7.6.憲法の平和主義をまもるための9条改正素案  201777

1)「自衛のための戦力」という「へりくつ」論への根本的な疑問

)自衛隊を合憲とする根拠

3)そもそも「自衛のための戦力」とは?

4)国防の現状と国際環境の変化

5)軍事戦力をアメリカに「外注」している現状

6)アメリカとの軍事同盟は、何十年先までも続くのか?

7)日本国領土の一部を「地球警察」国家に割譲する平和革命による憲法改正

 8)地球警察軍事国家を建国する平和革命構想は荒唐無稽の非現実的な妄想なのか?

 

201753日の憲法記念日、安倍総理が自民党総裁の立場で、憲法第9条の改正に取り組むことを主張した。その趣旨は、現行の条文を残したまま、自衛隊の位置づけを明確にするために、第3項を追加することである。

その理由は、「多くの憲法学者が自衛隊の存在は違憲状態である」と主張する状況は、国に命をささげる自衛隊員の士気の高揚にとって、由々しき問題だからだという。

 

■現行 第九

日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。 国の交戦権を否認することを声明す。

前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。

 

1)「自衛のための戦力保持」という「へりくつ」論への根本的な疑問

憲法第9条は、戦前の軍国主義を否定する戦後日本人が希求する平和主義の象徴である。大多数の国民が、戦争は嫌だ!!という平和主義の理念を支持している。

その現実の一方で、陸海空の「戦力を保持する」自衛隊とアメリカ軍基地が存在する。

◆日本の軍事費は世界で第8

 2016年の軍事予算調査(ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)、単位は億ドル)

① 米国:6,110  ② 中国:2,150  ③ ロシア:692   ④ サウジアラビア:637

⑤ インド:559  ⑥フランス:557 ⑦ 英国: 483    ⑧ 日本: 461

⑨ ドイツ:411  ⑩ 韓国:368   ⑪ イタリア:279  ⑫ オーストラリア:246

9条の条文と現実の間には、おおきな落差というか矛盾があるのは明白ではないか。「自衛隊は憲法に違反している」という理解が、素直で常識的な9条解釈だろう。

だが1959年、最高裁判所は「憲法第9条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない」という趣旨の判決を出した。

自衛のための必要最小限の実力を備えることは、何ら憲法に違反するものではない。

侵略戦争は放棄するが、自衛戦争は放棄しない。侵略のための軍隊は保持しないが、自衛のための戦力は保持する。軍隊ならざる自衛隊は、専守防衛の武力機構である、というわけだ。

この判決は、戦後70年つづく対米追従外交を追認するための「へりくつ」であるとわたしは思う。自衛隊を合憲とする「自衛のための権力保持」容認論に根本的な疑問をもつ。

 

2)自衛隊を合憲とする根拠

自衛隊は、国際社会の常識から見れば、陸海空軍の戦力を保持する立派な軍隊である。国防予算が年間5兆円をこえる規模は、世界で第8位である。現実に日本の自衛艦とアメリカの軍艦が、集団的自衛権を行使する軍事演習をしている。

 だが国民の大多数は、憲法9条を擁護しながら自衛隊の存在を合憲として容認する。

自衛隊を合憲とする解釈の根拠には、①外交のアメリカ追従、②個人の生存権、③国家の自衛権の三つがあるようだ。

 

①戦後外交のアメリカ追従 

 アメリカの核の傘に依存する日米安保体制の現状を無条件に受け入れる。国民に定着した憲法を慣習法とみなす自衛隊合憲論。

憲法違反だと思う人たちでも、自衛隊を廃止して武装解除せよという人は少数であろう。非武装中立などというスローガンは、今や死語である。

憲法の条文は未来に向かって追求すべき高邁な理想であって、現実の国際環境に対応するためには、自衛隊の存在を容認せざるをえない、理想と現実にギャップがあるのは仕方ない、世界の警察を自認している軍事大国アメリカに依存せざるをえないと納得する。

