7.2 象徴天皇制について    201610月1日

 

◆天皇陛下が国民にむかって「生前退位の気持ち」を表明した。

1.どう思う?

→閉ざされた御簾の奥に鎮座まします神格天皇ではなく、市井の人々にむけて「開かれた皇室」の行動的な象徴天皇として、これまで全身全霊お務めをはたしてきた。たけど、体力も限界にきた。だから、皇位を皇太子にゆずって、もう隠居したい、のんびりしたいということだろう。

人間の気持ちとして自然だとおもうよ。だから、「お疲れさまでした。皇后さまとゆったりとお過ごしください。」といいたいね。

80歳すぎても、「まだまだがんばるぞ」と地位や名誉を捨てきれない老人もおおいけど、わたしは「少年/学業期→壮年/職業期→老年/終業期」の人生三毛作論者だから、古希もすぎたら地位を次世代にゆずり、てきとうに脱俗隠居するのが世のためとおもうのだ。

 

2.天皇は自分の自由意志では隠居できないの?

 →天皇の地位は世襲の終身制。天皇が自分の意志で「隠居します」とか「引退させてください」といっても、生前退位という譲位はみとめられない。いまの皇室典範は、大日本帝国憲法の皇室典範を引き継いでいるから。

第1章 天皇

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ

 

3.明治天皇から昭和天皇まで、戦前の天皇は「神聖ニシテ侵スヘカラス」というのだからすごいね。天照大神がこの世に垂迹した現人神、人間であって神様、半神半人の絶対主義的な全能の王様、皇帝君主もどきだ。とても現代の即物的科学思考や客観的合理主義や民主主義の思想とはなじめそうもない。

近代国民国家論の立憲君主制といえども王政復古の神がかりの天皇主権制が、戦後の日本国憲法では、民主主義の国民主権制にひっくりかえった。神格化を否定して人間天皇になった。

天皇だって意思と人格と感性をもつ生身の人間だ。

だから、譲位ができるように皇室典範を改正すればいいじゃないのか?

→それがどうも単純ではない、ムズカシイ問題のようだ。

昭和天皇は、時代のふしめにあたって「退位」の意向をしめしたそうだ。だが認められなかった。

  ・1945年 ポツダム宣言受諾のあと

  ・1948年 東京裁判の判決が出て7人のA級戦犯が処刑されたころ

  ・1952年 サンフランシスコ講和条約発効のころ

譲位を認めない皇室典範の皇位継承規定が、戦後も温存されたからだ。

明治憲法と表裏一体である皇室典範が温存された理由を、わたしは連合国軍総司令部(GHQ)の日本占領の統治政策に求める。

天皇制維持は、敗戦直後の混乱した国内状況と米ソ冷戦がはじまっていた国際情勢へのGHQマッカーサーの高度な政治判断によるのだ。

 ①1947年の状況

  極東国際軍事裁判において、戦争指導者が戦争犯罪者として訴追された。

「天皇が生前退位」となれば、昭和天皇の戦争責任追及と天皇家解体の懸念がある。

国民は、天皇の戦争責任を問う雰囲気ではなく、まだ天皇を神格化し、尊崇している。

ソ連や中国共産党は、日本の分割統治を要求する気配がある。

アメリカは、米ソ冷戦状況にかんがみて、日本を単独占領統治しなければならない。

日本の占領統治を平穏にすすめるためには、天皇の権威を利用したほうがよい。

  GHQは、このような国内統治および国際情勢において高度な政治判断をした。

GHQの決定は、天皇の戦争責任は問わず天皇制を存続させる人間天皇宣言であった。

 ②皇室典範改正の審議

  「人間天皇」との整合性から「退位を認めるか」、「女帝を認めるか」が問題となった。

  その結論は、皇位継承については戦前の皇室典範の存続であった。

  その理由は、「天皇の地位を安定させ、国の象徴を確定不動とする」ためである。

  その判断は、生前退位を認めた場合の懸念として、つぎの三つを検討した結果である。

   ⅰ.退位を強制する政治勢力が出てくる/皇位継承者が辞退する事態もありうる

   ⅱ.過去の歴史にみられる上皇利用や院政などの政治状況がうまれる

ⅲ.天皇の「退位意思」は、天皇の地位を「国民の総意」とする憲法と矛盾する

③生前退位を求める勢力

 1950年、朝鮮戦争が起こる。警察予備隊が設置される。再軍備の議論が起こる。改憲再軍備を進めたい旧軍人の一部勢力が、昭和天皇の退位を主張し、軍隊を統帥する新天皇の即位を求める動きがあったようだ。

こんなそんな経緯があって、譲位をみとめる皇室典範の改正は、かんたんではないということだ。

 

4.どうも政治との関係で皇位継承の規定が議論されているようだね。だけど、「国政に関する権能を有しない」という天皇の皇位継承を、あえて政治的な問題にするのはおかしくないか?

