4.2 安保法制への視角 ~システム論的枠組みから  2015101

 

「南洲翁遺訓」より

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正道を踏み国を以って斃るるの精神無くば、外国交際全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受けるに至らん。

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命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は為し得られぬなり。(以下、略)

 

1)    「私」個人と「公」国家の問題意識

すったもんだのあげく成立したらしい「安全保障法制」が、隠居老人の我が身にとって、どのような影響をおよぼすのか?

「社会保障」の医療・介護にかかわる法制ならば、わが身にも具体的な問題として理解できる。そして、「借金1千兆円をこえ、老人福祉経費が毎年1兆円増」という事態を、「死生観」なき嘆かわしい社会的モラルハザード=道義心の問題だと考える。

ところが「安全保障法制」への賛成と反対の議論は、きわめてわかりにくい。安保法制賛成者が録音テープの再生のごとく連発する「国民の命と安全をまもる」という発言に、老生はとても違和感をもつ。あなたたちに「自分の命と安全」をまもってほしくないといい気分である。

この問題意識は、「」個人と「」国家との関係にむかう。

「私」個人は、身心頭の欲望を生きる。個人的生活者である。

「公」国家は、個人を統制する権力をもつ社会システム=法治国家体制である。

民主主義の国家体制では、国家経営システムの権力をになう政治家と官僚・役人も、ふつうの「私」個人の一部である。壮年期世代の「職業としての権力」者たちである。

このような「私」と「公」の関係への問題意識は、つぎのように分解できる。

◆国家という社会システムの問題

自分「私」→「公」 ;民主主主義 → 立法制度 → 隠居老人の政治参加?

◆政治家・官僚・役人という個人の問題

自分「私」→「私」政治家・役人 → 信頼=知性、理性、品性の評価?

この問題意識から、すでに述べたつぎの国民的思想運動のテーマがでてくる。

a.教育制度;政治家・官僚の知性、理性、品性を育成する仕組み

b.選挙制度;国会議員を選挙する仕組み

c.立法制度;法案上程の仕組み

d.議会制度;法案を熟議して妥協・合意により成立させる仕組み

e.国防制度;国家安全保障関連法案の見直し

 

2)社会システムを考える「カオス*ソフト*ハード」の視座

日本という法治国家は、少/学業期、壮/職業期、老/終業期の各世代から構成される1億人以上の「自由」な個人を要素とする複雑きわまる諸関係の集合体である。

国家経営システムを構成する諸関係は、カオス、ソフト、ハードな状態集合である。

◆カオス:私 →潜在性

孤立した個人の単なる集合は、カオス状態とみなせる。その集合は、おおいなる差異の多様性である。善悪、美醜、真偽、あらゆることを胚胎する潜在性である。そこに予期しうる秩序は期待できない。

この非権力状態を「よし」とするのが、ユートピアのアナーキー思想である。

 

◆ソフト:共 →可能性

各個人は、さまざまな集団に属する「共人」である。その集団は、成員にたいして何らかの帰属意識を求め、集団の秩序を維持する。この「共」集団は、自由奔放なカオス状態に一定の制約秩序をもちこむソフト状態とみなせる。

ここに社会を構成する中間集団組織が形成される。無数の任意団体や企業やNPO法人などの諸活動が、多様な潜在性を一定範囲の可能性にしぼりこむ。

このソフト状態の関係において、人々は妥協し、協調し、がまんしながら助け合う。

 

◆ハード:公 →実現性

国家は、地球上の一定の土地を自国領土とみなし、そこに住む個人を国民集団とみなす。

国家は、自国の領土の侵犯者を外敵とみなし、排除する権力をもつ。国際関係において自衛権を行使し、国家主権を外国にたいして発動する。

国家は、国民および自国領土内における紛争を最終的に審級する国家権力をもつ。その権能は、法律にもとづいて犯罪者と認定された者の身体を拘束し、財産を没収し、生命を刑死できる。国家権力は、唯一の合法的殺人者である。

国家は、国内において警察機能をもち、国外にたいして軍隊機能をもち、ソフト状態の可能性を強制的に限定できる。そういう意味で、国家経営システムは、ハード状態といえる。

 

3)    安保法制推進者の感情論 ~安保法制議論への空虚感 

「潜在性→可能性→実現性」という万物流転の「カオス+ソフト+ハード」が重層して織りなす社会システムにおいて、安保法制の議論をながめるわたしの脳裏には、さまざまな想像、未来予測の選択が浮かび消える。

老生は、国際政治や国際法や安全保障政策については、まったく無知無学である。関連する条文も専門書籍も読まない。安保法制に関する知識は、ほとんど新聞記事から仕入れたものでしかない。なるべく安保法制に賛成する人の投稿や学者・専門家の論考やインタビュー記事を読むようにしている。

そして、安保法制推進者たちの「論理構成」に、どうにも合点がいかないのである。理系の知性(科学技術の理性)に対比して、文系知性への違和感、苛立ちをぬぐえない。

つまり、政治(権力関係)―経済(損得関係)―文化(美醜関係)を対象とする「総合的知性」への欠如感、空虚感である。

 

