No.41 微生物 2017年7月5日
◆生物循環
畑にとって、微生物は命の源。
彼らは土中の有機物を摂食し大きくなる。
土中の有機物は生物の死骸区などが死んだり、枯れたりして腐ったものだ。
腐らせるのは微生物でも更に小さい方のバクテリアなどの役割である。
どちらかというと細菌である。
細菌はあらゆるところに存在する。
その種類は無尽蔵である。
地球始まって地球上に生命が存在するそもそもはこの最近である。
この最近には単独で生きていけないウイルスのようなものがあるが、多くは単細胞から成り立ち独立して存在する。
光合成菌のように無機物を有機物に変える原初の細菌に始まり、厭気性菌のように有機物を分解するもの、好気性菌のように有機物を腐らせる細菌もある。
数千種あると言われる細菌の性格についてはほとんど研究が進んでいないと言われる。
今後はバクテリアの時代と言われながら心細い限りであるが、時代の流れとでも言えようか。
ただ最近にはサプリメントブームと言ってこうしたバクテリア商品が広く拡大している。
そのうちに未解明の細菌がクローズアップされるであろう。
こうした細菌のお陰で生命の基本が出来上がる。
このバクテリアが分解した有機物を摂取することで生命現象が維持される。
特に植物は細菌が分解してくれた硝酸塩などを吸収し、光合成菌菌の力を借りて有機物を再生する。
これだけでも植物という生物体の循環が維持されている。
この循環に預かったのが動物である。
動物は有機物を摂取する。
植物と違って、光合成作用が出来ないので、植物が作った有機物を摂取する。
まずは土中の微生物がその恩恵に預かる。
微生物と言っても土中ではミミズなど数は限られるが水中ではプランクトンがこの有機物を摂取して育つ。いわゆる有機物が多くなると赤潮、青潮と言われる異常プランクトンの発生である。
通常にはプランクトンを摂取する大小の魚が居てバランスがとれているのだが有機物の大量流入は水辺、海辺のプランクトン大量発生を起こす。
もともとは山や畑で作られた有機物の仕業である。
この動物循環も元はと言えば山野での有機物生成である。
生物循環が山野を基本に成り立つ。
畑の耕作はその原点である。
勿論人間が畑を耕すのは後から現れた地球上の生物循環の一部でもあるからだ。
ただ、この基本が忘れられている風潮がある。
よく言われるようんに山野が豊かになれば海も豊かになる。
この山野と海とのバランスが3.11ふくいちカタストロフィ以降注目されてはいるがそろそろ忘却であるだろうか。
◆毒虫
神戸、大阪で毒蟻の報告がある。
蟻に刺されるとチクリと痛い。
それでも心配するほどのこともないのでそのままだ。
ところがシロアリだと話が異なる。
建物の土台を腐らせる。
畑の中の蟻も大量に発生するがその役割は分からない。
益虫だろうか害虫だろうか。
毒蟻だとどのようになるのだろうか。
いずれ関東にも北上してくるのだろうが。
今、最も気になるのはマダニ。
畑に繋ぐ二頭の犬がこのマダニやられている。
現在のマダニは大きくて手で捕れるので毎日マダニ退治だ。
昔かっていた犬が蚤にやられたことを思い出しながらマダニを退治する。
マダニは手では潰せない。
爪でも押しつぶせない。とにかく瓶に詰めて腐るのを待つしかない。
瓶が臭くなるのは致し方ない。
その量は毎年瓶1個分にはなる。
マダニは秋になると更に小さくなって発生する。
種類が違うのか発生する量が半端ではない。
それに小さいので手で捕れる範囲ではない。
とにかく殺虫剤のお世話になるしかない。
畑には薬剤は使わないがこのダニだけは例外となる。
それにマダニが人間に吸い付くと病原菌を持ち込むらしい。
本来は人間に付かないと言われながら、この2年には私は刺され放しである。
病原菌が心配だがどうしようもない。
マダニが吸い付くとその取り方が難しいと言う。
引っ張るだけだと針を残すので引っ張り方も技が必要なようだ。
それに毒素を抜くにも注射器のような吸い込み道具が必要なようだ。
昨年から心配するが今のところギブアップだ。
身体は蚋に刺され、蚊に刺される。
蚋は小菅特有の害虫。
退治する方法は分からいので刺されるのを防ぐだけである。
蚋は刺すと直ぐに血が出る具合の勢いだ。
ちくっとすると手遅れだ。
藪蚊も同じくちくっと刺すと手遅れだ。
蚊よけ蚋除け薬を身体に撒くのが必要だがそれだけは何故か止めたい。
毎日のことだから煩わしい。
畑には色々の小動物が居る。
彼らはダニ、蚊、蚊を食ってくれるのだろうか。
小動物はイモリ、トカゲ、蛇が喜んで食べると思うのだが。
蛇など両性動物は私の嫌いなタイプだが我慢する。
このところ循環が旨く行っていないようにも思える。
その他害虫は多いがそれぞれを知る余裕というか探求心がない。
恩師に佐賀大の教授が居た。
彼は害虫の権威だった。
彼の教え子が私の会社に居て彼の息子が入社した。
残念だが息子はバイクに乗っていてダンプカーに惹かれ30歳の時翌日見合いというときに亡くなった。
害虫と言えばこの恩師を思い出す。
ただ、その研究成果を聞くチャンスはなかった。
気が合うのだろう、彼も玄界灘原発の反対運動を長年続けていた。
残念だが数年前彼は志半ばで他界した。
私がふくいち周辺の放射線測定を行っていることも以心伝心のようなものだった。
◆地球上の生物
生命体が地球上の特殊な環境で発生したことは良く言われる。
ただそれを知るすべは難しい。
海底火山近くでの硫黄細菌が生命の誕生を示すようだが。
生物だけが作り出せるタンパク質の生成は更に難しい。
生命の起源でそれが実現したとも聞くが詳しくは知らない。
有機物の合成は光合成菌しかできない筈だが、いわゆる硫黄細菌との関係はどうなっているのか。
私は無知だ。
ただ、生命の誕生が私という人間に繋がっていることは信じたい。
いわゆるバクテリアと高等動物の関係だ。
高等動物と言えどもほとんどは細菌の塊である。
それぞれが独自の役割を持ち個体を支えている。
細菌が高等動物に至る道程は気の遠くなるようなプロセスを経ている。
こうして考え字を書く人間が当初の単細胞細菌から組み立てられたというプロセスは何時か実現するだろう。
私が生きている間にはそれを知ることは出来ない。
この究極のプロセスに興味を持つがどうやら遅すぎたようだ。
私がやり始めた物理学はこうした探求心とは無縁だったようだが、実は細胞、細菌の問題ではその中で起きているレゾナンスはまだ未解明だ。
レゾナンスは物質のレゾナンスよりは位相空間のレゾナンスである。
いわゆる物質である粒子と位相である波長との関連が問われる。
究極の粒子と波長との関係は永遠に謎である。
粒子はとことんまで刻まれているだろう。
ただ位相がとことんまで追及されることはなかった。
いわゆるエーテル論争で終わったようだが宇宙論争ではまだこの議論は終わっていないように思える。
実はレゾナンスと粒子の究極では到達できない領域、相反する領域であるようにも思える。
私が考える循環とは、物質と生物、そして物質と生物との循環プロセスだ。
物資鵜の創造も実はまだ十分に説明されていない。
物質の消滅はほぼ証明されてはいるが創造の方は難しい。