No.55 荏胡麻と米そして耕地作業  2018228

荏胡麻の取入れから袋詰めまで

今年は何故か余裕がある。この1年、福島県南相馬市を中心とした放射能観測をさぼっているためでもある。月一度一週間ほどの放射能測定の為に南相馬市に滞在することはそれだけ畑仕事が削がれる。体調の都合等で昨年4月からその宿泊を辞めているのだが、その分小菅村での耕地作業が進んだようだ。

小菅村での耕地作業とは荏胡麻の収穫と同時に行う。荏胡麻の収穫は荏胡麻の木を刈り取り、1トン袋に入れてまずは畑に放置する。放置するとしても天日干しの為に朝に袋の蓋を開け、夜には蓋を閉めるを繰り返す。その作業は1ヶ月以上は続くだろうか。

この作業は荏胡麻が殻から弾き出ることを期待するものだ。荏胡麻の取入れ(刈入れ)が遅ければ遅い程弾ける量が多いのだが、遅すぎるとその多くが畑に落ちてしまう。所謂刈入れ頃があるわけだ。勿論早すぎても荏胡麻の枝や木が袋の中で腐る。昨年に比べて、今年はそのタイミングが旨く行ったようである。

昨年は青刈りが多くて袋の中で腐った枝や木が目立った。今年はそのようにはならずに助かった。というよりも昨年の荏胡麻の植え付け時に荏胡麻の苗の成長がまばらで、植え付け時期が長くかかった。荏胡麻の成長がまばらであったわけだ。刈入れ時期に青木と枯れ木を選べばよいものを作業効率の上でそれもして居られなかった。結果として荏胡麻の若木も取り入れざるを得なかった

今年の荏胡麻の借り入れは成長が去年以上に平均化していて、殆ど青刈りの分が少なかった。そのために袋の中での腐りは少なくて済んだ。それに青刈り分が多いと荏胡麻の質にも影響する。荏胡麻に黒ずんだ部分が多くなる。昨年は弾き飛んだ荏胡麻からの苗よりも精選し終えた荏胡麻殻を畑に撒いた実からの苗が多かった。要するに今年は弾き飛んだ荏胡麻が芽を吹きそれを植え替える作業が多かった。どうやらその差が影響したようだ。

この黒ずんだ部分が多いと見た目は悪い。味には影響しないが矢張り売り物として人に配る時、小菅村の道の駅に出すには気が引ける。もともとお裾分け文化、売り物(商品)としての扱いは気が引けるが、矢張り見た目の悪いのは更に気が引ける。この数年の荏胡麻の収穫は様々な思いで終えてきた。流石に今年は十分手応えがある。

その手応えとは思った通りに作業が進んだことだ。荏胡麻の借り入れ、落穂ひろいなど順調に進んだ。そして畑に弾き飛ぶ荏胡麻の量も最低限に少ないようだ。畑に並んだ5つの1トン袋がその成果を物語る。この1トン袋には荏胡麻の木、殻、実が混在する。その実は全体から見ればほんの一部である。例年ならばこの実部分は20×4リットルペットボトル分に相当するはずである。

そのほとんどがお裾分け分として売られるがペットボトル1本は1万円程度だろうか。実際には8割程度の歩留まりがある。この荏胡麻が袋に入れて、1袋350円で小菅村道の駅に置かれる1年間欠かすことないので小菅村の一つの名産となる筈である。

昨年はこの袋詰め作業が大変だった。要するに黒ずんだ部分、混じっている小さな石、殻などを取り除く作業に手間取る。この精選作業が大変なことは村人が荏胡麻を栽培しなくなった理由でもある。先ずは木から荏胡麻を切り離す作業、殻から実をはじき出す作業、そして色々の混ざりものを取除く作業、そして袋詰め作業がある。長野の大鹿村の友人が水洗いが良いと教えてくれた。近くの村人も水洗いすると言っていた。ただ、私の場合にその手間暇、荏胡麻への影響を考えた場合にその勇気はない。