◆「稚拙なごまかし」の感情論

国際政治や国際法や安全保障政策などの専門家たちの論理の骨子は、「国際関係の変化」→「軍事的抑止力」→「積極的な平和外交」という一面的な因果関係でしかない。

この論理が、老生にはどうしても理解できない。「風がふく→桶屋がもうかる」という論理の飛躍というよりも「稚拙なごまかし」の感情論だとおもうのである。

安保法制の議論は、つぎの選択の熟議でなければならないと考えるからである。

(1)        アメリカ主導の世界秩序を断固として守り続けるのか

(2)        大国化する中国も参画する新たな国際秩序を築くのか

という世界像をめぐる知的問題のはずである。

下世話にいえば、「アメリカの縄張りに中国が乱入してくる」という国際情勢の変化に適応するために、これからの日本は「アメリカにくっついたままなのか」、「中国にへつらうのか」、「どっちとも対等につきあう独立国家をめざすのか」の「国家論」の問題である。

「憲法9条を廃止し、アメリカとの同盟を強化する普通の国、常識的な国家」をめざすのか、「憲法9条をまもり、自国に軍隊をもたない特殊な国、変な国、非常識な国家」をめざすのか、を議論すべき国家論および国際関係論の問題である。(==>自衛隊を「集団的自衛」地球警察隊へ移管する)

人間の行為のなかでもっとも下劣な品性である「肉体的暴力行為=戦争」を抑止するという「安保法制」は、政治―経済―文化を横断する総合的な「人類の知性」を傾けるべき問題だとおもう。

それなのに安保法制推進者たちの説明は、「国民の命と安全をまもる」という「まくら言葉」をならべて、「秩序をこわす中国脅威」をとなえるだけの感情論=政治的観念論じゃないかとおもうのである。

 

4)安保法制への「そもそも」の疑問

新聞を読んだ程度の知識ながら、安倍首相が執念をもやす安保法制への「そもそも論」として、つぎのような疑問をもつ。

a.そもそも、日本は米軍にいつまで依存し続けるのか?

b.そもそも、日米同盟の「抑止力」を中国が無視したらどうなるのか?

c.そもそも、日中平和友好条約と中国脅威論はどのように両立するのか?

 安倍首相は、第1次安倍内閣において安保法制の見直しを開始した。そのために有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を設置した。

 今回成立した安保法制は、この「懇談会」の報告書に基づくものだろう。

そして、この有識者たちは、つぎのような思想の持ち主なのではないかと推察する。

x.日本は、米軍にいつまでも依存し続けるしかない。

y.日米同盟を強化すれば、「抑止力」が増して中国が「びびる」だろう。

z.中国とは価値観を共有できないから、友好関係は結べない。

端的にいえば、アメリカ大好き、価値観を共有できない中国大嫌い、「出る杭は、たたけ」、邪魔ものを排除しろ、成り上がり者はつぶせ、という感情の持ち主だろうということ。

アメリカ主導の世界秩序のおかげで恩恵をうけてきた既得権益者、権力者、支配者たちの弁護人、御用学者だということ。

(==>政治家、官僚、有識者・専門家の私的な癒着構造、財界の政治献金)

 

5)「抑止力」への疑問  

安保法制推進者が説明する「中国の脅威」→「米軍に依存」→「軍事的抑止力」→「積極的な平和外交」という論理は、一面的すぎて「総合的な安全保障政策」とは、およそほど遠いとおもう。

その理由は、「抑止力」の因果関係をつぎのように理解するからであり、安保法制推進者の説明は、複雑な国際関係のひとつにすぎない下の「a.」を、ただ願望的に述べているだけだとおもうからである。

◆抑止力の因果関係

 a.日米同盟を強化する →中国が恐れをなして攻撃してこない →平和維持

 b.日米同盟を強化する →中国が偵察や挑発をくりかえす →小競り合い(米軍は?)

c.日米同盟を強化する →中国が勝手に妨害や攻撃をしかける →日中戦争(米軍は?)

d.日米同盟を破棄する →中国が一方的に妨害や攻撃をしかける →日中戦争(自衛隊)

d.日米同盟を破棄する →中国が偵察や挑発をくりかえす →小競り合い(海上保安庁)

d.日米同盟を破棄する →中国が友好関係を維持する →平和状態

 

◆軍事的「抑止力」の政治―経済―文化の視点

軍事的「抑止力」とは、彼我の軍事力の圧倒的な非対称性により、「弱者」が「強者」に手を出しても、勝ち目がないことを知らしめることである。その思考は、生理的本能にうったえる恫喝・威嚇・おどしによる肉体的な暴力団の論理である。

一般的に抑止力の論理は、人間の感情、心理、判断回路への洞察を基礎とする。「抑止」は、「一方」と「片方」の双務関係における社会的な知性・理性・品性のはたらきである。

抑止力は、「一方」の判断だけでは成立しない。「抑止」は、相手への強制ではない。「抑止」は、一方の「おどし」に対する相手の「屈伏」をうながす自制心、自制判断への要求である。

このことを逆に考えると、「抑止力」を重視する論者は、「強者」には「歯向かわず、おとなしくしていたほうがいい」と判断する人たちだといえる。そして、こういう自分の判断論理を相手方の論理に一方的に投影していることだと解釈できる。

