No.63多摩川環境 20181115

多摩川源流から河口まで

小菅村には、源流大学、源流祭り、源流NPOなどなど源流の名の付く催しがおおい。だが、狭義には源流は山頂の一滴と定義され、その一滴がどこにあるのかを探す場合が多い。奥多摩湖にある水の博物館では、その水の一滴が奥多摩町の笠取山の水干にあると定義している。ただ、その一滴だけを指して、どうして源流と定義するのかについて未だに私は疑問に思っている。多摩川に注ぐ全ての支流が源流の位置にあることを確認し直すべきだと考えている。

多摩川の支流と言えば、最上流にある小菅村、丹波山村、奥多摩町、檜原村を初めとした周辺市町村すべてに存在する河川が源流としての位置にある。ところが、それぞれの支流が源流として名乗られていなくて名乗られているのは小菅村と奥多摩町ぐらいであるだろう。何故に源流に拘るのかについて、再度検証すべきではないかと考えるこの頃である。

源流とは山頂から山麓までの水を集め、その支流の河口に流し込むことを意味する。支流それぞれには源流と河口とが存在する。小菅村を例にとれば、最大の源流としての支流は小菅川であり、小菅川には玉川、白沢川、山沢川、更には今川が注ぎ込んでいる。ただ、玉川についてはほとんど多摩川近くに河口があり、玉川と小菅川が源流争いを行っても良いような位置関係にあるが、基本的には多摩川の小菅村での源流は小菅川と見てよい。 これを丹波山村で見ると、最大の河川は丹波川で、支流としては小袖川、後山川、一之瀬川、柳沢川、貝沢川、マリコ川がある。ここでも小袖川は多摩川近くに河口があり、丹波川と小袖側との源流争いがあってもおかしくはない。

いずれにしても小菅村、丹波山村を例に挙げた如く多摩川源流にはそこに注ぎ込む支流があり、そこには源流と河口とが存在する。多摩川全体で見れば河口近くから谷沢川、丸子川、仙川、入間川、平瀬川、野川、三沢川、乞田川、大田川、程久保川、浅川、谷地川、残堀川、氷沢川、秋川、大荷田川、鳶巣川、日原川など多くの支流があり、それぞれに源流と河口を持っている。これら河川も小菅川、丹波川と同じく多くの支流からなっていて、かつ多摩川流域の市町村行政区を通過している。ただ、多摩川の源流と言えば余りに多数の支流からなっており、逆に多摩川の河口と言えば一つしかない。

多摩川水質調査

何故多摩川なのかと問われれば、たまたま私が住んでいる小菅村は多摩川の最上流に位置する小菅川近くであることでしかない。ただ、全国一斉水環境調査を開始して15回目を数えているが、多摩川についても11回目を数えている。水質調査はCOD、水温を測る簡単なもので、果たして河川環境を知るのにどの程度の役割を果たすのかについて疑問もあるが、河川の水質の経年的な変化を知るには極めて重要である。その測定には河川周辺の老若男女の住民は参加することで、河川への周辺住民の関心が薄れないためにも重要な役割を担っている。ちなみにCODとは水質中の溶存炭素量濃度、河川流域からの炭素含有物質の流入量を推測できる指標でもある。炭素流入量の変動はそのまま河川の汚れを示すバロメーターとなる。

全国一斉水環境調査なので沖縄から北海道に到る重要河川での水質調査が、夏場に年に一度行われてきたのであるが、その規模は数千か所に及び参加するメンバーも半端な数ではなる。多摩川でも380ヶ所の地点での測定が行われている。

多摩川周辺放射能測定

2011.3.11ふくいち(東京電力福島第1発電所)の事故が起きて奥多摩での放射能濃度の高いことが報道され、奥多摩でのキノコを食することが禁じられて久しい。その後どうなったのかについての報道はないが、その後放射能測定が実施されていないことだと考える。多摩川周辺での放射能測定が本格的に実施されたことはない。強いて言えば、私が、RADEXの簡易型測定器を使って、小菅村から青梅、更に延長して小菅村から福島県いわき市に到る測定結果であるだろう。