先ず刈り取った荏胡麻の木から荏胡麻の殻を剥がす作業、これは手作業だが履いた軍手が擦り切れるほどの作業。何足かの軍手が駄目になる。その作業中に小さな入れ物だと荏胡麻が弾き飛ぶので1トン袋が最適である。ところが1トン袋のままでは到底から家までは持ち運べない。荏胡麻の木から殻を剥ぎ、1トン袋の嵩が1割程度になった所で畑から家に運ぶ。この作業、昨年までは先ずは荏胡麻の木から小枝を切り離す作業として行っていたが、今年は取入れのタイミングが良かったので小枝としての切り離し作業は省略できた。

勿論山斜面の畑から家までは約百mの距離なので嵩が減ったとは言えその作業は大変だ。と言って荏胡麻の木を詰め込んだままでの運搬は不可能である。このらの作業は天候に左右される。雨の日は無理、荏胡麻のきや殻は湿気を呼び込み易いので曇り空でも旨く行かない。

家に運んできた荏胡麻の殻はまだそのほとんどが殻に包まれているので荏胡麻の実を弾き飛ばすには天日干しが必要である。ブルーシートの上に荏胡麻の殻を広げて干す。ブルーシートには衣装箱1杯分約40リットル分が適度なので1トン袋から小分けして干す。1トン袋から5,6杯の衣装箱に小分けされる。

こうした作業中に荏胡麻の実は徐々に弾いて殻から出る。弾く勢いが強いのでなるべく衣装箱の中で行い箱からの弾き飛ぶのを防ぐ必要がある。実が弾き出ない殻については矢張り手で擦りながら身を弾き飛ばす。今年は取入れのタイミングが良かったのでこの作業は比較的円滑だった。タイミングを失するとこの作業が大変になる。勿論この作業は軍手を付けない素手での作業である。

手擦り作業ではステンレスの通し網(ふるい)を使って行うのを覚えた。覚えてから数年になるが、ステンレス製で無いとすぐに通し網が壊れる。通し網にはいくつかの網目の違いがあり、3種類ぐらいを使い分ける。最小の網目は荏胡麻を通さないレベル、次に荏胡麻を通すレベル、そして枝などを通さないレベル。大きさも直径20cmと10cmの二種類である。

この通し網の作業も今年は要領を得たようだ。それぞれのタイミングで大きさと網目を使い分ける。それに昨年から使い始めた、ドライヤーは小さく風で飛ぶような埃を飛ばすのに最適である。最初は自然の風の利用やら、通し網等を使っていたのであるがやはり粉上のものを振り落とすにはドライヤーが最適と分かった。

色々の工程を経て精選されたエゴマの実が4リットルペットボトルに詰め込む。これは焼酎の空きペットボトル、何時も通っていた酒屋で貰ってきたものだ。その後必要に応じて袋詰めにする。この袋詰めの時にどうしても取り残された小石、殻、枝などを取除くために、一袋ごとに白い紙の上に広げて目で見てと取除く。この作業は必要に応じての作業で暇あるときに行う作業である。

米の取入れから袋詰めまで。

私の荏胡麻に取入れ作業は昔高校時代まで農家の手伝いで米の取りれ作業を思い出しながらの作業である。明らかに米も取入れのタイミングが難しい。タイミングを間違うと落穂が多くなったり、青粒が多くなったりする。ただ、荏胡麻のように米の実が殻(籾殻)から飛び出すことはない。

ただ、台風なので稲藁が倒れ地面に這うとその稲の実が芽を吹き出す場合が多い。荏胡麻と違いもみ殻状態で土を感じるとすぐに芽が出る。所謂、稲苗を作るときに籾殻のままで土に撒くのだが、その芽の吹き出し方は早い。逆に荏胡麻の場合には畑で芽を出すのには1冬を越す。

稲わらを刈り取る作業は家族総出、必要ならば他人に助けを求める。流石に私の実家は6人兄弟、3世代同居、人出には十分である。勿論、殆どは子供らが駆り出される。私も稲刈りは自慢できる。稲刈りは直ぐに天日干しの為にやぐらを組んで田んぼに稲わらを吊るす。この稲わら干しの風景は懐かしく田舎を思い出すシンボルである。