西郷隆盛がいう「彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する」者たちである。

ところが、それは一面的すぎる。「正道を踏む精神」をもつ者もいるのである。作用には、必ず予期せぬ反作用もある。

では、一方の恫喝・威嚇・強圧・作用にたいして、片方はどのように対応・反作用するか。

○政治(権力関係);1)従う、2)抵抗する、3)助けを求める、4)逃げる

○経済(損得関係);私益・共益・国益の損得を判断して、権力関係を選択する

○文化(美醜関係);義憤、道義心、自尊心、面子などから、権力関係を選択する

 

◆お粗末すぎる政治的知性

政治(権力関係)における「強者」と「弱者」の関係は、暴力団の論理のように単純ではないのだ。

先の日米戦争において、日本軍は連合国軍の圧倒的な戦力優位をみとめながらも、果敢にも、無謀にも、一億総玉砕の精神でもって、特攻攻撃をしかけたのであった。

連合国軍の圧倒的な戦力は、精神論至上の大日本帝国の軍隊にとっては、「抑止力」には、ならなかったのである。

イスラム原理主義のジハードを叫ぶ自爆テロリストにとって、「抑止力」などは馬事東風でしかない。イスラム国を支持する狂信者にとって、「抑止力」など、どんな意味があるのか。

人間の文化(美醜関係)精神の発露である義憤、道義心、自尊心、面子などは、相手方が自らの軍事力をほこる自己陶酔的な「抑止力」など一蹴する。それは、米軍にも中国の軍隊の双方にいえる。

「戦争をしないための軍備増強」=「使用しない道具」などは、まことにもってバカバカしい浪費以外の何ものでもない。きわめて単純なはなしである。

強力な殺傷力をもつ軍事機能を開発できる理系の科学技術知性に対比して、人間社会を対象とする文系の知性は、あまりにもお粗末すぎるのではないか。

「抑止力」の意義を唱えるのは、自衛隊に武器を納入する兵器産業の企業や、その企業から政治献金を受ける政治家や、その政治家の演説を応援する御用学者やマスコミ評論家など、「政官財+学+マスコミ」連合だけではないのか。

そして現実にすでに中国の偵察活動は活発化している。挑発的行動も、中国近海だけでなく遠海でもおきている。

2015831日から91日にかけて、中国海軍の艦船5隻が通告もなく米国領海のベーリング海を横切った。93日、北京で大規模な軍事パレードが行われた。

米国側には、中国が南シナ海で岩礁を埋め立てた人工島の近くを米軍艦船に航行させるべきだという主張もある。

ロシア外務省は、北方領土問題について日本側と交渉しない、70年前に解決済みだ、北方四島は第二次世界大戦の終結で戦勝国ロシアのものになった、と述べる。

日米同盟の強化は、こういう「領土侵犯」に有効な「抑止力」になっているのだろうか。

 

◆中国の安保関係の研究員

2008年に日中両国首脳が「お互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」と合意した。国家主席は「覇権を求めない」と表明した。海空域の衝突回避の連絡メカニズムの協議なども進んだ。

そんな中で中国の脅威を理由に安保法案を通したのでは、中日関係にプラスにならない。中国側も警戒を強め、対抗策を講じなければならない。中国内には根強い「日米同盟脅威論」がある。戦場外での給油などの後方支援も、相手国からすれば同じ戦闘行為なのだ。

 

◆韓国の安保関係の研究員

 安倍政権は「積極的平和主義」を唱えるが、実際には、日本が抑止力を強化すれば、相手国も対抗して抑止力を強化する。安全保障のジレンマ。この地域の安保環境はむしろ不安定になる懸念がある。日中間に摩擦が生じる可能性を憂慮せざるをえない。

 日本は周辺国から信頼を得なければならないが、逆に日本への不信感が高まっている。

安保は抑止力の強化だけでは不可能で、対話と協力も必要だ。東アジア地域での協力と信頼構築に向けてさらに努力すべきだ。

 

◆戦争抑止力を向けるふたつの方向

戦争反対の叫びは、戦争推進者=ナショナリストへの対抗運動である。日本国民のひとりである老生が、日中戦争に反対する声をぶっつける相手は、(1)日本政府と(2)中国人民のふたつである。

日本政府への声は、「私」個人と「公」国家との国内関係である。

中国人民への声は、「戦争は醜い」という文化精神を共有する「共」性関係である。

日本国民としての「私」と「公」の関係性は、民主主義、立憲主義に集約される。その実践は、表現の自由、結社の自由、街頭デモ、選挙、立候補などで「公」に参加できる。

問題は、国境をこえた「共」性関係である。

ナショナリストは、国境内に閉じこもり、ハードにお互いに憎しみあう。

ローカリストは、国境をこえて、ソフトな友好関係をおたがいに共有できる。

アナーキストやテロ集団は、そもそも国境や国家権力をみとめないカオスである。

問題は、中国が共産党独裁のきわめてハードな国家であることである。表現の自由を制限し、反日・嫌日の国民感情を、歴史教育、テレビ映画ドラマで醸成している。

世界第二位の経済大国になった中国は、これから様々な国内および外交の軋轢と混乱に対処していかなければならないだろう。中国がカオス状態におちいれば、世界資本主義も大恐慌になるであろう。

