No.30 小菅村と日本列島と地球 2017115

 

祭りと神社

正月の年中行事に初詣でがある。寒いのに朝早く神社に出かけるのだが、私は生まれてこの方そうした習慣はなくゆっくりと寝正月である。それでも家族の者はこの初詣でが好きで困ったものだと常々思う。

ところが小菅の初詣では10時ごろに集落の人々が集まり神官に祝詞を上げてもらう習わし。これだと私も参加できる。

というよりは参加するのが義務のようになっている。初詣では村人が社殿に集まり神官を待つ。

神官は社殿に礼し祝詞を上げる。その村日に向かって榊を振ってお祓いをする。その後村人の一部が榊を社殿い奉納する。その後社殿に供えられた酒を村人に振舞う。

酒はコップ酒で少々。流石に高級な酒旨い。

ところで社殿には未だに女人禁制。女性陣は外で待つかその後の祝いの席の用意を準備する。

祝いの席には各自が自らの食する料理を持ち寄り酒だけは供えられた酒を飲む。結構酒は沢山供えられているものだ。

小菅村には集落ごとに神社がある。私の住む余沢集落の神社は御嶽神社。

集落ごとに神社命が子と名うので覚えておくのは難しいが、南隣金風呂集落は熊野神社、西隣の白沢集落は御嶽神社、そのさらに西側小永田集落は熊野神社、ずーと北になると柳生神社、熊野神社が並んでいる。

その他にも長作集落には長作観音、猪狩、山沢、橋立各集落にも神社がある。もともと小菅村は富士霊山の通過点、途中茶屋も盛んだっと聞く。

そして小菅村の人々が地方に行っては神様を持ち帰ってきた風習があると言う。

例えば私が住む余沢集落から大成集落を経てかな風呂集落に至る山道には道路に面する岩場に地蔵像が多い

。長作観音堂の近くにある女人観音像、古観音堂もそうだ。小菅村は古きをしのぶには格好の土地柄だが未来に向かって羽ばたこうとする現在の小菅村からはその文化伝統は消え失せそうだ。

 

文化と伝統

現在ほど文化と伝統を紐解くチャンスは無さそうだ。象徴天皇の存続が今ほど問われているときはない。戦争犯罪者としての昭和天皇が命を長らえたのは日本の文化と伝統が天皇抜きに存在するだろうかとの問いかけだ。

今でも第二次大戦の昭和天皇を犯罪者とする考えを持つ人々は少なくない。

戦争犯罪人を裁く国際法廷が天皇をA級戦犯として処刑したとしても矛盾はない。国際法廷が戦争犯罪人を裁けるのかの疑問はあるものの裁判で判決してしまったことは合理的であった。

ところで日本の文化と伝統が神社仏閣を中心として維持されてきたことは事実である。

天皇家は日本の国家誕生以来国体としての体裁を整えるためにあらゆる文化と伝統を支えてきたことは事実で今なおその建物・儀式が維持されている。

国体の体裁としては江戸城、二条城に見られるもののその発祥は伊勢神宮、出雲大社を頂点とした日本列島すべてに渡る神社仏閣によって維持されてきた。

この神社仏閣を支えているのが小菅村のような集落である。神社仏閣にはそれぞれに階層があって小菅村の神社仏閣はほとんど最下層である。

小菅村には御嶽神社が多いが御嶽神社の元締めは青梅の御嶽神社である。この一帯は狼が住んでいたと言い丁度その生息範囲が元締め神社の支配範囲のようにも思える。

秩父には三峯神社があるが、そこも狼信仰の流れだ。

想像するに秩父山系を生息地とする狼が居たのではと。狼が生息地を追われ日本列島には行き場所を失ったのは明らかである。自然淘汰の地域が狼から人間に変わったとも言える。

熊の神社にもそうした熊の生息地に関係すると思われる。小菅村にも熊の神社は多い。未だに熊の出没があるが熊との共生は今後の課題でもある。

神社仏閣を通して文化と伝統が維持されてにも拘わらずっ現実にはその底辺での神社仏閣の崩壊、維持する人々の減少が進んでいる。

時代の流れと言えばそれまでだが、一度壊された文化と伝統の再生は不可能に近い。それは天皇家の問題であるが祖以上に地域の問題でもある。

 

破壊と創造

破壊しなければ既存の習慣、制度、建物など人間及び環境を規制したことから脱出することは不可能である。

それは長い歴史で見れば自然現象としても逃れることが出来ない心理であるが、近い目で考えると現状の生活・習慣建物が破壊されることは死に等しいので決して許容できるものではない。

ところが人間の期待とは裏腹に地球上ではより大きな破壊が繰り返されてきた。

戦争もその一つだが戦争のエネルギーは人間が作り出したエネルギーであり、そのエネルギーが建設に活かされることはあり得る。ところが戦争が一部の人間井よって作られた場合にはそれは戦争推進者による破壊から建設に向かうのでその建設は既存の規制、習慣、建物などから解放されるものではない。

ところが自然破壊は全てを根こそぎ破壊するのでより建設的な建設の可能性がある。

自然破壊の大きくかつ連続する地域では急激な進歩が期待されるものであるが逆に自然い守られた地域では過去の遺産としての文化・伝統が温存される。

小菅村は後者に属するが東京などは前者に属する。

未来を求める若者には東京は憧れの的であるが、小菅に生まれたとしてもその流れは回避できない。小菅村の少子高齢化、限界部落かが進むのはそのためである。文化・伝統の維持する観点からすれば小菅村は模倣的地域に属するが未来の進歩を夢見る若者への期待が小さくなる。

地球上では破壊と創造の歴史が展開され来たのであるから、その聖地ともいえる日本列島が破壊と創造空逃避できないことは明らかである。そこで文化伝統を維持できるのかさらには破壊と想像の歴史を歩むのかは今後の選択でもある。

