3.5 「新生日本70年」といわず、いまだに「戦後70年」というのはなぜなのか? 201593

 

1) なぜ「新生日本70年」といわないのか

戦争指導者の国家的責任を、戦後の国民がきちんと総括していないから。

国家権力を行使してきた自民党が、新憲法の理念を本心では認めていないから。

東京裁判を否定する歴史修正主義勢力が、潜在的に温存されてきたから。

憲法9条と日米安保体制の矛盾した併存に、国民が見て見ぬふりしているから。

戦後日本の「平和国家論」が、政治(権力関係)思想としては脆弱で心情的すぎるから。

戦後の日本人の国家意識が、自立自存よりも、米国依存の支配下にあるから。

中国、韓国、ロシアとの間で、主体的にきちんと「戦前」にケリをつけていないから。

 

2)戦後70年の節目の安倍首相談話が、なぜこれほどまでの政治テーマになるのか?

安倍首相が、歴史修正主義者じゃないかとアメリカに疑われているから。

戦争に対して「反省、謝罪、おわび」する安倍首相の本心が、多くの人に疑われているから。

中国、韓国の政治指導者が、安倍内閣の軍事力拡大路線に注目しているから。

安倍首相の政治理念である「日本の真の独立」と「アメリカ依存」とが矛盾しているから。

 

3)戦前体制と戦後体制の接続 ~過去を清算できなかった戦後日本の出発

自由民主党が、国家権力の指導者として戦後の日本社会を統制してきた。

自由民主党は、憲法改正を党是とする。風見鶏と称された中曽根元首相も確たる自主憲法制定論者である。しかしながら、自民党はこれまで憲法改正の発議すらできなかった。

なぜなのか?

圧倒的に多数の国民が、「戦争はいやだ、憲法9条をまもる」という気持ちを強くもっているからである。

それにもかかわらず、日本国民の多数は、選挙ともなれば憲法改正を党是とする政党を支持してきた。それは、高度経済成長政策という国是を承認してきたからである。おカネ崇拝である。

戦後の政治状況は、政治(権力関係)と経済(損得関係)の一種の政経「ねじれ」である。「ねじれ」とは、分裂共生であり、対立しながら秩序を維持するバランスである。

このバランスとは、つぎのような意味で、戦前と戦後を切断するのではなく、戦前と戦後の接続でもある。

戦後社会は、過去と断絶した「新生日本」としてリスタートしたわけではなかった。

だから、戦前をひきずった戦後なのだ。過去を清算できなかった戦後日本が、70年間も続いているのである。

 

戦前体制とは、明治憲法下の官僚制と天皇制である。全体主義、国家主義

戦後体制とは、新憲法下の日米安保条約とエコノミックアニマル国策である。自由主義

○戦後政治(権力関係)

 ・隠れた最高権力をアメリカとして、その配下の行政機構は戦前の官僚制を踏襲した。
==>国際関係は安保条約、国内関係は官僚制の権力分担

○戦後経済(損得関係)

 ・富国強兵ではなく、殖産興業、経済成長を国策とした。(吉田茂、池田隼人、田中角栄)

○戦後文化(美醜関係)

天皇制を温存しながら平和国家の象徴として、アメリカ文化に一体化させた。

占領軍司令部のマッカーサーは、天皇の戦争責任を追及する連合国とアメリカ国内の声をおさえて、日本の占領政策遂行のために、天皇制温存を主張する日本側に妥協した。

 自由主義者の吉田政府は、国防はアメリカにまかせて、国内統治を経済政策に集中した。

 保守主義者の安倍首相の祖父である岸首相は、経済政策重視よりも「真の独立国家日本」再建を政治理念として自主憲法制定を悲願とした。

 社会主義者の社会党は、経済成長政策において労働者の所得配分を要求し、いっぽうで保守主義者に対抗して「護憲平和」を主張した。

「革新」派が「憲法を護る」とさけぶ。いっぽうの「保守」派が「憲法を変える」という。戦後日本の政治思想は、革新―護る、保守―変える、という具合に言葉の「ねじれ」が続いてきた。

戦後の政治体制は、天皇制という日本の伝統的精神を信奉する「保守」を基底において、「革新」と「自由」の絶妙なバランス=カオス*ソフト*ハードなシステムであったといえるだろう。

そして戦後70年、そのバランスがくずれた。いまやカオスに落ち込みつつあるようにおもえる。戦後70年を脱却するチャンスである。

グローバル社会のなかで、新生日本をどのように展望するか? 