中国人民が、国家権力に抵抗して民主化を要求し、反戦を叫び、国境をこえて連帯できる行動は、「平和で自由な」日本国民と同列には論じられない。

しかし、つぎのような事実を指摘する人は大勢いる。

「一党独裁の国だから中国人は同じような考えを持っていると考えるのは間違い。考え方が均質化している日本人よりも、はるかに多様です。相手にしたくないような人も大勢いますが、途方もなく魅力的な中国人はいます。」(高見邦雄氏 認定NPO法人「緑の地球ネットワーク」副代表)

 老生は、「公」をこえた「私」どうしの「共」関係に希望をもつ。

国家間の戦争抑止力は、戦争反対で連帯できる国境をこえた「私」どうしと「共」どうしの関係形成でなければならないとおもう。

(1)日本人の「私」と中国人の「私」との個人的な関係性。

(2)日本人の「共」組織と中国人の「共」組織の集団的な関係性。

このふたつの国境をこえた連帯関係の強化によって、日本及び中国の軍備増強を主張するナショナリスト勢力を弱体化させなければならない。

ひとむかし前、一世をふうびしたマルクス主義は、国境をこえた連帯の主体者を労働者=プロレタリアートにもとめた。しかし、それはおおいなる幻想であることが実証された。

では、労働者にかわる国境をこえた連帯の主体者を、どこに求めるか、その思想は?

老生の少壮老の人生三毛作の人生論=往還思想は、社会システムの変革主体者として壮/職業期世代には期待しない。経済(損得関係)によって政治(権力関係)を利用するからである。

消費生活者である少/学業期と老/終業期にこそ、社会システムの変革主体をもとめる。文化(美醜関係)=道義心を核として生きることができるからである。この論考は、いまだ妄想レベルでしかないけれど。

 

5)憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」への対応

「軍事的抑止力」→「積極的な平和外交」という安倍首相の論理は、国民にどの程度理解されているだろうか。

安保法制に関連した新聞の世論調査では新聞各社によってばらつきがあるが、ほぼ次のような傾向だ。

A:安倍政権の安保関連法案について

賛成:30%前後  反対:50%以上

 B: 安保関連法案を今回の国会で成立させることについて

賛成:20%前後  反対:60%以上

: 安保関連法案に反対する野党の対応について

評価する;35%前後 評価せず;50%前後

:日米安保条約を維持していくかどうか

  賛成:70%以上  反対:15%前後

 

この結果は、憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」を容認する国民意識を反映していると思う。

 日米安保条約の維持賛成は、中国と北朝鮮への国民感情=好きになれない、嫌い、憎々しい、侮る、信用できない、いつまでも先の戦争被害の責任をもちだす、怖い、巨大な軍事力で報復の復讐をされるかもしれない、など反感的な気持ちであり、自衛隊だけでは日本を守れない、だから米軍に頼るしかないというお任せ気分の反映であろう。

 

安保関連法案に反対する野党の対応は、立憲主義や憲法9条違反の論点から廃案だけを主張するか、あるいは法律の細かな適用範囲や武力行使の基準などを追求するだけであった。これらはたしかに、民主主義、立憲主義のあり方という重要な議論のテーマではある。

しかし「中国と北朝鮮」脅威論への対抗策をきちんと提示していない。民主党には、尖閣諸島など周辺事態への対応案はあるようだが、国際関係のパワーバランスの大きな変化へ適応する「総合的な安全保障政策」がない。

台頭する中国を敵視して脅威とみなし、軍事的な「抑止力」を強調するだけの与党の安保法案に対抗して、「政治―経済―文化」を横断する明確な代替案をもって、真正面から論議する準備があまりに不足している。

この対案にもとづく議論の欠如が、反対野党が評価されない理由だとおもう。わたしも評価しない。

民主党は、鳩山政権において「普天間基地移転先は最低でも県外」といってアメリカにまったく相手にされなかった。政権担当能力を備えていなかった民主党政権がみじめに自滅した責任は、あまりにもおおきい。

 

その自滅、哀れな瓦解の根本原因は、民主党およびその支持者たちが、憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」を容認し、思考停止の現状維持で、自民党の米国一辺倒をこえる「新生日本国」の国家像をもたないことだとわたしはおもう。

 安保法制反対の野党が政権交代を目指すのなら、選挙公約に堂々と「総合的な安全保障政策」をかかげなければならない。

それは、短期、中期、長期にわたって憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」を解消する「真の独立国家」へのロードマップでなければならない。

そのもっとも重要な柱は、日米安保条約の段階的解消→新生日本の国家像でなければならない。

 

6)総合的な安全保障政策に向けて

「軍事的抑止力」→「積極的な平和外交」という安倍首相の説明を一面的だと思う理由をのべる。

未来は、過去と現在の延長である。希望や理想は、現実の生活における目的や価値に関係し、日々の諸事判断に影響をおよぼすひとつの要因である。

「国民の生命と安全をまもる」という目的は、それを実現するための手段を要求する。生命を守る厚生労働省、警察庁、検察庁、裁判所。安全を守る治山治水インフラ維持の国土交通省、消防庁、海上保安庁、自衛隊、そして外敵を排除する自衛隊、安保条約など。