 

組織の進化

破壊と創造で進んできた地球上の歴史はそれを回避するための組織の拡大・強化の流れであった。その究極の姿が国家である。

破壊と創造の結果として最終的に到達した国家は人々の習慣、制度、建物に閉じ込める最も効率的な形態でありそのためのあらゆる手段・機能が施される。

国民国家とはそういうものであるが、その第1は官僚制度、資本制度、貨幣制度、福祉制度などを備えたものである。

逆にこの制度は戦争などでは壊れにくいもしくはより強化されるようになる。破壊と創造の最も進歩した形態である。

ところがこの国家制度でもってしても大きな自然災害では補えないものが存在する。例えばポンペイの都市破壊はその再生の道すら見当たらない。我々が危惧すべきはこの自然災害に対してである。

日本列島は災害国家であるが、戦争と創造の国家でもあった。ただ、本格的な日本沈没に値するような自然災害はめったに来ない。

例えば日本海がまだ大陸の湖であったころに栄えた縄文和文化は日本海の隆起とともに亡くなった。もしかしたら破壊と創造は戦争によるものを含めてよいかどうかを判断する必要がある。

そして歴史の見直しとは自身、火山、隕石など巨大カタストロフィーによる破壊と進化を認識する必要があるのかもしれない。

そこでの飛躍的進化は隕石による巨大生物絶滅後の人類の誕生や今や進行途中であるが東北大震災による東北再生のことなどを示すことが出来る。

とは言え東北大震災は巨大国家日本での出来事であり、破壊と創造の範疇には適応できない節もある。巨大破壊とは国家を揺るがす破壊のことであり、想像とは国家が破壊されたときに起きる人の知恵のことである。

 

連携の素子

人が番を維持し、家族や群れを形成することを前提に生存してきた。これは一つの連携=Chainとしてとらえる。

連携は大きくなるとコミュニティとも言われるが最近定義されるコミュニティは国家維持機関としてのコミュニティでありその形態は連携の基礎的形態から外れる。

連携=Chainは言語を含む群れることを前提に形成される。

ITC社会の中でコミュニティやネットワークの必然性が問われているがそれらはマスメディアが一方方向情報であるようにこうしたコミュニティやネットワークはその域を越えない。

当初期待されたITの双方向性が期待できなくなった今それを連携の基本素子とすることは出来ない。

何故ITCが一歩交通情報になったのかはマスメディアと同じその不特定性にある。改良は可能であるがその本質は変わらない。

連携素子は不特定性の排除である。もともと人の群れは不特定性を排除したことから始まる。

ここで小菅村の例からいうと小菅村では不特定性はほぼ排除されている。もちろん国家の下請け機関など不特定性を前提とした営みがあるわけで連携素子とするにはやや不適切ではある。ただ小菅村にその原型を見ることは出来る。

小菅村はコミュニティとしては成立するぎりぎりの地方自治体である。この形態が連携素子の方向に向かうかどうかは予測できないし、それを意図してできるものではない。

昔秩父の山奥に数軒ほどの天井集落を訪ねたことがあるがそこは未だに完全な連携集落だった。その集落には不特定性が存在しない。

ネットワークコミュニティがこの連携素子になるかどうかについては予想できないがネットワークでも不特定性を排除したネットワークが形成される限りその期待はある。例えば測定だけを前提としたモニタリングプロジェクトのネットワークなどにはその可能性はある。限界集落は連携素子の基本に沿っている。

 

(連携)の2乗=Chain2乗

連携素子と連携素子が連携することはそれ自身背理である。もちろん私が連携素子を話題とすること自身が背理である。

それでは連携素子同士の接触はどのように起きるのであろうか。実はそうした現実は示しようがない。

なぜならば現実の国家、組織が人々のほとんどを支配している今そこから純粋の連携を取り出すことは不可能である。

既に述べたがこうした国家、組織を破壊し尽す自然災害は事実人々を裸同然の姿にする。そこでは生命が生きることが改めて問い直される。

東北大震災における東京電力福島第1原子力発電所(ふくいち)による放射性物質の拡散は国、組織が予測できない事態であり、その方針は二転三転し、人々はふくいちから遠ざかるのみに集中した。

それが正しいか否かではなくて原子力発電所が危険であり放射性物質の拡散への恐怖からである。

この恐怖は既に植え付けられていたとの観測もあるが広島、長崎、ビキニ等嫌というほど突き付けられた恐怖が人々にその行動を促したと言うほかない

例えば地球外物体隕石が地球に衝突するときにもこの事態が起きる。このときの判断の正邪ではなく危険を察知してふくいちから遠ざかるという単純な行動その一点だった。この行動指針は予測された者ではないが故に貴重である。

そこには人々の連携が生じ誰もが自分よりも他人の逃避行を助けるという行為に動いた。ここはまさに連携の連携=(連携)の2乗=Chain2乗だったのである。

ただ、次の瞬間には国、組織の意思表示による右往左往や現在では復興の名のもとに展開される原発=危険物の認識は失われつつある。

幸いにふくいち4基の原発がメルトダウンとは言え地下に逡巡し外目は何もなかったような表情をしている。それ故に想定できない事態は想定できるようになり、人々は羊の従順さを取り戻したのである。

今後も連携の二乗は起こり得る。それは瞬間俊兄起きていることだがそれを認識しないか自覚しないでいることが事実である。

例えば、小菅村ではおすそ分け文化が存在する。人と人との付き合いはこのおすそ分け精神である。それが一つの連携素子となり広がって行けば連携の二乗が成り立つ。

ただ、連携素子はやっと維持されているのであって、それを拡大する余裕はない。

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