4.4 身辺の事例から「私」国民と「公」国家の関係をかんがえる 2015111

 

1)事例: 公有地の通り抜け通路開設の要求

 わたしが住むマンション団地の一辺は、市有地と国有地にせっしている。横浜市の土地には、市営の鮮魚青果市場がある。国交省のひろい土地は、港湾関係工事の資材置き場などの目的で関東地方整備局の港湾事務所が管理している。

 団地からその両地のむこう200メートル先には、幹線道路がはしり郵便局がある。民間企業になった郵便局は、団地住民にむけてねっしんに営業活動をしている。うちのカミさんにも「郵便局を利用してください」という電話があったそうだ。

カミさん;

利用したいのですが、そこまで歩いていくには、ぐるっとまわって15分ぐらいかかるでしょ。けっきょく、ほかを理由することになるんですよ。通路ができたら、ほんの数分でいけますから、そこを利用するのも便利なんですけどね。

郵便局の営業マン:

市場と港湾事務所の土地のさかいに通路があれば便利ですよね。おたくの団地では、そういう通路の要求運動などないのですか?

カミさん;

 めだった動きもありませんので、よくわかりません。

 3千人ちかい住民の少壮老世代のほとんどは、「通路があれば便利」とおもっているだろう。9年前に団地自治会が発足したころ、とうぜんのように「通路開設要求」の声があがったそうだ。

周辺の町内会連合会もおうえんしてくれて、横浜市にかけあってくれた。地元選出の市会議員にも相談したようだ。住民の要求は、署名活動など住民運動というほどの取り組みではなかった。自治会の役員会レベルの要求表明だったのだろう。

 

2)横浜市の結論:

市場は昼夜はたらいており、運送車両の通行量もおおく、歩行者には危険がありすぎる。通路を拡張する土地の余裕もない。

よって、住民の通路開設要求に応じることはできない。

 

3)住民が通路を要求する理由、通路の必要性

 この件で住民のアンケート調査などおこなわれたことはない。そこで、老生はひとりの住民として通路の必要性を、個人的につぎのようにかんがえる。

  小学生の通学路としての安全性
現状の通学路は、運河に沿う片側だけ1メートル強のせまい道である。晴れた日の対面歩行でもきゅうくつである。雨の日は、もっとやっかいでおたがいの傘がふれあう。
そこは、大規模な都市再開発計画がまもなく実施にうつり、工事用ダンプなどの車両通行がふえるはずだ。せまい通学路の危険性が、ますます増すと予想される。
あらたに通路ができれば、安全だけではなく、小学校までの距離もみじかくなる。

  緊急時の避難通路としての安全性
この団地は、造船所あと地の再開発地区であるので、前方は港に面している。内陸への片方には、運河がある。幹線道路やJR駅などに通じる歩道は、運河沿いの上記のせまい道しかない。
幹線道路とJR駅がある既存市街地方面からの災害が、この団地におよびとき、住民は逃げ場がない。だから災害時の避難通路が必要である。

  新設される老人ホームの散歩通路としての健康性
400人前後がすめる介護不要の元気老人むけの高齢者住宅がオープンする。横浜市は、老人世代の「健康寿命」をのばす各種の施策をこうじている。
新たに要求する通路は、老人が健康を維持するために、横浜市の中心市街地にむけて積極的に外出することをさそう格好の散歩道になる。

  横浜市の青果および鮮魚市場の市民利用促進通路としての経済性
横浜市営の市場は、卸売りだけでなく一般市民の市場利用もかんげいしている。住民には臨海「フィシュマンワーフ」もどきのにぎわいを期待する人もおおい。
市場へてがるに通じるみちは、地域活性化に貢献するであろう。

