6. 憲法改正への思想的準備   2016年6月1日

 

20165月、安倍内閣の下の「一億総活躍国民会議」が、「一億総活躍プラン」を発表した。

~我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」の実現を目的とする「一億総活躍社会」に向けたプラン~

 このプランは、新聞紙でよむかぎりでは「制度設計・財源案」なし、実現性のとぼしい単なる選挙公約のスローガンでしかない「妄想」である、というのがわたしの感想である。

 

その妄想をまねて、わたしも「憲法改正国民会議」の設置を提案したい。

理由① 

政府の政策立案プロセスが、「主権在民」の憲法理念とはほど遠い。

理由②

国民を代表する国家権力者をえらぶ選挙制度は、民主主義の思想と矛盾する。

理由③

高度情報技術(IT)を駆使すれば、すべての国民の意見を収集できる。

  ビッグデータ解析、人工知能、シミュレーション技術で複数の政策案を作成できる。

 理由④

  現行憲法が普遍的価値とみなす人間像・国家論・世界観は、不自然である。

 

◆提案

  問題設定と政策立案を万機公論で決すべく「憲法改正国民会議」を設置する。

 

6.1 「憲法改正国民会議」を提案する理由  

1)国家動乱への火種

2016年の夏、参議院選挙がある。投票で重視する政策課題の世論調査の結果は、つぎの優先順位である。

 ①景気・雇用 ②社会保障・福祉 ③教育・子育て ④外交・安全保障

⑤消費増税  ⑥震災復興   ⑦憲法  ⑧その他

 わたしは、これらの問題群をおおきくつぎのようにくくる。

A:ネット社会の第4次産業革命による失業者の激増2030年までに約750万人!)

   ①景気・雇用

B:財政赤字たれ流しによる超インフレ(財政赤字累積が1千兆円!)

    ②社会保障・福祉  ③教育・子育て  ⑤消費増税

C:アメリカの大統領交代による日米関係の急転(米国追随・自民党の矛盾拡大!)

  ④外交・安全保障  ⑦憲法

D: 地震列島の巨大自然災害によるカタストロフィー(生活基盤の壊滅的打撃!)

⑥震災復興

 

これらABCDは、国家動乱への不気味な火種だとわたしはかんがえる。

2020年の東京オリンピックをめざして、表面的なおもてなしなど、はしゃぎ戯れる余裕はない。

「パンとサーカス」に浮かれて「いいじゃないか、ええじゃないか」とおどる思考停止の安楽な全体主義が、国家を自滅にみちびくことを歴史はおしえる。

「パンとサーカス」に浮かれる庶民をみおろして、高邁にして深淵なる思考の精神世界をめざす哲学者や知識人たちは、世をさけたふりしながらも、結局は国家権力者の思想補強に奉仕してきたことを歴史はおしえる。

 

戦後70年の2016年、いまや、人間の自然な身の丈をはるかにこえる人工的な科学技術社会、自由な発言と映像が瞬時に世界に拡散するネット社会、少数の富裕層ひとり勝ちのグローバル資本主義社会、これら人間の「自然な身の丈」をこえた社会領域は、国家主権の統制範囲をこえて拡大するいっぽうである。

 

「国家の手に負えない社会」が自由に爆発膨張する人類社会である。

わたしは、ここにABCD問題群に起因する国家動乱の潜在性をみる。その根拠を、「社会を制御」できない「個人主義」と「国家主義」との原理的な思想対立関係にもとめる。

「個人主義」 

個人あって国家あり。個人優先、国家は個人に奉仕する。

個人がいる→社会をつくる→社会生活の一部に国民生活がある→国家は必要悪。

「個人主義」には、社会と国家の関係の思想性が欠如している 

 

 ・「国家主義」

国家あって国民あり。国家優先、個人は国家の法にしたがう。

 国家がある→国家の中に社会がある→社会の中に国民がいる→個人は国民。

「国家主義」には、国家が社会と国民を支配する思想性に限界がある

 

2)国家動乱は「不安」がひきおこす

国家動乱とは、国家権力をめぐる混乱により「平穏な日常生活」を維持できない国内状況をいう。国家動乱とは、国家経営をめぐる「現状維持の保守派」と「現状打破の革新派」との対立関係が、許容範囲をこえて暴力をもじさない超法規状態、秩序のない無法状態のこんとんたる激化である。

 

直近の国家動乱と再興は、70年前の敗戦。その前の革命は、150年前の明治維新。

国家動乱は、時代状況を背景にした「未来へのおいなる不安」の国民意識のたかまりによってひきおこされる。

 

日本国憲法発布から70年をへた2016年のいま、国民意識は未来への希望よりも不安をもつ人の割合がふえた。

いつの時代でも社会的問題はつねに存在する。現状に不満をもつ国民は、かならず存在する。不満から生じる不安は、現状ではなく未来にむかう心情である。

 

不安とは、問題解決への希望と期待をもてないことである。未来への不安は、つぎの心境のかさなりあいから生まれる。

①現状が維持できない不安
これまではよかったが、このよき状態はこの先つづかないかもしれない。

②ますますわるくなる恐怖
不景気の時代、これまでもわるかった、この先もっとわるくなりそうだ。

③人間社会と国家への不信

 社会が複雑になりすぎた、複雑な問題をこれまでの仕組みでは解決できない。

 

不満が→不安→憤懣→憤怒→憎悪→絶望までにたかまると、法律の無視→暴動→暴力テロ→国家権力への反逆→政権転覆→革命をめざす。

アラブ社会の現実におきているような国家動乱が、これからの日本社会にも起こりえるか?

