No.4 環境容量と自給自足 2015/0/21

 

小菅村と農業

小菅村には山と川、少しの平地が存在する。私が、農作業を営むのは、その少しの平地である。平地と言っても平らな平野、川の三角州を意味するわけではない。

村は、山間の谷に沿って展開しているので、平地とはちょっとした斜面を示す。斜面と言っても、急勾配である。よく言われる段々畑が広がるわけではない。斜面のままを平地とみなす。

従って、農作物の種類は自然に制限される。

 

稲作のような貯水を必要とするような作物は無理である。

それでも、戦後まもなく稲作を奨励する通達があり、字山沢集落で実現した話を聞いた。家族の1年分は収穫できたと言う。もちろん、現在は行っていない。

最近創設された源流大学で、字長作集落で稲作実習をしている。水稲栽培には、豊富な水量、土の貯水能力が問われる。大きくは無いが、それらしき耕地がある。

私は陸稲は可能かと字余沢集落斜面で試したことがある。村人は笑っていたが、実際失敗に終わった。その後の挑戦は無い。

山間の村の自然は土地は狭いが水には恵まれている。畑作であれば、人の手で水を運べる。平地特有の溜池は無いので、谷川の水を貯めるか汲み上げるしかない。後は、山の天気次第、恵みの雨を待つしかない。

 

最近では、小菅村も高齢化の波を諸に受けて若者がめっきり減っている。また、若者にしても、採算性の悪い農作物栽培は敬遠する。小菅村での農業はそれほどに採算性の取れない作業である。

小菅村に農業で生活を営むという習慣がない。

北海道で数10町、東北で数町、南のほうでは数反で採算が取れると言われた農業、小菅村では当然期待できるものではない。

それでも、昔の小菅人は働き者と言われる。山の斜面を頂上まで耕し、麻、こんにゃく、わさびなどを植えて糧を得た時代もあった。特にこんにゃくは売れ筋だったようだ。

こんにゃく袋2俵を八王子に持ち込めば、アパートが借りられ1年分の生活が出来た。戦前では兄弟は10人近くが普通だが、長男、次男以外はそうして都会におっぽり出されたと言う。

今もその名残が残る。

私が耕筰する斜面もこんにゃく畑であったその恩恵に預かってのことだ。土地は肥え、地肌が良いと村人は言う。先人への畏敬、感謝を感じないときは無い。

 

環境容量

長い歴史を持つ小菅村の人々がどのように生きてきたかは知るべくも無いが、小菅村は1000m~2000m級の山々に囲まれ、狭い土地での生活の維持は困難を極める。

ところが、それもこの環境で人が住めないわけではない。その1は山という豊富な食の宝庫である。

いわゆる山の民としては十分に生きていける。ただ、この場合の住める住民の数は限られている。縄文時代に住む人々はこの条件を強いられる。これは、自給自足の基本である。

人が何人住めるかという環境容量を増やすには何らかの環境の変化が必要である。それこそ、小菅村の歴史である。畑作農業、それは焼畑農業の部類であったであろうが環境容量を大きくする。それでもそう大きくは無かったはずである。

 

その次の変化は、この山岳の村が、関東平野(武蔵野国)と甲府盆地・信濃平野(甲斐の国)の狭間にあったことだ。そこには豊富な穀倉地帯がある。穀倉地帯の環境容量は大きい。

仮定の話だが、小菅村の先祖は山岳民族、弓矢に長けた勇猛果敢な山岳民族だ。海賊なみの山賊行為がイメージとして浮かんでくる。そのことで、環境容量は数段と大きくなる。ただ、それは自給自足ではない。

交易には、狩猟生産物から、木材等加工品が考えられる。

 

時代は、一挙に遡り、荘園・戦国時代に入ると山賊民族の武力は頼りになる。出稼ぎが傭兵であることも想像できる。実際に、戦国時代には、小菅村が甲斐の国の東の守りの城であったとも言われる。

人口が増えてくると、畑作が欠かせない。この時代から、本格的な交易生産物、炭、桑、麻、こんにゃくなど生産物が生まれた。それでも、環境容量が飛躍的に大きくなったわけではない。

 

伝えられる事実は、小菅村が富士山信仰富士講の通り道であったことだ。富士山のお参りには小菅村のルートが選ばれたという。私の住む字余沢集落はその道中宿もあった。

小菅村から上野原に向かう県道の鶴峠にも最近まで茶屋があったと村人の話だ。塩山から松姫峠、鶴峠のルートも昔道である。松姫峠は織田信長に滅ぼされた武田勝頼の姫、松姫が徳川を頼り八王子市恩方に逃げ延びたことに由来しての名称でもある。

と言うわけで、小菅村には、旅宿の伝統がある。現在の観光小菅村の基礎でもある。それでも環境容量を飛躍的に大きくしているわけではない。3000人もいた人口が現在、800人を割るに及んで小菅村の環境容量の多いさが問われる。

 

