3.6 戦後70年を区切りとして新生日本へむかう三つの国民投票を提言する

 

◆歴史認識 ~源流却来

 悠々たる古今、縹渺たる天地・・・・時間・空間=自然:天の果てしなさ。このちっぽけな身のつかの間の人生、肩寄せ合って地球上にひしめく人間たち、喜怒哀楽あり、好悪・愛憎でせめぎあう諸国・・・・・。

歴史認識=無数の事実の知識+判断解釈論理+好悪愛憎感情。

歴史認識というけれど、この世で70数年生きてきた自分は、この世の事実は、ほとんど何もしらない。わずかに残った記憶の断片的な知識をひろいあつめ、組み合わせ、過去・現在・未来を妄想しながら生きるしかない。

 2015年、憲法解釈が変わろうとしている。安倍政権をもって、「戦後70年の区切り」になるのだろうか?

 歴史を区切り、21世紀の新生日本へ向かうには、戦後70年の歴史では、あまりにも浅薄すぎるだろう。「源流却来」でなければならないだろうとおもう。

 

Ⅰ.縄文弥生の古代から明治維新による近代国家成立までの数千年の歴史

{日本列島諸国}*縁・交易*{朝鮮、中国、アジア、ペルシャなど}/自然:天

Ⅱ.1860年代の明治維新から昭和前半までの帝国主義時代の70数年の歴史

{天皇制国家}*縁・敵対*{大東亜共栄圏、英米仏露、その他諸国}/自然:天

Ⅲ.1945年敗戦から2015年現在までの平和憲法時代の70年の歴史

{民主主義国家}*縁・協調*{米、(その他諸国}/自然:天

Ⅳ.20??年以降の新生日本の出立 

{新生日本国}*縁・融解*{世界諸国/地球軍隊}/自然:天 

(融解とは、国家主権の一部を国際機関に外注し、国境周辺空間を共有地にする概念)

 

◆憲法改正の国民投票を発議する前に三つの国民投票を提言する

 安保法制への賛否は、違憲か合憲かのレベルのおおきなテーマになっている。このテーマは、これから憲法改正の議論をめぐって、おおきなうねりとなるだろう。

 9条の改廃をはじめとして、さまざまな条文改正案が提案されるだろう。百花繚乱、百家争鳴のカオスな状況が生まれるだろう。そしてソフトな熟議の民主主義の成熟度が問われるだろう。

 そこで、隠居老人のわたしは、つぎのように妄想する。

いきなり憲法改正の国民投票にむかう前に、憲法改正を発議する改正案条文の中身を議論する前に、憲法改正を議論する共通基盤を確認するために、まず戦後70年を区切り、新生日本の国家像をテーマとする国民投票があってしかるべきではないかと。

それは、国民の「私」人生論と「公」国家論」にかかわるつぎのテーマである。

A: 戦後70年を総括する

 ~戦争責任の決着、戦後政治思想の総括、A級戦犯を祀る靖国神社の措置

B: 新生日本の精神性を明らかにする

 ~日本古代史に遡及する中国と朝鮮との近隣関係、独立国家としての精神基盤

C: 世界平和に貢献する国家像をえがく

 ~アメリカ従属からの独立、「集団的自衛」地球警察隊の組織化

 

1)   「分裂共存社会」の「人生論」と「国家論」

戦後70年の日本国民の「生命・財産の安全、国土防衛」は、憲法9条、日米安保条約、自衛隊という「平和と戦争」にかかわる「矛盾」に支えられている。

この現実をどう考えるか。この矛盾をこれからも続けることができるのか。

日本国民は、「矛盾」=「矛」攻撃手段と「楯」防御手段とが、「分裂共存」する国家論を、無意識的あるいは積極的に容認してきた。

戦後の日本社会は、憲法9条と日米安保条約のつぎのような役割分担で出発した。

◆「楯」は、経済・文化の国際友好関係を通じて、戦争勃発を防止する。

◆「矛」は、日本は武力を保有せず、米軍に基地を提供し軍事機能を外注する。

ところが、朝鮮戦争を契機として「軍隊ではない自衛隊」が生まれた。ここで、「矛盾」は拡大した。日米軍事同盟による役割分担も、国際情勢の変化にともなって改変されてきた。その延長に集団的自衛権を行使可能とする安保法制の議案がある。