 

3)不安に立ち向かう社会思想の問題

1970年以前までの社会運動は、資本主義に対抗する社会主義という構図であった。資本家階級と労働者階級の経済的対立を社会運動の根拠とした。前者が保守・右翼・自民党であり、後者が革新・左翼・社会党/共産党である。政治闘争は、イデオロギーにもとづく左右対立の保革闘争であった。

 

その左翼をささえる思想基盤が、マルクス主義であったことはいうまでもない。

マルクス主義の国家論の究極は、「国家の廃絶」である。

その世界像は、国家権力と生産手段を独占するブルジョワジーを追放する暴力革命をなしとげて、プロレタリアートが支配する社会を創造する国家なき社会主義思想である。

 

199112月、ソ連邦消滅。その社会主義思想は瓦解した。左翼の思想基盤は自滅して総崩れ。労働組合は、社会改革の思想基盤をうしなって、自己保身の賃金闘争におちこんだ。

そして、日本は高度経済成長まっしぐら。

自民党政権は、資本主義による国富の拡大再生産、経済成長を国策として今につづく。社会党・共産党の野党勢力は、社会主義思想による「富の分配」の救済要求を政党の存立理由とした。

ここに左右の保革対立ではなく、「強者」資本主義と「弱者」社会主義が役割分担する強弱の共存体制が確立した。景気が右肩上がりの経済成長がつづくかぎり、この役割分担の共存は現実的であった。

 

だが、高度経済成長は鈍化した。バブルが崩壊して不景気時代がつづく数十年。

1970年前後に大学紛争と過激派武闘集団による散発的な政治的テロ活動があった。その拠点となっていた都心の大学は、キャンパスを山手線のはるか外側の周辺都市にうつした。

それから40年のいま、日本社会はすっかり平穏になった。

 

それらの大学が、また都市にもどりはじめた。その大学生たちは、アルバイトにおわれ、涙ぐましくも「正社員」をめざして就活にはげむ。

仕事が不安定な非正規社員は、将来への不安がつのる。

ビンボー老人は、老後の生活に不安がつのる。

正規社員であっても、終身雇用で将来が安心というわけではない。

大企業に就職できたからといっても、企業がずっと安泰でいられるわけではない。

 

これの不安状況が、日本社会の「平成維新」をめざして、国家動乱レベルにたかまるのかどうか、わたしにはわからない。

これらの不安を、安倍政府の「一億総活躍プラン」が払しょくしてくれるとは、わたしはおもわない。

日本の政治状況は、民主党政権のあまりにもぶざまな自壊がひきおこした政権政党層と無党派層への分解である。

自民党政治に対抗する社会思想の不在、脆弱、混迷といえる状況である。

「主権在民」の国民は、ABCD問題群にどのような社会思想をもって立ちむかえばよいのか。

 

4)国民の知恵を結集する「憲法改正国民会議」 

わたしは、現状の国家制度のままでは、内憂外患が複雑にからみあうABCD 問題群に対応できないとかんがえる。その意味で未来に希望をもてない「③人間社会と国家への不信」派である。

 

その不信の根拠は、政府主導で「一億総活躍社会」をとなえる安倍政権への違和感であり、一強多弱の政党政治への虚脱感であり、日本国憲法のウソっぽさへの不快感である。

その不信は、1938年の国家総動員法成立、1940年の大政翼賛会創立と政党政治崩壊の歴史への既視感につながる。

そして、難題に直面する日本社会が、個人主義の抑圧→国家主義の強化という方向にむかうのではないか、という不安をもつ。

 

1943年の戦時中にうまれたわたしは、天皇制の軍国主義とは次元がことなるけれども、これからの日本社会が、全体主義国家へむかう危険性を予感する。

民主主義の名の下で集団心理が高揚する「国難にたちむかう挙国一致」全体主義への不安である。

個人主義の抑圧→国家主義の強化という方向性は、日本国憲法の「自由、人権、民主主義、平和」という理念と現実の亀裂を拡大させるだろう。

 

そして護憲派の学者や知識人たちの思想性が、根本的に問われることになるだろう。

日本国憲法にかかわる「護憲―改憲―新憲」のそれぞれの思想性を、根本的に対比し熟議するよろこばしい機会がきたと歓迎する。

 

日本国民は、さまざまな意見や提言を、ネットや雑誌や新聞や専門書や論文で発表している。さまざまな団体や地域が、「世の中をよくする」活動を実践している。

問題は、これらの諸活動を政治プロセスに、恒常的に気軽に反映する制度設計である。

国民の知恵を結集する政治制度として「国民会議」の設置を提案する。

 

「国民会議」の討議と熟議をとおして、ことなる価値観と立場にもとづくABCD問題群への複数の政策案と社会思想を創造する。

 

社会思想の枠組みは、社会問題の解決を担う「個人―社会―国家―自然」の関係性である。

問題解決の構造は、「自力―相互扶助―国家権力―諦観」の多次元システムである。

国家権力による「個人主義の抑圧→国家主義の強化」という方向性に対抗するためには、日本国憲法の「自由、人権、民主主義、平和」の理念を、「個人主義」思想と「国家主義」思想の両極から、あらためて根本的に問いなおすべきだと考える。

 

その意味で国民の知恵を結集する国民会議は、「憲法改正国民会議」となる。

 

以上  5.6   6.2