その基本的な課題は何であるか?

この問題こそ、「国家論」のテーマである。その基本的課題のひとつが、アメリカとの関係である。

 

4)アメリカのおかげで自由と平和と経済成長を果たした戦後日本

◆アメリカは、「世界の警察官」として世界に君臨する「特殊な」国家である。

◆戦後日本は、「世界の赤十字」として武力行使を放棄した「特殊な」国家である。

その「特殊な」国どうしの日米関係は、国際政治的には、日本が米国へ依存・従属するという「特殊な」権力関係である。憲法9条と米軍基地(主権の一部放棄)の併存である。

戦後日本の政治(国家権力関係)基盤は、占領軍であった米国支配の続きである

日本国民が自ら主体的に戦争指導者の責任を断罪できない代わりに、日本人は連合国戦勝者に戦争指導者を「戦犯」として裁いてもらった。

日本国民は、アメリカの広島・長崎への原爆投下を、「非人道的な蛮行」だとして、その戦争責任を追求できない。アメリカの諜報機関が日本政府の内部資料を盗聴してもアメリカに抗議できない。

日本国民は、米ソ冷戦体制の世界情勢において、日米安保体制を強化するために、警察予備隊、保安隊、そして自衛隊として、アメリカ軍の支配下に「日本の軍隊」を増強してきた。その自衛隊予算は、今や国家予算100兆円の約5%の5兆円である。人口13億人の中国の軍事予算は、日本の3倍の15兆円。豪州の約2倍、アジア諸国の軍事予算合計とほぼ同額である。世界に冠たる軍事力大国なのだ。

集団的自衛権を行使するために自衛隊の活動範囲がひろがる。アメリカから航空母艦や戦闘機の購入も拡大する。アメリカの肩代わり代として日本の軍事予算は拡大するであろう。

平和憲法のもとで、武器弾薬などを製造する軍需産業の企業は、おおもうけすることであろう。

「護憲平和」をさけぶ野党とその支持者たちは、日本国家の独立国家としての国防意識を放棄させられ、日々の生活では暗黙裡にアメリカ依存をうけいれている。

1945年の夏、大日本帝国軍隊は、連合国軍に無条件降伏しポツダム宣言を受諾せざるをえなかった。しかし、北海道はソ連の、本州はアメリカの、九州は中国の、というような戦勝国の植民地になることはなかった。

国破れて山河あり。されど日本は、明治維新以降にかくとくした海外の支配地を失っただけで、日本国家は、滅亡することなく生き延びた。

それは、アメリカさんのおかげである。戦後日本は、アメリカの庇護のもとで、平和で自由で豊かな社会になったのである。

戦後日本の国家経営の政治(権力関係)は、平和憲法と日米軍事同盟を基盤とする。この基盤のうえに戦後日本社会は、立憲政治の民主主義を定着させた。驚異的な経済復興と国内の治安維持をはたした。ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われるまでの世界に冠たる経済大国に成長したのである。

アメリカさんのおかげといわねばならない。

 

5)アメリカという「特殊な国」について

アメリカは、全世界から敬愛され、信頼される国家ではない。アラブ諸国には、独善的すぎるアメリカを敵とみなす国もある。その国々からみたら、敵(アメリカ)の味方(日本)は、敵(日本)となる。

日本は、これからも思想的にも軍事的にもアメリカさん従属でいいのか?

そこで、アメリカという「特殊な国」について、識者の知見を参考にしながら老生の知識をすこし整理しておこう。もちろん、隠居老人が自分勝手に理解する範囲の知識でしかない。

違う知見をもった人もおおいだろう。差異の多様な「分裂共生」社会では、国民の思想と心情と好悪感は、それぞれにちがう、ということを大前提にしなければならぬ。

 

◆アメリカの外交政策の批判 (参考: プリンストン大学名誉教授 リチャード・フォーク氏)

1)中東政策が、イスラエル・ロビー活動を満足させるためにゆがめられている

2)イラクの占領政策の失敗、イラク軍の幹部からスンニ派を排除し、過激派組織「イスラム国」が出現する条件を作った

3)巨大な軍需予算に支えられた「軍事力による外交政策」の枠組みにとらわれているが、ベトナム戦争やアフガン戦争など失敗の連続

 