これらの手段は、さまざま制約条件を勘案しながら選択される。そうやって選択された一連の手段は、原因→結果の因果関係にしばられる。

そして、「手段→目的」の関係は、「手段=原因→結果」の関係における一部である。

なぜならば、「結果」は常に「目的」よりも広範囲の影響と効果をもたらすからである。目的以外の結果は、手段からみたら想定外となる。

「軍事的抑止力」→軍備拡張競争、小競り合い、不安定の増大、・・・など、結果は、いくらでも想定できる。

安倍首相の説明は、「軍事的抑止力」→「積極的な平和外交」→「軍事力の強化」→「軍事的抑止力」という循環論法、同義反復の論理構造である。なんら説明していることにならない。

老生のこのような思考方式は、{内}*縁*{外}という3元視点のシステム思考の枠組みを基にする。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」でいう、己*関係*汝という枠組みである。

 

◆システム思考→対象;{システム}*縁(←刺激・反応→)*{外部環境}

 安保法制への賛否の議論をながめておれば、「目的→手段」と「原因→結果」の関係について、その議論の知性と理性におおいに違和感をもつ。安保法制への種々の視角が、整合性をもって「総合的」に議論されていないとおもうのである。

「総合的」という言葉を、「システム論的枠組み」と同義語とする。

国家安全保障システムは、国家経営システムのサブシステムである。

○安全保障システム ~国内統治機構と国際関係 → 政治―経済―文化

○システムの内部構造は、安保関連法律体系と自衛隊の組織・装備
*法律=プログラム(手続き)+データ(属性、値)―→武器能力

○縁は、諸国との刺激・反応の諸関係 → 友好関係、敵対関係、同盟関係、無縁関係

○システムの作動は、入力→{処理}→出力
{外部刺激}→入力{知覚、選択、想起、判断、行動、記憶、対応}出力→{外部反応}

○システム構築工程

:目的・要件定義

    ―→:設計・実装・テスト 

―→:―→導入・運用・評価

:目的・要件定義 
  a1.目的の定義 ←国家の存立、外敵から国民の生命と安全をまもる

a2.安保法制の必要性 ←現状認識、国際環境の変化と予測

 a3.国家安全保障政策の基本方針 ←憲法9条、自衛隊、日米安保条約

a4.再構築すべき安全保障政策に関する国民の要求 ←有識者、専門家

:設計・実装・テスト 

c1.日本の安全保障に危機をもたらす事態の詳細定義 ←仕様検討会議

c2.想定する危機事態に対応する方式の基本設計と詳細設計 ←テストケース

c3.詳細設計の実装 →法案の条文 

c4.法案のテスト →想定する具体的な事例ごとの法案の妥当性、合憲性

:導入・運用・評価 

d1.法律の運用 →防衛省、自衛隊、軍需企業、同盟国軍隊

d2.法律を運用した効果
  ◆政治(権力関係)→平和維持(戦争抑止)または戦争状態

◆経済(損得関係)→国防費の増加、経済活動へのプラス/マイナス

◆文化(美醜関係)→平和国家のイメージ低下 ←「普通の国家」

d3.法律の合憲性の司法判断 →最高裁判所

 

システム構築には、このように総合的な分析と統合の思考=知性(事実認識)と理性(因果判断)および品性(道義心)を必要とする。

 今回の安保法制の構築は、システム構築工程からみて、きわめて杜撰な手続きであり、要求仕様書、設計仕様書、テスト仕様書、運用マニュアルなどもまことにお粗末なものだとおもう。

 

7)安倍首相への「ていねいな説明」のお願い

安倍首相は、「必要な法的基盤が整備された。積極的な平和外交を推進し、万が一への備えに万全を期していきたい。国民のみなさまに誠実に粘り強く説明を行っていく」と述べた。

安倍首相のいう「誠実に粘り強い」説明とは、何を意味するのだろうか。

安倍政権は、ふたたびアベノミクス幻想、経済成長戦略、バラマキ予算、オリンピックに向けたナショナリズムの高揚など「目先の感情」をくすぐりながら「粘り強く」宣伝するであろう。そして、「安保法制反対」などの声は、消えてしまうと思っているのではないか。

「積極的な平和外交」と「軍事的抑止力」との関連を具体的な施策として、ぜひ「ていねいに説明」していただきたいとわたしは願う。

そのポイントは、憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」への説明である。矛盾を拡大させてきた自民党政権の過去の歴史にもとづく、未来の「国民の生命と安全をまもる」国家像の説明である。

わたしは、安保法制について、下の疑問への説明を聞きたいのである。

a.そもそも、日本は米軍にいつまで依存し続けるのか?

b.そもそも、日米同盟の「抑止力」を中国が無視したらどうなるのか?

c.そもそも、日中平和友好条約と中国脅威論はどのように両立するのか?

