No.51 農産物と加工 2017年12月30日

加工品

農産物には加工が欠かせないが、農産物そのままの方がその地域の味、匂い、形などの特徴があって有難いと思うのだが、どうしてもコンニャクのように加工しなければならないものもある。それは保存のため、加工しなければ食べれないもの、加工によってより味、匂い、形がより特徴づけられるもの等がある。干し柿は保存食、コンニャクは加工して初めて食べられる。干し大根、干しシイタケなどは干すとその味が増す。勿論好き好きもあるが、農産物に加工は必須である。農産物は季節性があるので、年中食そうとすればその保存を考えるしかない。特に小菅村のように農産物の取れるタイミングが夏に集中するので、その保存は欠かせない。要するに農産物が取れない冬をどのように過ごすかの課題が優先する。

特に平地部では年中野菜に恵まれる場合が多いのであるが、小菅村では冬は寒さと凍土と野菜が育つ環境にはない。それでも高山植物などの味の良さは別格である。あの手この手と色々と農産物の加工が施される。勿論、ホウレンソウ、菊菜など寒さの中で育つし味が良い。

最近の農業では品種改良、工場野菜、ハウス栽培など年中野菜の供給が可能になり、お金さえ出せば得ることが出来る時代とはなっているがそれでは人が親しんできた食の感覚が失われる。いわゆる4季に感じる食物感覚は人の心を色々育んできたのであるが、果たして農産物のこの種の変動をどのようにとらえれば良いのであろうか。

人々が食を通じて感じる日々の感覚は人々の心を豊かにし、文学、芸術、学術などを作り出したと考えるのだが、この食の変化が齎す人々の心の変化はどのようなものになるのかについては予想がつかない。これも歴史実験の一つとして見守っていかなければならないのかもしれない。

ただ、小菅村では自然豊かな土地柄、食の加工は限られている。もともとあらゆる自然が保存されてきた中で食生活はその自然の本の一部の恵みを受けて居るに過ぎない。いわゆるほとんどが自然食である。

逆に都会ではこの自然食の感覚はほぼ失われており、食とは加工されたものとの感覚、それも食とは他の生命を育て、断つことの原点である筈だが、今はそれとはは程遠いところに追いやられてしまった。動物虐待を虐待と思わず、戦争を戦争と思わず、虐待と戦争があたかも当然のように受け止める感覚は私には考えられない時代感覚となった。

加工食品

ここでは自然食とは関係なくなった、工場野菜、ハウス野菜、更には品種改良等は無関係な食について考える。私の立場では小菅村の名産、コンニャクはその最高の傑作である。3年すればコンニャク芋として成長し、茹でて、灰でアクを取り、すりおろして、でんぷん部分のみを取り出す作業は、丁度大豆から豆腐を出来ると同じ工程である。ただ、残念ながら、私は見るだけでその経験はない。私の畑にも若干のコンニャク芋が植わっているのだが、何故か他の畑のような成長がない。きっとその栄養となる落ち葉などの積み込みが不足してるのであろう。小菅のコンニャク芋は3年で加工できるようになるが、群馬、栃木などでは1年とその成長は違うらしいと聞く。実際の考えでは時間をかけて育てばそれだけの味、匂い、形が整うものだ。小菅村での自慢のコンニャクである。

小菅の名産で蕎麦など雑穀は素晴らしい。雑穀類はそのままでの食も可能であるが、やはりそば粉にして茹でて食べるのが美味しい。そば粉の割合を繋ぎの小麦粉と混ぜて味比べをするのだが、小菅の場合には80%前後らしい。100%だと蕎麦としてのつなぎが難しい。昔、山形では100%蕎麦の名人にもお会いし食べさせてもらったり、名人には東京町田でUBA会長天野氏の家で蕎麦打ちをしてもらったりの経験もあるが、それはそれで美味しいものだ。このそばを食べれば精が付くとアーチェリーの合宿所にもなったという。

小菅村では各家庭がそれぞれ蕎麦打ちが出来てそれぞれの味を持っている。だから蕎麦が味わえるお店でも微妙にその味が異なる。今では原始村での蕎麦、小菅の湯での蕎麦が素晴らしく美味しい。ただ、小菅村での蕎麦生産は限られているので、山梨県が奨励するも生産が拡大しているようには思えない。蕎麦以外の雑穀もその生産量が限らえる。そう言えば、中国では餃子は各家庭で作るそうで餃子が作れないと一人前ではないと私の会社に研修に来ていた北京の中国人が話していて、立派な餃子を作ってくれた。その味は今も忘れられない。

