3.高度文明社会の病理症状、根本原因、未来への希望(改2015720日)

3.1 日本社会の精神病理症状

3.2 身心頭と四つの関係性のバランス失調

3.3 科学技術的知性への偏向が現代社会の病理の根本原因である

3.4 「フリー、ルール、マネー」の社会原理を問いなおす

3.5 非日常の「共生」を日常化することへの希望

 

戦後の高度経済成長を成功させた諸制度の賞味期限切れを誰しも指摘する。

国家経営の赤字累積が、1千兆円をこえる。老人世代から次世代への負の遺産相続である。底なしの無責任体制、モラルハザードな社会風潮、倫理性の堕落ではなかろうか。

「このままではやっていけない」という不安と不信感情が日本人に鬱屈している。日本の若者たち(上級志向者、中間層、独立派、反抗者、ひきこもりなど)は、未来にどのような希望をもてるのだろうか。

このような問題意識は、老人の死生観、自由と個人主義、ヒューマニズム、民主主義と国民国家=人権と国権、とめどもない科学技術崇拝、学問知性の蛸壺化症候など、全体的な社会常識と現代思想への根本的な問いなおしである。

根本的な問いなおしとは、常識や価値観や幸福感をささえる現代思想への「源流却来」である。源流却来=立ち止まって根本にたちかえること。

この問いなおしの実践的課題は、国家経営ステムの再設計である。そのためには、私;「人間とは何であるか」、公:「国家とは何であるか」への根本的な思想変革が必要だろう。

本章では、隠居老人がそういうおおげさな物語を妄想しながら、高度文明を謳歌する日本社会の精神病理症状について感想を述べる。

 

3.1 日本社会の精神病理症状            

1)日本社会の価値観と諸制度

2)「不満や不安」の根本問題

3)中間層が住むマンション団地の都市型生活スタイルの三つの特長

4)人格的人間関係の「ヒューマニズム」の思想不在

20157月16日、安保法制が衆議院で強行採決された。主権在民を標榜する国家経営システムが、その「理念と現実」のギャップをあまりにも拡大しているのではないか。

現代人は、「戦争を抑止する目的のために、軍事力を拡大する」パラドクスを克服できない。現代思想は、そのレベルの知性でしかない。西欧流の厳密でハードな思弁的哲学思考をこえて、「友好平和交流」と「敵対軍事訓練」が共存できる「分裂共生思想」のソフトな多元的知性をきたえなければならない。

カオスで多様な差異が分裂しながら共存できる「共生思想」を探究する。その世界像を、私共公/天の枠組みでえがく「カオス*ソフト*ハード多重社会システム」とする。

 

1)日本社会の価値観と諸制度

この世を生きる人のパターンは、生活意識の視点から、つぎのように分類できる。

A; 幸福層 現在の生活におおいに満足、社会にも不満はない

B; 中間層 現在の生活は、ほどほどに満足、しかし不満や不安もあり

C; 貧困層 現在の生活が苦しい、居場所がない、社会におおいに不満あり

 「もっともっと」の豊かさを求めて、未来に希望がもてた高度経済成長の昭和の時代が終わった。平成の時代になり、需要が飽和し、景気が停滞し、経済成長への見通しも暗い。

B;中間層が減少しC;貧困層が増える傾向にある。A;幸福層は、世襲制により固定化されつつある。相続格差社会である。これからどうなるか。

人口が減り、高齢者の割合が極端に高くなることだけは、確かな日本の未来像である。

1970年代以降の日本社会は、若者たちが元気溌剌した雰囲気にはほど遠い。コンピュータとロボットが活躍し、これまでの仕事場がますます細っていく。自由で豊かになった日本社会で、「現在を生きられない」貧困層と「不満や不安をもつ」中間層が増え続ける。

貧困層が増えるのは、景気が悪いからなのか。景気がよくなれば、貧困層は減るのか。景気がよくなるとは、どういうことか。景気をよくするには、誰が何をどうしたらいいのか。経済的豊かさ/貧困と精神的豊かさ/貧困の関係をどう考えるか。

 

この問題意識は、戦後の日本社会の基本的な価値観と諸制度にかかわる。

◆いまの日本社会の価値観と諸制度

その人間像は、だれでも独立した個として尊重される①自由な個人主義である。

その自由は、②資本主義の自由市場で貨幣獲得の競争に向かう。

その自由を統制する原理が③民主主義である。

そして自由な合理主義的④科学技術への無条件の信頼がある。

だから、合理的精神になじまない⑤倫理道徳の規準を国民も人類も共有できない。

「お天道様が見ている」心情の喪失、⑥貪欲な欲望追求を是とする「神なき時代」である。

その自由競争と職業と仕事の複雑高度化は、必然的に⑦能力格差と社会格差をもたらす。

それゆえに⑧人権尊重の福祉政策を国家統治機構に組み込まなければならない。

科学技術の革新が、商品の生産、物流、販売の仕組みを変える。人力に依存する仕事の仕方を変える。⑨コンピュータとロボットが、人間に代わって仕事をする。

肉体労働や事務作業に従事する雇用機会が減る。情報技術に従事する知識産業が新たに興る。既存産業が衰退する。グローバルな資本主義経済市場が、世界を席巻する時代である。だから景気対策が、日本の国内政策だけに閉じない。

