No.31 寒気と寒波  2017131

 

◆寒波

寒気と寒波とは違うのはただ寒気団の居座り具合だそうだ。居座りが長くなるにしたが、大寒波、超寒波というふうに言い方が変わるというのだが、その基準を知っているわけではない。

小菅村では11月に初雪、今月1月に2回目の降雪、降雪量はほぼ20cmと同じ量である。ちょうど私が初めて小菅村に移住した頃にこうした降雪があった。

最初は良く降る地域であるとの印象があり、そのため雪の中を色々探索したものだ。雪景色は私に必要以上の好奇心を与えた。その中で最も印象的だったのが白沢集落から井狩集落に抜ける作の宮という山道だった。

その山道は通り抜けて行くつもりが途中までしか入れなかったのだが逆に興味を持つ出来事があった。白沢集落の人に聞いたところその道は抜け道であることが分かった。どこまで行けるかと興味が湧いて歩きだしたが、実際に積雪が多く直ぐに長靴がすっぽり入ってしまうので先に進むことを断念せざるを得なかった。

ところがしばらく行くと雪上に無数の足跡があり、足跡が何物によるかは想像もつかなかったがこの山道が想像以上に深いことを理解した。その後もこの山道には話題が多い。

その1は女性ドライバーが雪の日に通り抜けようとして断念した話だ。

普段ならば通り抜ける道も雪が積もれはタイヤのスリップで無理である。そこで村人に応援を頼みよいしょする話である。微笑ましい話であるし、このようなことは一度に限らない。

その2は急坂なのでバイクでも登れないことがある。私などは何度も途中まで上がってきても上がれないのを判断して回り道をすることが多々ある。ちょうど作の宮の山道は国道319号線と県道のバイパスとなっているので回り道は意外と遠い。それに作の宮の山道は小菅で有名な三つ子山の麓にあって人通りの少ないところである。いわゆる獣の遊ぶ場所でもあるので一人歩くのには勇気がいる。それでも夜間近道なのでこの道を使うことは多い。もちろん30分程度の道のりだが自動車に会うことはほとんどないし通行する人に出会うこともない。

でも私はこの道が冬でも夏でも好きである。寒波だ大雪だと言うとこの道を思い出す。

 

◆大雪

1昨年には1mクラスの積雪があり大変な思いをしたことがある。私の借りている家はこの種の大雪を想定していない。雪国だと屋根から雪が滑り落ちるように屋根の傾斜は鋭く狭い。

ところが私の住んでいる家の屋根は緩やかでかつ広い。やはり一昨年の大雪では屋根が壊れた。それに屋根に積もった雪が大量なのでその雪が1階窓を埋め尽くすほどだ。

たまたま軒下に飼っていた二匹の犬が落ちてきた雪で埋められてしまった。一匹は何とか引き上げたが一匹は雪の中に埋もれたままであった。周囲の雪を搔きわけるのも一苦労、犬たちにとってはとんだ災難だった。

今年は20cm程度の積雪が二度続いている。20cmの積雪でも庭から国道までに道をつけるのが大変である。昨年は腰の痛みあって大変な苦労。今年は今年で風をひいて寝込んだもので体力がおぼつかない。雪かきを二回に分けてやろうと思ったら、隣の家の夫婦が私の家の周りを除雪してくれた。阿吽の呼吸である。

それでも畑の斜面に繋いである犬までの道のりは遠い。畑では長靴がすっぽりと入ってしまう。幸いに畑の土でも日当たりの良いところでは午後には雪は解けている。間を縫って餌を与えに行くのであるが、結構リスクの大きい作業だ。既に私は2階も転倒した。もちろん、犬たちはますます元気そのものである。 

この数年は小菅村も大雪に見舞われている。年寄り世帯の多いのでお助けマンは必要である。実は私も相当の年寄りだが、まだまだという気合がある。

大雪で困るのは庭の木々である。つつじなど地面に這う庭木などはどうしようもない。私が住んでいる家の庭は広く庭木も多い。既に3年を経ているので庭木の手入れはずっとうまくなった。20cm程度の雪ではへこたれない。

 

◆空っ風

小菅村は多摩川に注ぐ小菅川沿いに集落が散在している。したがって、山から吹き下ろす風は半端ではない。

今日畑に出るとその空っ風に見舞われた。急に曇り空になり辺りが暗くなり風が強く吹き始めた。斜面にある畑には立っていられないぐらいだ。流石に元気者の犬さえ戸惑っている風だ。それに空気が嫌に冷たい。山には雪が十分残っているのでその風は冷たい。今日は寒波到来と聞いてはいたがいざとなると結構厳しい。