国権の発動たる武力行使を放棄する「憲法9条」と軍事力を備えた「自衛隊」とが共存するという現実は、「苦しまぎれ」の憲法解釈の容認を国民に求めた。

その「苦しまぎれ」の解釈は、政治の理念や言葉を無力化した。真摯な知性を堕落させた。

弁護士の資格をもつ国会議員諸氏が説明する「へりくつ」、「とりつくろい」、「ごまかし」、「こじつけ」、「ことばあそび」、「ご都合主義」、「その場しのぎ」、「たてまえ」、「ホンネをかくす」など「ことばの軽さ」症候群が、国会議事堂にのさばっている。

政治家や官僚や裁判官や弁護士や学者たちの論理や説明の「言葉」が、なんとも「ウソっぽく」なったのである。

原発再稼働しかり、沖縄基地移転しかり、借金1千兆円しかり、東京オリンピック準備しかり、学校教育しかり。

 

この状況は、文系の知性、理性の劣化ではないか。国家権力をになう国会議員や官僚とそれに助言する有識者・専門家・大学教授たちの志操の堕落ではないか。

「失言」をとりけしながら、いいつくろっている安倍首相にちかい自民党議員のテレビ映像をみれば、「なんとも痛々しいなあ」というあわれな感じになる。

政治(権力関係)にかんする日本国民の意識に、与野党の政治家たちへの不信感を生み出しているのではないか。

国家権力による「苦しまぎれ」の憲法解釈は、「平和と戦争」にかかわる「憲法9条、日米安保条約、自衛隊」という三点セット「分裂共存」矛盾への「思考停止」をもたらしているのではないか。

その矛盾を「見てみぬふり」する大人感覚、既得権益をまもる目の前だけの現実主義。

そして、「言葉の軽さ」症候群は、ネット社会になってますます加速されているのではないか。

それぞれの人の「人生論」と「国家論」は、人それぞれに「多様な差異」である。その差異は、遺伝子、身心頭の欲望、性格、育ち、体験、学習、生活環境、社会的役割、立場、利権関係、価値観、好き嫌いなど、さまざまな多様性の反映である。

老生がめざす「共生思想」は、この「多様な差異」社会をカオソフードな「分裂共存社会」として図式化する。

◆「カオソフード」 → 「カオス混沌*ソフト妥協*ハード統制」の多元重層システム

○カオス =私的な個人力 ばらばら、それぞれ 自由、自立、競争 /騒乱、犯罪

○ソフト =共的な仲間力 ほどほど、まあまあ 配慮、寛容、妥協 /無責任、お任せ

○ハード =公的な組織力 きっちり、きまじめ 規約、統制、罰則 /抑圧、支配

 この「カオソフード」な人の世を「天:お天道様」がみおろしている。

民主主義システムは、「多様な差異」の「分裂共存」をゆるす政治(権力関係)機構である。その原理は、多数決である。少数者は、多数者の決定に従わなければならない。

民主主義の政治(権力関係)とは、武力をともなわない多数派工作=権力闘争にほかならない。

安保法制は、違憲か合憲かという国民レベルの多数派工作=権力闘争をひきおこしつつある。戦後70年を区切りとして、新生日本へむかう歴史がはじまろうとしている。

憲法9条、日米安保条約、自衛隊」という三点セット矛盾にどう向き合うか。

主権者たる国民のそれぞれの「私」人生論と「公」国家論にもとづく「多数派工作=権力闘争」の時代になった。

それが、高校生も声をあげる憲法改正にむかう潮流である。面白い時代になったものである。

◆「小選挙区比例代表並立制度」の見直し

憲法前文は、国家権力の行使について、つぎのように述べる。

「主権は、国民に存する」―→「国政の権力は、国民の代表者がこれを行使する」―→「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する」。

安保法制をめぐる新聞記事をながめながら、わたしは、代議制民主主義、国会の議論、立法プロセス、主権在民の国民と国家権力、国家経営システムの設計と運用、国内統治機構と国際外交関係などに関心がむかう。

とりわけ、国民の代表者を撰ぶ選挙制度こそが、代議制民主主義の根幹である。現在の「小選挙区比例代表並立制度」の見直しこそが、政治学者の知性の責務ではないか。

 

