NO.59  源流まつり  201858

そば打ち

源流祭りの日には村の衆らが競って出し物を出す。私が住む東部集落ではそばを提供する。一杯400円で祭り催し会場で売るのだがなかなか評判が良い。そばを出すのは2集落あるから、午前午後に分けて売るのだが、どちらも完売だそうだ。私も付き合いとしてそば売り会場に毎年行くのだが、かいがいしくそばを湯で椀に盛り客に提供する女性陣を見ているとどうも手伝うのに気が引ける。考えるに私のような不精ものが食物を提供することに違和感を持った。今年は集落の担当者からそば打ちに参加しないかと誘いがあった。その時に「嫌でなければ出てほしい」と言われて流石に遠慮していたそば打ちに参加することにした。朝6時始まりなのでほとんど寝ないで早起きに合わせる。15分前に飛び起きてそば打ちの集会場に向かう。集会場には既にほとんどの人が集まりそば打ち板が10個以上も並べられていて、女性陣はそば粉を捏ね始めていた。流石に近くに行ってみるほどの隙間はないので遠くから眺める程度である。いずれもそば打ちは賑やかで誰もが楽しそうだ。会話の内容は聞けないが捏ねる場合の水の割合、捏ねる手の使い方いろいろ伝授があるのだろう。気候次第で微妙に水分の割合が異なりそばが固くなったり柔らかくなったりするようだ。固いと切れやすい柔らかいと扱いにくい。捏ね回しが終わるとそれをビニール袋に入れて手持無沙汰に待っている男どもに回ってくる。誰彼となしにそのビニール袋を足の下に置き踏み始める。昔田舎は龍野醤油とならぶ播州そうめんの里、手延べそうめんは皸だらけの足でそうめん打ちをするのを聞いて、子供のころは手延べそうめんを食べるのを拒んだ記憶がある。機械そうめんではそうした相違した工程はなく安心して食べたものだ。ところが機械そうめんと手延べそうめんとでは味が異なり価格も異なる。今はどうなっているのか知ることはないが、播州手延べそうめん揖保乃糸は有名である。そんなことを気にしつつ、手打ちそばでそば粉の捏ねまわした後の足での踏み付けるときはビニールに入れての作業なので安心した。単に足で踏む作業だが、要領があるらしい。実際に自分がやってみると捏ねまわしたそば粉の上は不安定でようやく平たく安定すると再度重ね合わして不安定にして足で踏みつける。こうした作業を3回ぐらい繰り返すようだ。私が踏み続けていると近くの村人が来てビニールを開いて畳み直してくれた。私はきょとんとするしかないが、どうやらタイミングもあるらしい。別の人が私の踏み姿を見てもういいのではと声をかけてくれたが私にとってはまだ1回目の重ね合わせ今度は自ら重ね合わせを行い再度踏み始めた。矢張り重ね合わせは3回必要だと踏み続けると汗が出てくる。結構の重労働であることが分かった。テレビでそば打ちを見ているとjこうした作業は写らない。山形のそば打ち名人のそば打ちを見ていてもこうした場面はない。これは小菅村ならではのそば打ちだろうか。結局私がこうしたそばの球を踏みつけたのは1回きりだった。他の人は何度もお代わりをしているようぬ思うのが。踏み終わったそば粉の球を女性陣がビニールから引き出し、今度は円盤状に丸める。確かに踏み付けが一律でないとこの円盤状の塊を作るのは難しそうだ。ここでもステンレスのボールに入れて再度捏ねまわす。綺麗な円盤状のそば玉が出来上がると、これをそば板に乗せて杵棒で平たく伸ばす。この作業も一挙に伸ばせばちぎれるのでゆっくりと伸ばす作業である。どうもこの杵棒の使い方にも要領があるらしい。結局男どもの足ふみ作業は終わったので私は座って女性陣の杵棒の使い方を見るだけである。この作業はどうも男性陣は相手にされていないようだ。私はプロと言われる女性の傍にいて杵棒で円盤状のそば玉の伸ばすのを眺めていた。杵棒に巻き付けたそば玉を何度も何度も巻き付けては伸ばし巻き付けては伸ばす。不思議とそば玉は平らな四角い風呂敷上になる。どうして四角い形になるのかは考えても理解できない。こればかりは自分でやってみないと思うがその勇気はない。どうも手の動かし方は手に伝わる感触で凸凹を無くしているようだ。突起があればそこをさするようにして杵棒を回す。プロの傍でずっと見学していたので杵棒の要領は理解できたように思える。どうもプロと言われる女性は杵棒の扱いが終わり近くになると他の女性が伸ばした板状に伸ばしたそば玉を持ち込む。どうやら、他の女性にはその仕上げがうまくいかないらしい。プロの女性は「これは良いとか悪い」と言いながら作業を続ける。矢張りそば粉に水を入れて捏ねまわし、踏みつけたりする工程の中で最後の仕上げの段階で出来具合の明暗が分かれるらしい。杵棒で伸ばしたそば板が真四角にならず端がちぎれる。大勢の人が関わるので最後の仕上げはまちまちである。板状になったそばの塊を畳みなおして料理場に持ち帰りそれを包丁で切る作業を行う。この作業はテレビで見かけるどこでも同じ作業なので少しだけ覗いてすぐにその場から離れた。私はこの共同作業で捏ねまわしたそば粉の塊を踏みつける作業を1度だけしたに過ぎないが、確かのこの作業を最初から最後までプロが一人で行えば相当のそばが出来上がるんであろうが、大勢の人が一緒に共同作業をしてそれでもそれなりのそばが出来上がるのだから不思議なものだ。矢張り共同作業ではところどころにプロが居て、それなりの指導を行っている姿がところどころに見られる。細く切られたそばは木箱に詰められて祭り会場に持ち込まれる。そば粉からそばの販売まですべての作業は区長、副区長の指図で行われている。村の伝統が継承される瞬間だ。

