No.22 種  2016925

 

荏胡麻の種

荏胡麻の種の保存については源流小菅村農作業通信 No.13で書いた。このときには意識してないが、種については重大な問題が山積している。とにかく荏胡麻の種は小菅村では数世代を維持した。

ところが、「荏胡麻の落穂では世代がうまく育たない」との村の年寄りNさんからの助言があった。その時には、「私の畑では十分育っていますよ」と反論はしたものの、この問題は疎かには出来ない。

私の信頼できるお百姓さんAさんは私のパートナーが「落穂から荏胡麻から育てている」と話した時に「荏胡麻の落穂では荏胡麻が育たないという年寄りの話もあてにならないこともある」と言われたとの報告があった。

 

私が耕す畑は実は健さんの奥さんの実家の畑であるが、その奥さんが「荏胡麻を種から育てる」というので「落穂で十分育つよ」と話すと、それでも「私は種から育てる」と反論された。

その後彼女が荏胡麻の苗が欲しいと言うので落ち穂から育てた苗を渡した。当時は日照りが激しく荏胡麻がどのように育ったかを教えてもらっていない。

私の住む集落の寄り合いでも尊敬するおじいさんNさんは「どうも落穂からだと収穫した荏胡麻にカラスが多い」と言われた。

最近収穫した荏胡麻を小菅の道の駅に出すために袋詰めの作業をこの数か月以上を行っている。私にとって袋詰めは初めての作業だが、やはり荏胡麻のカラスが多いような気がする。最初は雑草等が繁茂してその結果雑草の種とか石とが混ざりやすかったこともあると考えてみたが少し反省を始めている。

 

確かに荏胡麻のカラスの割合が多いのではと思うようになった。少しは冷静に荏胡麻の見分けができるようになったこともあるがカラスの多いことは気になる。すでに今年の荏胡麻も成長し蕾を持ち始めた。今年は昨年以上に落穂から育った荏胡麻の苗が多かった。結果がどうかはこれからだが、要するに植物の栽培には種の問題が重大問題だ。

より良い植物を育てるには種の選択は避けれない。果たしてそうかと疑うこともあるが人類の歴史は自然淘汰の種の選択は不可避だ。

生命を預かる者にとって種の選択は無条件ではない。生命の尊さは種を選択してはならない。人類(人の命)にとってはそれは原理原則である。荏胡麻の落穂による成育もそれに基づく。私の畑作はほとんどそれに近い原理原則を貫こうとしている。もちろん、雑草、害虫など問題は多い。

 

小菅野菜

小菅で代々育っている野菜は小菅野菜だ。小菅の土、気候に合うように代々野菜の種を採取し次年度にそれを撒いて育てる。それは私が知るだけでもキュウリ、トウモロコシ、ジャガイモ、サトイモ、ホウレンソウ、ネギ、ミニトマト、ソバ、コンニャクなどなど。

私の畑ではネギ、ミニトマト、ジャガイモ、エゴマ、ヤーコン、トウモロコシなどを育ててきた。少なくとも数年以上を育てているのだ。勿論全部が全部うまくいっているとは言えないがその努力はしている。もちろん雑草などは小菅固有の種が沢山あるに違いない。

数千種と言われる小菅の種の数は異常に多い。それは小菅が多様性のまま孤立状態で維持されてきた証でもある。

当然、孤立した地域が持つ宿命であるが、最近には外来種も多くなり小菅の種が外来種にとって代われる兆候があるようだ。小菅が解放されるというメリットデメリット、どのように考えるかは今後の課題である。

日本列島どこにもこうした地域は存在する。それぞれに地域を生かした地域づくりがみられる。そして、それぞれの固有名詞が特産として用いられる。逆に外来種の侵入はこの多様性を破壊する。

問題は、この固有の地域野菜の普及が地域を超えて広がることだ。すでに地域の広がりは北海道、東北など広い範囲での地域野菜となり、それは大量生産、大量販売のメカニズムが出来上がっている。

既に地域野菜ではなく工場野菜なのだがそれはどう処理されるべきか。大規模農場が常識になる中、地域野菜の運命はどうあるべきか。

 

基本は自給自足という次なる原理原則である。その実現には地域野菜は欠かせない。余裕があれば拡販する。余裕がなければ補う方法を見つける。

例えば、小菅村では日本人の主食であるコメが収穫できない。戦後一時栽培されたことがあるが今は行われていない。私の育てようとしたがギブアップ。チャレンジはしたが現状では無理である。他の野菜であれば村内での交換も可能であるがコメだけは難しい。地域を超えての交換は必要である。この種の問題は多々ある。これを貨幣経済に頼れば大量生産に依存するがそれは地域の広がりでどこまでカバーできるかである。今後の課題である。