2)「権力の終焉」という本の書評を読んで ~21世紀の「三つの革命」

このような老生の問題意識ゆえに「権力の終焉」という本の題名に目がいき、その書評を読んだ。それを以下に要約する。(評者;法政大学教授杉田敦、加藤万里子訳、日経BP社発行)

これまでは、国家も企業も規模の大きいほうが、権力を集中させた官僚制的組織により、効率的であり圧倒的に優位であった。

これからの21世紀は、IT(情報通信技術)の進展により、小規模な主体が大組織の「邪魔をし、弱らせる」ことができる「三つの革命」が進行する。

a.豊かさ革命
貧困が相対的に減少。政府のいうことをきかない中間層が生まれる。「アラブの春」など。

b.移動革命
ヒト・モノ・カネ・情報の移動の増加に伴い、国民を囲い込む管理権力に隘路が生まれる。テロ組織や無国籍地球人、ロボット人造人間など。

c.意識革命

 豊かで移動可能な人々は、従来の価値観にしばられない。権力や権威に挑戦する。

これらの結果として、国内政治は、求心力を失う。政権は、短命になる。在来政党は、没落する。

外交関係においては、単なる武装勢力が、国境に関係なく軍事大国を悩ます。大国の政治的影響力は、低下する。

経済では、新興企業が大企業を駆逐する。企業トップもすぐにその座を奪われる。社会は、権力が分散し、自由に多元的となり、カオスな無政府状態にもつながる。

 

3)「権力の終焉」の「意識革命」は文系の知性への問いなおし

 上の「意識革命」は、価値観・思想の革命である。それは、大学を中心とする文系の知性への問いなおしでもある。文系の知性は、(1)政治(権力関係)、(2)経済(損得関係)、(3)文化(美醜関係)を対象領域とする。

 文系の知性は、理系の科学技術がおいもとめる「厳密な因果関係」の知性にくらべて、あまりにも「ことばのもてあそび、ご都合主義」じゃないか。

 政局を評論する政治学ではなく、「主権は、国民に存する」―→「国政の権力は、国民の代表者がこれを行使する」―→「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する」というこの国家経営システムの設計&検証こそが、政治(権力関係)学の知性でなければならないとせつにおもう。

老生が提言したい「戦後70年を区切り、新生日本の国家像をテーマとする国民投票」は、21世紀にむかう日本国民の意識・価値観・思想などの知性水準を世界に向かって表明することになる。

縄文・アイヌの精神性に「源流却来」し、そこを起点として新生日本が、21世紀の世界平和に貢献する「日本人のたおやかなる精神性」を発信できるとおもうからである。

A: 戦後70年を総括する

 ~靖国神社に祀るA級戦犯の合祀をつづけるか、分祀するか?

B: 新生日本の精神性を明らかにする

 ~古代史に遡及して、日中朝が共有できる歴史教科書をつくるかどうか?

C: 世界平和に貢献する国家像をえがく

  ~日本の国土に散在する米軍基地の提供を続けるか、撤去するか?

 身のほど知らずの大げさな提言をしているけれども、人生三毛作の老/終業期をすごすわたしの耄碌した知性は、つぎの妄想レベルでしかない。

◆政治(権力関係) ~国家論 私→共←公」

・国家統治制度の再設計==>「私共公」3階建社会ビジョン

・「私」個人主義と「公」国家主義の間に「共」共生主義を埋め込む

◆経済(損得関係)~経済政策 「地域通貨」

・アベノミクスへの代替案==>GNL経済圏の多重連携

 ・G;グローバル資本主義ビジネスとN;ナショナル公務員ビジネスを補完するL;ローカルな「自給自足」連携コミュニティビジネスを創出する

◆文化(美醜関係) ~倫理道徳 「敬天愛人」

・少子高齢化社会の死生観、道義心の再興 ==>少壮老の人生三毛作 往還思想

・次世代に残す借金1千兆円のモラルハザードを克服する

これからの日本に不安をいだく少/学業期の高校生と大学生が、ネットで、街頭で声をあげはじめた。

次世代をになう若者たちこそに、世の中の「意識を革命」する先頭にたってほしい。老/終業期をすごす隠居老人は、その少/学業期世代を応援したい。応援する仕組みの小さな「中間集団」=「共」をつくりたい。

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