山菜うどん

100%自然塾は源流祭りに合わせて山菜うどんを一杯400円で販売する。山菜は前日にメンバーが山から採ってきたものだ。流石に私も知らない山菜が並ぶ。ウド、タラに芽については何度も参加しているので直ぐわかる。コシアブラについても何度かの参加でわかるようになった。ところが、ユキノシタ、コゴミについては見ればわかる程度である。これらの山菜を小麦粉で溶き天ぷら油で上げるのだが、それは大雑把である。それでもパリッと上げた香ばしさは大好評だ。大きな鍋で大量の油で揚げることや取り立て山菜のなせる味というべきか。うどんの方も市販のうどん球を大釜で茹でて椀に入れる。ここでも茹で具合は大よそであるが大体は上手くいっている。うどんはつゆ次第である。市販のつゆの素とみりんを適当に混ぜてお湯で薄める。味見すると結構いけたものだ。人によっては薄めだったり、濃いめだったりがあるが、それぞれに味見して合格サインを出す。このうどんを茹でて、お椀に入れて、つゆをかけて天ぷらを乗せる。この一連の販売員二人、天ぷら乗せ二人、つゆがけ一人、天ぷら上げ34人、うどん茹で二人とおおよそ10人程度の共同作業である。ただそこに司令塔が一人それぞれの役割を決める。同じ作業を長く続けるのは体力的にきつく、私のような年寄りが動いていると特に気になるらしい。交代要員が次々と現れるので引継ぎが大切だ。ただ、単純作業なので見て覚える。数時間で300食程度売れるのだから、直ぐに覚えるようだ。大勢の素人集団が見様見真似で役柄をこなすと意外とうまくいくものだ。そば打ちと違い継承するものは山菜取りだけだろうか。明らかに山菜採りは素人ではうまくいかない。どこに何が生えているのかが分からない。あるときかご一杯ウドを持ってきた若者にどうして見つけたかを聞くと歩く場所が違うのだと一蹴された。ユキノシタ、コシアブラ、コゴミなど私にとってはほとんど見つけることが出来ないものだ。そうしたものは山菜取りを得意とするメンバーが前日に取ってくるのでほとんどの人は心配しない。いわゆる100%自然塾はこうした人材の宝庫なのである。春は源流祭りで山菜天ぷらうどん、秋は大地の恵み祭できのこ天ぷらうどんを販売するのが年中行事だ。