とにかく地域野菜の芽は失われていない。その特性を生かし地域交流を増やせば解決する問題である。地域交流は物質の交流以前に人的交流である。物質交流を先行させることで物流への偏向が起きる。あくまでも人的交流を前提とした物流であることが地域野菜の原点である。

 

小菅名産

小菅には名産品がある。小菅野菜は基本的には自給自足の結果であるが、名産品は交換経済を意識したものだ。どうしてもそこには物流への偏向が起きる。例えば、小菅名産はヤマメ、コンニャク、ワサビ、木材、木炭である。かっては麻、生糸などもあったらしい。

ところで名産と言えば地域を超えての物流であるが、大量生産が欠かせない。そのことによる歪みが小菅村にも起きている。

例えばヤマメは大量養殖しようとすれば水が足りなくなる。麻、生糸、ワサビも大量生産すれば山肌を荒らさねばならない。木炭、木材もその生産量は限られる。名産に特化するにしても自給自足の原則から大きく外れることは無理である。

小菅ではこの種の偏向が小菅の財産である山を荒らしてしまったと言われている。それは小菅の自給自足原理原則以上のものを期待したがためである。当然、これは小菅村の環境容量の問題である。必要以上に人口を増やせば自然破壊は免れない。その次は自給自足の破壊である。自給自足を維持するための最低限の自然の確保が必要となる。

勿論狼の居た時代、熊やタカが生息する自然の確保。小菅のだけの問題ではないが、その理想に向かうベクトルの維持が必要である。

幸いに小菅村では人口が数千人規模から数百人規模に減り、荒れ地が増え、自然の豊かさが取り戻しつつある。一時的に増えた土木業、ヤマメ養殖、桑畑、麻畑、旅館などの縮小が目立つ。勿論、それを増やしたいとするベクトルもある。それは将来に向けての選択課題であるが、自給自足を前提としたベクトルは維持したいものである。

小菅名産は自給自足を大幅に超えては成り立たない。もちろん改良点はあるに違いないがそれは知恵の拡大である。ヤマメ養殖に成功した酒井養魚所オーナーではないが1つの工夫が自給自足範囲を拡張する。

私は荏胡麻が小菅名産になるのではと期待する。それは小菅野菜の延長線上にあるからだ。

 

種の選択

種とは土地に沿ったものだ。種をどこからでも持ってこられるものではない。私は出かけるたびに適当に種を買い、畑に植えてみる。ほとんどが失敗である。

流石に小菅野菜という種には失敗はない。もちろん小菅野菜は毎年種を保存する作業が伴う。私はそれが十分でないというよりはその種のノウハウが不足しているので、貰った種を育てる。それでも失敗すると次に貰うには勇気がいる。

小菅産のトウモロコシ、ジャガイモは素晴らしい。でも私は種を残すことに失敗し現在は種を買うしかない。

最近、小菅野菜のネギの種を貰った。多かったので畑中に撒き「ほかの野菜が植えられないのでは」と笑われた。小菅地ネギは私が小菅の畑を耕したころから隣の畑のおばさん(実は私の借地の所有者)が「このネギは何もしないで何年も大きく育ってきた」と自慢していたものだ。

その時にはその話に刺激されて畑に散らばったネギ苗を集めては植えたものだが長続きをしなかった。それが今年は畑いっぱいに植えた苗が育ち始め、すでに二代目の種も蒔き苗が育っている。小菅野菜の本領だ。ミニトマト、荏胡麻に続く小菅野菜になればと期待する。

話は替るが昨年オクラが大量に採れた。これ幸いと種を採取し今年に備えたが全然育たなかった。栽培の方法も悪かったようだ。逆にゴーヤの方は見事採取した種が芽を出し今年はゴーヤ三昧だった。

いずれにしても採取した種よりはこぼれた種が育つのを理想とするが、成功したのは現状荏胡麻とミニトマトぐらいだろうか。

種を買っている以上は小菅野菜とは言えない。小菅野菜は自然循環となるのが原則だ。これに反して買ってくる種には品種加工など自然循環を壊したものが多いと言われる。聞いた話によればバイオ産業がこうした種を率先して作っているようだ。例えばジャガイモなどは地元の種イモでは厳しいと言う村人もいる。だから毎年種を買うという交換経済の渦中に嵌る。

 

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