最近経験させてもらったワサビ漬けも小菅村の各家庭を作るものらしい。小菅村には山間部からの谷川が多くその清水でワサビは育つ。逆に清水で無いと育ちにくいとも言われるが、清水のところは山奥深く、鹿、猪などの害を受ける。シカは葉っぱものを好み、猪はそこに育つ蟹を好むのでワサビだ田を荒らす。小菅村ではめっきりワサビ栽培が下火になっているようだ。ところで小菅村のワサビは流石に自慢だけあって結構高価である。それでも家庭ではこの高価なワサビをふんだんに使ってワサビ漬けを作る。ワサビ漬けは細かく刻んで塩でもみ、酒かすとを混ぜて寝かすという単純なものだ。ただ、この単純な作業にも家庭それぞれの流儀があるらしい。

ワサビ漬けは結構な加工食品ではあるが静岡のように大々的に売るほどは作られていない。それでも村人によれば小菅のワサビは自慢である。同じようなものに干し柿がある。干し柿は全国で加工されているので小菅村などが出る幕ではないのだが、小菅村には柿の木が多い。見れば桜の花が咲いたように柿の実で柿の木全体が真っ赤に染まる。絶対にもったいないと思うのだが、そのほとんどが鳥や猿の餌になる。私は子供の時にお袋が干し柿を作りために柿の木1本を買い取り柿もぎをさせられた記憶を思い出しながら、やはり小菅村でも干し柿つくりを毎年行う。知り合いの柿の木の柿を頂くことが多い。色々の家の柿の木が目立つのだが、村人によればそこの柿が小さく品も、味も、形も良いというので貰うことにしている。柿の木のオーナーが優しく柿採りを許してくれるので気持ちが良い。

私に家の前にも柿の木の大木がある。大木なので柿採りは厳しい。柿の木の持ち主もそこには住んでいないので許しを請うて柿採りを行う。持ち主は八王子に住んでいて柿採りは難しいし八王子では干し柿は難しいという。干し柿はある程度の乾燥気候が必要だ。ただ、柿を採るにもその作業は至難の技である。ほとんどが竿の届かない高いところ、大木なので気に登るわけにもいかない。梯子をかけて屋根に上るもなお届かないところにある。このところの柿は大きく、買えば1個数百円もしそうな品種である。要するに大木故に、鳥と猿のために育っているようなものだ。借りている畑の傍にも大きな柿の木がある。ここはほとんど手が出せないので、猿が食うのを見て居るしかない。もちろん、脅しをかけることが多いが居ない時にちゃっかり食い切っている。

小菅の名産として干し柿作りをやればと思うのだが、その見通しは暗い。量は十分と思うのだが、その手間暇が半端ではない。上野原の神社で銀杏拾いをやっていると主婦が来てさっさと銀杏をひろってこんなに採れたと自慢気だった。呆気に取られていると「私は女だから」と自慢げだった。その主婦はやはり、上野原で干し柿を作るのだが、皮むき器を使うらしい。ただ、小菅村で皮むき器を使うのを見たことがない。私は包丁で皮をむくのが得意である。それに比べ最近の子供たちはリンゴの皮むきさえできないという。柿の皮むきなどほとんど出来ないらしい。

大根は特に加工食品に適している。定番は切り干し大根だが、漬物も結構いける。干して付けるもの、生のまま付けるもの漬物もそれぞれの流儀があって、好き好きである。同じく白菜、キャベツも漬物が美味しい。漬物は保存食であるが、保存の仕方は難しい。ぬか漬け、塩漬け。私も色々試みるのだがまだまだその域には達していない。

最近は荏胡麻を作っているので、油にせよと注文が煩い。油を搾るとすればそれなりの投資が必要となる。私の得意とする分野ではないし、金感情が煩くなるのは好ましくない。それに荏胡麻油は酸化が早いと聞く。できればそのままが良い。菜種、ゴマ、ツバキ、オリーブ色々油の種があって、香り豊かな荏胡麻をわざわざ油にしなくてもと思う。

