2. 「共」不在の現代社会に至る公共私の関係性

2.1 「共生思想」とは

2.2 公共私の歴史概観

2.3 公共私の視点から見た政治思想

 

  往還思想は、自分の生き方、人生観、死生観、実存をテーマにする人生論である。共生思想は、往還思想で生きる社会論および国家論である。

往還思想は、他者と関係しあって生きる人の本性に、共存性・共生原理を認める。ここでは、他者との人間関係である社会および社会の一部である国家を考える。国家をベースにして、個人的な実存と社会的な共存性について歴史を概観する。

 

2.1 「共生思想」とは

1)共存性とは

2)人類の歴史は改善・改革・革命の繰り返し

3)現代日本社会は「共」不在の「公・私」二階建国家である

 

人の命は、その個体の身心頭を動かす。その動かし方のホモサピエンスの構造は、人類に共通である。医学は、その身心頭を物質的な構造として解剖学的に解き明かす。数万年前の人と今の自分の身体構造と喜怒哀楽は、遺伝子的なメカニズムにおいて変わらない。

他者から区別される個体としての「自分」のことを「私」とよぶ。この私は、人間として、身心頭がはたらく欲望や希望や理想をもつ。規範や道徳感覚も自然に備わっている。

それらは人の生命に潜在する可能性である。社会で生きるその可能性の選択的な具体的発現が、「いま、ここ」の事実である。

その無数の事実の連鎖と堆積への認知が、人類社会の歴史認識である。

 

1)共存性とは

共存性とは、孤立した私人・個人ではなく、社会において「人と共に存在して生きる」という意味での「共人」の生き方である。それは、自立、自主、自尊、独立、主体性などに究極価値を求める「個人主義」へのアンチテーゼである。

共存性とは、「共人」を特長づける共同・共感・共鳴・共有・共用・共働などを意味する「共」性である。

 典型的な「共人」は、家族という血縁集団の一員である。町内会や自治会などに参加する住民は、地縁集団の「共人」とみなされる。学校や職場の人間関係も共存性である。

社会の中で「人と共に生きる」人間の関係性は、「私」である「自分」との関係性の遠近距離<縁>において、「自分たち」と「みんな」の相に分解できる。

血縁、地縁、隨縁など階層関係ではない共存性の多重相である。

 共:

自分たちとは、お互いに顔の見える人間関係の利害集団である。「自分たち」は、「貴方たち」と競争や協調や敵対などの関係をむすぶ。「自分たち」、「貴方たち」の集団を「共」とよぶ。

公:

「共」とは別に自分や自分たちとは直接的な関係性をもたない「みんな」もいる。この「みんな」を統制するのが国家である。その国家を「公」とよぶ。国家とは、対外的には国家主権を主張し、国内においては、公権力を独占する組織体である。

 

広義の「共人」とは、「公共人」を意味する。狭義の「共人」は、「公」とは区別される「自分たち」の「共人」を意味する。

 共存性の多重相は、つぎのように二重化、三重化される。

二重化:

(1)「私・共」の関係性。

(2)「私・公」の関係性。

(3)「共・公」の関係性。

三重化:

 (4)「私・共・公」の関係性。

 

 この共存多重相の具体的な発現は、人類の歴史で変化してきた。

  「私・共」

国家が誕生する前の部族社会は、「公」不在の「私・共」の共同体関係である。

  「共・公」

  貴族制、世襲制、封建制国家、全体主義国家体制。

「公」が「共」を支配する国家体制。「私」の不在、個人の人権、自由なし。

  「私・公」

 戦後の日本国憲法、民主主義国家。

  「公」が「私」を支配する国家体制。個人主義と国家主義。「共」の不在。共同体の崩壊。

④ 「私・共・公」

  個人主義と国家主義の近代文明社会の隘路を克服する人類社会の未来像。

21世紀世界の未来像、ローカル・ナショナル・グローバルにおける共生思想。

  ナショナルな「公」国家に従属しないローカル「共」のグローバルな連帯関係。

   

2)人類の歴史は改善・改革・革命の繰り返し

人が生きる潜在的可能性は、縄文時代の日本人と現代の日本人と遺伝的には変わらない。往還思想は、その可能性の全体を「あの世」という。「この世」を、それぞれの人がその潜在的可能性を選択した結果とみなす。

社会とは、潜在性→可能性→実現性が顕在化したその現前の全体である。

人は、遠い先祖から引き継いできた潜在的可能性をもってこの世に誕生する。わたしが生まれ出てきたとき、すでにそこに社会があり、国家があった。

その社会の価値観、社会思想、社会制度が、人の可能性の選択を条件付ける。

{潜在性→可能性→実現性}の反復運動と相互作用の軌跡に歴史が生まれる。人の選択の結果が、社会の価値観、社会思想、社会制度をつくる。

 

人は、どんな時代でもしたたかに生き抜いてきた。どんな社会でも喜怒哀楽のひとときをもって暮す知恵を蓄えてきた。戦国時代、明治維新、戦後復興、日本人は多くの歴史を生きてきた。制度は、一定不変ではない。

「この世」は、改良・改革・革命の歴史である。人は、それぞれの「幸福」をもとめて、社会の改善・改革・革命を繰り返して生きてきた。

現代の日本社会は、明治維新から150年を過ぎた。敗戦から70年が過ぎた。改善・改革をこえて革命に備える時代になったのではないか。

 

3)現代日本社会は「共」不在の「公・私」二階建国家である

現代の文明社会は、人類の歴史が堆積した構造物である。構造は、実現性の制約である。現代人の選択は、自由が拡大したグローバルで民主的な情報社会の構造に条件付けられる。

現代日本社会を主導する価値観は、個人の自由、人権尊重である。社会思想は、資本主義の自由競争と民主主義の平等である。

社会制度は、「共」が「公」に吸収された「公・私」二階建国家である。行政機関である役所が、「公と共」を一体化させて「公共」を独占する。

現代の日本人は、独立した「自分」が、「みんな」に束ねられて直接的に国家の「公」に従属する。「自分たち」レベルの共存性の劣化もしくは不在である。「自分」が自立する孤立である。

このような「共」不在の現代日本社会にいたる歴史を、つぎに概観する。 

以上 1.0   2.2