戦後70年もつづくアメリカ追従外交の現実追認といえる自衛隊合憲論である。

この現状追認のなりゆきまかせの姿勢からは、まっとうな言論の場は形成されない。9条改正反対の護憲派も一種の思考停止の「平和ボケ」状態に陥っているのではないか。

 

②個人の生存権 個人主義にもとづく国家依存思想 

個人の生存権の保護を国家にもとめる自衛隊合憲論。

理想と現実のギャップの問題ではなく、憲法が規定する国家の役割の視点から自衛隊を合憲とする立場である。

この解釈は、一般の国民の納得というよりも一部の憲法学者たちの学説であろう。その根拠は、憲法13条の解釈である。

◆第13条 〔個人の尊重と公共の福祉〕

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この条文を、「国家は国民の安全を保護する義務がある」と解釈する。

国民の生命と財産と安全を保護するためには、平和外交だけには頼れない。武力を背景にして日本国民の生命と財産と安全を侵害する外敵には、武力で対抗せざるをえない。

北朝鮮が日本列島に向けてミサイルで爆弾を投下したら、国民の生命と安全に危害をおよぼす。中国が尖閣諸島を占有したら日本漁船の操業や海上輸送の安全が保護されない。ロシアは、北方領土近海を漁場とする漁民を拿捕する。

日本国民の個人の生存権を保障する自衛隊は、憲法が規定する国家の責務として必要な存在であると容認しなければならない。

このように解釈する根拠は、個人の生存権を国家にもとめるという意味で、個人主義にもとづく国家依存思想と解釈できる。

9条改正反対の護憲派は、人権尊重を盾にして国家権力に抵抗しながら、自分の生存権を国家権力にゆだねるという一種の自己撞着に陥っているのではないか。

 

③国家の自衛権 国家主義思想

国家の自衛権を天賦の自然権とみなす自衛隊合憲論。

この解釈の根拠は、最高裁判所がいう「主権国として有する固有の自衛権」である。

「固有の自衛権」とは、個人が天賦の生存権を享受するのと同じく、国家も固有の生存権を持ちうるとする超憲的国家主義思想である。

 「超憲的」という言葉は、一般的ではないが、ここでは「憲法とは無関係に人類社会が暗黙に前提とする自然の防衛本能や常識や慣習」、「明文法の憲法を超える生理的な感情」というほどの意味である。

国家の自衛権を、人為的な憲法をこえた自然の摂理にもとづく概念とする。国を守るための自衛隊は、防衛本能という自然な生理本能にそなわる「超憲的」機構とする。

 この思想は、主権国家は自衛権を有する」→だから→「自衛ための戦力を保持する➡だから➡自衛力と戦力保持を一体化して当然、とする論理である。

 

3)そもそも「自衛のための戦力」とは?

自衛隊を合憲とする「自衛のための権力保持」容認論は、「自衛のための必要最小限の戦力」などというヘリクツを持ち出す。

だが世界中の国家の軍隊は、「侵略ではなく自衛」という専守防衛主義を標榜しているのではないか。「自分からは手を出さないが、やられたらやりかえす!」という。

北朝鮮は、核爆弾とミサイル開発を「自衛のため」、「アジアの平和のため」とまで広言する。

アメリカが、ヒロシマとナガサキに原爆を投下したのは、「戦争終結を早めて平和をもたらす自衛のため」という説明を多くのアメリカ人が信じている。

日中戦争(支邦事変)と太平洋戦争も「欧米列強に植民地化されないための自衛戦争であった」と納得する国民はおおい。大東亜戦争肯定論である。

戦争指導者の罪に問われた東条英機が、絞首刑の執行の前に、つぎの遺言を残したそうだ。

「私は戦争を根絶するためには、欲心を人間から取り去らねばならぬと思う。・・・世界の各国々は、いずれも自国の存在だとか、自衛権の確保だとかを主として居る。・・・しかし自衛を主張しながら、ついに自滅に陥ることになろう」(記録者;花山信勝)

 