 

◆憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」拡大の経緯

1945年 ポツダム宣言受諾、第2次世界大戦終結

1950年 朝鮮戦争、警察予備隊創設

1951年 サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印

1954年 自衛隊発足

1956年 日ソ共同宣言調印、国交回復

1960年 日米安保条約改定

1965年 日韓国交正常化

1972年 日中国交正常化、沖縄返還

1976年 武器輸出三原則

1978年 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)策定;旧ソ連の日本進攻を想定
日中平和友好条約調印

1989年 米ソ冷戦終結

1991年 湾岸戦争終結後にペルシャ湾に自衛隊の掃海艇派遣

1992年 国連平和維持活動(PKO)協力法成立、カンボジアに自衛隊派遣

1997年 日米ガイドライン改定;朝鮮半島危機を想定

1999年 周辺事態法成立

2001年 米同時多発テロ、テロ特別措置法成立、自衛艦をインド洋に派遣

2003年 有事法制成立、イラク特別措置法成立、自衛隊をイラクに派遣

2006年 北朝鮮が弾道ミサイル発射、核実験

2007年 第1次安倍内閣が安保法制の見直し開始

有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)

2012年 野田内閣が尖閣諸島を国有化、中国公船の領海侵入増加

2013年 第2次安倍内閣が安保法制の見直し再開、特定秘密保護法成立

2014年 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定、武器輸出三原則撤廃

2015年 安全保障関連法成立、日米ガイドライン改定;地理的制約のない協力関係

 安倍政権の安保法制は、戦後のこの流れを維持し、拡充する施策である。その道標は、憲法9条のしばりを廃棄する地点に立てられる。

安保法制に反対する野党が政権奪取をめざすのならば、野党も追認せざるをえなかった戦後のこの流れに現実的に向き合わなければならない。

老生が夢想する「新生日本の国家像」は、戦後のこの流れを逆にたどることによって、憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」を解消することである。

それによって、アメリカの核にまもられた「姑息なコソコソ外交」を卒業し、「すっきりした、美しい日本、たおやかなる日本精神、独立自尊」による積極的平和主義を、世界にむかって標榜する国家になってほしいのである。

 

8)「新生日本国」の国家像

 老生は、「新生日本国」の国家像を、米国一辺倒ではない「中欧米三辺倒」を軸とする国際関係を妄想する。

現実離れした妄想・夢想は、だれにも相手にされずとも、徒然なるままの隠居老人の道楽的特権である。壮/職業期世代は、妄想ではなく、まことに目先と身辺の現実主義者たるをえないのだから。老/終業期世代こそが、自由な構想に遊べるのだから。

憲法9条、自衛隊、日米安保条約の「矛盾3点セット」を問いなおし、「新生日本国」の国家像をえがくために、安保法制および憲法改正の「思想運動」の一環として、つぎの選択の国民投票をあらためて提案したい。

A: 戦後70年を総括する

 ~靖国神社に祀るA級戦犯の合祀をつづけるか、分祀するか?

B: 新生日本の精神性を明らかにする

 ~古代史に遡及して、日中朝が共有できる歴史教科書をつくるかどうか?

C: 世界平和に貢献する国家像をえがく

  ~日本の国土に散在する米軍基地の提供を続けるか、撤去するか?

 

◆国民投票へのわたしの回答と「新生日本国」の国家像

A: 戦後70年を総括して、新生日本の民主主義を発展させる

 ~靖国神社に祀るA級戦犯を分祀する

◎国内統治体制を「徳治政治の民主主義体制」とする

B: 米国一辺倒を脱して、新生日本の国際関係の基本方針を定める

 ~古代史に遡及して、日中朝が共有できる歴史教科書をつくる

◎国際関係は、「中欧米三辺倒」を軸とする

C: 憲法9条の理想をかかげて、世界平和に貢献する国家像をえがく

  ~日本の国土に散在する米軍基地を撤去する、安保条約の段階的縮小

◎安保体制は、「集団的自衛」地球警察隊に移管する

 

9)「新生日本国」のキーワード

「軍事的抑止力」による「積極的な平和外交」という安倍政権の論理は、政治的観念論だとおもう。「中国の脅威」→「米軍に依存」というきわめて短絡的な論理である。

現実的に未来を構想する緻密な論理とはおもえない。国家権力者が、没理性的に感情論で言葉をもてあそぶ事態であるようにおもえる。盟主アメリカ主導の世界秩序を存続したいだけの感情論である。これまでの秩序をこわす者への反感と憎しみの感情論でしかない。

世界の諸国間の関係は、「政治―経済―文化」をまたぐ多面的な相互依存が、ますます緊密になる。

複雑に多極化するグローバル社会で、アメリカがいつまでも世界に君臨できるわけがない。

中国を先頭とするBRICsの経済発展と国力の増強は、歴史的な潮流であり、アメリカの軍事力でそれを阻止することができるわけがない。

アメリカ流の「自由、人権尊重、民主主義」が、「人類の普遍的な価値」であるというのは、アメリカの勝手な「唯我独尊」教にすぎない。

多様な価値観とさまざま歴史を背負った諸国が割拠する地球は、植民地争奪の帝国主義の時代はすぎて、いまや、お互いどうし経済的な「運命共同体」といえる。

安倍政権に提灯をかかげる有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の論理に、「総合的な安全保障政策」を感じることができないのである。

 