◆アメリカ人の思想、世界の警察官、世界の正義漢

 アメリカ人の思想は、自由と民主主義こそを「正義」とする。国民に自由をゆるさない全体主義国家は、世界にとって「大悪」である。

だから、日独伊のファシズム国家をほろぼす第二次世界大戦に参戦したアメリカの行動は、正義である。

広島・長崎への原爆投下もベトナム戦争もイラク攻撃も北朝鮮敵視もイスラエル国家支持もテロ撲滅の軍事行動も、ことごとくそれらのアメリカの選択は、自由と民主主義の普遍的な「正義」の価値観にもとづく。

 「悪」の国に生きるふつうの庶民が、アメリカの空爆で大量に被害にあったとしても、まったく問題ではなく、それは道徳的に正義のためなのである。

自由と民主主義を世界中にひろめなければならない。歴史は、つねに正義と悪のたたかいなのだ。

201591日、米政府は、中国当局が拘束した中国人の人権派弁護士や宗教活動家らを釈放するよう、中国政府に要求した。この報道は、中国への内政干渉とも受け取れる。

アメリカは、「世界の警察官」を自認し、かつ「世界の正義漢」としての道徳指導者をも自認する。

だから、アメリカ支配の世界秩序を犯す者たちを「国際社会の脅威」とみなす。「やられる前にやっつけろ」。「やられたらやりかえせ」。強力な軍事力の行使は正義にかなうのだ。強大な軍事力こそが、世界平和のための戦争抑止力となるのだ。

「簡単にいえば、アメリカ流儀の自由や民主主義によって、アメリカが世界秩序を編成し維持すべきだ」ということ。(佐伯啓思)

「日本ができる一番大事な役割は、米国の自由度を高めることです。南シナ海で中国の動きを抑えられるのは米国しかありません。米国に自由に活動してもらうために、日本ができる最大の協力は、北東アジアで日本の責任を果たすことです。」(小原凡司)

日本の安全保障分野の専門家のほとんどは、アメリカ崇拝、米軍従属のようである。

○米中日軍事力比較 ・・・・米軍が圧倒的に勝る

    兵員   空母  大型輸送機 

 米国 ?    10艘   709機 

 中国 230万人  1艘   65機

 日本 15万人   0?   ?

 

◆米国との間合い (参考: 元防衛大学校長の五百旗頭 真氏、新聞寄稿など)

 ○二つの米国像 ~世界を支配する巨大な存在

  a.自由、民主主義、大衆文化、物質文明などあこがれの米国

b.強引なパワーを独善的にふりまわす畏怖と嫌悪の米国

○米外交の3原則 ~力と利益と価値

力の体系 ~政治(権力原理)――軍事力による国際秩序の支配

利益の体系~経済(損得原理)――ドル防衛外交、自由資本主義

価値の体系~文化(美醜原理)――自由、人権、民主主義

 戦後日本は、上の③の価値観を共有し、②で協調しながら経済大国になり、そして①の米国の「核の傘」に安住してきた。

 これからも、米国一辺倒でいいのか、経済成長一辺倒でいいのか。

 

◆日米安保同盟の目的の変遷

 日本が米軍に基地を提供する。日本の防衛を米軍にゆだねる。日米安保同盟の目的は、 「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」することである。それは、米ソ冷戦時代におけるソ連への対抗として、日本列島を「不沈母艦」基地とすることであった。

195311月に来日したニクソン副大統領は「日本に平和憲法を作ったのは誤りであり、共産主義に対抗する軍備を充実する必要がある」と述べた。そして、自衛隊の軍事力は、増強をつづけた。

1990年、ソ連が崩壊し冷戦構造が融けた。だが、世界に平和がもたらされたわけではない。世界各地で民族紛争、宗教対立、国境問題、民主化運動と軍隊による抑圧、難民問題などが頻発している。

そして「世界の警察官」を任じたアメリカは、てんてこ舞いである。おおくの米国兵士のベトナム戦争の後遺症もいえない。

そこで、2005年(小泉・ブッシュ蜜月政権時代)、日米安保体制の方針を転換し、日米同盟の対象地域を極東に限定せず、その目的もつぎのように変質した。

「日米同盟・未来のための変革と再編」、「世界における課題(中東の不安定化、イラク戦争、対テロ戦争、中国の大国化、ロシア国家主義など)に効果的に対処する」、「共通の戦略的目標を追求する」、その目的のために日米が協力する。

