No.10 エゴマの話 20151216

 

◆エゴマ栽培

ある日、小菅村の女性議員が「これ植えないか」と10本余りのエゴマの苗をくれた。

ひょろひょろした苗でその成長を疑った。

確か、苗の名前も聞かなかった。

それでも頂いたものは何でも植えるのが私の農業政策だ。

特に小菅村の村人からもらったものは大切にする。

彼女も別の村人からもらったと言う。

その彼は、小菅村では唯一の文化人、かって診療所に来ていた中国医者から囲碁を習ったと言う。

私は、日頃、この人と囲碁を打ちたいと思っていた矢先である。

とは言うものの、彼女から苗をもらったときに、「何に使うの?」と聞いても知らないと言う。

確かにこの苗は、数ヶ月経っても目立った成長したようには見えなかった。

むしろ、周囲の雑草が生い茂る、この苗の後形も無い。

そして1年が経った。

まだ、雑草が生えないころ、1年前にもらった苗と同じ表情の雑草とは異なる草が育っていた。

それは一本ではなく、ところどころに生えている。

初めて、もらった苗が育ち、種が落ちて、成長したものと理解した。

私は嬉しかった。

私の狙いは雑草よりも強い野菜が育つことだ。

既に、ミニトマトやキュウリ、ウリボウでは証明済みである。

私は喜んで散らばって育っている苗を一箇所に植え替えた。

場所にして、数坪の苗を植えることが出来た。

このころには、これがエゴマであることの情報は仕入れていた。

 

一般論で言えば、ゴマと言えば、昔私の田舎でもゴマを作っていた。

そのゴマを「種屋」という店で油にするために母に言われて運ばされたものだ。

「種屋」と言うのは、後で高校時代に私の親友になり京大を出て直ぐに子供を残して死んで言った、Fの実家なのだが、当時中学生である私はその運命を知ることも無い。

ゴマよりは菜種についてもより沢山運ばされ、種が油を生むというイメージが出来上がっていた。

このエゴマの苗が育っていくと、その成長の早いことにまず驚いた。

もちろん、肥料を施したわけではない。

これも私の興味を募らした。

無肥料は農業としては最高の願いである。

その秋台風が吹き、大きくなったエゴマは実の重みで倒れてしまった。

それでも収穫しようとした矢先に、エゴマの中でちゅんちゅんという騒々しい鳥の鳴き声が聞こえる。

近くづとぱっとくもの巣のように一群の鳥が飛び立った。

電線が長い距離に黒く染まった。

更に近づくと更にもう一段が飛び立った。

すずめよりは小さい鳥たちだ。

その名前を知ることも無い。

きっと、渡り鳥だろう。

エゴマは見事、食い荒らされていたよう。

それでも少しは収穫できたであろうか。

それを青梅の自宅に持ち帰り、少しづつではあるが、籾を剥いだ。

この作業の困難さに遭遇し、あらゆる手を尽くしたが、これは誰も栽培しない筈だと感じた。

最終的に落ち着いたのは、小さなメッシュの網目の「とうし」を100金で揃えた。

実だけを取り出したものの、その料理方法を知ることも無い。

でもその香りの巣晴らしには惚れ込んだ。

少ないけれども、このエゴマを千葉に居る後のパートナーKのところに持ち込んだ。

 

私は、自分の家で消費する気もなく、全てを彼女に差し上げた。

3年目にして、エゴマの種は更に畑一面に広がった。

こぼれた種が、芽を吹き苗として育てなのだ。

この年のエゴマは鳥には食われなかった。

そして、このとき、エゴマのためではないが、青梅から小菅村への移住を決めた。

2011年3月11日の東日本大震災の次の年(2012年)である。

私の興味は、津波よりは東京電力福島第1原子力発電所(ふくいち)の事故、放射性物質拡散である。

移住計画、小菅村に福島の子供たちの保養所を作れないかと構想したのである。

そのために、千葉のパートナーに千葉を離れて小菅村に住んでもらうことにした。

私は、青梅のアパートを引き払い、南相馬に住所を移した。

この年のエゴマの成長は更に勢いを増した。

結構なエゴマの量だ。

このことも幸いして、次の年2012年には落穂ではないがエゴマのこぼれ種が畑一杯に芽を吹いた。

初夏にはジャガイモと平行して、エゴマを畑一杯に植えた。

それでも畑の面積が不足し、開墾に勢力を注いだ。

しかも、追い風が吹くように、小菅村役場で雑穀栽培に1反辺り3万円の補助金が出るというのだ。

私は開墾に力を入れた。

結果的に、村役場の職員が補助金査定の巻尺を持って畑を測りにきた。

 