小菅村での生業は多岐である。

その筆頭は村役場である。3000人を超えたと時代の名残で村役場は健在である。役場に纏わる教育現場、NPO、商工会議所などなどピラミッドが形成されている。

東京都の源流域を支える事業としての下水道、森林管理が大きな比重を占める。役場中心の生業は、日本全体の生業とほぼ同じである。

次に来るのは土木会社である。これも村人が3000人も居たころの名残で、林道を含む道路工事、砂防ダム工事の賑わいを増し、あるときは10以上もの土木会社があったという。今はその半数にも満たない。

観光業もキャンプ場、旅館・民宿とその勢いのある時期もあったが、今はその勢いは無い。小菅の自然を活かした、ヤマメ養殖、それも日本で始めてヤマメ養殖に成功したという栄えある村づくりではあったが、今は3つのヤマメ養殖業(小菅養魚場、木下養魚場、玉川養魚場)を残すのみだ。

炭焼き、林業も盛んな時期もあったが、今は細々としている。肝心の農業は麻栽培、こんにゃく栽培、わさび栽培と隆盛を極めた時期もあるが、現在はその面影は無い。

工業も精密機械工業(小菅精機)、縫製工場などが続いているものの細々としている。一連の生業の羅列を試みたが、800人人口を支えるにはやっとの環境容量とも思える。同じ条件下にある隣村丹波山村は300人にまで人口減少が進んでいる。

青梅街道の路線誘致を巡る小菅村と丹波山村との争いもそう古くはない話であるが、誘致に成功した丹波山村の衰退は小菅村よりも激しい。

最近も小菅村と大月市を結ぶ松姫トンネルの開通を祝う小菅村ではあるが、果たして丹波山村の先例に続くのではとも思う。

環境容量は自然の恵みと自給自足に比例したものである。その推測は急がねばならない。何故ならば、日本、世界中が置かれている人間男生存有無の問題でもあるからだ。

 

自給自足

小菅村の面積は小さく、かつそのほとんどが山林である。限られた、耕作地での自給自足は難しいものだ。特に、自給率40%も満たない日本の風潮では、小菅村が自給自足にいそしむ理由は見当たらない。

結果として、若者は小菅村を離れる。高齢化が急速に進む。私が目指すのは自給自足である。

 

当初小菅村に来たのは個人的な事情もあるが、年間100万円生活だ。そのためには、小菅で採れるものを最大限活かす必要がある。もちろん、私が農業を行う前の話である。

生活費の切り詰めは食費、交通費の切り詰めである。動かなければそれなりの生活が可能となる。

私が農業を始めたのは、色々の理由がある。

その1は小菅村で育つミニトマトの生命力にほれ込んだ。

その2は源流きらりの利用方法を考えた。

その3はバイク事故でのリハビリのためだった。

その4は自給自足を狙ってのことだ。

 

この4つの理由付けは随分と長い物語になる。

最後の理由付けは10年以上農業を試みた小菅村でのひとつの結論でもある。小菅村が、自給自足するためのイメージが浮かび上がるこのごろである。

小菅村を自給自足の村にすることは、小菅村の原点を探ることでもある。小菅村の現状は長い歴史を経てのことである。それを逆転させるような発想が必要なのである。これは、日本、世界に通じるものである。

 

その基本には環境容量の把握である。その上に自給自足という交易の無視を組み立てる。当然、貨幣の廃止が宣言される。

現在は貨幣社会(交易社会)である。自給自足(無交易社会)とは逆の展開である。この2つを逆転させるのであるから、明らかにカタストロフィを期待してのことだ。とにかく発想できない転換を期待することだ。

 

ロケットや人工衛星、高度情報社会の中でそこに行きつくのは難しい。もちろん、宇宙空間で自給自足が強いられる。

ただ、逆転の発想は、知識・情報の問題ではない。日常性の中に育てることである。

例えば、小菅村で自給自足という発想は難しい。

だが、東北大震災ふくいち(ふくいちは東京電力福島第1原子力発電所の略称である)カタストロフィーではそれが可能であった。

何故ならば、瞬間ではあるが、そのとき無交易社会が実現したからだ。

当然人々は食べること、動くこと、知ることを含めて否定された。人々は、隣人と携わることしか出来なかった。この原点は有史以来の原理原則だ。

 

カタストロフィの時に人が何を選ぶかは、人それぞれだ。

その結果として新たな歴史が形成されるかは想定することは出来ない。ふくいちカタストロフィでの人々の選択はやはり現在社会への復帰である。

私はその瞬間に立ち会わなかった悔いは残るものの、その後の状況は少しは掴める。残念だが、人々は現状復帰を期待している。

放射能汚染の状態で現状復帰とは、ほとんど不可能であることを知りながら、それでも現状復帰である。その結果が、以前と同じに貨幣に縛られた時代に至ることも当然ことである。

ただ、私としては、その原点に接したという感覚がある。

以上  No.3  No.5