この天日干しは1ヶ月程度だろうか。先ずは田んぼでの脱穀作業。昔は万力、そして足踏み脱穀機、私が高校卒業するときには自動脱穀機であった。万力は孔子の間を稲藁を潜らせてもみ殻を藁から剥がす手作業、足踏み脱穀機は力任せに足を踏み続けて脱穀ドラムを回し続けるので、中学生である私などには適宜な作業。私も相当に役に立ったようだ。逆に自動脱穀機はヤマハの発動機で脱穀ドラムを回すので結構スリルな作業。最初は兄たちの領域であるが、高校に入ると私にも順番が回ってきた。要するに発動機を動かすにはハンドルで歯車を回転させる最初の瞬間が怖かった。

脱穀作業は女性でもやれるが発動機はそうはいかないらしく男性の仕事。脱穀が機械化されると、天日干しされた稲わらを脱穀機まで運ぶのが子供の仕事。これもやぐらから稲わらを取り出し担いで発動機迄運ぶのだが、私の得意とする仕事。田んぼの広さは約一旦前後、距離にして30m四方、その距離を稲わらを担ぎ脱穀機まで運ぶ。

稲わらは天日干しするときにあらかじめ束にされて居て、脱穀後の稲わらは更に天日干しする。今度はやぐらで無くて稲藁を積み上げて山を作る要領である。雨風に耐えるように大きなな山を作り、数か月して稲わらが乾いたところで家の倉庫に持ち帰る。田んぼから家までは数百mと遠いところもあるのでリヤカー、車力を使って運ぶ。是も私の得意としたところ。

脱穀した籾殻は俵に詰めてそのまま家に持ち帰る。昔はそれを蓆に広げて天日干したのだが、私が中学生時代から、天日干しではなく練炭干しになったようだ。練炭干しは高さ2m直径1mもの木箱(サイロ)の中に籾殻を入れて、下から練炭で温める。下から練炭の熱で乾かす寸法だ。確かに天日干しよりは数段と乾きが早い。

ただ、私の父親は天日干しに固執して練炭干しには反対であったようだが、1町近くの百姓米農家、とてもとても天日干しでは無理であると今思う。これらの提案は母親によるものであり、手作業、自然体を考える父親は反対なようでその争いは日常さ万事である。ただ、父親は元は大工の家系、事情あって大工から途中外れたものの百姓などは二の次。万事百姓出の母親の采配であるのが当然。

天日干しされた籾殻は足踏み杵で籾殻を剥ぐ。これは根気が居る作業で私は命じられても旨く行ったためしがない。それはどうやら小学生時代の頃だろうか、天日干しは練炭干しに代わり、集落共同で籾摺り機を購入した。籾擦り機は発動機ではなく電気モーターで動かし、一般の人が動かすのではなく専門の大人が家庭を回ってきた。籾擦り機は凄い音を出すのだが、籾殻が剥がれて所謂米(玄米)が出て来る。

荏胡麻では自然に実が弾き出るのを待つのだが、米の場合にそうはいかない。それほどに籾殻は頑丈である。籾擦り機作動中のあの高音は今でも耳に残る。籾擦り機の前には籾殻が山のように積まれる。殻を剥がれた米はドンゴロスという麻袋に入れるかブリキで作られたサイロにて保管される。

脱穀であっても籾擦りであっても機械化は農作業を一挙に効率化したのだが、荏胡麻を扱う現在を見比べるとどこか侘しさがないわけではない。荏胡麻栽培をどの程度ならば、こうした機械化が可能であるかを想像しない訳でもないが、私の荏胡麻栽培の趣旨には添わない。要するにほとんどの作業工程を経験することでその機械化は不可能ではないのだが。

保管された米は必要に応じて伊那藁で編んだ俵に詰めて農協に届けられる。農協には米俵を補完する専用倉庫がある。昔は強制的に米俵を供出させられ、抜き取り検査で専門官が品質を査定する。品質は1等、2等となるのだが、1等はなかなか取れなかったようだ。この米俵は60kgであるが、今思うに母親はこの俵を持ち上げて運ぶ。あの痩せ細った身体でどうしてそのような力があったのだろうと思う。

