1.老人意識の諸相

1.1  老いの諸相を新聞記事から引用する 

1.2  認知年齢とアンチエイジングについて 

1.3  ピンピンころり願望について

1.4  趣味・ボランティア・仕事について

 

21世紀の先進的文明社会の先端をはしる日本人の長命高齢化。そこにどのような光景が現象しているか。老人はどのような意識で老後すごしているか。その諸相を新聞記事から引用する。

そして、年齢意識、ピンピンころり思想、老人の社会的責任、老後の時間の過ごし方、老後の金の使い方などについて、わたしの意見を述べる。この意見が、2章の「往還思想」につながる。

 

1.1 老いの諸相を新聞記事から引用する 

1)人口構成

**引用1

細る現役世代:

日本の人口構成を20歳から59歳と70歳以上のふたつのグループに着目したとき、

1995年では、20歳~59歳が7113万人、70歳以上が1186万人、約7対1

2020年では、20歳~59歳が6073万人、70歳以上が2781万人、約6対3弱、つまり2対1

100歳以上の高齢者

33年前の1980年:たった792人  2012年9月;4万7756人  

――

 日本社会のすさまじい高齢化、長命化。持続可能な年金制度をどうするか。社会保障制度をどうするか。

それに関連する財源や増税が大きな政治課題になっている。政府与党と野党間だけでなく、同じ党内でも意見が抗争している。そのような政党政治や代議制民主主義において、社会的に大きな政治課題は、どのように解決していけるのだろうか?

 年金問題に限らず、国家のあり方、日本社会の諸制度、諸政策に関する社会的問題に向き合って、退職して老後を過ごす自分は、いったいどのようにかかわればいいのだろうか?

 「日本の未来はどうなるのだろう」と思いながら新聞やテレビの報道を眺めているしかないのか?

 

**引用2

若者の懐を豊かにせよ:

21世紀に入って現役世代が減るとともに内需は落ち込んだ。これからますます現役世代が減るなか、日本はどうすればいいのか。アジアの国々への輸出貿易振興は当然として、内需拡大が問題解決のひとつの処方:

若者がたくさん稼げるようにすれば、人口減はマイナスではない。内需を維持しつつ国際競争力も高めていく大きなチャンスになる。

――

若手に回すお金を増やすのが内需拡大の経済効果として効果的だ、という論調である。これを目にして、はたと困った。

わたしはすでに年金を受給する生活者である。我が老後の生活において、<若手の懐を豊かにする>ことと自分のお金の使い方はどのように関連するのだろうか?

年金を受給する期間を短くするように、さっさと死ねばいいのだろうか?

それとも老人が、「若者を豊かになる」ことを支援するのに、何か行動ができるだろうか?

 

**引用3

経済協力開発機構(OECD)の2005年度の調査:

日本の子どもと高齢者に対する公的支出の割合は、1対11。極端なアンバランス。高齢者に偏りすぎている。

――

日本では若者の数が少ないうえに選挙に行かない、老人は選挙に行く。政治家から見れば若者は票にならない。だから老人に気に入れられる政策を政治家が主張するのだ、と解説してくれる人がいるけど、そうなのだろうか?

民主党政権の「子ども手当て」をバラマキだと批判する人もおおい。民主党の反論は、「子どもは家庭だけで育てるのではなく、社会でも育てるべきなのだ」である。

わたしは、この反論に賛成する。だけど各家庭に現金を配るのは、バラマキだと思う。「社会が子どもを育てる仕組み」づくりに予算をつける。その仕組みづくりに退職老人の何らかの役割もありうるのではないだろうか、奨学資金を「バウチャー」で提供するなど。

 

**引用4

2)100歳まで生きたいと思いますか?

