5.6 憲法の限界と超克 ~もっと自然で「ゆるい」社会思想へ  2016520

  

1)問題 ~「主権在民」と国家政策立案プロセスとの関係

立法(国会・政治家)と行政(政府・官僚)の現実の権力関係は、低」である。

「国民→主権者→選挙→国民の代表→国会議員」という政党政治構造よりも、「政権与党→首相→大臣・中央政府→首長・地方政府→国民」という統治機構こそが、国家権力の中枢である。

主権者であるはずの国民の要求を反映すべき政策立案において、官僚・役人のほうが、政治家・議員センセーよりも、はるかに高い能力をもって、おおくの仕事をしている。

憲法がいう「国会が国権の最高機関である」、「官僚・役人は、国民全体の奉仕者である」という言明は、ウソッぽい「思想のねつ造」なのではないか。

「主権在民」の民主主義国家体制を擁護するならば、国家政策の立案プロセスと統治機構を、あらためて問いなおすべきだとかんがえる。

◆問いなおしの結論提案

 ①政策立案プロセスへ国民が参加する統治機構 ==>国民会議と憲法会議の設置

②政策執行プロセスへ国民が参加する統治機構 ==>町内自治会に行政権限を付与

 ③「主権在民」思想の主権者教育機構 ==>政治思想教育センターの設置

 

2)政策立案の現状

◆地方政府

19996月、地方分権一括法が制定された。475の法律が改正されたそうだ。識者は、地方自治体職員にむかって、つぎのように鼓舞する。(公務協力グループのホームページ

地方政府は、自らが政策を立案して、自らの判断で政策を展開する役割をもつ。自分たちの地域を、自らの考え方に従って自立、運営していく。職員一人ひとりが政策形成能力を高める。地域住民に問題を提起し、問題意識を喚起し、住民をリードしてよりよい地域社会を創る先導役をはたす。

政策課題形成プロセスは、以下の8つのプロセスで進められる。

①当該自治体の抱える問題の認識

②当該自治体の進むべき方向の作成~ビジョンの作成~

③ビジョンに基づいた戦略の策定~政策課題、施策課題、事業課題の作成~

④政策研究テーマの設定

⑤テーマに対する調査、分析、提案の研究

⑥研究結果のまとめ~企画提案書の作成~

⑦研究結果の発表~プレゼンテーション~

⑧合意形成手続き~首長の決断、議会での決定

 

◆中央政府 ~民主党政権

2011年の民主党政権時代、文部科学省のホームページに「新しい政策立案プロセスへ~社会とのよりよい関係構築を目指して~」の資料がある。

民主党政権が、入念な準備もなく性急にめざした「政治主導」への取り組みは、政権交代によりあえなく頓挫した。その趣旨を抜粋する。

「事業仕分け」等の政策展開において、政策形成過程で国民の意見を聞く動きが活発化している。

これまでの意見募集は、最終案のとりまとめ段階であったが、これからは中間とりまとめ段階でも意見募集をおこなう。

現場の関係者をふくむ多くの当事者による「熟慮」と「議論」を重ねて問題定義や政策形成をしていく「熟議」という手法を、政策立案プロセスに組み込む。

試行錯誤を繰り返しながら、国や地方政府の政策立案者とNPO法人等が連携しておこなう政策対話など、国民との対話をいかす手法をさらに発展させ、社会的合意形成の過程を、「社会および公共のための政策」立案にくみこむことをめざす。

 

◆中央政府 ~安倍内閣

2016年、安倍内閣が「一億総活躍プラン」作成を発表。ホームページ抜粋

「我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」の実現を目的とする「一億総活躍社会」に向けたプランの策定等に係る審議に資するため、「一億総活躍国民会議」が設置されました。」

第1回 一億総活躍国民会議 の議事録から

開催日時:平成271029日(木)15:3016:40

議長 安倍晋三 内閣総理大臣   議長代理 加藤一億総活躍担当大臣

(構成員)

甘利経済再生担当大臣・内閣府特命担当大臣 (経済財政政策)  石破地方創生担当大臣  髙木復興大臣  高市総務大臣  麻生財務大臣  文部科学大臣 塩崎厚生労働大臣  森山農林水産大臣

経済産業大臣  石井国土交通大臣

(有識者)

