5.4 「六権分立」に憲法を改正する思想   201653

 

■問題

 新聞、テレビ、ネットにあふれる匿名または実名の政治的な言説は、玉石混交である。くず石もおおいが、なかには宝玉もちらばっている。差異の多様な国民は、さまざまな意見や要求や提言をもっている。

だが、主権在民といえども、選挙投票の前段階と後評価において、国民が「政治」に参加できる政治システムの仕組みは貧弱すぎる、とわたしはかんがえる。

国内および海外のさまざまな領域の実務家、当事者、専門家、研究者、学者などが、みずからの事実認識と分析・論理にもとづいて、日本の政治に意見や提案をしている。

そういう人たちは、複雑きわまる国家経営にかかわる知性・理性・品性の視点からみて、多くの国会議員たちよりも、はるかにすぐれた知恵者だ、とわたしはおもう。

そういう人たちの意見や提案が、もっと「政治」に反映できる制度設計が必要ではないか?

「国民の代表」である与野党の議員センセイたちが、最高裁判所のしてきをうけて、衆議院選挙制度の改革をいやいやながら議論をする。どの政党も、自分に有利かどうかの「御身大切」の思考でしかないようにみえる。

その結果は、「自らを律せない立法府」の視野狭窄と思考停止と自己保身をあますことなくさらしている、とわたしはおもう。

小選挙区比例代表制という選挙制度、公職選挙法による選挙活動の制約、政権交代可能な二大政党制を是とする政党政治などは、ほんとうに「主権在民」の理念を実現する合理的な政治思想なのか。

そういう仕組みで選ばれた国会議員センセイたちの一部で構成する憲法審査会が、憲法改正の原案をつくっていいのか?

 

1)政治とは

①統治者・為政者が民にほどこす施策。まつりごと。

②国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動。

③広義には、諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合すること。 

 

2)主権在民の問題

 憲法前文は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」という文言ではじまる。

2016424日、京都と北海道の二つの選挙区で衆議院補欠選挙があった。投票率は、野党候補だけの京都3区で30.12%。与野党接戦の北海道5区でも57.63%。

京都選挙区の得票数の順位:

 ①当選65,051、②次点20,710、③6,449、④4,599、⑤2,247、⑥370 *棄権70

北海道5区の得票数の順位:

 ①当選135,842、②次点123,517  *棄権40

 「一部の投票者→多数決→国民の代表」という主権在民・民主主義の現実は、「主権在民」やら「立憲主義」などという御大層な理念とのギャップが、あまりに大きすぎるのではないか。

 たとえば、2014年の衆議院選挙。棄権もふくむ全有権者から得た自民党の得票率は、小選挙区で24.5%。比例代表は、17%でしかない。それでも自民党の議席は、6割を占める。

 その自民党の総裁が内閣総理大臣首相国家の最高責任者という図式により、いまや「数の原理」をふりかざして、「決断できる政治、責任ある政治」を標榜し、自らの国家主義思想を官邸主導でどんどんおしすすめている。

 自民党は、憲法立法・行政・司法の三権分立、地方自治という分散統治体制よりも、中央集権的国家主義体制にむけた憲法改正をめざす。

その思想は、国民の自由よりも国家の秩序を優先する「国家あって国民生活あり」という国家中心思想である。国民を上から統制することを基本とする全体主義的国家中心思想。

 個人の基本的人権と主権在民を普遍的価値とする憲法とそれを実現する現実の政治システムには、なにか根本的な欠陥があるのではないか。

 

3)政治意識―政治教育―政治制度

 「政治」という言葉は、日常の個人生活や社会生活では、なにかよそよそしく、ちょっと避けたくなる感じの言葉のようだ。政治意識が濃厚な人や政治活動に参加する人や政治的話題の好きな人は、なにか特殊な人物のようにみられる。

その理由は、「政治」は「お上」である統治者がかかわる領分であり、下々の「民」が政治意識にめざめて政治活動をなすとは、「お上」にたてつく「おそれおおいこと」なのだ、という意識と関係があるような気がする。