自然食品

出来れば食は自然のままが理想である。ただ、保存がほとんど聞かないのでそれなりの加工は必要である。保存の効くものとしては米や雑穀、加工しなくても十分保存が可能である。それにしても真空パックなど保存のための技術が発達しているが、保存剤を使うことなどは論外である。一般的に人間の食する物はほとんど生き物、生き物には寿命がある。そして生き物は弱肉強食というか循環生命、たとえバクテリアといえども他の生物を食とする。

従って、食は生命体の寿命に合わせての捕食関係が必要となる。ほとんどの野菜類は種を植えてから数ヶ月で成長を遂げ、その間でに食するしかない。それ以上の長期の食を期待するとすれば保存加工である。ただ、米、雑穀は別にして野菜でも根のもの、茎のもの、葉っぱものとでは生長期間が異なりその捕食時間も異なる。比較的根のもの、茎のもの類は保存が1年近くあるが、葉っぱ類は成長すると直ぐ花を咲かせたり、枯れていくので数か月が限界である。

それを補うためには年ごとの栽培を繰り返すわけであり、ほとんどが毎年植え付けられる。ただ、食には旬というか成長タイミングがあり、ほとんどが年一度の植え付け時期に規制される。ホウレンソウ、二十日大根のようにものによっては年に数回のさいばいが可能なものもあるが、基本的には年一回である。それは生長期間及び保存期間に関係する。

人の心

食生活は人の心を変える。人の遺伝子が戦争を好むように変形しつつあると聞いたことがあるが、そのように感じる時もある。メディアの流す食生活は肉食文化である。日本食がはやされると言いながらも、そこには巨大な魚料理が並べらっる。日本人が縄文時代採取文化に始まり、弥生時代農耕文化を主と期して以来の変化っが登場しているようだ。巨大魚クジラは駄目で、マグロが良いというように魚肉、獣肉文化が街道を歩いているようだ。

食は他の生命を断つことだと考えれば、食は最小限に控えるべきだ。特に肉食獣人類のイメージは返上したいものだ。子供たちがステーキに舌鼓を打つときに、彼らは将来どのような人類に育っていくのだろいうか。今までは、動物よりは植物、植物も成長を遂げたものを食するという文化があった。ところが肉食獣人類は肉は若いものの方が良いと、敢えて成長以前の食物、動物を食するようになった。

百姓は勿論だが、人々は育出た野菜や家畜を頂く。その生命を断つことを経験しながら、生命の哀れみ、生命の尊さを知っていく。もちろん、それを生業とする分業がその多くはこの生命を育て断つという経験から遠ざかっている。むしろ、最も人に近いという哺乳動物の捕食に関しては、食することすら禁じられたものだ。イスラム、仏教など特殊宗教が特定動物に対するその奇声を行っているものの、基本はそうした生命を尊ぶというよりも宗教的儀式によるものだ。

人が人肉を食うことを禁止ているものの、現状肉食獣化する人類が何時その味を喜ぶ時代が来ないとも言えない。かってベトナム戦争でベトナム人を殺して喜ぶアメリカ兵の姿が映し出されたことを悲劇としてとらえた時代があったが、今や人類は戦争する文化に慣れてきて、次は肉食獣化するように名rのではと危ぶむ。

この歴史変化を誰が止めることが出来るのだろうか。日本人の核アレルギーがあったという間に冷え切ったように今や核戦争は当然のように語られる。北朝鮮に核を持たせないとする裏には、核を持ちたいと追う要求をにじませている。むしろ北朝鮮での核開発はやらせ、マッチポンプのような気配すらある。

勿論、危機の煽りは軍需産業を潤し、かっていない景気を齎している。一度戦争で巨大な富を得た軍需産業がその味を忘れるはずがない。そのための北朝鮮機器、トランプ・金正恩は人形のようにその煽り役を務めている。その最も支援者である安倍こそはかっての日本軍国主義を夢ている輩である。

日本人は平和民族であるという気風はとっくに終わっており、日本人はユダヤ人と同じに死の商人であるレッテルは当然であるが、この日本人の心の変化は、日本人が肉文化に憧れていく戦後の食生活に影響されているのではと思う。日本時は非武装、日本列島は非武装という課題はとっくに無くなっている。それは政治の問題よりは文化の問題である。

 

日本人の精神構造がその食生活の変貌によって変化したのでは思う。

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