No.33 ジャガイモ  2017228

 

小菅村のジャガイモの味は抜群である。誰もがそのように話す。品種の問題ではなさそうだ。

その1はしまった味である。煮崩れしないこともあるがどのような料理でもほくほく感が伝わる。いわゆるジャガイモの味というものだ。

その2はジャガイモ特有の締まりである。甘みが維持されているというかジャガイモ特有のこくというものだ。

ところで小菅の人はジャガイモを栽培する場合に主として男爵を好む。ジャガイモは男爵北海道がブランドである。確かに男爵は焼いても蒸してもほくほくジャガイモらしい。ただ、市販のものだと煮崩れがしてジャガイモの体を為さないが小菅村の産だとそうはならない。

逆に小菅村の人はメーンクインを嫌う。メーンクインは煮ても煮崩れしないがその味は硬さが残る。青梅ではメーンクインが美味しいと育てていた夫婦が居た。最近奥さんが亡くなり続いて旦那もなくなったのだが、生前にはジャガイモ、インゲン、梅干しなどいろいろ頂いた。色々とお世話になった間柄だったがメークインというとこの夫婦を思い出す。

3.11で福島産が放射線汚染で嫌われるようになったときに風評被害を無くそうと福島いわきから取り寄せ横浜で販売しようとしたたジャガイモもメークインだった。最近はキタアカリ、アンデスレッドを植え付けしているがどちらもメークインと男爵の間の味がする。

昔小菅村の最も西側に位置する長作集落の知り合いが山のウエイにある倉庫に真っ赤なジャガイモを貯蔵して興味を持ったことがある。それはアンデスレッドであるが、今は多くの家で栽培しているようだ。去年から知り合いから貰った小菅でしか栽培しないフジシュを植えている。モッタリとした粘りのある品種で味が良い。男爵よりもほくほくしている割には粘り気がありその色は白い。

 

今日のテレビでは檜原村の特産がジャガイモだと言い、フジシュと同じジャガイモを栽培していた。キタアカリ、アンデスレッドともに発育が良く、連作を嫌うこともないので栽培しやすい。隣の畑でもキタアカリが豊作だと話していた。両者に味の違いもなく小菅村に適しているかと思っていたのだが、その保存が難しいことが分かった。種を買いに行くとアンデスレッドの種が高いことに気が付いた。村人に植えてみないかと小菅村伝統のフジシュはその色白、モッタリ感、絶対に育てたいと思ったがその種を残すのに失敗した。1年目は段ボールひと箱を貰い植え付けしたが2年目に残すのに失敗した。数少ない種イモを植えてみたが更に形が小さく種イモとして残すのが困難となった。これはどこも販売していないので是非に植えたいのだが悩ましいところだ。

小菅特有のジャガイモということで小菅のジャガイモを売りたいという栗ちゃんにも評判なのだが。メークウインも男爵も連作を嫌うので畑の管理が難しい。特にメークインには苦労する。種イモで芽を出さないのが増え育ちも悪い。男爵も同じように振舞う。小菅の人が言うには種イモは地のものでなく買ってくるに限ると言われて実行しているが、要するにキタアカリ、アンデスレッドにみられる成長がない。ジャガイモの栽培には植えるタイミング、土種、水気、肥料等色々要素が重なる。小菅の人々はそれを頑なに守っていて旨く栽培しているように思える。

 

成長

ジャガイモは2月中旬から3月にかけて植えるものだと言われている。私が早めの植え付けをやると早いねと村人から注意を受けることもある。それは早いと霜でせっかく出てきたジャガイモの葉っぱが枯れてしまう。逆に遅いとジャガイモが成育しないうちに花が咲き葉が枯れて行く。実際にタイミングの取り方は難しい。

鷹揚な私の欠点であるが、全て適当に私の都合に合わせてジャガイモを植えて行く。心配はするが結果を見るまでが楽しい。何事もそうだが種が大切だと言われている。種が悪いとその子供も悪いと。人間界ではそのことは差別だとして排除されている事柄だが、野菜や家畜の栽培ではそれが許されない。

この大矛盾について何時も悩む。だから、私はジャガイモの栽培でもできる限り畑で育ったジャガイモを植えることにしている。特に小さいジャガイモは小さいジャガイモしか育たない。いわゆる農業では間引きが当然のように行われているのだが、果たしてそれは遺伝子的に大丈夫なのだろうか。