→そうだよね。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」という憲法をまもるかぎり、天皇の政治利用は憲法違反となる。だから、皇位継承の問題は、政治とは切り離して、皇室一家の判断と国民の気持ちを尊重して、皇室典範の改廃をふくめて見直せばよい。

ところが、皇位を譲位可能とすることに反対する人たちが、あえて政治的に「天皇の地位」を重大視するようだ。皇国史観を信奉する一部の学者や評論家たちが、皇室典範の「男系世襲の終身制」に固執して、譲位を可能とする法律改正に反対する。

 

5.生前退位による譲位は、長い歴史のなかで歴代天皇の約半数にもおよび、女帝の時代もあった。明治天皇より前の時代は、生前退位はきわめて普通のできごとだったのじゃないか?

 →日本史をすこしふりかえろう。

天皇が政治的な影響力をもっていた時期には、皇位継承をめぐる皇族どうしの権力闘争や、クーデターや、上皇院政と天皇親政の二重権力構造とか、譲位の強制や陰謀など、いろいろと厄介なことが起きた歴史がある。

天皇主権が確立するころの壬申の乱とか、武家政権が弱体化したときの南北朝時代とかね。

だけど武家政治が確立した江戸時代の幕藩体制では、皇室を中心とするお公家さんたちは、国政に関与できず禁中内裏に隔離されてしまった。「国政に関する権能を有しない」存在になった。もっぱら宮廷文化や天皇一家の伝統行事、宮中祭祀や学問などに精をだした。

徳川幕府にとっての天皇は、貴族階層の爵位を形式的にさずける「権威をもつお飾り」象徴でしかない。

だから、生前退位や皇位継承をめぐる争いがあったとしても、それは天皇一家の宮中内の私的なお家騒動にすぎない。

摂関政治の平安時代から公家諸法度の江戸時代までの長い歴史のなかで、天皇は「九重の奥に座します」ありがたい象徴として、扶持を与えられ、世俗から隔離され幽閉されていたといってもよい。天皇は「君臨すれど統治せず」という殿上人であったのだ。

江戸時代の「大政」は、天皇から徳川幕府の征夷大将軍に委任されていたと解釈できる。

ところがその「大政」が、明治維新の王政復古により、徳川家から天皇家に「奉還」された。

天皇が、立憲君主制の近代国民国家の主権者として君臨し、国政を総攬し、軍隊を統帥する大権の地位についた。

明治から敗戦までの大日本帝国憲法の時代こそが、天皇の「権威」を過激に政治利用したきわめて特殊で異常な時代じゃないのか。

 

大日本帝国は、国家神道を国教とする祭政一致の前近代的な国家体制=「国体」であった。

そして戦後の天皇陛下は、国政に関与できず、政治的発言すら許されない存在になった。

皇国史観にもとづく神国を標榜する大日本帝国の「異常な時代」が、敗戦によって終わったのだ。

人間天皇は、非政治的存在の「象徴」になった。だから、日本国憲法の天皇は、明治以前の時代への伝統的な「象徴皇室」への先祖返りといえる。

天皇は、ご結婚満50年の2009年の記者会見で、「天皇の長い歴史で見た場合、帝国憲法時代の天皇よりも、日本国憲法下の天皇のあり方のほうが、伝統的に沿うものと思う」趣旨を述べた。

ところが、戦後の占領政策の混乱時期に、GHQが天皇制維持と民主憲法を日本人に押しつけ、そのどさくさにまぎれて明治憲法の皇室典範や皇室令が、実質的に生き残った。

民族主義者や国粋主義者など皇国史観の信者は、その皇室典範の皇位継承を支持し、譲位を可能とする法律改正に反対する。

皇位継承の譲位をめぐる過去の歴史を云々する人たちこそが、非政治的存在の「象徴」を利用して、逆に国家主義的な政治的「権威」にもちあげようとしている。

~畏れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか~という発言は、戦前の「国体護持」思想の強烈な政治イデオロギーの主張だろう。

「天皇の地位」の政治的利用を懸念するそぶりをみせる人たちこそが、「天皇の地位」を政治的に利用しようとする人たちじゃないか。

「政治的中立」をさけぶ人が、あきらかに現状追認の「政治的偏向」をもった人であるのと同じように。「この壁に落書きするな!」と落書きをする人、「静かにしろ!」と大騒ぎする人と同じようなものだ。

 

6.そもそも象徴天皇の「憲法の定める国事に関する行為」とはどんな行為なの?