景気回復、雇用創出が、この数十年の日本政府の基本的な課題であった。しかし簡単には解決できない。

 

◆日本国憲法の理念 ~近代思想の平等と不平等

現代社会の根本問題は、高度文明の繁栄をもたらした近代思想そのものに内在することに目を向けなければならない。

自由な市民社会、資本主義、民主主義、合理主義、科学技術革新は、西欧に発した近代思想である。戦後の日本国憲法の理念は、米国流の近代思想に淵源する。

近代思想が、戦後の高度経済成長をもたらした。人権尊重、自由、平等の社会思想において、貧富の差は、必然的に生まれる。人間の歴史において、つねに勝者=支配層と敗者=従属層は存在する。

いつの世にも事故や病気や障害などで働けない人はいる。産業革命に端を発した労働者運動がめざしたユートピア的社会主義思想の非現実性は、ソ連の崩壊と中国の現状が証明している。

生命の自律性に由来する自由の大義において、人は平等である。しかし、自由な競争において不平等は必然となる。自由思想が、平等思想を圧倒的に凌駕しているのが歴史の現実である。

現代社会は、選挙を通じた「多数派」政党の支配体制である。3割の得票率しかもたない与党が議席の7割ちかくをほぼ独占する。与党と無党派が二大勢力で弱小野党が分裂している。  主権在民の民主主義の理念と現実が、あまりに乖離しすぎているのでないか。

 

◆資本主義的自由競争と社会主義的ヒューマニズムは、共存しうるのか?

近代思想の理念は、封建制から人民を解放したヒューマニズムである。このヒューマニズムは、自由競争の勝者・強者の富を、敗者・弱者に再配分する税と保険の社会保障の制度で実現された。経済が右肩上がりで成長する時代にあっては、この強者の自由を許す資本主義と弱者の救済を求める社会民主主義が、正当に共存できた。

だが今や右肩上がりの高度経済成長の時代は過ぎた。新聞やテレビのニュースは、貧困社会の症状、生活保護者の急増、独居老人の孤立無援死などを連日伝える。税と社会保障の抜本的な改革が国家の主要なテーマになった。

国家経営の財政は、次世代へ1千兆円の借金を残す。毎年1兆円の老人福祉費用が増え続ける。無責任きわまるその倫理観の喪失は、ひたすら目の前の利益、経済対策、マネー獲得にむかわせる。「今だけ、ゼニだけ、自分だけ」の個人主義の人権思想と国家権力思想。

では、アベノミクス経済成長戦略による税収増で、現代社会の閉塞状況を打開できるのか? 経済至上の資本主義競争と社会主義的ヒューマニズムは、共存しうるのか?

近代思想の「倫理道徳なき、無責任な」価値観が、根本から問い直されなければならない時代だとかんがえる。(==>源流却来、往還思想、老人思想)

 

2)「不満や不安」の根本問題

2011311日、東日本を襲った地震、津波、原発事故、放射能漏れの未曾有の大災害から4年がたった。(20157月現在。)

身の丈をこえた科学技術への不安、民主主義ゆえのもたつく政党政治への反撥、中央官庁の縦割り支配、社会保障制度への不信、国家経営の混沌、有識者や専門家たちの蛸壺化と無責任などが、その極限に達しようとしている。

戦後の日本人の多くが、高度経済成長の果実を享受してきた。ほとんどの日本人が、快適で便利な都市型生活スタイルの物質的豊かさと情報化社会を生きる。

しかし、中間層に属する多くの日本人が、人の自然な生き方を疎外する「生き苦しさ」を感じている。「このままでは真の幸福はない」という将来への不満と不安をもつ。

その根本的原因は、どこにあるのか。

それは、高度文明の繁栄をもたらした近代思想の価値観そのものにあると思う。「自由、されど閉塞感」である。過剰な個人の私的自由は、過剰な公的管理統制システムと表裏一体である。

 

3)中間層が住むマンション団地の都市型生活スタイルの三つの特長

高度文明の繁栄を謳歌する社会現象は、都市型生活スタイルのマンション団地に典型的に観察できる。

◆その生活スタイルの第一の特長は、フリー;個人の自由、個人主義、権利主張である。

その生活は、玄関の鍵ひとつで、私的な占有・専有空間と外部の共用社会空間を遮断できる。個人どうしの個を分断するプライバシー尊重が優先される。

「隣の人はなにする人ぞ」の関心は、個人情報保護をたてに拒否される。個人の自由、個人主義が、地域の人間関係の基本である。

 

◆都市型生活スタイルの第二の特長は、ルール;社会的な規則、法律、制度である。

個人主義、自由主義は、いっぽうでは集団的秩序の問題を発生させる。それぞれの個性をもって生きる「差異の多様性」の社会では、安心・安全・清潔を維持するための何らかの規範が必要となる。