「侵略戦争」といえども「自衛」の大義の下で始まることを歴史は教える。

自衛のための必要最小限の戦力」という言葉など、仮想敵国への疑心暗鬼や国際環境の変化とかなんとかを理由にして、どのようにもヘリクツを並べたてて空文化できる。

この世の悪業の根源は、個人と集団社会と国家の「自己保身のための欲心」である。

その欲心は、政治的権力欲、領土拡張欲、経済資源の収奪占有欲、市場の支配欲、宗教の布教欲、思想価値観の普及欲などなどにつき動かされて、人類は暴力的紛争の歴史を積み重ねて来ている。

軍需産業の経営者や金融資本家や軍隊賛美者たちも、自らの野蛮な欲望をかくして、正義や愛国心をかかげる。

核兵器を頂点とする大量破壊武器調達の軍事予算に群がる「腐肉愛好貪欲者」たちは、平穏な人類社会に寄生して増殖する巨大なる癌細胞である。北朝鮮の指導者に限ったことではない。

彼らは、鎧兜武器刀剣を身にかくしながら、自己保身の欲心に「国益」の衣装を着せて、国民の愛国心をあおりたて、「積極的平和主義」、「平和維持活動」、「武力行使の厳しい制約条件」などと言葉を弄び巧言をふりまく。

このことは、憲法の平和主義を神棚にまつりあげて、国際環境に対応してきた自衛隊の戦力増強の歴史が証明している。

◆敗戦アメリカ占領軍による武装解除→朝鮮戦争勃発→GHQの指令で警察予備隊発足→保安隊に改組強化→米ソ冷戦体制→日米同盟の拡大集団的自衛権の容認→自衛隊の海外派遣

 

4)国防の現状と国際環境の変化

北方領土は、ロシアに占領されている。竹島は、韓国に占領されている。北朝鮮は、日本人を拉致している。尖閣諸島には、日本人であっても上陸できない。強制収容された沖縄の土地の一部は、アメリカ軍が駐留する治外法権地域である。

「日本に固有の領土である」と政治家たちは叫ぶけれど、国防の現状は、国境周辺を隣国に蹂躙されているのではないか。

「領土問題は存在しない」と叫ぶ政治家は、現実から目をそらしてタテマエ主張だけの思考停止状態にあるのではないか。

14億人近い人口の中国が、世界の経済大国となった。さらに一帯一路の世界戦略を構想して海洋進出をくわだて、軍事予算を15兆円に拡張させている。中国の公船が、尖閣諸島周辺の領海侵犯を繰り返している。北朝鮮は、核爆弾をはこぶミサイルを開発している。

◆国際環境の変化

米ソ冷戦秩序の崩壊→地球の警察官を自認してきたアメリカ主導秩序の崩壊→米、EU,中国、ロシアなどの多極化→人類社会の分裂共生状況。

中国を先頭とするブラジル、ロシア、インドなどBRICsの経済発展と国力の増強は、歴史的な潮流であり、アメリカの軍事力でそれを阻止することができるわけがない。

世界の諸国は、封建制、君主制、貴族制、独裁制、共和制、民主制などなど多様な政治制度とさまざま歴史を背負って今がある。

そのような諸国が、地球に分裂割拠しながら国家主権と国益を主張する。今や世界の諸国間の国際環境は、「政治―経済―文化」をまたいで、多面的に相互依存せざるをえない複雑で緊密な構造になっている。

人類社会は、分裂共生社会であって、均質な原理で統制できる全体社会ではない。

アメリカ流の「自由、人権尊重、民主主義」が、「人類の普遍的な価値」であるというのは、アメリカの勝手な「唯我独尊」教にすぎない。複雑に多極化するグローバル社会で、アメリカがいつまでも世界に君臨できるわけがない。

独立国家である日本は、アメリカ追従外交をズルズルと続けていいのか。

日米関係の現状追認と自衛隊を合憲とする「平和ボケ」の思考停止を越えなければならない。

 

5)軍事戦力をアメリカに「外注」している現状

現実の国際環境において憲法の平和主義は、どのように対応しているか?