遺伝子操作が可能になった農業問題、食することで人の遺伝子は形成される。疑問だらけの生命の問題であるが地球上で多様化に向かって更に進化していくであろう生命体に対する基本的な原理が確立していないのではと思う。

進化の原理は突然変異に基づく。平等の原理は種に対する絶対的不可侵である。この両者は自然の摂理という逃げ道を持ってきた。ところが自然の摂理を生む自然が自然で無くなった今の時代に新たな原理の確立が必要となりそうだ。

 

「実践性が実証性を伴わない時の防御」とは、生命体が生命体で無くなるすなわち実証性不可能になることを意識した時の自己防衛について、自死しかないのかどうかである。

自死は防衛ではないし生命放棄であるので当然生きることを辞める行為である。人だけに許された行為だという人も居るが、何故人が生命体の中で特別扱いされなければならないのか。

「私は深海の貝になりたい」は名セリフであるが、「私は死を受け入れないで永遠に生き続ける」ことも大切であると考える。それは生命体である限り生命体を守り、生命体の原型を維持する。

生命体の原型を維持するとは、遺伝子操作、IPS細胞製造、人工臓器、人工授精、人工中絶、自死否定等の拒否に繋がる。これらのことも生きることの戦いであるのだ。

 

収穫

ジャガイモ栽培で困るのは猿、猪などによる荒らしである。特に収穫時の荒らしはそれなりに許せるのだが、まだ未成熟な段階での荒らしは怒りさえ覚える。収穫時であればそれなりのジャガイモの量があるが未成熟であると餌にもならない。それに集団となると若猿などは食よりも遊びに嵩じる。未成熟時であると畑全体が荒らされる。

そんなことが数度あった。収穫時であると荒らされる範囲は限られる。とにかく数十匹もの猿が畑を襲うと半端な荒らしでは済まない。有害駆除への期待が膨らむ。もちろん、山の生き物が人間のために餌場を荒らされていることは重々承知のことであるが、共存共栄が成り立たないのが現実である。

その1は猿、猪などの繁殖率の大きいことである。猿はそのまま成長すると一挙に群れを分裂させながら繁殖する。猪も一度に数頭は生むのでその繁殖は大きい。本来は共存共栄の原則があり、それなら人の作ったものも御裾分けと行きたいところだがそのようには均衡がとれない。

いずれにしても収穫を穏便に済ませるには獣対策が優先する。電気柵、ネット、罠などいろいろアイデアはあるもののお金も労力もかなりのものである。現状は犬を畑に繋いで防衛しているが、犬のエサ代とて半端ではない。何よりも犬の質も問題だ。私の家の犬のように猿に脅される犬には限界がある。

共存共栄の原則はやはり環境容量の算定が必要である。それは自然淘汰では必然的にバランスのとれたもの、もしくはあるべき姿になるものと期待するものだが、一度壊れたバランスの回復は難しい。再度生命体の多様性が気になる。

 

二毛作

戦前には夏場稲作、冬場麦作が普通であった。南の方では稲作が二度三度作れるのでこれも二毛作である。小菅村では冬は作物が育たない。短い夏に二毛作を実現するには難しい。それでも畑の有効利用は重要だ。成長が早い、ジャガイモと白菜や大根などを栽培するのをよく見かける。小林農園ではジャガイモと荏胡麻の二毛作を実現して三年目になる。ちょうど入れ替わるので冬の雪が降る前ぎりぎりで畑を利用できる。かつ、荏胡麻の株がしっかりしているので、その株を砂の流れ留防止に使えることが初めて分かった。

昨年までは荏胡麻の茎や株、殻までもが畑の肥料として成り立つことを知り、その効果を知った。更に今年は斜面での土が雨風で流れるすべが無い。土に石を交わらされていることで作業能率は落ちるが土は維持される。山は草木の落ち葉や根っこで土が流れ落ちるのを防いでいるが、農業地ではそうも行かない。初めて小菅村に来た時にこの問題に解決の糸口は無かった。ジャガイモと荏胡麻を組合することで新たな解決策を発見したようだ。それは二毛作にこだわることから始まった。次には三毛作へのこだわりが始まる。

 