昨年は畑の斜面に置いた荏胡麻の実の入った1トン入りのフレコンバック4個が風に飛ばされて遠く下まで転げ落ちた。腰が痛いのにそれを引き上げる苦労は大変なことだった。

今年は早めにフレコンバックを家まで下しておいたのでその苦労はしてないが、風の強い日は荏胡麻に関わる作業は出来ない。雪があるので風は強いが落ち葉が巻き飛ばされることはない。陽が当たり風さえ無ければ小菅の冬は極楽だ。

日当たりの強さは半端ではない。ましてや畑の斜面は絶好の陽だまり。風があっても陽さえ出ていればワン公たちは絶好の日向ぼっこを楽しむ。三つ子山は風よけ地蔵のように小菅村のど真ん中にでんと控える。台風の時には特に役立つ。

ところが余沢集落と違い三つ子山を離れた金風呂集落の風の強さは半端ではない。昔経験したことだが外に出しておいた箪笥が吹き飛ばされる。

 

◆凍土

凍土とはシベリアの言葉だが、小菅村でも凍土の季節がやってくる。表面の土は朝霜、昼間溶け、夜間にそれが凍る。雨や雪などが多い時にはその雪水が深く浸透する。その水が氷るので表面はさらさら土でも鍬やスコッチなどを入れると固い凍土にぶつかる。そこはスコップでも歯が立たない。

小菅村での冬は畑仕事が出来ない。雪解けの季節を待つしかない。畑には木陰は未だに雪が解けないでいる。山の白さはそのためだ。

思い出すのは月での生活。月に人間が住むようになると、灼熱の夏と極寒の冬とをどう耐えるかの問題だ。地球には空気があって、その極端さを和らげているのだが、空気が薄いとその緩和作業がない。

空気は地球の引力で地球を覆うように取り巻く。地球よりも小さな月ではそれが出来ないのだ。火星には空気があると言う。空気があって水があれば、地球と同じ現象が期待できる。月よりは住みやすというのが定説だ。

小菅村での生活と月や火星での生活を比べることは面白い。人が地球上でどのように生き耐えていくかである。科学の進歩はこの人の耐乏生活を和らげている。

しかしこうした緩和策が人の体を軟にし気候の変化に耐えにくくする。地球とてこうした気候変動が襲う可能性がある。既に恐竜時代を経験している生物はこの極端な気候変更を経験している。

人類が初めて経験する極端な気候変動は近づいているようにも思える。小菅での生活はそうした気候変動のイロハを教えてくれる。地球上にはこうした極端な気象を経験できる地域が多い。エベレストやシベリア奥地、そうした地域で生活する人々には地球変動に耐えるノウハウが備わっている。小菅村がそうした地域ではないが小菅村にはそれに類した厳しさはある。

 

◆小鳥

冬に庭に来る小鳥の番が居る。鳴かないので何の鳥だか分からないが実に可愛い。特に積雪の上をちょちょろするのが良い。枯れ木を渡り歩く姿も良い。ただじっとしていないので定かに見つめることは出来ないがやはり素早い。それだけ生命力があるようだ。特に我が家の猫の一匹がこの鳥を狙うことがある。

数か月前に彼は鳥を捕らえ食べていたことがある。ネズミも良く取るが偶には鳥を捕る。私は小鳥が襲われないかと心配だ。としても猫の本性を潰すはない。小鳥二匹が遊んでいると安心だが、たまに一匹だけだと心配する。もしかしたらと予感する。

春には沢山の小鳥が我が家の庭に飛来するものの雪の積もる冬では小鳥の数は少ない。とりあえず今は番が一組飛来しているだけだ。窓際に干している干し柿が徐々に減ることがあった。最初は干す時期を間違えたので自然落下かと思っていたが、最近窓際に並べて干していると例の番がちょろちょろしているのを見て初めて彼らが干し柿を食っていたと推測する。何故か、憎しみが湧かない。

昔猿やハクビシンに干し柿がやられたときには憎しみもあった。何故か今回は感情が違った風だ。

干し柿を作るための柿の大木が前隣の家にあり断ってその柿の木から渋柿を採る。ところが大木なので一本の竹では届かないところの柿が多い。2本の竹を繋いで柿を採るのだが年々体力が衰え竹を支えられなくなっている。竹竿を腕で支えきれなくなっているのだ。