回答者数:4144人、はい:35%、いいえ:65%。

「はい」の理由: (複数回答)

  やりたいことがたくさんある:577人    孫子の成長を見届けたい:530人

  命を大切にしたい:520人         長生きすればいいことがある:410人 

100歳の自分に興味がある:364人   生きるのが楽しい:346人

「いいえ」の理由:(複数回答)

  病気になってまで生きたくない:1435人  親族に迷惑をかけたくない:1133人

  100歳に意味を感じない:1112人     いいことがあるとは思えない:603人

  どうせ長生きできない:518人        現役のうちぽっくり死にたい:442人 

――

 わたしは「いいえ」派。その理由は、何歳までとかは関係なく、人として自然に死んで逝きたいから。死ぬまでにやりたいことといえば、「体と心と頭」が「バランスよく老化して自然に死んで逝く」生活である。「体と心と頭」のバランスを失った状態で人工心臓の呼吸だけを続けたいとは思わない。

 

**引用5

100歳まで生きたくない人は何歳で死ぬのが理想か?

90歳代;7%  80歳代;48%  70歳代;31%  60歳代;9%   50歳代;5%

100歳まで生きるのに必要だと思うものは? (三つまで選択)

健康;3386人  財産;1871人  家族;1261人 好奇心;1234人 趣味;1217人

 前向きさ;1213人 終の住居;739人 友人;286人 仕事;199人 恋愛;138人

――

わたしは、多数派の80歳前後で「この世はもうけっこう」という感じである。しかし、80歳になったときにどう思うか分からない。

 

**引用6

長寿に否定的な意見

 高齢化による国の財政負担が増える、100歳まで生きることは国益にそぐわない(77歳男性)。

 現在の日本は高齢者が増えすぎている(48歳男性)。 長生きは金がかかり税金の無駄遣い(29歳男性)。 

主人と自分の両親4人を介護した経験から、この苦労は自分の世代でやめたい(60歳女性)。 

長寿に肯定的な意見

 命をいただいたものは、可能な限り生きる義務があると思う。要介護の状態でも、それが可能な時代ならば、自ら死を望むべきでなく、悲しい惨めと思っても、生きる気力は失ってはいけないのでは(56歳男性)。

――

 わたしは、長命がすなわち長寿とは思わない。 「自ら死を望むべき」とも思わない。しかし「可能な限り生きる義務」といわれたら、「うん、そうですね」という気持ちにはならない。わたしは、社会的に人格が崩壊した痴呆老人として「生き続け」たいとは思わない。

 では、我が子どもが「植物人間状態」になったとき、親の情としてどう対応するか?

今の自分には、まだ断定的な回答はない。人間としての死生観、生命論、人生論のテーマとしてじっくり考えねばならないと思う。

 

3)シニアは気持ちの上で、自分のことを何歳ととらえているか?

**引用7

年齢意識の調査事例:

 民間のマーケッティング会社が、全国の50~60代の男女813人を対象として、2006年に調査をおこなった。 結果は、男女とも実年齢よりもおよそ6~15歳も若かった。定年間もない60~64歳の男性では3人にひとり強が「11~15歳若い」と答えている。65歳~69歳の前期高齢者で実年齢と同じまたは上と答えた人は20%である。8割の人が自分は実年齢よりも若いと思っている。

――

「楢山節考」(深沢七郎)のおりんは、60を迎えてお山への準備にそわそわしだす。わたしは70歳をこえて「まだ若い」とは思わないが、「人生の残り時間をどう有意義に使おうか」とは考える。

 ところで、「自分のことを何歳だ」ととらえていることを「認知年齢」というのだそうだ。インターネットで「認知年齢」を検索したらつぎの記事があった。

 

**引用8

年齢には認知年齢と暦年齢があるといわれています。認知年齢とは、暦年齢に関係なく、個人が自分の年齢について主観的に認識している年齢を意味します。

一般的には、65 歳~69 歳では8.6 歳、70 歳~74 歳では10.8 歳、75 歳以上では7.3 歳暦年齢よりも認知年齢の方が若いという結果のデータがあります。

また、健康で活動的な高齢者は、認知年齢が暦年齢よりも若いものです。さらに、「身体的健康」、「家族における役割」、「活動状況」、「生活満足感」の間にそれぞれ明らかな関連性が見られます。「身体的健康」がより優れている高齢者は、そうではない高齢者に比べて認知年齢はより若く、その他の変数についても同様です。

93歳の日本画家(女性)

80歳すぎてペルーやヒマラヤ山麓に取材にでかける。未知の世界への好奇心は尽きることがない。「私には、これでいい、というゴールはありません。一歩でも1ミリでも上昇しながら、生き生きとこの世を去っていきたいのです」という。

いつまでも若い心を持ち続けるのに一役買うのは認知年齢を意識して過ごすことではないでしょうか?