徳川幕藩体制の「士―農工商」という封建制から大日本帝国の「君―臣―民」という天皇制に引き継がれた「統治者と民」、公の「温情ある殿様」と私の「従順なる良民」という上下意識が、現在の日本人の深層心理においても温存されているようだ。NHK会長ですら「公共放送のNHKは、当局の発表の公式見解を伝えるべきだ」という。

ところが日本国憲法は、個人的人権、主権在民、民主主義、立憲主義を「人類の普遍的な政治哲学」とする。国民が「国家統治の主権者」だという政治理念である。

18歳選挙制度になって、高校生も投票できるようになった。高校の授業に、政治教育の科目も新設されるそうだ。政治的関心をたかめ、主体的に政治的判断ができるように、政治行動を主体的に選択できる能力向上が、政治教育の目標らしい。

高校生の「主権者教育」を指導する人たちは、つぎのようにいう。

~安保法制とか原発再稼働とか、大きな政治的テーマを扱わなくてもよい。身近な問題をテーマとして、意見の異なる人と議論し、より良い解決策を一緒に探し出そうとする姿勢を養うこと。だれかが何とかしてくれるという発想はやめて、自分たちがどうにかしきゃいけないと気づくこと。

~政治に関心をもち、政治に働きかけていくことが、自分たちの生活や将来をよりよい方向に向かわせる。この自覚をもてるかどうかが、主権者教育の成否を分ける。身の回りの問題は、すべて政治につながっていることを教える。

だが、わたしは、このような政治教育や主権者教育の考え方に反対ではないが、思想的にはすこし違和感をもつ。うえの政治教育は、あまりも「政治」の意味を広義にとらえた「政治優位」思想とおもうからである。これでは国家中心思想に取り込まれるおそれがある。

政治教育の第一歩は、「国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動」を自分の生活との関係、つまり「権力者と被統治者」との関係こそを教えるべきだとおもう。 

具体的には、「なぜ税金をはらうのか?」を問いかけて、国民の税金を使う公共事業が、自分の生活とどのように関係しているかを説明し、調べさせ、その仕組みを教えることである。

国家権力の現実的な行使である公共事業をおこなう中央省庁は、2001(平成13年)16日、つぎの113省庁に再編された。

内閣府財務省総務省法務省国家公安委員会警察庁)、国土交通省環境省厚生労働省農林水産省経済産業省復興庁文部科学省外務省防衛省

これらの為政者の仕事と自分の生活との関係を具体的に教えることが、政治教育のまず第一歩であるべきだろう。

そこから、自分の生活が、ことごとく「政治」に支配されてはいないことを理解できる。逆に個人のトータルな生活世界における「政治」にかかわる限定生活領域を認識できる。

このようなステップをへて、国家中心思想と個人中心思想とを対比させながら、民主主義と「君―臣―民」の関係、自由主義と「政治―経済―文化」の関係、個人的人権と「個人生活―社会生活―国民生活」の関係への理解にすすむ。

 だから、高校生にかぎらず「主権在民」の政治教育は、人類の歴史をふまえた思想教育となる。

たとえば、つぎのような基本的なテーマについて、生徒と大人が熟議する。

「民主主義とは?」、「政治とは?」、「国家とは?」、「社会と国家のちがいは?」、「国家権力とは?」、「公務員とは?」、「憲法とは?」、「立憲主義とは?」、「政治システムとは?」、「国家経営システムとは?」などなど。

 

