑に行くと土はべたべたと滑りやすく、くっつきやすい。

まだまだ太陽光が勝っている証である。

昼近くになると、べたべたの土もカラカラになる。

畑仕事もまだ出来る。

畑仕事と言えば、初めての試みで畑中に溝を張り巡らすことにした。

20cm~30cmの溝を縦横に掘り深いところでの凍土化を進め雑草を絶つためだ。

雑草と言ってもそこまで掘るとスギナの根が張り巡らされている。

それを剝き出しにして凍らせるとどうなるか。

スギナは既に土の中で春ごしらえをして芽を貯えているのだが、それを土の外へ出すことで枯らす作戦である。

それに溝を掘れば水を貯える力が出るのでは。

冬には雪が降るが雨は少ない。

溝に枯れ葉や雑草、荏胡麻の幹などを放り込むことで肥料にもなるし水を貯えやすくなる。

この手法は初めてだが成功か失敗かは来年の春、夏の野菜の成長次第である。

 

小菅には四方を山に囲まれている。

谷川に沿い集落が点在する。

集落は昔は山の南側、そして畑は北側。

畑に太陽の光をより多くあてがうためだ。

人間は寒くて我慢する。

畑は寒くては何も育たない。

最近はこの傾向が薄れ北側の家が多くなり、人間様が太陽の光を受けて人生を楽しむ。

畑だけでは収入が上がらず出稼ぎが本流である。

と言っても山に囲まれた小菅村の日照率は少ない。

私の借りている家などは北側だが朝11時に庭に陽があたり3時には陽が無くなる。

何と庭に陽が当たるのは4時間足らずである。

私の家の下にも斜面に沿って3軒並んでいる。

30分程度程日照率が少なくなる。

勿論、私の上にも家が一軒ある。

日照率が30分は増える。

これは私が住む余沢集落の話である。

小菅村でも最も日照率の大きい方の集落である。

余沢集落でも一日の日照率が1時間に満たない家も多い。

この日照率を高めるために山頂の木を切る話が出る。

先日も役場の職員数人が山頂を見上げながらその話をしていたようだ。

ただ、木を切ったとしても数年すればその他の木が大きくなる。

私の家と下の家との標高差1mもないので、山頂の木を切ればそれなりの日照率を高めることが出来るが果たして長続きするだろうか。

しかも大変な作業になるとは別の村人の話である。

山の木は小菅村の宝。

どう維持するかが小菅村の将来を決める。

 

山の木は山の保水力を高め川の水を豊かにする。

山の木を維持・育てることは小菅村の使命である。

最近には大河内ダムの水が減少気味である。

大河内ダムへは主に小菅川、丹波川から水が流れ込む。

この二つの川の水が大河内ダムの水位を決める。

ところが小菅川の水量が意外と減っているようにも思える。

夏場になると大河内ダムへの小菅川河口の川底が直ぐ見えるようになる。

水の流れが細々と寂しい。

冬にはそうした傾向は見られないが、希望としては年中小菅川の水量が一定を保っていてほしい。

小菅川の水量を保つには小菅村を形成する山の保水量が欠かせない。

特に冬場の雪や雨を貯える力だ。

これは夏の話だが、山沢川で北面では滔々と水が湧きだし、南面では砂埃の現象がある。

南斜面には針葉樹、北斜面には落葉樹が繁茂する。

山沢川は白沢川、今川、玉川とともに小菅川本流に注ぐ重要河川である。

上流での保水対策は重要である。

ただ、至る所に砂防ダムが築かれ自然林が損なわれているのも明らかだ。

白沢側にも同様なことが言える。

最近には白沢川の上流に松姫トンネルが作られ大量の地下水が炙れ出たと聞いている。

またその別の支流には鶴峠がありそこには砂防ダムが沢山作られている。

今川、玉川も夏には水が枯渇する。

道路の開通は便利であるが明らかに山の保水力を弱めているのでは。

本流の小菅川の上流は東京都の水源保護が行き届いて比較的水量も豊かである。

砂防ダムは極力抑えられているようだ。

それに大菩薩峠の登山道も延々と長いが道幅は狭い。

 

