No.28 小菅村の冬 2016年12月15日

 

紅葉と雪

11月と言うのに20cmもの雪が降った。

朝から雪かきを行ったが流石に11月なので雪の溶け方も早い。

雪が解けても中途半端だと夜には凍るので滑って危ない。

歩けるように雪の中に道をつける。

家の庭が広いのも良し悪し、雪の中の道を作るのも多変な作業。

何時もは家の上を走る国道の歩道の雪もかく。

昨年は腰痛で雪かけできなかった。隣の家にお世話になったが今年は何とかなった。

11月の雪は雪をかいたところは土の乾きも早い。

今年の秋の期間は過去最小日数22日だったという。

要するに冬が長いということである。

20cmもの雪だったが歩くのに苦労はしない。

 

ところで犬の餌をやりに畑に行くと畑の雪はまだ解けていない。

長靴がずぶずぶめり込む。

それでもネギや、大根の葉っぱは流石に一部青いものを覗かせている。

植物には自分を凍らせないための体温がある。

雪が降る速度がゆっくりであれば雪を溶かすことが出来る。

この事実は小菅に来て気づいたことだ。

畑に出ると見渡す山はまだらに雪化粧。

まだ紅葉が残っている。

柿も色づいているが葉っぱを残すものもある。

雪と紅葉異様なコントラスト。

やはり雪は枯れ葉が散って木の幹に積もるのが良い。

山肌には半分緑、緑に雪が積もると白と緑のまだら模様。

山肌が白く染まるにはもっと後のようだ。

 

小菅の師走

実は12月に入ると師走模様。

世の中がグーンと忙しくなるはずだが、私の気分はまだまだ秋の気分。

畑の世話が何もできていない。

このまま寒くなると土が凍る。

土が凍ると畑はコチコチ耕すことは出来ない。

荏胡麻の取入れは終わったが、後始末が何もできていない。

余り早い冬なので、干し柿シーズンなのだがその気力はない。

大根の成長が遅いのでそのまま凍ってしまうかと思うと哀しい。

ごぼうは出来が良さそうで楽しみだが、土が凍ると掘るのに手ごわくなる。

ニンジンの出来が良いと思ったが掘ってみると余り出来は良くなかった。

ヤーコンが一部育ったようで食べるには少ないが来年は楽しみなようだ。

サトイモもちょぼちょぼだがまだ掘る気にはなれない。

ネギも素晴らしい出来だが、家では食べきれない。

おすそわけで道の駅に出すのだが今一評判が良くない。

レタスとホウレンソウは予想以上の出来栄えで食事が楽しい。

この分だと春菊、白菜、小松菜などにチャレンジすればよかったと。

 

もうすぐ小菅は冬眠状態になるのでそれなりに心が騒ぐ。

何を為すべきかが整理できない。

これは毎年のことだったのだろうかと疑う。

どうも人生の黄昏のような気分だ。

やることなすことに明日がない。

何時ものことだが、小菅に限らず師走だとこの気分になるのが普通のなのだ。

 

干し柿のこと

小菅で干し柿を作る人がめっきり減ったような気がする。

バスに乗り小菅村を縦断するのだが、干し柿を吊るしている家は少ない。

吊るしていてもその干した柿の数が少ない。

逆に至る所に柿の花が咲いている。

鈴なりの柿の木が花模様。

昔からこの風景に感心したものだが、この花柿がズーンと多くなったような気がする。

昨年は腰痛で出来なかった干し柿今年はと思い準備がしていたのだが。

毎年干し柿用に採取をお願いする筈の柿の木も例にもれず花模様。

ただ、今になってもその花柿に挑む気力は無くなっている。

自分の家の前の家の柿の木も花模様。

この柿だけはと奮闘中だが、ここの柿はでっかいので干し柿としては素晴らしい柿である。

ただ、大木なので竹竿を2本並べてもほとんど柿の全てまでは届かない。

毎日数個づつ取り続けるがそろそろ限界。

後は悔しいが鳥や猿が平らげるのを待つ。

村人の話ではほとんどの柿は干し柿にしていたような話である。

例えば畑の大木の柿は昔畑の主が採取し皆さんに配っていたようだ。

この私が畑を始めたころから、猿が大群で押し寄せてきれいに平らげる。

何度か脅すのだが、さすがにさる者私の居ない時に平らげる。

私が畑に登る入り口に立つと警戒音を出しながら私が畑に着いた頃には姿かたちはない。

鳴き声だけが段々と遠ざかる。

 