何か、助成金目当ての開墾に心が痛んだ。

私はエゴマに惚れ込んだのだと弁解したかった。

結果的に入金された、助成金は1万円少しだった。

確かに1反以上はあると思ったのだが、私の心は萎えていた。

後で思ったことだが、開墾を続けていたので、役場の職員は再度測りにきた。

きっと、2度目の測定値だけが補助金対象として取り上げられたよう。

でも、このミスを取り上げる勇気は私には無い。

私は何のためにエゴマの栽培をしたのかと自問自答である。

更にもう1つの問題は、エゴマは雑穀である。

助成金は雑穀栽培に提供される。

ところが小菅村では、エゴマを植える人は少ない。

雑穀の主なものはソバ、キビ、トウモロコシ、ひえなどである。

最初に補助金を申し込んだときに担当者はエゴマが雑穀の対象とはなるかどうか戸惑った。

雑穀と認定されるのに1ヶ月は要しただろうか。

エゴマの栽培で最大の問題は、収穫作業である。

人の背丈より伸びたエゴマの木からエゴマを切り離す作業である。

とにかく、エゴマは実になり弾くタイミングが早い。

台風の影響を受けて、エゴマの気が倒れてしまったのも大きな誤算である。

パートナーの協力もあって、何とか収穫したものの、今度は実と籾殻の剥がしが困難を極める。

畑にあるときには、素晴らしく弾いて飛び出していた実が、実はなかなか籾殻から出てこないのだ。

これは湿りのためで、乾燥には相当の時間を必要とする。

天気の良い日に天日干し、何度もエゴマを入れたダンボール箱からの出し入れを要する。

籾殻の中には、小さなエゴマの実が数個入っている。

この実は実に軽く、籾殻から出るとちょっとした風で吹っ飛ぶ。

100金で得た「とうし」ではどうにもならないで、新たにカインズホームで新たな「とうし」を買った。

乾燥と「とうし」作業の格闘が数ヶ月続く。

小菅の人も昔はエゴマの栽培をやったようだ。

誰もが根をあげた。

ある人は「大きなタルでやったら」と。

ある人は、「やはり手で擦って実を出すのか」と。

挙句に「どうするの」「昔作っていたが諦めた」と。

エゴマは厄介者なのだ。

 

◆エゴマの販売

とにかく、エゴマブームが起きているようだ。

テレビで認知症に効くという報道があったからでもある。

幸いに3年目にして、エゴマの収穫は順調だった。

と言っても収穫が遅きに失し、エゴマが弾き畑の中に飛ぶ率が高かった。

去年、収穫したときには、枝を切り取っての収穫だった。

今年は収穫が遅くなり、畑に落ちたエゴマの穂を拾う率も高かった。

この作業は大いに反省を促した。

小さな実をつけた落穂はより多くの混ざった小石を拾うことにもなる。

後の精製作業に困難が伴う。

いずれにしても、3年目の作業では精製作業には一段と進歩があった。

昔を思い出しながら、乾燥作業を繰り返し、精製することの高効率性を見出した。

目の悪い私に代わってのパートナーKの働きも目を見張った。

予定した40L×40本の目的は達成されなかったものの、30本ほどは精製できたであろうか。

 