生きている限り自分の能力の積極的な活用を心がけましょう。それが真の若さを保つ秘訣なのかもしれません。それぞれの年代で心も身体も美しく輝いて生きましょう!!

――

100歳ちかくの元気な有名人たちがメディアに登場する。わたしには、とてもまねのできない何ともすさまじい人たちだ。野球選手でいえば、イチロー選手やダルビッシュ選手クラスの人たち。凡人たるわたしは、とてもじゃないなあ、と思う。

いつまでも若いと思う上昇志向を「アンチエイジング」、「エイジングレス」という。実年齢は関係なく、肝心なのは精神年齢だ、理想を持って生きれば心はいつまでも青春時代!というような標語をよく見聞する。

わたしは、世間にあふれる老化に抗うアンチエイジング派やエイジングレス派ではない。年そうおうに生きるウイズエイジング派に共感する。「体と心と頭」が、「バランスよく老化して、自然に死んで逝く」老後を理想とするからである。怠け者である凡人としての死生観を鍛えたいと思う。 

 

4)「おいしいを最後まで」 と「胃ろう」  超高齢社会に挑むということについて

**引用9

入院患者が病院食を受付けない場合、腹に穴を開けて胃に直接栄養剤を入れて延命させる処置がある。

栄養剤を強制注入されても本人にとったら食事をした気分にはならない。おいしくともなんともない。うまく飲み込めない人のための食事は、「筑前煮もトンカツもそのままミキサーにかけて出す病院や施設が少くない」。「栄養優先、おいしさまでは手が回らない」。嚥下食が一般的なっている。

ある高齢者の「老老介護」の例では、93歳の夫が、冷や飯と味噌汁をミキサーにかけ、92歳の寝たきりの妻に食べさせていた。

病院や施設に入所している人の楽しみの第1位は「食事」という調査結果がある。口から味わって食べることは生活意欲を高め、運動機能の維持向上に役立つという研究発表もある。介護が必要な人にとって、食べる楽しみは「最後のとりで」ともいえよう。

脳卒中の後遺症、薬の副作用や癌などが原因で唾液が減る、歯がない、などさまざま要因から、年齢を重ねるほど、口から食べることが難しくなっていく。そこで「おいしければ食べる意欲もわき、その人を元気にさせられる。食べる機能維持」ということで「おいしい介護食」開発の取組みが始まっている。

認知症の80代の女性は意思疎通できず、ほとんど食べなくなった。夫は、「食べられなくなったら寿命」と言ったが、退院できる状態にするために息子を通じて胃ろうを勧めた。息子は「チューブで生かされている」状態もあることを了承し、母を特別養護老人ホームに移した。夫は面会に行かなかった。「会いに行っても自分のことが分からない。寝たきりで動けず、声をかけても反応がない。あんな状態で生かされているのを見るのはつらい」と涙ながらに言う。

――

 わたしは、「食べられなくなったら寿命」という考えに賛成する。老妻も同じ考えである。これらの

記事を読むにつけ、「楢山節考」(深沢七郎著)の主人公である「おりん」婆さんの姿が浮かぶ。おりんは、自分の丈夫な歯を恥じて、食べられなくするように自分の歯を壊す。

まさに、この世に生まれて社会生活をおくる人間としての死生観のテーマである。

 

5)終末期医療、尽きぬ悩み  延命中止、刑事責任判断相次ぐ

**引用10

ぜんそくの重症発作で意識不明になった患者の気管内チューブを主治医が抜き、弛緩剤を投与したとして、殺人容疑で逮捕された。懲役1年6ヶ月執行猶予3年の有罪判決が確定。

脳に重い障害があり、回復の可能性の低い生後数ヶ月の乳児の両親が、「こういう治療を続けるのはこの子を苦しめているようでいたたまれない。もう人工呼吸器をはずして頂けないでしょうか」と医師に懇願した。

医師は、外せば殺人罪に問われるかもしれないと思い、「いったんつけた人口呼吸器を外すのは認められていないんです」と断った。

――

「医者の治療義務」という法律があるということを知った。自分が「終末期」状態になったときのことに重ねてぎょっとなった。終末期医療を拒否する尊厳死の遺言状を書いておけば解決するのかしら?