ということで今回は柿を捕るのに時間がかかり採るタイミングを逸してしまった。その間に小鳥たちが群を為して大木に迫り渋柿を食べていく。小鳥が嘴で突っつけば柿は直ぐ熟してしまう。小鳥たちはそれが狙いだ。真っ黄色に咲いて柿の花も段々と色が褪せ今ではほとんど無くなった。

私はこの柿採り競争に負けたということだ。少ないが採った柿を干していたわけである。その干し柿が番が楽しみにしていたわけだ。

でも、何故二匹だけが残ったのだろうか。冬の厳しい時期に里に居て大丈夫だろうか。彼らの巣はどこにあるのだろう。場所によっては猫が狙う。私の家には二匹の猫が居るが他に野良猫は数匹も居る。

 

◆鳶

雪の地面を舐めるように飛んでいく鳶は雄大だ。猛禽類とも言われるトンビがどのような生活をしているのかは分からないが、鳶は何時も畑の周囲に居る。寒い冬も真夏にも。常に一羽しか見ないので彼が番であるかどうかは分からない。

それにしても厳寒の冬、餌となる小動物も居ないであろうし何を食べているのだろうと。時々鹿、タヌキなどの死骸も見ることがあるが、鳶はこうした死骸を好む。

ある日、遠くの屋根の上に大きな獲物が居た。遠くなので何か分からず、集会場に集まった村人数人が騒いでいる。私も興味を持って近づいたら、それは例の鳶だった。

遠くから見ると凄くデカい動物なのでこの周辺をうろつく逸れ猿のようでもあり、それにしても一回り大きいようだった。畑に居ても彼は悠然と電柱に泊まっていたり、山に向かってすいっと飛ぶ。小菅村の主のような気がして親しみも沸く。

私が小菅村に来てから10年は経つだろうが、昔から見ているように思う。ところで鳶はどれほど生きるのだろう。カラスと違い鳶は小動物や死骸を食する益鳥かつこの地域の王者なのだ。

 

◆水道凍結

小菅の冬、雪も怖いが水道の凍結が怖い。朝起きて、トイレに行くとウォシュレットの水が出ないやばいと思い、台所を見ると大丈夫だった。風呂場は凍ったらしく水が出ない。自動洗濯機がギブアップである。この分だと夕方は大丈夫だと判断した。

経験の勝利。今日も昨日と同じ現象だから慌てはしない。ところが源流きらりの工場から水が出ないと工場を運営している仲間がやってきた。

昔私が作業しているときには、風呂桶全部が氷の塊になった。源流きらりの製造は風呂桶で500kgの水を沸かしてそこに納豆数坪、ヨーグルト数本、それに酵母を加えて一週間ほど寝かすと出来上がり。水道水でも良いが谷水が良い。

小菅の水道水は限りなく谷水に近い。多くの人から喜ばれた一品だった。今でも細々と製造を続けている。昔は風呂桶に水でも張っておこうものなら1週間もすると大変なことになる。風呂桶全部が氷の塊になる。

今の製法は細かいことは知らないが、風呂桶で水を沸かす作業は無くなり、ボイラーで水を沸かしたのを運んでくるようだ。でも、工場で使おうとする水が凍っていれば作業は中止。

 

◆囲炉裏

私の家は、風呂は薪風呂。小菅村でも数えるほどらしい。ところが家の中は石油とプロパンガスがある。もしも家を建てるならば、薪風呂、薪ストーブ、囲炉裏と薪暖房が良い。

小菅村に住むには冬対策があれば良い。夏はほとんど気にすることはない。この原始的ともいえる家の仕組みが本来は人のあるべき姿だと考えるようになった。

動物は群れを為す。群れを成すことが最大の生活原理だからだ。人類も群れから成長してきた。次に出会ったのが火の世界、囲炉裏端である。囲炉裏端で暖房、食事、コミュニケーションの全てが整う。囲炉裏端を囲う屋根、壁、土間が発達し今の建築だが、今の家はこの原理から程遠い。

熱効率、建物効率の悪い住まいとなった。小菅村でもこの原理原則の家を見つけるのは困難になった。ただ、白川郷ではないが、まだ原理原則が生きている集落はある。月に行く時代にと思うこともあるが月に行くにしてもこの群れの生活の原理原則は無くならない。

だからどこかにその原型が維持されなければならない。

 

 

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