えごま販売にもっとも熱心だったのは、「栗ちゃん」というテキヤことイベント販売店である。

栗ちゃんとは小菅で製造している源流きらり販売以来の付き合いである。

彼は小菅の野菜を売りたいと「きらり野菜」と名乗って、私の畑の農作物を売ってくれるというものだ。

私の畑での野菜はそれこそ、ファジーだが、無農薬、無化学肥料いわゆる自然栽培である。

それが「きらり野菜」の特徴と言うのだ。

私の農園はパートナーKの名を取って「小林優子農園」と称して、彼女が製品化に勤しむと言うものだ。

ここに、生産と販売のタッグが成立した。

このタッグチームに加えて、小菅村には道の駅が出来た。

小菅産品を提供してくれと言うものだ。

「小林優子農園」で出来るものはファジーである。

ジャガイモはメインだが、ジャガイモは全ての村人が作っている。

ミニトマトとて、小菅村では雑草扱いだ。

彼女の知恵は、ノビル、キクの花、エゴマの葉、多岐に及んだ。

でも、不思議にも、彼女の知恵にいちゃもんが付いた。

無農薬・有機野菜には認定が必要と言うのだ。

認定を受けた農家だけが無農薬・有機野菜を名乗れると言うものだ。

私は、認定は受けていないが、生ごみ堆肥(小菅村の畑の素)と落ち葉だけが畑に投入している。

この話では、最近のテレビでJA有機肥料のイカサマ報道された。

いわゆる、認定する筈のJA有機肥料に不正があったのだ。

実に嘆かわしい世の中ではある。

小菅村には、年一回の大地の恵み祭がある。

そこでは、小菅産品が陳列される。

メインはキノコやヤマメ、そばのようだが、「小林優子農園」からは、ネギ、エゴマ、ジャガイモを出したが、散々な売れ行きだった。

とにかく「小林優子農園」はおすそ分けが多い。

隣近所もそうだが、親族への贈り物も多い。

とにかく、商品としては限られているものだ。

 

◆エゴマの商品化

農作物が商品化されて久しい。

どうしても米、麦はその最先端だ。

最近は雑穀ブームである。

雑穀としての商品販売の種類は多い。

これも栄養ブームのためかも知れない。

人々は、ロボットのようにテレビ、新聞に左右される。

栄養ブームはその類である。

蜂蜜が良いと言われれば、蜂蜜が、黒糖が良いと言われれば黒糖がブームとなるのだ。

いまはサプリメントの時代である。

こうした中で、野菜、果実類は確実に商品の流れに乗っている。

ところが、雑穀はまだ主食に対する補助食のようだ。

小菅村のような米や麦の取れない地域で、昔の人々は雑食が主食である。

特に広大な土地、肥沃な土地を持たない僻地の人々にとって、雑穀は貴重な食料である。

雑穀はそのままでは美味しくないが、ご飯に混ぜたりするとすごく美味である。

小菅村でも、雑穀学会という雑穀専門の先生が来て色々指導していた。

小菅村を中心とした、この山岳地帯では、雑穀は貴重だ。

それは、小菅村の主産品になるやとも期待したときがあった。

しかしながら、未だにそのタイミングは来ない。

こんなときに、私が偶然に植えたエゴマは例の福生の栗ちゃん、小菅村道の駅でも評判だった。

ただ、本格的に栽培しているのは私だけのようだ。

ただ、私は商品化を狙ったことでは無いことだけは確かである。

 

エゴマには、認知症に効くといわれる前に、誰でもが認知しているように、

1)素晴らしい香りである。

2)歯ごたえが良く、そのプチプチ感は忘れがたい。

ただ、栽培はやさしいが、その収穫、その精製、商品化は難しい。

3)余りに粒は小さく、重さは軽い。

4)乾けば弾くが、湿っていれば容易に籾を外せるものではない。

どうやら、先人はこの商品化は諦めたようだ。

ところが、青梅に住んでいるときに経験したことだが、イベントで雑穀学会の女史が福島産としてエゴマを売っていた。

そのときに感じたことは、すごく値の高い品物という印象だった。

福島産と言えば、放射能汚染だとぴんときた。

しかし、その女史は意に解していないようだった。

それでも、品物は売れていた。

現在、福島産ということで、福島での農作業者はすごく苦労している。

実は、福島だけの問題ではなく、ふくいちからばら撒かれた放射線物質は関東一円を覆っている。

もちろん、エゴマの問題だけは無い。

エゴマが放射能汚染されていない保証も無い。

小菅村は、関東でも秘境、ここまでは放射性物質は飛んで来れないだろうという安易な予測である。

放射性物質拡散による農作物汚染は深刻な問題である。

原子村の御用学者はその汚染の影響の少ないことを雄弁にしゃべり続ける。

逆に、放射線汚染の実態は未だに不正確である。

何処がどう悪いのだと説明しがたいが、その基本は3.11ふくいちカタストロフィ以前には、その汚染度は1/100とか1/1000とかのレベルであった。

当然、かってない放射線汚染が進んだことは事実である。

その影響は、長年の影響調査を見守るしかない。

言い換えれば、壮大なる人体実験を繰り返すことになる。

それ以外にふくいち周辺に残された人々にとっては道が無いようにも思える。

それは、福島の一部が辿る道ではなくて、ふくいち周辺の全ての人々が辿る道である。

現状、私は、放射線モニタリング以外の道を見出せていない。

まずは、ふくいちカタストロフィ以前と以後の比較を行なうことが重要である。

そして、この環境変化が何をもたらすのかを知る必要がある。

ふくいち周辺ということでは、私もまた、人体実験の対象物である。

ただ、私が人体実験の対象物であるとして、その影響をどのような方法で観察できるのかを知る術が無い。

 

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