国際紛争を解決する暴力的最終手段は、国権の発動たる交戦権にもとづく武力戦争である。

世界の「普通の国々」は、外敵との戦争に備えて陸海空軍その他の戦力を保持する。核兵器は最強の破壊能力をもった攻撃用の武力である。

日本と国境を接するロシアと中国は、核兵器を有し、海洋進出のための軍事力を強化し続ける。北朝鮮も核兵器の保有をめざす。韓国軍と北朝鮮軍は、38度線の軍事境界で対峙して一触即発の休戦状態にあるのだ。

日本は、アメリカの核の傘に守られ、アメリカの軍事力に国家の安全をゆだね、軍事同盟をむすび、日本領土内の各地と沖縄に米軍基地を提供している。

日本は、自国では核兵器を保持せずにアメリカの軍事機能を利用している。戦争が勃発したときの攻撃用の軍事機能を、アメリカ軍に外注しているといえる。

憲法の平和主義にもとづく現実の対応は、「憲法前文」と9条のしばり」で攻撃用の戦力は保持できないので、アメリカ軍に委託・外注することである。

国民の大多数は、「9条のおかげで自衛隊の武力行使を抑制でき、戦争を抑止している」と9条の存在を評価する。

この評価は、次の「矛盾」の容認である。

●矛盾の「盾」自衛用戦力を自衛隊が保持する。専守防衛思想。

◆矛盾の「矛」攻撃用戦力をアメリカ軍に委託する。集団的同盟思想。

 

6)アメリカとの軍事同盟は、何十年先までも続くのか?

1991年、イラク軍がクウエ―トに侵攻した。アメリカ主導の多国籍軍がイラクを攻撃してフセイン政権を倒した。湾岸戦争である。

日本は憲法9条のしばりにより自衛隊を派遣できないという理由で「人的貢献」の代わりに130億ドルを拠出した。1兆3千億円である!!

この国策は、感謝されるどころではなく逆に、「金を出しても人は出さない小切手外交だ」などと揶揄や冷笑を、世界の軍事関係者からは評価されたようである。

日本の軍事関係者や外交関係者や安全保障の専門家や評論家たちは、その評価を屈辱とうけとめた。それがトラウマになったようである。何とか「9条のしばり」から脱したい。

1992年、積極的平和主義の名の下で国連平和維持機構(PKO)へ参加するために、武器を携帯した自衛隊を海外に派遣できる法律が制定された。

日本も「国際社会の平和と安全を維持するため!」に積極的に貢献できる国家をめざすというわけだ。

「平和と安全」をかかげれば何でも許される。キレイごとの常套文句で言葉を弄び、タテマエとゴマカシの上塗りの無理を重ねている、とわたしは思う。

その思想は、「安全保障」と「軍事力強化」を一体化する武力崇拝の軍人思想である。文武両道というが、秩序を維持する究極の原理を「文」ではなく「武」に求める思想である。

憲法の平和主義と国防予算拡大との矛盾は、ますます拡大する。

アメリカ依存の武力構造は、必然的に今後も続くのか?

アメリカとの軍事同盟は、必然的に今後も続くのか?

わたしは、アメリカとの蜜月がいつまでも、何十年先まで続くとは思えない。

今後の国際社会は、アメリカ1極主導からEU,中国、ロシアなどに多極化するという立場に立てば、アメリカ依存の戦力構造は、いずれは崩壊するであろう。

では、どうするか?

 

7)日本国領土の一部を「地球警察」国家に割譲する平和革命による憲法改正

戦力機能を、「自衛―侵略」に分けることは、ゴマカシのヘリクツ論であり、本質的に矛盾をはらむ。「戦争を抑止するために戦力を強化する」と主張する「積極的平和主義」論などは、ウソである。

「矛:攻撃―盾:自衛」という安全保障理論の思考枠を捨てなければならない。

憲法前文が宣言するように「日本国民は、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のであれば、世界平和に貢献すべき日本国民の果たすべき義務を、憲法で明確に規定すべきである。