①飯島東京大学高齢社会総合研究機構准教授、医師  ②大日方日本パラリンピアンズ協会副会長

③菊池女優、戸板女子短期大学客員教授  ④工藤認定特定非営利活動法人育て上げネット理事長

⑤榊原日本経済団体連合会会長    ⑥白河相模女子大学客員教授、ジャーナリスト 

⑦高橋日本総合研究所理事長     ⑧対馬社会福祉法人ノテ福祉会理事長

⑨土居慶應義塾大学経済学部教授  ⑩樋口慶應義塾大学商学部教授

⑪増田東京大学公共政策大学院客員教授   ⑫松爲文京学院大学人間学部教授

⑬松本まちの保育園代表   ⑭三村日本商工会議所会頭   ⑮宮本放送大学副学長

□一億総活躍社会実現対話

仙台、 平成282月から3月、仙台、東京、福岡、大阪で開催。

□「ニッポン一億総活躍プラン」の策定に向けたパートタイムや契約社員で働く方との懇談会

□一億総活躍社会に関する総理と介護を行っている方との懇談会

□一億総活躍社会に関する総理と20代若者との懇談会

□一億総活躍社会に関する意見交換会

 

3)行政指導による政策立案の根本的問題 

政策立案プロセスの現状は、内閣・官僚+有識者・専門家による行政主導である。この行政主導による政策立案は、つぎのように図式化できる。

意見、要望

  個人生活(身心頭){社会生活(文化・経済・政治){国民生活(権利義務)}}   

            ↓ 種々雑多な意見・要望  政党の政治活動

 政治への意見・要望 賛成・反対・提案、献金、陳情、圧力など 

↓ 選挙       ↓       ↓      ↓

 政治家・政党・議員  → 与党・政府 ← 行政・官僚 ←有識者・専門家

           ↓  行政主導  ↓

◆政策       政策案・法案・財源案、憲法改正原案  

           ↓  

◆執行        立法議会 行政府 司法裁判所→行政サービス→ 国民 

 

このプロセスにおいて、主権者が権利を行使する現実の選挙制度は、「政策案」への投票ではない。「議員になりたい」立候補者への投票である。選挙投票は、「人をえらぶ」のであって「政策をえらぶ」のではない。「政党をえらぶ」ことが「政策をえらぶ」ことにおきかわる。

だが、政権与党の政策であっても「目標をかかげる」だけで、既存の政策との整合性や財源の裏付けをもった実現性には無頓着である。野党の政策案など「絵に描いたもち」レベル。

現実的な政策案は、選挙で選ばれない公務員と有識者によっておぜん立てされる。政策を実行することを職務とする行政府・公務員が、政策を自ら立案する。

政策立案と政策執行を実質的に一体化させる行政主導は、「立法・予算」権力と「行政・執行」権力を独立させる憲法の形骸化であるといえる。

てまひまかかる非効率な民主主義は、決められない政治状況におちいりやすい。だから国民は、いらだって「決断できる政治、つよいリーダシップ」を求める。その政治の舞台裏でうごく行政主導は、「温情あふれる為政者への依存心、お上におまかせ無責任、主権者意識への思考停止、権力者へのすりより私利追及、既得権益の保身」などなどへ国民意識をみちびく。

行政主導は、法律にもとづく許認可権や警察権や司法判断などを根拠にして、学校教育やマスコミや企業経営の現場に行政指導を強化することにより、結果的に政権与党への支持を拡大させるべく選挙民の誘導・扇動をほどこすことができ、「主権在民」の民主主義は、いともかんたんに熱狂的な全体主義ファシズム国家に至ることを、歴史はおしえる。

なにが問題か?