  郵便局利用などの生活道路としての利便性

生活の利便性向上は、郵便局利用だけではない。横浜駅まで徒歩で通勤・通学する住民にもつごうがよい。通路開設によって、駅までの距離もみじかくなり時間短縮となる。

  通路開設による悪影響

特段の悪影響は、想定できない。

  通路の規模と管理

立派な道路である必要はない。車道ではなく、幅数メートル、延長200メートルたらずの歩道だけ。側溝も不要だろう。夜間の街灯は、市場の作業用にすでにある。歩道とはいっても簡易な通り抜け生活路地レベルの敷設でよい。
通路整備の費用負担や管理責任などが問題となるのならば、団地自治会とマンション管理組合および周辺事業者とで構成される「地区連絡会」と役所が協議して決めればよいだろう。

 

4)国交省地方整備局XX港湾事務所が管理する土地の稼働状況

 わたしの住むベランダからは国交省が管理する建物、施設と土地をみわたせる。ここを管理する港湾事務所は、すでに別の場所に移転し、そこにあった事務所は閉鎖されて老朽建物になっている。

 ここ数年、この土地の建物と施設が稼働している様子はない。国の事業をおこなっているようにはみえないのだ。遊休国有資産だとおもう。これからの施設利用がどのような事業計画になっているのか知りたいとおもった。

 そこで、毎日が休日の隠居老人のわたしは、ひまにまかせて港湾事務所に、個人的に問い合わせた。過去3年間の事業実績とこれからの事業計画について、その情報開示請求の手続きについて。

港湾事務所の所員は、親切にていねいにたいおうしてくれた。

しかし、ここの土地利用の目的である「横浜港の港湾関係工事の資材置き場等」の現実および将来の必要性を、老生は理解し納得できなかった。

高度経済成長時代に策定された目的のために、ここの土地を国交省が管理しつづける名目は、すでに時代に適応しなくなったのではないか。

港湾事務所が管轄する現在の港湾工事は、すでに港内のこの土地からはるか離れた港外沖合の大規模ふ頭整備にむかっている。だからここの施設は稼働していないのではないか。

この土地周辺の用途は、これまでは工業地帯であった。だが今や商業地と住宅地になっている。周囲の社会状況がおおきく変化したのに、市街地にせまる国有地が有効に活用されるとはおもえない。国有財産が遊休状態にあり、行政財産が無用無駄になっているのではないか。

でも、こんな「私」個人の考えなど「公」国家=行政=公務員の仕事にとっては、馬耳東風であろう。

日本国憲法 第十五条「公務員」

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

 

「私」国民→「公」国家への要求は、どのような手続きをふむべきなのだろうか?

住民運動をおこし、国民の代表者である国会議員に陳情して、役所に圧力をかけてもらえばいいのだろうか。住民運動はどうやって起きるのだろうか。

自分が率先して住民運動を立ち上げるなどの気力や情熱など、隠居気分の老生にはすでにない。「私」国民→「公」国家への要求は、どのような方法が現実的に有効なのかは、老生にはわからない。

公共事業や行政活動の内実には門外漢であるふつうの国民として、わたしはこの手続きをつぎのようにかんがえた。

 

5)横浜市と国交省への通路要求の手順

1.「通路敷設要望書」を横浜市へ提出

要望する主体を既存の「地区連絡会」とする。
「地区連絡会」が、住民や事業所へのアンケート、署名活動などをおこなう。
ひろく関係者の知見をあつめて「
通路敷設要望書」を作成する。

    ↓

2.横浜市: 通路の必要性判断

  2.1 必要なし    →→住民への回答と説明
横浜市が必要性を認めるには、どうすればよいか?

  2.2 必要性を認める

         ↓

3.横浜市: 通路の実現性の判断

3.1 実現性なし    →→住民への回答と説明
実現性のためには、どのようにすればよいか?

3.2 実現の可能性あり

      ↓

4.横浜市: 通路実現のための協議

4.1 地域住民の負担など協議  ←→地区連絡会

4.2 市場の現状の一部使用目的変更の庁内調整

4.3 隣接する国交省の土地を使用できるようにすることを要請する

      ↓

5.国交省: 通路敷設のための土地提供可否の判断

5.1 横浜市の要請を拒否する   →→住民への回答と説明
国が横浜市の要請に応じるには、どうすればよいか?