憲法は、明確に「戦力の不保持」を宣言している。

だから戦力機能を、「自衛―侵略」の枠組みから「保持―外注」の視点に転回して、国際紛争に対応できる国家体制を設計すべきである。

そのためには、近代国民国家の主権思想そのものを根本から問い直し、平和革命を遂行し、憲法を抜本的に改正することが必須となる。

◆平和革命

日本列島社会を二つの国家に平和的に分割する。

憲法9条に反対して戦力保持を容認する国民は、軍事国家独立を宣言する。

憲法9条を維持する国民は、軍事国家独立を認めて、軍事基地を提供する。

日本領土の分割→戦力不保持の平和日本国 + 戦力保持の地球警察軍事国

日本国民の分離→普通の社会生活者 + 軍人と軍事基地関係者

両国の関係は、文民統制(シビリアン・コントロール)の原理に基づく。

 

◆主権国家の外交機能を友好平和活動と武力軍事行動に明確に分離する

 平和日本国 →国際親善・友好平和交流への参加を国民の義務とする。

地球警察軍事国 →疑心暗鬼・敵対暴力活動への専念を国民の義務とする。

 

◆平和日本国家の戦力不保持宣言

 戦後70年洗脳され続けてきた「アメリカのポチ」根性を脱し、世界にむかって、日本は、平和憲法をもつ特殊な国家、戦力を保持しない国家、交戦権を放棄する国家、奇異な国家、普通でない国家、非常識な国家、アメリカの原爆投下責任を追及しない高貴な道義国家である」と宣言する。

 この国の平和と安全を破壊する外敵への対抗手段は、地球警察軍事国家に武力行使を委託する。

 

◆地球警察軍事国家の戦力保持宣言

地球警察軍事国は、武力等その他の手段により平和日本国の安全と独立を保護するために建国された特殊な国家である。

地球警察軍事国は、「平和日本国の独立と安全を武力等で侵害する外敵に対抗するために、あらゆる戦力を保持する普通の国家である」と宣言する。

 

◆平和日本国の憲法改正私案 第9条の追加条項

3 平和日本国家の規定は、憲法第1章の「国家と国際関係と天皇」に従う。

  (地球警察軍事国が活動する軍事基地は、国の主権が及ばない治外法権の外地とする

4 自衛隊の武力行使は、国内の安全を維持するための警察機能に限定する。

5 国は、武力等による外国の侵害に対抗する自衛機能を地球警察軍事国に委託する。

6 自衛隊の戦力を構成する隊員と武器装備等は、地球警察軍事国に移管する。

(例:ブルドーザーは所有し、戦車は外部化する。

7 国と地球警察軍事国が締結する防衛委託契約は、これを法律で定める。

8 国民は、国際社会の平和を維持するための友好親善活動に努める義務を負う。

 

8)地球警察軍事国を建国する平和革命構想は荒唐無稽の非現実的な妄想なのか?

7人の侍」、「荒野の用心棒」という映画がある。

平穏な生活をいとなむ集落の住民が、夜盗強盗集団の襲撃に対抗するために、反撃力をもった強力な武装集団を利用する。外人部隊の雇い兵である。

武力を保持しない集団が、自衛のための戦力を外注するのは、不自然なことではない。

わたしは、日常の社会生活において、犯罪者に対抗するための護身用の武器刀剣を保持携帯できない。自分や家族の生命と安全を侵害する者に対して、復讐や私刑は許されない。国民は、犯罪人を処罰する権限と能力を国家権力に移譲しているのだ。

国民は、国家に税金をはらうことによって、自衛能力を警察機構に外注していると解釈できる。

大企業の株式会社も、資本と経営を分離しているではないか。

この論理を国民社会の自衛権に展開できないか?

国民社会の平和と安全を維持するための戦力機能を「保持―外注」に分けて、地球警察軍事国を建国する平和革命構想は、荒唐無稽なヘリクツ論なのだろうか?

平和主義憲法の下で、いつまでアメリカ追従外交を続けるのか?

戦後憲法に安住する思考停止を超えて、グローバル社会の世界秩序をめざし、主権国家の機能と構造を根本から問い直す時代を迎えたのではないか?

以上    7.5へ      7.7へ