4)主権在民・民主制における国民の政治参加の諸相

一般国民が、選挙投票以外に政治参加できる政治システムは、まことに貧弱であるとわたしは考える。「主権在民」の理念は、羊頭狗肉といっても過言ではなかろう。

主権在民・民主制における国民と国家権力=「立法・予算→行政→司法」の三権分立の関係は、つぎのように図式化できる。

        国家権力        

 議員 → 立法・予算   →行政     →司法  

↑          ↑       ↑

①議員に立候補    ③公務員に就職   ⑤提訴

②議員選挙に投票   ④不服審査要求

この図式を、国民の政治参加プロセスの可能性にひろげれば、つぎのようになる。

                   国家権力・公務員 

                     ↓↓↓

国民の意見 →→政策・制度設計・法案→→立法・予算・行政・司法→→ 成果 

↑              ↑      ↑   ↑

ネットに書き込む。    ↑    ①議員になる。  ↑    ↑

新聞に投稿する。    ↑      ↑ ③公務員になる。  ↑

集会をひらく。     ↑     ②選挙に投票する。    

街頭デモ、街頭宣伝   ↑             ⑤裁判に提訴する

署名運動をする。    ↑     ④行政へ意見する

役所に押しかける。   ↑       議員に陳情する、補助金や減税など。

報道、評論、提言する。  ↑       政治家に献金する。

テロ行為、暴動、占拠  政治団体を組織する。 ロビー活動、許認可申請など。

ヘイトスピーチ、暴力  諮問会議や審議会などの委員になる。

    ***国民と公務員とのコミュニケーションシステム***   

↑↑↑↑         ↑↑            ↑↑↑

一般国民・マスコミ・ネット 有識者・専門家・御用学者  権益団体・党派など

 

このような現実にあって、政治意識をたかめる政治教育だけでは、主権在民の理念を実現するのは不十分である。国民が政治に参加できる政治システムをもっと問題とすべきである。政治行動は、個人の意識と国家制度の関数なのだから。

現実は、国民の意見→政策・制度設計→法案・財源案作成段階の政治システムが、一般国民にとっては、公聴会やパブリックオピニオンなど参考意見を陳述する制度でしかない。

 2016年5月、安倍政権は、「一億総活躍社会実現対話」を全国4会場で実施した。「多様な意見を政策に反映するため、広く国民の声を聞く催し」である。

 だが、この程度のレベルの「主権在民システム」でいいのだろうか?

 いまや、インターネット、ビッグデータ解析、人工知能、シミュレーションなどを駆使できる高度情報技術社会である。この情報システム技術を、もっともっと国民の意見→政策・制度設計法案・財源案作成段階の政治プロセスに適用するべきではないか。

 

5)個人生活―社会生活―国民生活

 人は、個人生活、社会生活において、法治国家の一員として国民生活をいとなむ。この三つの関係性について、原理的にことなる立場がある。

a.私:個人中心思想

個人があって国家がある。国家なくとも個人は生きていける。

個人生活の一部が社会生活であり、社会生活の一部が国民生活である。

{個人(社会人(国民))}→政治は、個人生活にとって一部分でしかない

.公:国家中心思想

国家があって個人がある。国家がなければ個人は生きていけない。

国民生活の一部が社会生活であり、社会生活の一部が個人生活である。

{国民(社会人(個人))}→政治は、個人生活を全面的に支配する。

わたしの生活世界は、「個人生活―社会生活―国民生活」が重なりあっている。わたしの政治的な意見や政治への要求は、個人生活と社会生活から発する一部でしかない。

 ①個人生活 

外部環境に関与せず、{身心頭の内部状態・意識}だけで「個人」として生きる。
自由な欲望を制約する基準
良心――>天罰 →敬天愛人、則天去私

②社会生活

個人生活が{外部条件・諸制度}と相互作用する「社会人」として生きる。

自由な欲望を制約する基準道徳、社会常識、倫理規範、伝統慣習。

③国民生活 

社会生活の一部を「国家の主権者」である「国民」として生きる。

自分の生命・財産の安全を国家に委託する基準法規範、法律、法文解釈。

 これらの生活実践において、社会にむかって、国家にむかって、わたしはさまざまな感想や意見や反発や提案や要望などをもつ。

 だが、それらの意見や要望を「政治」に反映する手段は限られる。

手っ取り早いのは、自分が「統治者・為政者」になることである。つまり、議員や公務員や裁判官の資格をとることである。

公務員でない一部の国民は、自らの経済的利得や主義主張の実現をもとめて、国家権力を利用し影響力をはっきしようとする。権益団体や党派を結成して、政治の世界に暗躍跋扈する。