5.2 横浜市との協議を受け入れる

       ↓

6.横浜市と国交省と「地区連絡会」との協議

 通路実現に向けて協議する

 

6)行政財産の管理

港湾事務所が管理する国有地は、法律用語で行政財産」とよばれるそうだ。行政財産の管理は、とうぜん国有財産法をはじめとする各種の複雑な法規にもとづくだろう。

国有財産法 最終改正:平成二四年六月二七日法律第四二号

第三章 管理及び処分

第一節 通則

(管理及び処分の総括)

第十条  財務大臣は、・・・(略)・・・各省各庁の長に対し、その所管に属する国有財産について、その状況に関する資料若しくは報告を求め、実地監査をし、又は用途の変更、用途の廃止、所管換その他必要な措置を求めることができる。

第二節 行政財産

(処分等の制限)

第十八条  行政財産は、貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、信託し、若しくは出資の目的とし、又は私権を設定することができない。

2  前項の規定にかかわらず、行政財産は、次に掲げる場合には、その用途又は目的を妨げない限度において、貸し付け、又は私権を設定することができる。

1~5 略

6  行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度において、その使用又は収益を許可することができる。

 

7)「私」国民→「公」国家への要求、その実現は簡単ではない

「私」個人は「公」国家との関係において、「国民」という資格の権利と義務をもって生きる。しかし「自分は日本国民である」と意識することは、わたしの日常生活ではほとんどない。それを意識するのは、役所からの郵便物を受けとるとき、住民票などの証明書をもらいに役所にいくとき、そして日々の政治的ニュースをながめるときぐらいである。

「私」の生活は、国民の権利と義務の関係をはるかにこえている。法律に違反しないかぎり、経済(損得関係)と文化(美醜関係)への社会参加は自由である。外国籍の人と付き合うとしても、その人間関係で「私」は日本国民としてふるまっているわけではない。

普通のひとの社会生活は、「私」と「私」の関係である。

団地にせっする土地が、個人や企業などが保有する私有地ならば、住民がその土地を「通路としてちょっと使わしてください」と要求することは、当事者どうしの「私」と「私」の民事交渉である。その交渉は、経済(損得関係)を基本とする双方の契約の自由にもとづいて合意または決裂に決着するであろう。

ところが隣接地は、公有地、公共用地行政財産である。公務員が管理する土地を「通路としてちょっと使わしてください」と一部の住民が要求したところで、そんなに簡単に要求が実現するわけがない。

「私」と「公」の関係は、国家システムという特殊な「権力構造」なのだ。

「私」国民と「公」公務員との交渉は、民事交渉とはまったく違う次元のコミュニケーションである。だからむずかしい。

そのむずかしさの淵源は、主権在民という民主主義に由来する。日本国憲法第十五条 の「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」の解釈はむずかしい。

 

◆地区連絡会→要求→公務員→奉仕→全体→地区住民

この図式の解釈は、つぎのように詳細化できる。

「私」個人→選挙→「国会議員」→立法プロセス法律・政策・予算「公務員」→行政プロセス奉仕→全体→「私」個人

地区連絡会が要求する公有地への通路開設は、立法プロセスではなく行政プロセスにかかわる。憲法十五条は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とするが、行政プロセスをになう公務員を「私」個人が選挙するしくみはない。

では、その行政プロセスに「私」個人は、どのように参画できるか?