それとも自分の「生」を自分で選択したわけでもないのだから、自分の「死」も自分の意志のままというわけでもないのだろうか? 自分の命はだれのものか?

 

6)親に対する子の権利・義務の法律は?

**引用11

虐待者の親権制限、法務省が子の保護を優先:

「親権とは、未成年の子を育てるための親としての権利・義務。民法では具体的に、監護教育権、居所指定権、懲戒権、職業許可権、財産管理権などが定められている。親権者は子の利益に反する行為ができないことになっており、親権の乱用があった場合、家庭裁判所が親権喪失を宣告できる。」

――

子に対する親の権利・義務は分かるが、親に対する子の権利・義務の法律はどうなっているのだろうか?

この疑問は、自分がボケや痴呆や要介護になったときに、子供に世話してもらう事態をどう備えたらいいのだろうか、という懸念からでてきた。

戦前までは長男が、親のめんどうをみるべきだ、家を継ぐべきだ、先祖の墓をまもるべきだ、という家制度があった。だが、「それは封建的である。個人の人権抑圧である。戦後の新憲法の自由な個人、基本的人権尊重にあわない」。だから家制度と家父長制が廃棄された。

では老後の親と子どもの関係として、どんな法律があるのだろうか。

自分はそれを知らないことが分かった。ボケて痴呆になった自分を、わが息子や娘が介護をするとすれば、その根拠は、親子の心情や家庭内の事情だけなのか?

わたしは老人の社会的責任を考えたいと思っているけれども、どうじに子どもの親にたいする社会的責任も考えなくてはいけないのではないか、と思う。

 

7)定年後の理想のライフスタイルにつての調査事例

 「いまや定年後の自由時間は8万時間を超え、現役時代の労働時間に匹適するほどになった」といわれる。定年後の理想のライフスタイルについて広告代理店が、2005年、全国の1946年~51生まれの男女360人を対象として調査をおこなった。定年後の理想の時間の過ごし方としては「仕事、ボランティア、趣味のすべてに取組みたい」という回答が約4割で最多だった。

 

仕事とボランティアと趣味

42.5%

ボランティアと趣味

21.8%

趣味のみ

15.5%

仕事と趣味

13.4%

仕事とボランティア

3.0%

何もしたくないか仕事だけ

1.6%

 

 この調査は、理想の希望調査である。この調査結果を認知年齢の調査結果と重ねれば、「いつまでも若い心を持ち続けていたい、生きている限り自分の能力の積極的な活用を心がけたい、それぞれの年代で心も身体も美しく輝いて生きたい、仕事だけでなくボランティアや趣味に取組みたい」と符号する。

ところがこの調査結果の意欲が実際の行動につながっているかどうかは、また別の話らしい。理想と現実は違うということ。「いざ隠退し、個人となって今後、どう社会とつながっていけばよいか悩む人も少なくない」というのが実態らしい。

 

8)定年後のお金の使い道の調査事例

 「お金の使い道」について広告会社が団塊世代を対象にした調査データがある。使い道が自由な余裕資金を定年後の世代が何に使うかという調査である。2007年、東京近郊と大阪、京都、神戸の58~60歳男女計426人、病院や施設に入っていない元気に生活できている人、家計費とは別にあるていどの余裕資金がある人が対象。

 その結果は、旅行、趣味が上位を占めた。「子供に残すより、自分の人生を楽しむために使おうという人が多い」。  (複数回答) 

 

 お金の使い道

男性

女性

趣味

67.5 

57.1%

国内旅行

61.8

65.4

海外旅行

51.6

65.4

電化製品

48.8

51.1

住宅リフォーム

45.9

46.2

43.5

30.2

娯楽

26.0

40.7

その他

20.0以下

20.0以下

 

これらの調査結果を、「自分」と「社会」との関係のあり方、「老人世代の社会的責務」という視点から、以下にわたしの意見を述べる。

以上 1.2