No.5 小菅村の自然 2015/09/2

 

◆観光地としての小菅村

小菅村の観光の中心「小菅の湯」の入り口付近に「何もないけれどいい村」の看板がある。

私が古い友人を小菅村に誘うと「小菅村に行っても何も無い」と言う。

私の子供たちは「小菅村は遠い」と余り小菅村には来ない。

こうした私の周囲の状況にも関わらず、役場の人たちは小菅村を観光地として売り込んでいる。

かっての夢をもう一度と言うのだろうか。

 

旅館、キャンプ場がその夢を追いかける。

明らかに、小菅村には、素晴らしい山々があり、村の中を散歩するだけで潤いを感じる。

住むならば、24時間中、自然がわが身を包んでくれる。

山奥にある雄滝、白糸の滝、それらに代表される無数の滝に巡り合う。

鶴峠、松姫峠、今川峠それぞれに趣がある。

逆にそれを表現することの方が難しい

とにかく経験しないと分からないと言うのが実感である。

ただ、観光という概念に私には違和感があることは隠しようがない。

それは、農業自給自足でも触れたことだ。

 

果たして、観光がどの程度の経済性を有するのだろうか。

いわゆる、これは環境容量ならず観光容量の問題である。

あるとき、知り合いの健さんが開いた玉川キャンプ場でレゲエイベントを開いた。

多摩がキャンプ場は健さんがファミリーキャンプ場として、500人以上寝泊りできるバンガローがある。

健さんはそれを自分で全部作ったとは自慢話である。

ところが健さんの代から娘婿が経営する代となり、その経営方針も変ったようである。

そしてレゲエイベントが開かれた。

 

この手のイベントは小菅川に面した平山キャンプ場で開かれていたようだ。

ところが平山キャンプ場の丁度上部にある集落からのクレームがあった。

しかもそのイベントの質が悪く、よからぬ薬を飲むやからもあったという。

この種のイベントが小菅から無くなっていたようだ。

ところが玉川キャンプ場は集落の遠くの玉川に面したところである。

そのイベントの音が他集落に伝わることはない。

時には、1500人もの入場者があった。

それは小菅村人口の約2倍である。

これだけの余所者が小菅村に来ると、駐車場が満杯となる。

これは観光容量のひとつの例である。

 

通常は、500人前後のイベントが無理がないと言えそうだ。

源流祭りは、村の中心部池の尻のイベント運動広場で開かれる。

これは村上げてのイベントで、5000人~1万人の参加者を見込める。

大掛かりな道路封鎖、バス輸送と1年1回の大イベントとである。

この祭りの開催については色々意見が分かれているが、とにかくイベントの規模は村の盛衰を測るとも言われてきた。

 

祭りは、昔から観光ではなくて村人が日頃の苦労を労い、、疎遠を謝り、自然に感謝を前提としたものだ。

それでも村人(集落)一斉に共同事業で活気がある。

現在の観光はこれをも見世物にするようになった。

どちらが良いかは選択だが、観光が見世物化することには疑問が残る。

キャンプ場は余所者が来て楽しむことを基本とする。

ところで、その規模はどう見ても1箇所500人規模だ。

すなわち、農業で考えている自給自足のレベルである。

そして、余所者がその空き地で楽しむことは一種の交流事業である。

 

◆観光容量

豊かな自然、それは全国に散在する村(集落)風景である。

それら集落には、それぞれに特徴がある。

それぞれが交流するためには、この自然が特に役に立つ。

これを観光とする風習は貨幣経済の結果でしかない。

貨幣経済は、村(集落)の風習を壊していくその典型例が観光である。

観光で栄枯盛衰を繰る返す村々は限りない。

そんな中で限界集落も生まれる。

ただ、限界集落は非観光の結果である。

 

小菅村が、限界集落に近いというのは観光が廃れたという以外ない。

観光復興が小菅村の将来の姿とするならば、余りにその歴史を知らない。

500人規模のイベント集落があってもおかしくない。

環境容量の問題は、観光容量と少し意味が異なる。

環境容量は人々の生活体験から生まれる。

観光容量は人々の交流体験である。

 