明らかにふくいち事故以降の東北・関東・東海に到る放射線濃度は、事故以前よりもはるかに高くなっている。にもかかわらず、行政を含め、人々はあたかもふくいち事故以降散佚した放射能物質が消えてしまったかのような錯覚を抱いている。一度散佚した放射能物質は簡単に消失するものではない。極論すればその量の違いはあるにしても永遠に残存し続けるのである。

事故を起こしたふくいちでは未だに手のつけようがないほどの放射性物質が残存している。その放射性物質の量に比較すれば、その周辺の放射線量ははるかに少ないと言える。少ないと言っても無くなったわけではない。そのことをあたかも無くなったというのは政治的・経済的意図によることは見え見えであるが、それすら行政及び人々は口に出そうとはしない。逆にそれを口に出せば、口に出すことの方が異常者とレッテルを張られかねない。

私は2012.9月にふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクトを起ち上げてふくいち周辺の放射線量測定をこの数年間南相馬市を中心に継続してきた。しかし、このプロジェクトだけではふくいち事故が散佚させた放射能物質の実態は把握できないのみならず、むしろ放射能物質の散佚をふくいち周辺に限るという事実隠ぺいを拡散させたようにも思える。放射能物質の拡散という事実は、現在のようではないのだとはっきりさせるためにも多摩川周辺での放射能測定の必要性を感じるようになった。

環境放射線環境基準

法治国家であるはずの法がないがしろにされている事例はかってないと思うほどに、放射線量に対する環境基準無視は未だに続いている。国家の環境基準とは厳しいもので環境基準をクリアできなければ、企業では工場閉鎖すら必要に追い込まれる。それは今までの公害裁判で示されてきた現実である。勿論、測定におけるごまかしなどは日常差万事ではあるが、環境基準は守られてきたのである。

 放射線環境基準についていえば、環境基準としての放射線量はシーベルト単位で表示され、一般人が年間1mSv以上の放射線量を浴びることを禁止している。年間1ミリシーベルトとは1時間あたりで考えれば0.114マイクロシーベルトである。環境放射線とは人々の生活空間での放射線を表示するものであり、24時間、365日そうした放射線を被ばくすることを意味する。3.11事故が起こる以前、自然界の放射線は1時間当たり0.03マイクロシーベルトとも0.04マイクロシーベルトとも言われているが、環境基準ではその数倍の放射線量が加わると人への影響があるとして、放射線物質の放出を禁止しているのである。

この環境基準は国際機関でも認められたものである。ドイツではそれでは過小評価だとしてこの基準である年間被ばく量を0.5ミリシーベルトまで下げている。いわゆる環境基準は放射線が人の体に及ぼす影響を最小限に止めたいとした国及び国際機関の法令であり、当然国はもちろん地方行政自らが率先して守るべきものである。ただ、残念ながら、ふくいち周辺には継続的に放射線量を測定するモニタリングポストが数千設置されているが、ふくいちから遠く離れた地域ではその設置数は圧倒的に少ない。すなわち、環境基準が守られているか否かを判定する測定値すら存在しないのである。

しかも、モニタリングポストの数値すらが、環境放射線を表示しているかどうかが疑わしい。というのは環境放射線とは人々の生活空間での放射線量のことであり、その測定は一点のみの測定では到底実際値にほど遠い。少なくとも平面的な広がりを持った放射線測定が求められる。環境放射線測定には放射性物質からの放射線放出が数百mに達することを考慮しての測定マッピングが必要である。放射能物質の拡散はふくいちから遠く離れた東北、関東、東海まで達しており、その実体について報告されている例も多くあるが、ほとんどが知る人ぞ知るである。

人々の忘却と総合的な放射能測定とが競争するように思うのだが、私としては非力乍ら総合的な放射能測定を実施することを考えている、

以上  No.62    No.64