No.45 多摩川文化圏構想と低炭素化社会  2017年9月1日

多摩川文化圏構想

20年以上前にMSCO(地域ソフトウェア連携機構)を創立したが、その広報のために「地域ソフトウェア連携のために」としたレポート集を発刊した。

その中には日本で最初の自治体セキュリティシステムを導入した宇治市からの報告もあったが、私からは多摩川文化圏構想をレポートし、源流域から河口まで一貫した文化思想を持つべきだと提言した。当時国交省多摩川河川局は光ファイバの普及に合わせて多摩川流域に光ファイバー基地局を置き情報の連携を図る企画を立てていた。

残念ながら、この企画には3つの点で欠点があった。その1は流域とは国交省の管轄域である羽村市から川崎市に限られていたこと、その2は光ファイバーで流すべき情報の整備が未知であること、更にはその運営・維持に関する責任所在が明確でなかった。

私はこの時点で源流域がこの構想から外されていること、多摩川が昔から一体化していること、流域文化の精査が必要なことなどを提言し、まずは流域協議会への小菅村の参加、情報流通としての流域文化の収集、流域環境調査などを提言している。

 

確かに私が参加したのは多摩川フォーラムという多摩川の植生を調査している団体で、その規模も小さくどちらかと言えば予算消化団体としか見えない風だった。多くはない水辺のフォーラムという団体を立ち上げて、それぞれの地位における水辺の調査を行い報告を持ち寄る団体であった。

光ファイバーの需要からすれば到底及びもつかない情報量でその整備自体がインフラ整備だけが先行し将来的にはその維持管理は不可能になる状態が予想された。多摩川文化圏構想はインフラ整備以前に文化調査、環境調査が先行されるべきとの提言である。

現在、源流域小菅村から河口域川崎sぢに至る連携の試みはいくつかある。その1は小菅村で作られた源流きらり、この多摩川流域の住民が使うことで多摩川の水質を改善できるという試みである。もう一つ、青梅信金(青梅信用金庫)が中心となって連携を試みている美しい多摩川フォーラムは小菅村から川崎市までの流域に桜の木の名所を作り上げることで流域全体の連携を深める試みである。それに多摩川流域協議会は従来の川崎市から羽村堰という制限が取り除かれ小菅村かの参加も実現した。

 

私の稚拙な提言は多摩川文化圏構想の名を辱めかねないものであったが、その後20年の歳月を経て、インターネットの普及や流域連携の多様化など多摩川流域文化、環境に対する人々の関心も高まる中で再度この提言を見直す必要を感じるようになった。

 

ここでは光ファイバー基地局という古い概念は必要ではなく文化、環境調査を多摩川流域で実現するという提言である。この契機は文化も環境も区市町村境界を無視できるもしくは無視しなければならない観点である。文化・環境調査は地理的なメッシュにおいてのみ有効である。

私は、空気、水、空、気象、地形が町村境界を無視して存在することを強調したい

そしてこれに加えて現在避けて通れない放射線汚染が市町村会を無視して存在する事実である。ふくいち(東京電力福島第1発電所の事故でばらまかれた放射性物質は季節風に乗り東北から中部・関東にかけての列島山脈に沿って拡散し、秩父山系を背景に持つ多摩川もその惨禍に襲われていることは事実である。

このことは不幸でもあるが、秩父山系から東京湾にそそぐ全ての河川が被った被害こそ、その事実を明確にし、河川全体の在り様を紐解く機械であると捉え返すことが出来る。それは単なる事実因式に留まらず、河川の在り様を提言するための礎となる。すなわち、多摩川文化圏を作り上げることの礎でもある。

 

高炭素化社会

多摩川文化圏構想で欠かせない課題が低炭素社会の実現である。低炭素化社会とは地球温暖化に伴う最大要因と目される炭酸ガスの削減、すなわち炭素消費量をどこまで減らせるかの方法都市て低炭素化社会が提言されている。

地球温暖化の議論はその原因は多数考えられていて、その大きな要因の1つに空気中の炭酸ガス濃度の上昇が指摘され、その低減のためには炭酸ガス発生装置の低減、炭酸ガスを吸収して成長する植物の増加が期待される。ただ、人類は炭素を利用してのエネルギーの供給、植物を伐採しての生命維持、文化発展を指せてきたのであり、地球上に埋設された炭素素材の減少、酸素を排出する森林資源の減少を同時に追求してきた。

低炭素化社会と明言しながら、人類が歩んできた道程は低炭素化ではなくて高炭素化社会であったと言わざるを得ない。従って、人類はこの高炭素化社会を如何に止めるか、遅らせるかの選択を迫られていると言わざるを得ない。