 →天皇の行動は、1)国事行為、2)公的行為、3)私的行為に分けられる。

1)国事行為 

内閣が助言と承認をして、内閣が責任を負う形式的な手続き、儀式的行為。

 ・国会の指名に基づく内閣総理大臣の任命 ・内閣の指名に基づく最高裁判所長官の任命

 ・憲法改正、法律、政令および条約の公布

 ・国会の召集 ・衆議院の解散 ・国会議員の総選挙の施行公示

 ・国務大臣など官吏の任免、大使や公使の信任状の認証

 ・大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証 ・文化勲章や大綬章などの栄典授与

  ・批准書など外交文書の認証 ・外国の大使及び公使の接受

  ・新年の祝賀や即位の礼、大喪の礼などの儀式

2)公的行為

 生身の人間である天皇の意思や人格や雰囲気が、国民のまえに露出する象徴的な活動。

 ・恒例行事

 正月と天皇誕生日の一般参賀、歌会始め儀、園遊会、晩餐会、全国戦没者追悼式など

  ・各地訪問 (行幸・巡幸)

 全国植樹祭、国民体育大会、被災地お見舞い、戦没者慰霊の旅、福祉施設での激励など

3)私的行為 

天皇家の伝統行事を継承する皇室活動と日常生活

  ・宮中祭祀 新嘗祭など年間約20件の宮中祭祀や祭儀6件など

・日常生活 趣味活動、御用邸での静養、研究活動など

 

7.天皇家、皇室、皇族などの生活費や活動費は、どうなっているの?

 →宮内庁の予算でいえば、つぎのようだ。以下は、宮内庁のホームページから引用。

平成28年度 宮内庁予算 約170億円 職員数は約1千人。

内 廷 費 皇 族 費 宮 廷 費 = 皇室費計 + 宮内庁費 =  合計

324,000  229,970 5,545,584   6,099,554  10,939,792  17,039,346

(単位は千円)

宮内庁は,内閣総理大臣の管理の下にあって,皇室関係の国家事務のほか,天皇の行う国事行為のうち外国の大使・公使を接受することと儀式を行うことに係る事務を行い,御璽・国璽(天皇と国家の印鑑)を保管する。

秘書課・・・皇室会議、皇室制度の調査統計などの文書事務、職員の人事,給与などの事務

総務課・・・行幸啓、災害に対するお見舞い金,事業奨励金などの賜与,広報など

宮務課・・・秋篠宮,常陸宮,三笠宮,高円宮の各宮家に関する事務

主計課・・・経費及び収入の予算,決算及び会計,皇室経済会議並びに会計の監査

用度課・・・備品,消耗品,営繕用資材,器具等物品の管理及びその検査など

宮内庁病院・・・天皇・皇族のご診療,併せて宮内庁職員その他一般の患者の診療

侍従長:侍従次長・侍従・女官長・女官・侍医長・侍医など

天皇皇后両陛下の直接お身近のことを担当し,御璽・国璽を保管

東宮職:東宮大夫、東宮侍従長・東宮侍従・東宮女官長・東宮女官・東宮侍医長・東宮侍医など

皇太子同妃両殿下・敬宮殿下の直接お身近のことを担当

式部職・・・儀式の総括、外国交際に関すること。

書陵部・・・図書課・編修課・陵墓課、陵墓監区事務所。

管理部・・・管理課・工務課・庭園課・大膳課・車馬課・宮殿管理官、御用邸管理事務所など

施設等機関・・・正倉院事務所と御料牧場。

地方支分部局・・・京都事務所

皇室費(内廷費、皇族費、宮廷費の合計)が約61億円、皇室を支える職員約千名の宮内庁費が約110億円で、宮内庁予算合計は約170億円。

「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としての機能を果たすために、約170億円の税金が使われる。この金額が、高いのか低いのか、わたしには判断できない。

 

8.そもそも天皇が「日本国」と「日本国民統合」の象徴であるべきことなのかねえ?

→昭和天皇が1946年1月1日に発布した詔書の結論部分が、「人間宣言」といわれる。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

神がかりで狂信的な皇国史観の否定宣言である。だが古事記や日本書紀を中心とする神話と伝説にもとづく「伝統的な天皇制」が否定されたわけではない。天皇家と皇室は温存され、「国体」は維持されたのだ。日本国憲法は、天皇の地位を「象徴」として維持存命した。

占領軍GHQ最高司令官マッカーサー主導により、天皇および日本政府関係者たちが合意した戦後処理の重要な出発点である。

 

いまや戦後も70年すぎた。地球を分割占拠する国民主権国家どうしがせめぎあう。わたしは、{日本・主権国家システム}*{境界・国際関係}*{世界諸国}という三元的システム思考によって、あらためてグローバル社会における日本国と象徴天皇についてかんがえる。

 

以上  7.1へ           7.3へ