その参画は、民主主義の原理としてどうかんがえればいいのか。

その参画は、代議制民主主義においてどのように可能なのか。

その参画は、国民にどのような政治意識を要求するか。

行政プロセスに積極的に参画する国民とはどんな人たちなのか。

その参画者の目的はなにか。

公務員は、その人たちにどのように対応するか。

これらの問いは、「私」個人と「公」国家の関係への問題意識にほかならない。

 

8)行政プロセスへの参画

 横浜市は、2015年(平成27年)2月「横浜市都心臨海部マスタープラン」を公表した。重点施策のひとつに「都市活動の担い手が活躍する仕組み・体制の充実」をかかげる。

・都心臨海部の魅力を今後一層高めるため、市民・事業者との双方向の対話や協働の中で、地域の様々なニーズ・課題に市民・事業者・行政が一体となって対応していきます。

・パブリックスペースの維持・管理や、利活用による賑わいつくりなど、エリアマネジメントの視点から地域の更なる魅力向上に向けた活動を推進します・

・都心臨海部のエリアマネジメント活動を促進するための仕組みづくりに取り組みます。

・自治会町内会や管理組合等の住民コミュニティ、就業者コミュニティや商店街等の地域の様々なコミュニティの充実に向けた活動の場づくりや、コミュニティ相互の連携強化を図ります。

 この施策は、「住民参加によるまちづくり」、市民の行政プロセスへの参画、つまり「直接民主主義」への取り組みだと評価できる。

わたしは、この参画主体として「地区連絡会」を想定する。その参画行動として「通路敷設要望書」を横浜市へ提出できないかな、と妄想する。

 

横浜市が公表したマスタープランは、横浜港をめぐる5つの地区を対象とする。わたしがすむ団地は、そのひとつの「東神奈川臨海部周辺地区」にぞくする。この地区は、平成16年に策定された「東神奈川臨海部周辺地区再編整備計画」に基づくまちづくりが進められている。

横浜市と国交省へ通路開設を要求することは、この地区のまちづくりの一環であることは、明らかであろう。

この地区のまちづくりを担う主体として想定する「地区連絡会」は、自治会、マンション管理組合、周辺事業所から構成される。「地区連絡会」は、毎月1回の定例会議をひらいて情報交換をおこなっている。

 しかし、これまでのその活動は、「まちづくり」に参画する理念や体制や計画などの面からみれば、まだまだ緒についていないとわたしはおもう。

「地区連絡会」は、「通路敷設要望書」を横浜市へ提出する主体としての力量をもちうるか。「エリアマネジメント」の担い手になりうるか。そのためにはどうすればよいか。

 

9)少/学業期世代に期待する「直接民主主義」の社会実験

地域で生活時間のほとんどを過ごすのは、つぎの人たちである。

  子育てに専念して家ですごす主婦

  生活の場で仕事ができる自営業や自由業の壮/職業期世代

  時間がたっぷりある老/終業期世代

壮/職業期世代のほとんどの住民は、通勤サラリーマンである。そのほとんどの時間は、仕事に関係する場所であって、地域ではない。その主要な関心ごとは、仕事関係である。

少/学業期世代の小学生、中学生、高校生、大学生、専門学校生は、そのほとんどの時間を学校や塾や部活やアルバイト場所や遊び場ですごす。

地区連絡会の定例会議への参加者は、自治会の役員、管理組合の役員および周辺事業所の社員である。自治会と管理組合の役員は、抽選による輪番制であり、無償のボランティアである。役員の7割は、壮/職業期世代の通勤サラリーマンである。

このような「地区連絡会」が、横浜市が推進するという「エリアマネジメント」の担い手になりうるかどうか、その活動の過去と現状の延長線では、老生はほとんど期待できない。

エリアマネジメント」の意味を、民主主義の原理や国民の政治意識や公務員との協働など「私」個人と「公」国家の関係の視点からかんがえる老生の道楽からみれば、仕事中心の壮/職業期世代にむかって「行政プロセス」への参画など、時間的にも思想的にもムリだとおもう。

 

◆人生毛作 少/学業期 → 壮/職業期 → 老/終業期

わたしは、「行政プロセス」へ参画する中心勢力として、未来の社会をつくる少/学業期の高校生と大学生に期待する。老/終業期世代がそれを応援する仕組みができないか?

少/学業期と老/終業期世代が、未来社会の設計にむけて世代間交流する仕組みを構築できないか?