行政主導の現状は、「差異の多様な個人が、それぞれ種々雑多な意見や要望を、国家政策に反映させる」という「主権在民」の政治プロセスではない。

その根本的な原因を、「主権在民を空洞化」させる代表制民主主義にもとづく「戦後憲法の政治思想~個人と国家の関係性」に求めねばならない。

 

4)戦後憲法が立脚する政治思想の問題点

国家とは、領土と国民を統治する権力主体である。

政治とは、為政者が民にほどこす施策であり、国家権力にかかわる人間の諸活動である。

この定義により、戦後憲法の前文が宣言する国家権力と個人との関係をさだめる「政治思想」を以下のように図式化する。

 国家の目的  個人の自由と人権と平和 人類普遍の原理 崇高な理想 

         ↓  全体思想・・・・理想のおしつけ  *差異の多様性と矛盾

 国民 国政の権威 国民主権 国民の信託 ・・・・権威の世俗化 *道義心の欠如

    ↓  中央統制・・・・代表制民主主義 *政策投票でなく政治家投票

 国政 権力は国民の代表者が行使  ・・・・選挙でえらばれない公務員が権力者

   ↓  多数決・・・・政党政治の権力闘争 *差異の多様性と矛盾

国民 国政の福利を享受 ・・・・政権政党の政策 *資本主義体制の自由と不平等の救済 

 

戦後憲法の思想は、西洋に発した啓蒙思想と近代国民国家の統治思想である。西欧思想の思想・哲学の基盤は、つぎのように理解できる。

①人間中心

人類を、自然と生物に君臨させる「ごーまん」な人間尊厳思想である。

②国家中心

国家を、個人のうえに君臨させる「君―臣―民」を是とする国家統制思想である。

③理性中心

個人を、君:国家権力の「権威」とする理念的人間像の理性偏重思想である。

 

◆「自由と人権、民主主義と立憲主義、平和」思想における2016年の日本社会

天皇制をひっくりかえした戦後憲法のもとで70年。日本社会の現状は、グローバル資本主義の過酷な競争と差別と救済の渦中にある。

その民主主義国家が、「個人の自由」と「国家の統制」を両輪とする政治思想の理想と現実のギャップを拡大させている。差異の多様な種々雑多な個人が、「身の丈で、ほどほどに、ゆったりと、お互いさまで、安心して生きて死ねる」という「穏やかなくらし」を保障する社会ではない。

戦後憲法は、「高邁な理想」をかかげて「きれいごとすぎて、くさいものにふた、たてまえだけで、いきぐるしく、閉塞感ただよう」立憲主義・法治国家の官僚統制がはばをきかす政治思想と一体である。

人生毛作の少子高齢化の時代、少/子育て・教育、壮/仕事・雇用、老/福祉・社会保障のそれぞれの世代がかかえる問題への対応に、政党政治があえでいる。

文明社会が到達した高度な科学技術に支えられたグローバル社会において、人間中心・貪欲資本主義・国家主権至上・ミーイズムの道義心なき「社会的壊疽症候群」がはびこっている。

生活世界の「自助―互助ー公助」という遠近法の多重関係性の視点からみれば、互助の知恵をはぐくむ自治的共同体が崩壊している。共同体の人間関係よりも、ペット愛玩動物や仮想空間のゲーム世界や仲間うちの閉鎖的なアカデミズム社交に「いやし」をもとめる。

戦後憲法は、「個人と国家」の関係性だけの統治思想であり、共同体(市民社会)と自然への哲学・思想を欠如している。

グローバル社会の国際情勢は、「憲法9条―自衛隊―安保条約」という明らかな矛盾を「憲法解釈により弥縫」する限界を露呈させている。

国内統治と国際関係の両面において、戦後憲法の統治思想をのりこえなければならない。

 

◆戦後憲法思想の「不自然性」が根本的な欠陥

戦後憲法の統治思想は、「人治」と「徳治」を否定した「法治」による立憲主義である。「法治」体制は、言葉で記述した成文法の「客観的で公平」な条文解釈を前提とする。成文法に対比される「自然法」などいう概念は、「権威を世俗化」させるための、政治哲学者たちによる「思想のねつ造」だとわたしは考える。

数学や自然科学ではなく、人間と社会の規範を記述する言葉には、意味も解釈も「客観的で公平」な真理基準などない。「言語とは差異の体系」である。個人それぞれの生活世界の条件によって、言葉の定義も解釈もかわる。

言語の解釈は、「でたらめ・ばらばら:カオス気体」-「ほどほど・まあまあ:ソフト液体」-「きっちり・がっちり;ハード個体」の多相多重な空間をゆれうごく。

人間は、「天網恢恢疎にして漏らさず」の「お天道様」が支配する「自然」の下で、植物と動物たちの命を食って、「少→壮→老」の人生を生きる「ちっぽけ」な存在者である。

戦後憲法の基盤をなす「①人間中心、②国家中心、③理性中心」の思想・哲学は、「人間の自然性」に目をふさぎ、「ご立派で、高邁で、尊大な人間様」に「国政の権威」をもとめる。