要するに炭素に代る素材の探求が必要なわけであるが、脱炭素の一つに原子力(核)エネルギー、気象(水、空気、地熱)エネルギーが真っ先に上げられた。各エネルギーについてはその維持処理、事後処理がほとんど目途が立たないので私としてはギブアップだと考えている。気象エネルギーについてもその効率増についてはほとんど目途が立っていない。

 

エネルギーは大きな比重を占めるものの、炭素素材そのものの利用も大きな比重を占めている。いわゆる人類が文化生活を追及する中で炭素素材は欠かせない素材であった。衣食住に関わるほとんどが炭素材に代られつつある。特に建築物については従来の石材、木材、鉄材に代るんのとして炭素素材が比重を高め、衣料、食料にについても同じ現象が起きている。

人類はあたかも高炭素化社会でしか生き延びれないのではとの観測もある。高炭素化社会が石油、石炭、天然ガスなどそのほとんどが地下埋設物であり、その貯蔵量は有限である。もちろん、地球に蓄えられている地下埋設量は人類の使用量から見れば極めて少ないという見方も成り立つ。しかし、その貯蔵が無尽蔵でないことは確かであり、現状でも後何年という単位でその埋蔵量の限界が話されている。

もし、今膨大な埋蔵量が想定されても、人類がそれ以上の生存を保証することは大前提であり、そのために埋蔵量の切り崩しへの停止は人類にとっての生存をかけた戦いでもあるのだ。すなわち、人類は高炭素化社会との戦争を宣言する必要があるのでは。

 

低炭素化社会

高炭素化社会との戦争は低炭素化社会を提言することである。

その戦略戦術はどうあるべきか。

その一つの解決策は非軍事化である。

軍事による炭素利用は群れを抜いている。一端先端が開かれるとその消費量は極限的に増大する。非軍事化による低炭素化は限りなく低炭素化社会へ進む。ただ、非軍事化は現在社会が国家均衡から成り立つためにその目途が立っていない。むしろ軍事化が文化だとまで錯覚する時代である。

この観点は人類の革命的意識変革が必要である。

 

次の可決策は循環化社会である。

循環か社会は自然がそうであるように、人類が自然に沿った生活へと切り替える戦略である。

自然と言えば、水と空気の世界では、大量の水循環は生物の生存を助ける。雨が動植物に水を齎し動植物~排泄物は相互の動植物の栄養源を齎す。一見人類がもたらす地球上の汚れは水の循環で非汚染化される。

生物はこの水循環によって地球上での繁栄を維持している。この水循環に最も肖っているのは人類である。にもかかわらず、人類はその恩恵に無神経であるばかりはこの循環の破壊者でもある。その最も典型が都市の発達である。都市は大量の水・空気を消費しながらその手当をしない。都市の犯罪は水・空気を無尽蔵に使い過ぎることだ。

やがては都市は水不足、空気不足で危機に瀕する。都市の住民が砂漠の住民と同じように生きていけなくなる時代がやってくる。戦争は多くの飢餓を生み地方はその飢餓を救った。今問われているのは戦争でもあるが都市の飢餓である。地方の崩壊によってその容量が大きく減少している。

かっては都市の人口全てを受け入れる容量があったものが現状では都市の人口のどの程度を受け入れることが出来るかがが未知となっている。それは都市の異常な発達の結果でもあるが、都市が水・空気に無知であるからだ。

 

循環社会とは水・空気の循環に留まらず衣食住全ての物資の循環が要求されている。この循環は古くは河川を通じて行われた者が交通量の発達、河川の衰退により河川の役割がほとんど失われてしまった。循環が喪失した社会においては益々偏った発達が予想される。

偏った発達とは自然に乖離した発達であり、正常な発達とは自然に寄り添う発達である。自然に寄り添うとは循環そのものである。河川の果たしてきた役割を取り戻すことである。

 

たとえで言うならば、山の緑を増やし、山からの水量を確保し、結果として海の生物が生きがえる。海の水は海からの上昇気流、海上を通過する季節風で山に運ばれ雨として地中に落ちることで循環が維持される。

低炭素社会を実現するための二つのファクター(非戦争と循環社会)でどちらを優先するかどうかであるより、両者はコインの裏表である。

戦争社会は都市という不自由社会として始まり、非戦争社会は地方という自給自足世界に依拠する。都市と地方は都市が一方的に地方を搾取するのではなく都市は地方を支えるために何を為すべきかを考えるべきだ。

その1は都市が地方を観光の対象としない。その2は都市は消費地としてあるよりは生産地としてあるべきだ。都市の自給自足は都市における循環化から始める。水・空気の循環、衣食住の循環。都市と地方の循環はあり得ない。

 

CPメカニズムの間違い

CPメカニズムは地方の酸素生産力を炭素の貨幣化で金で買い取る仕組みである。貨幣は物々交換を可視化したものであるが、むしろ物々交換を非可視化している。現在の貨幣済においては物の動きはほとんど見えない。貨幣の動きすらがデジタル化して見えなくなっている。それでは社会の見えるかが益々逆に見えなくなっている。