2015年、安倍首相は、集団的自衛権の法制化をすすめながら、次のようにアメリカに述べる。

~日米同盟の基礎は、日米両国の価値観の共有である。

~日本は、アメリカの世界戦略に協力する。

~テロ組織や中国やロシアの国際秩序への挑戦に武力をもって積極的に対峙する。

~極東の島国の「一国平和主義」から脱却して、国際的に積極的平和主義をかかげる。

◎日米同盟の「共通の戦略的目標」とは、なにか?

アメリカが信奉する自由と民主主義の「正義」によって世界秩序を維持すること、だと理解する。

だが、世界の異なる国家、民族には、異なる伝統、文化、精神性がある。独善的なアメリカに反感をおぼえる人々もおおいのは事実である。アメリカが、世界の国々に「アメリカの正義」をおしつける根拠はないのだ、とわたしはおもう。

 

◆いびつな日米関係 ~よじれと鬱屈と信頼  

 安倍首相は、米国議会で「希望の同盟へ」という題目で演説をおこなった。

「ある意味、衝撃的。日本の国益の主張も立場の説明もなく、笑っちゃうほどアメリカ人になりきったようにスピーチだったからです。・・・全面的に対米追随するのは決まった上で、・・・・アメリカをたたえ、その意に沿うことが日本の政治、と信じているふうでした。政治の言葉というよりラブソングのようであって。・・・・・・・・

東京大空襲や原爆投下を受けながら、戦後、日本人はなぜこれほど、かっての敵を愛したのか。軍国主義よりアメリカ民主主義の方がいい、というのは当時の実感だったのでしょうが、自分たちをたたのきのめした国のおかげで復興し、豊かに暮らせている現実は、どこかよじれていたはずです。・・・・・

日本人は「よじれ」と「鬱屈」を不問にし、敗戦を「なかったこと」にしたかったのでしょう。」(赤坂真理氏、新聞寄稿)

このアメリカ留学経験のある作家は、「アメリカの草の根の市民意識、たった一人の異論であっても受け止め、議論を尽くす、そういう懐の深さ」を感じ、「アメリカという国家ではなく、人々の中に根付く民主主義、それこそ私たちが真にめざす価値ではないでしょうか」という。

その事例として、さきほど93歳でなくなった哲学者の鶴見俊輔のつぎのようなエピソードをあげた。

「鶴見俊輔は、10代で米国ハーバード大学哲学科に留学した。そのさなか日米開戦を迎えた。敵性国民として米移民局による聴取を受けた。鶴見は、[自分の信条は無政府主義で、この戦争については、どちらの国家も支持しない]と答えた。ボストン移民局の留置場に入れられた。獄中でプラグマティズムの論文を書き上げた。大学は試験官を派遣した。大学は、その内容を評価し、卒業の資格を認めた。

 

同時代の日本では、考えられないことだった。」(作家の黒川)

 

◆米中関係の歴史的な強靭性 

 「米国には、ペキンという名の町が9、シャンハイが6、カントンが29もあります。これは米国市の中で、中国との通商が重要な役割を果たした表れでしょう。江戸時代の18世紀から、米国と清国との貿易は盛んにおこなわれていました。中国と米国の絆は、日本人の考えが及ばないほど深い部分がある。

 中国の海洋進出と共に、これから戦略上の米中対抗が強まることが予想されますが、米中関係の歴史的な強靭性という一面を忘れてはいけないでしょう。」(東京大学教授の高原明生氏、新聞インタビュー記事)

 尖閣諸島を領有権をめぐって中国と日本が武力衝突をしたとき、米軍が全面的に自衛隊を応援するかどうか、専門家の意見も分かれているようだ。

 

6)日本は、いつまでアメリカ被支配の戦後を続けるのか?

これまではアメリカが、日本の外交と軍事紛争の国際関係を補完および代替してくれた。だが、そのアメリカが、『米国はもはや世界の警察ではない』ということになった。

さて、日本は、困ったことになったのか?

それともアメリカ依存から脱して、親離れして独立すべきチャンスなのか?

戦後70年を区切り、新生日本にむかう「国家論」の問題である。

 

以上  No. 3.4   No. 3.6