保存

ジャガイモの保存は難しい。保存の仕方、温度管理、湿度管理などいろいろあると思うが、ジャガイモは収穫後一定の時間を経ると目を出すためである。ジャガイモの種類によっては芽を出すのが遅いのと早いのとはあるが全体としてみれば50100歩である。食用のジャガイモはこの芽が出るのを薬剤で止めているので植え付けの時期が来ても芽が出ない。勿論目が出たジャガイモの味は良くない。ただ、この薬剤が何であるかを知らないし知る必要もない。現状ではジャガイモは自給自足が可能であるからだ。おすそ分けさえ可能である。ジャガイモにも荏胡麻のような自然がママの生命の循環が回復することを願うのみである。ジャガイモにもいろいろの種類があり、早生、奥手などいろいろであり、買ってきた種にもその差は微妙に大きい。今回は種イモとして店先に並んでいる全部の種類を買ってみた。これは二度目の正直ともいえる。以前にも試みたことがあるが何種類かは芽も出ないものがあった。男爵、キタアカリ、メークイン、アンデスレッドは何時もの種類だが、今回は更にホッカイアカリなど数種類を植えることにした。どうなるかが楽しみだ。芽が出ている順番に作付けをしている。キタアカリだけがまだ芽が出ていないのでまだ植えていないが芽が出れば作付けする積りでいる。

 

畑の土

既に記述したが小菅村の人々は畑の土を大切にする。ジャガイモを植える際には、大量の落ち葉を畑に埋め込む、私のように自動車無し、持ち無しではこの作業は旨く行かない。代わりに村役場が製造している生ごみとおが屑を混ぜて発酵させた畑の素という土壌改良材を畑に埋め込む。ジャガイモは酸性を嫌うというので石灰を撒いた。最初は石灰も化学肥料であるので躊躇したが背に腹代えられず一度は撒いた。ただ、粉状のものを撒いたので大変な作業であるので直ぐ読めた。今年は腰痛とかで放射線モニタリングが疎かになり、逆に時間的余裕が出来たので石灰を撒くことにした。前回の作業に懲りて今回は粉状の石灰を撒き今のところ準用である。更に新たな工夫として雨風で斜面急な土が流れないように畑の中に何本もの溝を掘りそこに荏胡麻の枝や雑草などを埋め込みかつエゴマの株を残しておいた。全て新たな試み、収穫が楽しみである。作物を大量に収穫するには化学肥料は欠かせない。茎を作るには硫安、実を実らせるリン酸塩などが必要だが、それら植物の栄養素は山から流れ出る栄養素に任せる。勿論畑の素は生ごみを今夕しているのでほとんどの栄養素は含んでいる筈だ。土を肥やすのに最大の役割は野鳥どもだ。渡り鳥が来ると畑が一気に臭くなる。彼らが糞を残していくからだ。二毛作としての荏胡麻の栽培はこうした野鳥を呼び寄せて畑を太らせる。栄養素たっぷりだ。

 

雑草

野菜にとっての雑草は最大の難関だ。雑草が生えないようでは野菜は育たないというのが村人の名言だが、ジャガイモの畑の世話は広く育つには期間も長い。それだけ雑草も茂るものである。石川啄木ではないが、雑草は除去しても除去しても生えてくる。土が畑から流れ出すように、雑草も雨風や土の流れで周囲から当該の畑に押し寄せてくる。勿論、エゴマやミニトマトのように雑草のように育ってくれる野菜もあるが同じことがスギナなど雑草にも言える。

彼らは根を張り種を落とし冬には冬眠し春には目を覚まして這いあがってくる。その他多くは雨風や土の流れで周囲から運ばれてくるものが多い。スギナなどは深く根を張りその除去は大変である。今年溝を掘ったのは土の流れ防止であるがスギナ対策でもある。溝を掘れば深いトロころまで根を這ったスギナをその溝の部分だけでも除去できる。

その他大勢の雑草は芽を出すのを待って手で抜くしかない。次々と当たらな雑草が目を出してくる。それらの雑草の名をほとんど知らない。知っているのはタンポポだけだろうか。雑草ではないが、木の根っこも相当の悪だ。畑にはお茶の木、桑の木が植えた跡があり、彼らからの根っこが畑に進出する。竹やぶが近くにあるのでその根っこも煩い。最も煩いのはカヤである。カヤは畑をホウチスレバ真っ先に生えてきて根を張る。もちろんカヤと言えども雨風でも運ばれるのだろう。

 

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