神楽

小菅村には集落ごとに神社がある。我が住んでいる余沢集落は御嶽神社、金風呂集落は熊野神社、熊野神社は小永田集落にもある。山沢集落には山沢神社がある。御嶽神社は井狩集落にもある。川久保には箭弓神社、諏訪神社がある。長作集落には御鷹神社、白沢集落には作宮神社がある。橋立集落には八幡神社、熊野神社がる。それぞれに祭りが行われるので、そこの催しには神楽が演じられるはずだが、現状は小永田、橋立で演じられるに過ぎない。源流祭りではこの神楽が演じられていた。昨年までは神楽は付け足しのように演じられていたが今年は相当長い時間演じられていた。神楽は村の成り立ちを伝えるものだ。もっともっと小菅村の成り立ちが分かるような催しがあればとも思う。村の歴史を知る契機になればと思う。例年は演歌歌手がきて演じることで多くの人を呼び寄せた。演歌歌手は年寄りには人気があるが大金が必要である。今回は子供に人気のある歌のおばさんが呼ばれたようだ。小菅村も高齢化が進んでいるが、逆に若者も多くなった。久しぶりに新一年生が10人になったと教育長が喜んでいた。源流祭りを見る限り明らかに小菅村の若返りが近づいているようだ。

松焼き

夜には小菅川の河原で松焼きが行われる。 1月には各集落で小さな松屋木が行われたのだが、5月は村の行事として大小3つの松の木を組み合わせて並べられ、山伏が火を点けるのが例年の行事である。まずはこの山伏の演出は今年無くなったようだ。例年多摩川源流ということで下流の市町村からの山伏が来て郷土の宣伝をしたものだ。常連は狛江市、稲城市、川崎市などであった。いわゆる、源流祭りは多摩川の源流の修験者が大菩薩から降りてくる日を祝ったものだったようだが、それが無くなったというのだ。寂しい気もするが山伏役が年々少なくなるようで仕方ないことかと思う。松焼きも大きさが一回り小さくなったようだ。昨年には火事騒ぎが起きたようだというのだが、これも寂しい。祭りの最後を飾って夕方から松焼きが始まる。まず始まりは大菩薩太鼓である。太鼓演奏は村人が年中練習を重ねてきた成果であり、村外にも演奏に呼ばれることがあるようだ。太鼓は人の心の奥に入り込む。私は太鼓が好きで演奏があれば聞き入る。全国いろいろの演奏があって、ほとんどのその聞き分けは出来ないが演奏そのものが好きである。松焼きには花火はつきものだ。小菅村は谷間の村、花火は大きな共鳴音で耳を劈く。確かに花火は美しいのだが、これにも大金が必要だ。今日の松焼きの時間までは付き合えなかったが、見る人の数も年々減少しているようだ。費用効果はあるのだろうか。

人出

 

源流祭りは小菅村での最大のイベントである。狭い谷間の村のイベントであるので、1万人もの人が来れば駐車場、交通が相当に不便である。それでも村内だけのイベントよりは村外向けのイベントで旅館業、キャンプ場業などが大繁盛である。ただ、祭り会場は小菅村の中心部に限られているので、中心部にある旅館、キャンプ場は大繁盛と思うのだが、果たして中心から離れた集落にある旅館、キャンプ場は繁盛しているのだろうか。ただ、このイベントはゴールデンウイーク、祭りがたったの一日、小菅村を楽しんでもらうには絶好のチャンスである。小菅村では夏の3か月(5,6,7,8月)で1年分の稼ぎを行うと言われたものだ。基本は、キャンプ場で小中学生のスポーツクラブなど合宿で集う。親子連れのキャンプなどにも適度な自然が控える。小菅の湯の玄関付近に「小菅村何もないけれども良いところ」とはよく言ったものだが、源流祭りとこの標語との不均衡は説明できない。年間に訪れる人々に感謝を決めて源流祭りがあるとすれば日常的な小菅村の姿が見えるような催し物はないだろうか。そば作り、山菜うどん、山菜そば、山菜ごはん、雑穀ご飯、小菅村ならではの出店も多い。と言っても人出が少なければその販売数は限られる。人出を確保しようとすれば、テレビ受けのするタレントの招致しかないのだろうか。例えば、花火、タレント招聘などの費用を小菅特産の無料配布などに回して人出を呼ぶのはどうだろうか。

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