老生の人生論=往還思想は、老/終業期世代の社会的義務を「少/学業期世代を応援すること」だとかんがえる。

人の一生は、生→{少/学業期→壮/職業期→老/終業期}→死をたどる。その人生街道のピークは、壮/職業期時代である。社会の中軸は、壮年世代がになう。仕事中心の壮年期の価値観は、資本主義体制の競争社会を生きる経済(損得関係)的功利性である。

少/学業期は、自立できる社会生活への準備期間である。大人になる訓練期間である。

老/終業期は、壮/職業期を卒業して社会生活を縮退させていく期間である。

少と老は、社会の中軸から一定の距離をもって生活できる社会集団である。

社会とのこの遠近法を武器にして、少と老が世代間交流し、未来社会の設計実験ができないか?

戦後70年、時代はおおきく変わろうとしている。科学技術の知性は、ローカル*ナショナル*グローバルな世界構造を、ますます緊密な相互関係に複雑化させていく。とくにITの仕組みは、仕事や生活のなかにふかく入り込んでいる。

「私」個人は、「自分」の身辺→「自分たち」の「共」周辺→「みんな」の「公」国民→「じんるい」地球の遠近法をそれぞれ生きる。

人口70億人の地球社会は、どこに向かうか、だれにもわからない。カオス*ソフト*ハードの特性が多元多重におりなす人類社会である。

 

◆高校生の政治教育

身辺に目をおとせば、国会議員の選挙者の年齢が18歳に引き下げられた。高校生への政治教育は、どのようになされるのだろうか。

文部科学省は、これまで禁止してきた高校生の政治活動を一部認める通知を出した。高校生が「国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」とする。

その通知がいう政治活動とは、「特定の政党や政治的団体への支持や反対を目的として行われる行為」らしい。

老生は、この政治活動の定義は、いかにも狭すぎるのではないかとおもう。「国家・社会の形成に主体的に参画」とは、国民として立法プロセスと行政プロセスへの参画ことだとかんがえるからである。

その参画意識は、つぎのように分類できるだろう。

a.職業として「公務員」(立法、行政、司法)を選択する

b.自分の生活を通して「公」国家の仕組みを積極的に活用する。

c.自分は、「公」国家の仕組みなど意識せずに自由にいきる。

「特定の政党や政治的団体への支持や反対」を政治運動とみなすのは、「政治」をあまりに矮小化している。政治とは、「支配と従属の権力関係である」ことを教えるべきだとおもう。

高校生の「政治教育」は、第一には職業としての「公務員」のあり方である。第二は、国家権力者である「公務員」と一般国民との関係のあり方である。そして第三にグローバル社会における「国民国家」のあり方である。

地域にすむ高校生および大学生が、老人世代と交流しながら「国家・社会の形成に主体的に参画していくこと」を学ぶ仕組みができないか。

その事例として、少/学業期世代の有志が、地域コミュニティの「地区連絡会」に参加することを想定する。老人世代の有志が、それを応援するというイメージ。

公有地へ通路敷設を要求する「地域コミュニティ運動」は、少/学業期世代を中心とする「直接民主主義」の社会実験、社会システム設計実験だと考える。 

 その実験は、立法プロセスと行政プロセスへ、「私」個人が「国民」として参画できる社会システム設計である。

そのためには、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法十五条の解釈をあらためて問いなおさなければならない。

「倒産の心配がない安定して身分が保証される」という面からだけで「公務員」を志望する就活学生の意識を問いなおさなければならない。「公務員」とは国家権力の行使者なのだから。

◆西郷隆盛の南洲翁遺訓の第一

 廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。

 

では「すべて公務員は全体の奉仕者である」のならば、公務員は「全体主義者」なのか。全体奉仕主義と民主主義は、どういう関係にあるのか。民主主義は、よういに多数決独裁体制に転化するのではないか。

政治家と官僚たちの「全体主義的国家思想」を問いつづけよう。

以上 4.3へ  4.5へ