No.1 「国子監という遺跡」 20171010

 

 この9月末、中国の北京を8年ぶりに訪れた。私が少々の株を持つ会社の中国人社長が創業30年を記念して株主を招待してくれた。故宮も万里の長城も見飽きた私たちを未見の面白い場所に連れていってくれた。

雍和宮というラマ教寺院の近くに在る広大な儒教遺跡群の中に敷地に「国士監」は在った。元、明、清の三代にわたって科挙試験を実施した建物とともに合格者、進士、の名前が刻まれた石碑とがこれでもかこれでもかと立ち並んでいた。

毎年に一枚という勘定だろうから、全部数へたり名前を読み取ったわけではないが整然と数百枚の規模で佇立する石碑軍は圧倒的な迫力であった。日本の昌平黌や東大合格者の名前が石碑として永遠に保存されるなんて絶対にあり得ないことが、この国にはあり得た、しかもそれが現中共政権のもとで破壊されず保存されていたのである。

文化大革命の傷跡は観察するかぎり認められなかった。私塾の親子と思われる集団が三々五々詣でている以外にはまったく閑散としており、国威発揚をかねた観光地の面影は一切ないのも面白かった。

 

 見物しながら私の脳裏に浮かんだ中華帝国王朝の権力像は、「知と栄誉」の独占が国家支配の力学の中枢に確かに在ったといういわば確認でしかなかった。

だが、その後の消費景気に浮かれる市中散策体験を経るうちに、これは何かに似ているという直感へと成長していった。すなわち、中国共産党こそが、科挙制度そのものの後継構造ではなかろうかという仮説が誕生したのである。

 

今日の中国の世界を飲み込む勢いの高度経済成長や地球規模の軍事拡張政策が、一糸乱れずに着々と継続されている事実は否定しようはない。

13億人の底力を引きずりだして歯向かう者は直截な社会的埋葬をあえて辞さない中国共産党の独裁権力を支えているのは、一言でいえば、「知と栄誉」の「独占」にあることに異は唱えられまい。

毛沢東や鄧小平、そして習近平が政治的指導者としての圧倒的な権威は、実は単純に「現代版の科挙制度」の確立成功にもっぱら依拠したからではなかろうか。

一党独裁、これはレーニンやスターリンのマルクス主義という近代の知恵ではなく、中華民族の歴史的知恵を盗んだか模倣したに過ぎないのではないか。

 かっての科挙合格者の出身母体が大農地所有者であったとすれば、今日のそれは「太子党」であれ「共青団」であれ、社会主義市場経済の勝利者である国営企業幹部、軍閥化した紅軍幹部、国家地方行政官僚、そしてICTで一気に伸し上がった民間企業幹部、これらの自立単位である共産党細胞のリーダシップを握る者たちではなかろうか。

彼らにもはや共産主義の理想が無いのはもちろんとしても、その精神の在りどころは、偉大なる中華帝国の後継者たることに在る。

彼らは純然たる階級ではあるが、科挙、つまり皇帝たる党中央による思想審査を見事にパスしているのであり、その実態は「党規律」への絶対的忠誠である。おそらく過去の科挙試験も古典的教養の力量による選別であったとしても皇帝の直面する時代相への多様性ではなく一面性においての忠誠度が当落を決めていたに違いない。

 中国共産党、社会エリートたる資格を現代化された新科挙により独占するこの皇帝制度がもたらすであろう結末は、農村生産力に依拠する白蓮教や太平天国の乱に類するものから見えてくるとは思えない。

新皇帝たちとその下に呻吟する民衆が享受している環境は、グローバル化した世界経済であり、これは歴史に例の無いものだからである。世界人口の20%をある独裁国家化が総ぐるみで組織化した例も、これまた初例でもある。

 

 今回、ハンドル名「世界との共生試論」を中国から始めたのは梁山泊にちなむところもあるが、老水庵主の主張が日本偏重の難を抱えていることへの重みづけの転換をと考えたところもある。

ハンドル名に恥じない投稿を順調に続けられるかどうかは定かでない不安はあらかじめ読者の寛大さによって了とされたい。

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