ここでも物々交換主義の父親はこの供出には反対で供出を義務とする役場からはクレームがあって駐在所の警察官も家に来ることもあった。母親は父親に内緒で私などを使い供出していたのだが、父親が居ない時を狙ってのスリルな作業だった。父親に見つかるとこういう時には母親に暴力を振るう。母親も心得たもので少なくとも私が作業しているときは父親には見つからなかった。

耕地作業

荏胡麻の収穫を終えた畑を次なる作付けの為に耕地する。次なる作物とは主にジャガイモである。ジャガイモと荏胡麻とはほぼ交互に育てうることが出来るようになった。春先はジャガイモ、夏場は荏胡麻と作付けと収穫が交互にやってくる。所謂二毛作である。

この二毛作は偶然の結果であるが、漸く辿り着いた結論でもある。狭い土地での有効利用が一歩進んだ。荏胡麻の刈り取り後は丁度稲の刈り取りと同じに畑の斜面に沿って切り株が並ぶ。この切り株が雨風で流れ出る土の移動を防ぐ。昔の人は石ころを多く含むように仕掛けたようで、石が土の流出を節だ。私はこの石の代わりを荏胡麻の切り株で補った。

荏胡麻の切り株は最初は茎を含めて全体を土の中に埋めた。やがて荏胡麻の木は腐りやすく肥料になる。それでもよかったのであるが、荏胡麻の木が腐るにはタイムラグがある。それならば切り株を残し昔の人が石ころの役割を荏胡麻の切り株に代替させればよい。

やがて荏胡麻の切り株も腐り畑の肥やしとなるが、年が代われば新たな荏胡麻が育つ。それに畑の畝が平地と違って壊れやすいのだが荏胡麻の切り株は畝の目印にもなる。荏胡麻の取り込みが終わると切り株の間を耕し畑の素を埋め込む。最初は村人が行うように落ち葉を埋め込むのが習慣のようだが、自動車も山もない私には畑の素が手ごろである。

畑の素は村の事業での土地改良剤だ。旅館や家庭などから出る生ごみをヒノキなどの製材工場から出るおが屑を混ぜて、数か月もすれば立派な土地改良剤になる。ヒノキには脂分が多いので蒸気で脂分を抽出する。このヒノキ油も香りが良いので入浴剤にも使われる。

畑の素を作るには実は生ごみ以外に下水汚泥も利用する。現在は2,30軒の外れ長作集落から発生する下水汚泥だけであるが、小菅村本村の下水汚泥も利用できないかと考える。実際に本村の下水汚泥はオーム真理教サティアンが置かれた上九一色村で堆肥処理されている。村の委託事業なので一度J議員と一緒に見学してきたが、素晴らしい堆肥が出来上がっていた。但し、その堆肥のほとんどは長野県で利用されているようだ。話は逸れるがこの上九一色村での堆肥工場を経営して居るのはこの村からオーム真理教を追い出したという有名な御仁である。

畑に畑の素を埋め込み作業も終わり、現在はジャガイモを植え付けを始めている。やはり荏胡麻の切り株に沿って耕地しながらの植え付けである。畑の土も連続的に耕地し続ければ作業が容易になる。既にスギナが芽を出しつつある時期だが、耕しながらその根を抜き取る。スギナは畑のゲリラである。どこからともなく入り込み根を張る。春にはツクシンボウを咲かせ綺麗でもあるし、食べても美味しいがその勢力はやがて畑中に入込み野菜等を淘汰する。

耕地はスギナとの闘いと言っても良い。スギナの成分にはカルシュームを多く含み酸性土を好む。落ち葉などを大量に投下すればスギナを絶やせると言われているが、借地、山も自動車もない身分でその贅沢は出来ない。従って、今年は畑の素を大量に畑に放り込む方針である。

以上   No.54へ      No.56へ