植物

杉、檜、松など植物あっての山である。

その植物もどんぐり、栗、さくらなど木の実あっての山である。

木の実のあることが動物なども集まり山の賑わいを作る。

動物による山の賑わいは山に糞尿、落ち葉など栄養素をもたらし循環環境を作り出す。

これが杉、檜、松など針葉樹だとこの循環が損なわれる。

針葉樹は人間の都合で後から山に植樹されたものだが、それは動物の住処にはならない。

戦前の燃料確保のための木の伐採がありいわゆる丸坊主の山から、戦後の建築ブームで落葉樹の代わりに針葉樹に置き換えられた。

ただ日本人が営んできた木材家屋には針葉樹は欠かせない。

ところが建築ブームはコンクリート家屋に様変わり、木材家屋は影を潜め木材需要はどん底である。

針葉樹は450年が利用年度であり育ち年数でもある。

このサイクルで育てられた針葉樹が日本の家屋を支えてきた。

ただ、針葉樹は必要最低限の植樹が求められその他は落葉樹を植樹する。

落葉樹は植樹するというよりは木の実の宝庫であるので種で自然に山に生える。

針葉樹を植樹しなければ自然に落葉樹は繁茂する。

それに落葉樹は数年で一人前、木の実もなれば木炭など燃料にも利用できる。

日本の山を落葉樹で補えばエネルギー需給はそれだけで賄えるという試算もある。

木造家屋は数十年の寿命だが建て方材料次第では数百年の寿命ともいわれる。

木造家族は植物の年輪だけ寿命があるとも言われる。

山は人間の住処の基本なのである。

人間が植物、動物と共生するには山との共存である。

小菅村にはその基礎がある。

日本の山を破壊したもう一つの要因はコンクリート文化による石灰岩の砕石である。

木材文化から石材文化への変換は山を破壊していった。

山の保水力の破壊にも繋がる。

いわゆる農山村文化から都市文化への変化でもある。

小菅村は農山村文化を守ってきた。

 

動物

2月には狩猟が解禁される。

現状は誰かが動物の被害にあって役場に行けば有害駆除として、有害駆除隊が編成されて駆除が始まる。

そうでない限り狩猟は禁止である。

動物が畑を荒らすのは村人にとっては挨拶みたいなものだ。

猿がね、鹿がね、猪がねと挨拶代わりである。

ほぼ動物の畑や干し柿荒らしは公認のものだ。

それでも大事に育てたジャガイモ、ニンジン、白菜などがやられるには諦めきれない感情が出る。

先日も山の方をキョロしていると「何か入るかね」と声がかかる。

ただ、畑に繋いでいる犬が気になるだけなのだが。

村人は神経過敏。

というよりは動物被害でコミュニケーションをとっている。

冬の動物は多くない。

猿とて柿が熟すまで、イノシシは根野菜が無くなるまで、鹿だけは1年仲闊歩する。

鹿は単独行動が多いので広くは荒らさないが一部は徹底的に荒らされる。

ワサビ田だって荒らされる。

新芽をかじるので若木が枯れる。

吊るし柿を荒らすのは鳥、猿、ハクビシンと多彩である。

冬に人里を襲うのは最近とみに多い。

冬は山奥に木の実が多く山奥に獣は移動する筈だが、意外と人里に出没する。

山奥の落葉樹などが減り、ドングリ、栗などがめっきり少なくなったためだ。

昔よく見る雪山をマタギが移動する姿はほとんどないのでは。

青梅でのクマ出没事件ではないが獣は人家近くに出没する。

この事件を防ぐには山の改造が欠かせない。

 

環境容量

環境容量は人から見ると自給自足の原則だ。

動物から見ると自然淘汰のバランスだ。

植物から見ると程よい水の供給だ。

現在の小菅村には環境容量を支持する指標が曖昧だ。

動植物が共生は環境の微妙なバランスで成り立つ。

そのための環境調査なども必要になる。

即効性のある人増やせでは環境容量がふらふらと変動する。 

以上   No.28    No.30