政治学者やマスコミの評論家たちは、政治家のスキャンダルや「政局」をドラマ化して論断・解説し、「権力を監視するのがジャーナリズムの使命だ」などという。

政府と官僚は、じぶんに都合のよい有識者・専門家・御用学者などを諮問委員にえらぶ。  

 だから「主権在民」思想をきたえる政治教育においては、「選挙投票に行きましょう」というレベルではなく、まず「統治者・為政者」をめざす者の教育でなければならない。

 その教育は、差異の多様な国民の意見と要求を、評価し、取捨選択し、政策と制度に変換し、その制度を執行する法案と財源案を作成するに足りる「知性・理性・品性」の能力訓練でなければならない。

 だが、このような「政治教育」制度が、現行の政治システムにおいて簡単に実現できるわけではない。国民の意見→政策・制度設計法案・財源案という政治プロセスの総合的なシステム化と一体でなければならない。

 

5)「六権分立」の提案

政治プロセスの総合的システム設計という視点から「六権分立」の憲法改正を構想する。この提案の思想基盤は、中央集権体制の国家中心思想ではなく、アナーキーな個人中心思想でもなく、「私―共―公」の多重共存体制の自治的共生思想である。

◆自由と人権尊重の自制―→自治的共同体←―国家権力の分権―→国境なきXX団

「六権分立」のポイントは、これまでの三権分立に、グローバル社会をみすえた「国民会議」、「憲法会議」、「地球警察隊」の三権を追加した国家権力の分散システムである。

 

◆天・自然/個人(社会{国家(国民(公務員))})*{相互作用}*{外国}/自然・天

     ↓個人生活(社会生活(国民生活))

主権在民: ①意見、要望 国内政策提案 国際政策提案 政策評価     

(町内自治会・区市町村・都道府県ボトムアップ、グローバル人材トップダウン)

 A:国民会議 ➡ 叡智集団選挙 ➡  B:憲法会議 

     ↓                 ↓

 ③政策案・法案・財源案投票、 公務員選挙、 憲法改正国民投票   

     ↓国内統治             ↓国際関係 

国家権力: C:立法議会 D:行政府 E:司法裁判所  F:地球警察隊 

 

A:国民会議

差異の多様な国民の意見と政策提案を、多様なメディアで随時、公募・収集する。

町内自治会を権力構造の基礎単位とし、財政・治安・教育などの自治的権限を付与する。

意見と政策提案を、ビッグデータ解析と人工知能によりシミュレーションし、整序する。

複数の政策・法制・財源などの選択肢を作成し、選挙投票制度に提供する。

B:憲法会議

憲法96条の憲法改正手続きを改正して設置する。

憲法会議の議員は、国内外の有資格者から国民投票によりえらぶ。

現行の憲法調査会、内閣法制局、最高裁判所の違憲審査機能を統合する。

憲法会議は、国連配下の国際機関と連携し、日本にたいする提言をもとめる。

憲法改正原案を作成し、国民投票により承認をえる。

C:立法議会
国民会議が、衆参二院制における討議プロセスの改正案を作成する。

D:行政府

国民会議が、「中央政府―地方政府―町内自治会」の三層統治体制の改正案を作成する。

E:司法裁判所

国民会議が、司法制度の改革案を作成する。

F:地球警察隊

国民会議と憲法会議が、憲法9条にもとづく自衛防衛軍の改正案を作成する。

 

◆自由と人権の自制―→自治的共同体←―国家権力の分権―→国境なきXX団

この図式は、個人の自由と人権を、自治的共同体で自制することをもとめる革命思想である。いっぽうでは、国家機能を縮小し、地域コミュニティの「自治的共同体」に権限を委譲する革命思想でもある。どうじに、グローバル社会における国家主権の一部を「国境なきxx団」に移譲し、世界紛争を調停する革命思想である。

 

以上、まことに荒唐無稽とおもわれるであろう妄想をまじめに詳細化していくことを老後の道楽とする。 

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