小菅村に800人の人口があるならば、800人の交流は可能fである。

キャンプ村はその種の規模、その種の村行事のあり方を示す。

ただ、現状の貨幣経済の中、交流が対価を生むことは避けて通れない。

それが小菅村の経済に及ぼす影響も大きい。

ただし、その限界を認識しておくべきだ。

それが自然を破壊しないと言う前提である。

 

秘境、小菅村は絶滅種を含む動植物の宝庫である。

小菅村多摩山野草の主人はそれが3000種以上だと話していた。

私は小菅村の巨木・銘木を探したことがある。

巨木の探査は隣町の奥多磨町で実施され観光スポットとして宣伝されている。

銘木とは、巨木であること、花の咲くこと、古くから利用されてきたこと、立ち姿が美しいことなどと、八王子市役所の職員Sさんの話である。

Sさんとは色々縁があり、小菅村にも何度も来てもらいお世話になった。

彼は八王子市で、日本で始めての道路GISを作ったり、全国から桜を集めた庭園を作ったりのパイオニアでもある。

そして、銘木に値する山桜、鵬の木、桂、ケヤキ、ぶなの木が小菅村に散在することを確かめたことがある。

 

もう1つ、このことにちなんで、彼に教わった面白い話は小菅の山桜の育成だ。

桜の種を植えれば、苗が育ち、大木になる話である。

もちろん、大木になるには数百年を要する。

当然山桜ならではの話で、60年の寿命しか持たない同じ桜でも染井吉野の種類のものではない。

桜の原種とも言われる山桜は、鳥や川などに運ばれて皮をくだり平野部での繁殖を期待できる。

それが現在見られないのも不思議だが、復活したいという気持ちも当然である。

私は、種を植えて苗を育て、青梅などにばら撒いた。

残念ながら、その後の様子は伝わっていないが、苗は今でも立派に育ったものがある。

いわゆる、小菅に育つ原種ともいうべき動植物は小菅村での自然が保護されれば、上流から下流へと持ち運ばれるものである。

自然を壊さないとはこの種の循環を損なわないと言うことである。

観光容量とはこの自然の交流を示すのである。

もう1つの例として流行のトレイルランの話を示す。

 

小菅村でトレイルランをやりたいと話があった。

私はトレイルランが大勢のメンバーで絶滅種を踏みつけるのでは危惧した。

相手は、トレイルランに参加する人々は礼儀正しくそういうことはないという。

果たしてどうだろうか。

また、山野草が高く売れるというので、山から山野草を持ち帰る人が多いという。

困ったことだが、対策は内容である。

余所者だけとは言い難いが、様々な観光行事が行われる中で観光容量を推測することも重要な課題である。

 

◆小菅村の将来

小菅村に、近い将来カタストロフィが訪れるとは誰も予想できない。

既に、全国でも、自然豊かな小菅村が、現状を継承して推移していくことは予想できる。

そして、現状の継承とは、高齢化、人口減少、自給自足である。

いつか、小菅村の絶滅ということも考えられないわけでもない。

人口ゼロから始った小菅村が、人口3000人の村となり、今また800人の村へと変遷してきた流れを見ると、今後の小菅村のあり方を議論しておく必要がある。

 

私が小菅村に来た1年目の時だが、ボランティアで村人総出で村の清掃活動が毎年行われているがそれに参加した。

参加したグループは道路沿いにもみじの木を植えることだった。

ある老人が、「このもみじが大きくなるころ、自分が居ない」と漏らした。

この言葉が当然のように受け止められる村人の共同作業、私の今でも原点である。

私が、青梅市長選挙で、溝江候補を擁立して戦ったとき「おうめ100年ビジョン具現化委員会」とした政治団体を立ち上げたのは、ここからきている。

 

ふくいちカタストロフィ後の100年が重要な意味を持つこともやはり、この種のタイムスケジュールのことだ。

小菅村で100年の計を描くことはすごく重要なのである。

そのときに考えられるのは、自然であり、自給自足であり、人々の生活設計である。

800人の交流人口を想定するならば、それだけの自給自足圏の規模も広がる。

逆に8000人の観光客を呼び寄せようとすれば、自給自足圏は想像できないであろう。

これは来るべきカタストロフィの到来に備えての原理原則である。

私も存在しない100年後の小菅村を想像することは、もみじの植樹の際に老人がふと漏らした言葉である。

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