蛸壺専門家的な感情にもとづく雑駁な知性がのさばるのならば、老生も荒唐無稽で観念論だとわかったうえで雑駁な妄想を提示したい。

それは、「新生日本国」の夢をえがくあらたな国内統治体制と国際関係にもとづく「地球警察隊」へのはるかなる道程である。

そのキーワードは、A徳治政治の民主主義、B中欧米三辺倒の国際関係、C憲法9条を護る「集団的自衛」地球警察隊である。

この妄想は、100年後には貪欲資本主義が消滅し、国境が融解し、核兵器も廃絶され、「多様な差異」の対立と小競り合いをくりかえしながらも、ほどほどに「分裂共生」する地球イメージである。

このイメージは、人類の「知性、理性、品性の潜在性」を信頼する隠居老人のまことに勝手な個人的な観想、夢想である。(==>コスモスな予定調和の普遍的価値を前提としない「カオス+ソフト+ハード」な世界観)

 

A徳治政治の民主主義体制  

文化(美醜関係)が経済(損得関係)と政治(権力関係)を主導する徳治政治。

「私」個人主義と「公」国家主義を媒介する「共」共生思想。

「少壮老」の人生論にもとづいて超高齢化社会へ対応する「老人思想」。

「私共公」三階建て社会ビジョンを実現する老人世代の社会参加。

「神仏儒」を混淆する「日本精神の道義心」による徳治政治民主主義の制度設計。

「源流却来」、縄文アイヌを起点とする「脱欧入亜」の生命観にもとづく人間像。

これらのキーワードを共有し深化させる国民的な教育と思想運動。

a.教育制度;政治家の知性、理性、品性を育成する仕組み

b.選挙制度;国会議員を選挙する仕組み

c.立法制度;法案上程の仕組み

d.議会制度;法案を熟議して妥協・合意により成立させる仕組み

e.国防制度;国家安全保障関連法案の見直し

 

B中欧米三辺倒の国際関係 

民間交流による日中朝の2000年にわたる歴史教育。

1)縄文時代から江戸時代まで
~縄文文化、仏教、儒教、禅、中華思想、朱子学、陽明学などの精神性

2)明治国家から現在まで
  ~日清戦争、日露戦争、日韓併合、対華21箇条要求、・・・大東亜戦争

3)これから 

{新生日本国}*縁・融解*{世界諸国/地球警察隊}/{自然:天}。

国境の「融解」、竹島、尖閣諸島、国後、択捉―→国境周辺の「共有地・入会地」化。

EUヨーロッパ諸国連合の歴史的なチャレンジにまなぶ東南アジア諸国連合。

日米安保条約の改定と沖縄米軍基地の段階的縮小。

日中平和友好条約の改定、成熟社会日本と大国化する中国との近隣関係再構築。

朝鮮半島の南北統合への積極的支援。

 

C:憲法9条を護る「集団的自衛」地球警察隊

 常任理事国が君臨する国際連合の発展的解消と新たな国際機関の創出。

核兵器の廃絶にいたる軍縮競争。

「日本は平和憲法をもつ特殊な国家である」宣言。

自衛隊および各国軍隊の「集団的自衛」地球警察隊への移管。

多様な民主主義体制の容認。~西欧型、イスラム型、中国型、日本型

 

とりあえず以上  4.1へ   4.3

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資料 安保法制に賛成する論理概要 ←新聞記事から抜粋

◆朝日新聞の「声」投書欄;

  ~国際情勢激変 安保法制は必要

  ~集団的自衛権の行使は当然

  ~国土防衛に集団的自衛権は必要

  ~核攻撃防ぐための抑止力向上

  ~国防軍持って自主防衛しかない

  ~安保法制の精神は相互扶助

 

◆有識者、専門家の論考やインタビュー記事;

a.米ソ冷戦が終結してから、米軍は大幅に戦力を縮小させた。だから国際紛争を抑止することが難しい勢力の台頭が顕著になった。   

 

b.世の中はより不安定化し、いつどんな事態が起きるか分からなくなった。特別措置法などでそのつど隙間を埋める時限立法では限界があった。日本は冷戦後にふさわしい安保法制の制定を怠ってきた。今回の法制整備により、日本はようやく現実的な安全保障システムを持てた。

 

c.安保法は、主としてアジアでのリスクに対応し、日本の安全を確保し、抑止力を高める手段だ。アジアのリスクの短期的な脅威は、北朝鮮の核兵器や数百発の弾道ミサイル。

中長期的なリスクは、東シナ海や南シナ海での軍事力による現状変更が将来的に周辺国との武力衝突をひきおこす可能性。

 

d.こうしたリスクに対応するには、一国平和主義では成り立たない。米国に限らず、他国の軍事活動を支援することが日本の安全に不可欠だ。

日米同盟は、限定的な集団自衛権行使や世界規模での米軍への後方支援や装備品などの防護が可能になることで強化され、抑止機能は向上する。

 

e.日本ができる一番大事な役割は、米国の自由度を高めること。南シナ海で中国の動きを抑えられるのは米国しかない。米国に自由に活動してもらうために、日本ができる最大の協力は、北東アジアで日本の責任を果たすこと。