最近の子供も柿の皮むきが出来ない。

一度干し柿作りに大勢の子供が村を訪れた。

このとき、運悪く私の家の柿がハクビシンに食われてしまった。

そんなことでと小菅100%自然塾のメンバーが代わりにと子供たちが向いた干し柿をくれたことがある。

それを見て驚いた。

まともに皮を剥いた柿がないのである。

時代は大きく変わっているのが見て取れる。

柿の皮むき器が、干し柿が店頭に見事に沢山並ぶ。

逆に家庭や田舎では干し柿を作る作業が衰退しているのだ。

干し額は保存食としては最高の食料だ。

自給自足の崩壊とは大げさだがその兆候は見える。

 

小菅と自給自足

最近道の駅が出来て小菅の物産を店頭に置く。

ただ、ほとんど小菅の物産が置かれていないのだ。

私は時々小菅の地ネギを店頭に出す。

それだけが目立つようで恥ずかしいのだが勇気を出して出店する。

実は大根も、ホウレンソウも、レタスも出店したいのだが、青物が1日しか店頭に置けない。

直ぐに廃棄処分になる。

確かに荏胡麻はそれなりの出店者が増えた。

コンニャク、ヤマメ、ワサビ、ジャガイモ、サトイモ、雑穀、キノコ、饅頭、煎餅それなりの出店者がある。

賑やかであるが、それは小菅の自給自足を満たす材料ではない。

小菅には将来像がないということか。

昔の小菅の衣食住生活、それがどのようなものであったかの学習は不足しているようだ。

衣食住足りて文化の前進がある。

交換経済は自給自足が足りてこそ成立する。

おすそ分け文化、自給自足で余ったものを隣の地域の供給する。

その代替物として小菅の不足の物を補う。

 

小菅村の自給自足に欠けているものは限られている。

それだけ小菅村には豊富な自然がある。

最近、秩父のシカ肉が放射能物質を基準値以上に含んでいるという。

小菅村のシカ肉はどうだろうか。

道の駅でシカ肉を売っていた。

小菅村のシカ肉かと期待したがやはり北海道産だという。

それは衛生上の問題だそうだ。

こうした問題は水道水でも起きている。

小菅の水は美味しい。

それでも大腸菌が多いとして塩素を入れて水道水とする。

村人は水道という高い施設を作って不味い水を飲む。

こうして自給自足の芽が一つ一つもぎ取られていったのが現状である。

それは回復を期待できるのであろうか。

 

TPPと小菅村

同じ問題が国の事業としても進んでいる。

国の独立は国が自給率を高めることだ。

その自給率をどうしても減らしたいというのが現在のTPPである。

事情は小菅村とよく似ている。

自給率を減らしながら、人々から衣食住の権利を取り上げていく。

今後は気候変動、国境紛争、食料問題とあらゆる問題が地球上を襲ってくる。

それに備えるのは自給自足しかない。

たとえ交流が途絶えても、異常現象が襲っても衣食住の自給率を維持していることが生き延びる条件である。

地球上には飢餓で苦しむ多くの人々が居る。

本来はそれぞれの地域で自給自足をしてきた人々である。

それが戦争や資源開発でその地域の土地を荒らされ、自給自足の可能性を奪い取られた。

ほぼ90億の人口がその苦難を背負っている。

表向きは交易を勧められても交易で衣食住が保てるはずがない。

その典型例が日本列島でも見受けられる。

日本の国は交易で栄えたと流布する。

逆に地方では貧困が進んでいる。

 

交易で栄えたとするのは1千万人人口、後は飢餓という危険に晒されている。

都会へと駆り出された若者の悲劇が待っているのだ。

その多くは2000万人以上と言われるフリータ族を形成している。

彼らは毎日の生活費を削りながらわが身を削りつつ将来に向かっている。

あるとき小菅村でレゲーのイベントがあった。

都会からどっと1500人の若者が集った。

メディアが喜びそうな素晴らしいイベントである。

交通費だけで訪れた若者には500円のヤマメ一匹買うお金がない。

こうした若者を作りおくことは安い賃労働、潜在的兵士を作り出す方法である。

人の命が安く見られ、殺戮、戦争への愛音を忍ばせる。

自給自足という原理的な問題が交易という功利社会へと入れ替わる。

貨幣という無価値な物に置き換えられる。

人々は貨幣の大小で踊り狂う。

最大の舞踏会は戦争である。

自給自足という原理原則が、地域での衣食住の保障が崩壊している今、誰かが警鐘を鳴らすべきだ。

もう貨幣経済という舞踏会は止めにしようではないか。

 

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