この貨幣の動きに合わせてCPメカニズムが案出された。酸素生産力が貨幣化されることで酸素生産力である森資源は動きが止まる。逆に炭素消費いわゆる炭酸ガス生産の果敢な都市では地方によって炭酸ガス生産を補填されることでより炭酸ガス生産を拡大することになる。炭酸ガスが温暖化で見えるかされたことが都市と地方でその生産がバータされることで見えないかされる。

 

温暖化は地球の悲鳴もしくは地球が炭素消費量によって均衡を崩し始めたことへの警鐘。この警鐘を見えなくすることがCPメカニズムの本質。炭素の貨幣化は炭素消費量を科へに置き換えることで炭素消費量を更に見えなくしている。これが都市と地方でバータされるレベルでは、循環破壊が進むことでまだ見えるところもあるが、これが国際間で営まれることでほとんどその破壊の姿が見えない。

それが国際間の為替レートで左右されるので、何が起きているのかさえ検証できない。

実際の為替レートの変動は先進国の間でも1割前後であるが、後進国都の間での為替レートの変動は予想出来ない程度に激しい。実際にはCPメカニズムは先進国同士というよりは先進国と後進国の間で行われるので金融だけの取引に終始する。肝心の炭素、酸素の動きは存在しなくても良い状態になる。

先進国における炭素消費量と後進国における酸素生産量との間には、未だに正確な量が把握されているとは言い難い中でどのように貨幣交換が可能かすら見えてこない。しかも後進国では森林伐採、森林火災が多発し森林資源維持が子なんだと言われる。

CPメカニズムが金融ゲームとして展開されることは当然お成り行きであるが、それが低炭素化の切り札としての役割を担うとは到底想像できないのである。

 

多摩川文化圏構想

低炭素化社会へのアプローチは国際間での金融ゲームとは異なり、自然が作り出す水・空気の循環を齎す河川単位での炭素循環の考察・実現化が期待される。それはまだなお維持されているとするアマゾン川の炭素循環に依拠すべきであるが、ローカルではあるが日本列島における河川についても検証の価値がある。

日本列島では大河の一つとされる多摩川は都市と地方とのコントラスト、源流域と河口域とのコントラストが明確なので、検証考察に辿り着きやすい。

水源としての源流域にはほとんど住民は居ず合わせても1%にも満たないが河口域にはほとんど住民が集中し、水源の恩恵を受けて居る。ただし、河口域の住民の衣食住は源流域に依拠するところはなく、ほとんど流域でもない流域外からの移入に頼っている。

この多摩川流域に見られる自給自足破壊は本来あるべき河川流域における自給自足原理とは程遠い外部依存となっている。もし、外部からの衣食住移入が断たれた場合には多摩川流域住民のが死は免れない。本来は寡占お存在は自給自足原則が維持されていた。それが河川循環でもあった。

河川循環が壊れたとしても、水・空気の循環だけが維持されている筈であるので、自給自足の芽が破壊されたわけではなく、悠久の時間ではその再生は起きると思われる。しかしそれでは余りに投げやりではないかというのが構想低減の1つである。

 

現在の人々が自給自足に根差さなくては何事も始まらないが、その一つには河川容量の原点がある。河川にはその水・空気量にあった容量が期待される。最終的には人口に還元されるが、最低限自給自足人口(環境容量)が推定される。源流域に居住する小菅村人口は現状700余人、丹波山村は400余人、限界集落ギリギリの人口を維持している。

小菅村、丹波山村を一つの自給自足原点に置けばその延長線上に多摩川環境容量が見えてくる。推測の方法は色々考えられるが例えば使用水量、居住面積での推測であり、それは源流域と河口域との循環可能人口である。一人当たり水使用量200300/日で多摩川平均水量7~40リューベ/S(605千L/日~345億6千L/日)で水だけで生活すれば2000万人が生存できる。現在425万人の流域人口を維持しているので水の完全循環が維持されれば環境容量としては十分余裕があるように思える。

ここで完全循環とは人が摂取した水を全部河川に戻すという仕組みである。でなければ河川の維持が困難だからである。ここでは衣食住の循環を表示していない。衣食住の循環を表示しようとすれば、多摩川流域面積1240k㎡、私の経験一人の耕作維持面積0.001k㎡であるとすれば1240万人の耕作維持面積が得れる。

要するに河川循環を理想的に維持しながらの河川容量が得られるわけで、文化の発展を予測することが出来る。その原理は現状の河川環境の維持を前提とした河川容量である。多摩川文化圏構想とはこうして河川循環を維持しながら河川容量を積み上げて、未来の多摩川文化圏を創造していくことである。

 

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