 

f.限定的な集団的自衛権の行使容認は、「砂川判決」の言う「自衛の措置」に限られ、憲法に合致している。

 

g.集団的自衛権の行使容認が憲法違反化どうかは、司法が判断すべきだ。日本は三権分立の国であり、法律が合憲かどうか最終的に判断するのは、憲法学者でも内閣法制局でもなく、最高裁判所だからだ。

 

h.元最高裁長官が「砂川判決」について「集団的自衛権を意識して書かれたとは考えられない」と述べて、罨法法案を違憲と指摘した。自民党の幹事長は、「個人的な意見」だといって一蹴した。

 

i.憲法があるから国家があるのではなく、国家を守るために憲法がある。法的安定性と国家の安定は共に大切だが、後者がより重要だ。法的安定性よりも法整備の必要性の議論を重視すべきなのだ。

 

j.政府が安保法を適用する際は、国会議員に守秘義務を課した秘密会を開くべきだ。政府が国家機密を含むあらゆる安全保障に関する情報を提供した上で、国会議員が政治判断を下す。国会議員に十分な情報を示すことで、民主的統制も担保できる。

 

2015923日、産経新聞、「正論」 坂本一哉氏(大阪大学大学院教授)

タイトル:「平和主義」強化の基盤は整った

政府は、つぎのことを今後、より一層丁寧に、国民に対して説明していくべきだ。

a.国家の安全保障体制がしっかりしていなければ、国民を守ることは難しい

b.国民を守ることが難しければ、憲法を護ることも難しい

c.憲法を護らずに、国家の安全保障体制をつくることはできない

d.新しい法的基盤は、国家と国民を守り、憲法と平和主義を守るためのものである。

e.あたらしい法的基盤は、わが国の安全のための抑止力を強化する

f.わが国が世界平和に貢献するその能力を増やす

g.安倍政権は今後、「積極的平和主義」、「地球儀外交」を発展させていくだろう。

h.日米同盟の強化は、抑止力を各段に強化する。

i.日米同盟の強化は、わが国と周辺諸国との外交問題の平和的解決に資することがきわめておおきい。

j.あたらしい法的基盤は、できる限り武力行使をせずにわが国の平和を守る、という意味での平和主義を踏襲するものであり、憲法違反にはあたらない。

 

2015922日、朝日新聞、国際政治学者の中西寛氏(京都大学大学教授)

タイトル:国の安全を守る

a.国際秩序が変化

b.二次方程式のように単純に解けぬ憲法9条 →5次方程式 

c.環境が変わったら憲法の解釈変更ありうる →政治家の知恵、合意形成が重要

d.感情論でなく現実見て議論を

e.日本の安全保障環境は50年くらいの間隔で対応を迫られてきた。

 ①幕末、1ロシアの南下、ペリーの来航・・・林子平の「海国兵談」

 ②明治維新以降、帝国主義、日清戦争、日露戦争から韓国併合、満州植民地建設

 ③戦後、アメリカ占領軍、アメリカに安全保障を依存

 ④現在、米国の圧倒的な力による秩序の終わり世界の多極化、グローバル化

 ⑤今後、中国の台頭、むしろ再台頭 ~中華思想、朝貢を受けるアジアの指導国像

f.西洋主導の国際秩序にたいする伝統的な東アジアの国際秩序の復活へ

g.この模索がこれから2030年にわたって続く

h.憲法9条は法律学だけでなく国際政治的判断、国際法の組合せ判断が必要

i.日本の防衛力をどう使うか、議論し、備えておく必要がある

j.平和主義と外交・安全保障をどう両立していくか。

k.北朝鮮のミサイルへの対処、中国の東シナ海や南シナ海での活動に対する牽制、中東での米国の軍事活動などが現実的な課題

l.野党や反対派は、一律反対で揚げ足とりを優先し、議論が深まらない

k.政府・与党は「おれに任せておけば、心配ない」という態度

 

◆米国の軍事研究員

「中国が尖閣周辺の日本の領海に侵入することをやめ、南シナ海で領有権を主張する計画を中止すれば、地域はより安定する」

「中国への抑止力を高めるには、日米が危機に対処するため、共同で計画を立て、訓練して運用することが大切だ」

 

◆フィリピン元外務次官

 中国は強大な軍事力をもち、南沙諸島の埋め立て・開発など思いのまま活動している。周辺国には対抗できる力がない。日本が地域への関与を強め、「力の均衡」に寄与することを期待する。

 日本は大国でありながら、安全保障分野で地域や地球規模の役割を果たしてきたとは言いがい。安保法制によってその時が来たということだ。

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◆中国のガス田開発について

日中両国は2008年に東シナ海で共同開発を目指すことを合意した。「日中双方は、東シナ海その他の海域における共同開発をできるだけ早く実現するため、継続して協議をおこなう」、「中国企業は、日本法人が中国の法律に従って開発に参加することを歓迎する」とされた。

しかし参加を申し入れた日本企業はないようだ。「この海域は既に探鉱がすすみ、新たな油田、ガス田が発見される可能性は低い」というのが専門家の一致した見解らしい。

官房長官が「中国が一方的に資源開発を進めるのは極めて遺憾だ」とことさらに語るのは、中国脅威論=反中感情をあおりたいためなのではないか。品格や品性を感じない。

以上 4.1へ   4.3