人間理性を肥大化させる「不自然性」こそが、戦後憲法の思想・哲学の根本的な欠陥だとかんがえる。

「身の欲望、心の機微」を過小評価する理性中心思想こそが、きれいごとすぎて、くさいものにふた、たてまえだけで、いきぐるしく、閉塞感ただよう」社会をうみだす元凶だとかんがえる。

有象無象のだれもが、「身の丈で、ほどほどに、ゆったりと、お互いさまで、安心して生きて死ねる」という「穏やかなくらし」を保障するためには、「人間を一面的にしかみない、お上品すぎる」戦後憲法思想にかわる、もっと「ゆるやか」な社会思想を探求しなければならない。

 

5)改憲派と護憲派の対立をこえる

 軍人がいばりちらして人権を抑圧した天皇制の全体主義国家よりも、個人が自由で平和にくらせる民主主義国家を、ほとんどの日本国民と世界の人々は、よしとするであろう。

 だが、「自由と人権、民主主義、平和主義」の思想次元においては、改憲派と護憲派との両者に根深い対立がつづいている。

 改憲派は、個人よりも国家の秩序を優先する「国家主義」の立場から改憲をとなえる。

護憲派は、人類の普遍的な価値とみなす「人道主義」において憲法を擁護する。

両者の対立関係は、「①人間中心、②国家中心、③理性中心」の思想・哲学を、戦後憲法の基盤とかんがえる者からみれば、「どっちもどっち」の「呉越同舟」である。

国家主義も人道主義も「不自然で、きゅうくつ」すぎるのだ。

 

6)もっと自然で「ゆるい」社会思想へ

「ゆるい」社会思想をめざして、「個人―社会―国家―自然」をつぎのように配置する。

自然・生命個人(社会(国民(為政者・国家))})*{相互作用}*{世界}/地球・自然

 この図式にもとづいて、戦後憲法の限界をこえる哲学・思想を探求する。

①人類中心の限界をこえる

人類の人間性は、人間(動物(植物(生命)))という入れ子構造から発現する。

自然・生命→植物→動物→人間という連続性と断絶性を哲学・思想の根拠とすべきである。「人間よ 増えよ地に満ちよ 海の魚 天の鳥 地に動くすべての生物を支配せよ」という古代ユダヤ教の創世記を源流とする「神―人間―自然」の西欧思想の代わりに、八百万の神々の「お天道様―生物―人間」という日本人の源流をなす自然思想を対置する。

②国家中心の限界をこえる

国家主権の絶対性は、一国存立主義を是とする時代錯誤的な鎖国思想である。世界は、ますます相互に依存しあうグローバル社会にむかう。

「個人の自由の制限→自治的共同体国家主権の縮小国境なきXX」の「私―共―公―世界」という世界像をめざして、国家主権を相対化する。

「国家→社会→個人」という「官僚主権」の統治機構を、「個人→社会→国家」という「主権在民」の統治機構に転倒する。

●政策立案プロセスへ国民が参加する統治機構==>国民会議と憲法会議の設置

●政策執行プロセスへ国民が参加する統治機構==>町内自治会に行政権限を付与

③理性中心の限界をこえる

人間は、「身―心―頭」の欲望を生きるカオスな存在である。社会と国家は、人間の理性をはるかにこえてソフトに流動する不条理な世界である。言語中心の理性は、ハードにがっちりした無矛盾の概念体系を絶対知として追及する。

「ゆるやか」な社会思想は、理性が立脚する「頭」でっかちの思弁的人間像ではなく、身体生理と感情心理の自然性を哲学・思想の根拠とすべきである。人間の理性は、高度な人工物を製造し豊かな文明社会をもたらす偉大なる能力ではある。だがその過剰なる理性信仰は、核兵器製造や貪欲資本主義などの「自由」を制御できない。

「ゆるやか」な社会の思想・哲学は、自然な「道義心」を基盤としなければならない。

 

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