マンション団地の共同生活では、住環境維持のための管理規則が必須となる。共用施設や共有空間は、個人が自由勝手には使用できない。住民は、団地管理組合の使用規則(ルール)にしたがわねばならない。

民主主義の手順にもとづいて、個人の自由を制約する規則が制定され、運用される。その規則が、住民の「みんな」が従うべき「公」=規範の強制=国家統制の均質思想になる。

 

◆都市型生活スタイルの第三の特長は、マネー;信用通貨、法定貨幣、ゼニカネである。

マンション団地の規則を運営し、秩序を維持する日常業務は、民間企業の管理会社に委託される。住民らは、その費用として管理費を払うだけでよい。

「共有財産」=共用施設等の維持のために、ことさらに住民らが労力を提供する共働作業は、要求されない。自分たちの生活環境の秩序を、金(マネー)で買うのである。金をはらい、規約にしたがえば万事OK

「私」が自由フリーな個人主義を生きるためには、ルールとマネーの二つで必要十分である。ルールとマネーだけが、社会生活の人間関係を安定して媒介する信用メディアである。ルールが民主主義、マネーが資本主義に対応する近代思想の根幹である。

 

4)人格的人間関係の「ヒューマニズム」の思想不在

マンション団地の生活は、たしかに管理された安心・安全・静寂・清潔などの生活環境ではある。だが、それ以上の「差異の多様」な生活の豊かさを実感できる人間関係はない。自分とは異なる、やっかいな隣人と「共に生きる自分たち」意識=「共生思想」は、希薄である。

公「みんな」と私「自分」の二階建の戦後の日本社会では、多様な差異の「共」自分たち意識を養育も訓練もしてこなかったのだ。

隣人への「おせっかい」は、「おおきなお世話」として拒否される。何かを提案すれば、「責任はどうとるの?」と詰問される。

だから何もしない、なにも起こらない。何かが起これば、公;行政をせめる。そこには、人間の本性が欲求する「豊かな人間関係」は、背後に潜在化する。

お互いが自由であるがゆえに他者につながる欲求が、ほどよくうまく実現できない。人格的な「我―汝」人間関係を意味する「ヒューマニズム」思想の不在現象といえないか。

封建制から人民を解放し、個人の自由を掲げたのが、近代思想のヒューマニズムであった。しかし、現代社会の個人中心の「人道主義」こそが、いまや差異の多様な人間性である「ヒューマニズム」の発露を抑圧し、均質なルールに閉じこめているのではないか。

「私と公」の二階建社会の秩序維持が、国家統制=「公」の管理思想=国家権力の肥大化をもたらすことになった。個人情報は、国家行政システムにおいて一元的に管理されているのだ。

 

◆今や人間中心のヒューマニズムは、パラドックスである。

住民のお互い同士は、目にみえぬ「檻や柵」にかこまれて、静かな閉塞感を生きる。生き生きワクワクする自由で創造的活動を抑制する均質なルールにしばられる。

自然環境から疎外された人工物に囲まれたマンション団地。人の自然な「お付き合い」を疎外する「疎遠な生き苦しさ」。スマホとlineにしがみつく中高校生たち。他者と繋がりたいが、繋がれない。「精神的に真に幸福ではない」という不満と焦燥。これらのマンション団地の都市型生活スタイルは、日本社会の縮図と符号する。

「みんな」の秩序を統制する「公」的知性である民主主義のルールが、管理された安心・安全・静寂・清潔な物的な環境を保証する。その環境は、「私」的知性が是とする資本主義の自由競争ルールで稼いだ金マネーを媒介にして構築され、維持管理される。ヒューマニズムは、フリーとルールとマネーの再配分に埋没してしまった。

個人を束縛する村落共同体からの「人間解放」・「個人の主体性確立」が、近代化のスローガンであった。日本も明治維新以降、ひたすら脱亜入欧をめざし欧米の生活スタイルを追って近代化路線を突き進んだ。

その仕上げが、世界にも冠たる自由あふれる個人尊重の現代日本社会である。もっとも進んだ民主主義国家である。その知性の到達点である公私二階建社会において、「私」の不安と「公」の混沌が常態化してきた。見えざる大きなシステムに抑圧されている社会を実感するようになった。

 

自由・平等・友愛のヒューマニズムをめざした近代思想は、堅牢な管理社会システムの秩序を実現してきた。そのあげく、差異の多様な個性を均質化する閉塞感をもたらしている。ヒューマニズムをめざす思想が、ヒューマニズムを抑制するパラドックスである。

「お天道様がみている」という自制原理から解放された自由で合理的な現代人は、自らの理性が築きあげた底知れぬ複雑な社会システムのなかで呻吟している。

そのシンボルが、核兵器であり、地震列島上に散在する原子力発電所であり、借金1千兆円の次世代へのツケであり、死生観なき延命治療などである。

この状況が、現代日本社会の根本的な精神病理症状であるとかんがえる。根本的な対応策を考えなければならない。

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