4.5  「私」と「公」の関係をかんがえるもう一つの身辺事例 20151122

 

◆「私」と「公」の関係の問題意識

 「私」は、生命(身*心*頭)がはたらく「生理*心理*論理」の欲望を生きる。

「私」は、生→少→壮→老→死という人生システムを「社会」の中でいきる。

「私」は、少壮老の人生システムにおいて「無我→自我→大我」をめざす。

「私」は、「社会」を家族→身辺→集団→国家→世界という遠近法で生きる。

「私」は、社会「常識」と国家が強制する「法律」とお天道様の「道義心」に従って生きる。

「私」と「公」の関係の問題意識とは、

・国家を「公」とみなすこと

・「公務員」は国家権力の行使者であること

・その「公務員」が「公共」事業を独占していること

・ほとんどの都市住民は「共同体」思想を放棄していること

・戦後日本の義務教育において「共」的自治精神が訓練されないこと

・主権在民といえども「政治」についてほとんどの「私」は「公」にお任せであること

・日本国憲法第十五条の「公務員の選定・罷免」規定は有名無実であること

・そして民主主義国家の主権者である「私」国民の要求は、「公」国家の政治(権力関係)にどのような手続きで反映されるのだろうか?

というトータルな問題意識である。

こういう問題意識をもって前節で「通路開設要望」について考えた。わたしは個人的にもうひとつ身近な要求を「公務員」である横浜市港湾局にたいして持っている。

しかし、「私」国民→「公務員」・横浜市への要求を、どのような方法でおこなうのが現実的に有効なのか、老生にはわからない。政治家に陳情するとか、街頭デモに参加するとか、署名運動をよびかけるとか、住民運動を立ち上げるとかなど、自分が率先して旗をふる気力や情熱など、古希をすぎた隠居気分の老生にはすでにない。

ただ妄想・夢想にふけるだけである。その希望・願望を以下に記す。

 

1)事例: 横浜市港湾局が管理する海水面岸壁の利用状況

わたしが住むマンション団地の南側は、横浜港に面している。港にむかって右側(西側)の岸壁は国交省が管理する土地である。ここを管理する港湾事務所は、すでに別の場所に移転し、そこにあった事務所は閉鎖されて老朽建物になっている。ケーソン製造のための乾ドックがあるが、ここ数年は稼働していない。

岸壁も乾ドックも、もちろん一般住民は活用できない。いい場所の国有地なのに遊んでいて「もったいないなあー」と老生は嘆息する。

正面の岸壁には、海洋深層温泉をそなえるフィットネスジム&スパと結婚式場の商業施設が立地している。その敷地の横には空き地がひろがりホテル建設などの計画があるようだが定かではない。岸壁をめぐる柵の内側のウッドデッキ通路は、企業の私有地であり一般住民の立ち入りは原則として禁止である。釣りをしたい住民もいるがそれは許されない。

東側の岸壁は、民間企業が運営するボートヤードである。モーターボートや遊漁船の船底塗装や修理などに占用されている。だから一般住民は利用できない。いちどだけ、そこに設置されたポンツーンを臨時の乗り降り場所として使用させてもらえないかと打診したことがあるが、断られた。その理由は、ボートヤードと横浜市との契約に違反するからとのことだった。

北側の岸壁は、西側岸壁とは所管のことなる国交省の港湾調査事務所がある。所長以下の職員が10数名勤務しているようだ。そこの事業内容をたずねたことがあるが、「もう時代遅れの惰性の仕事ではないのかなあ」と老生はおもった。

もちろんここも一般住民は立ち入り禁止である。しかし、ここでは4年ぐらいまえに海洋浄化実験の目的でせまい人工干潟を造成した。そこにアマモを植えつけて、回遊魚がふえるなどの観察をしている。その観察会を年に2回ほど近隣の小学校の生徒に開放する。

この事業を足がかりとして、小中高生向けの海洋教室などに拡大していけたらいいなあ、と老生は夢想する。

 

2)海辺を一般住民も利用できないか?

横浜市の都市計画マスタープランでは、「横浜インナーハーバーの開放と活性化」がうたわれている。老生にとってたいへんうれしく歓迎したいプランである。

インナーハーバーに面するこの地区で、未来をになう子どもたちが、「にぎわいのある港湾空間の創出」に積極的に参加する実験ができないか、海洋関係活動にとりくむNPO法人の有志たちと未来の横浜港ウォータフロントの希望を語り合えないか、横浜市にある各大学の海洋関係サークルやボランティア活動に参加する学生たちと連携できないか、その若者たちを高齢化社会の老人たちが応援できないか、そういう世代間交流によるコミュニティ運動をおこせないか、などと老生は妄想する。

たとえば、つぎのような「海洋教室」のイベント開催である。

a.横浜港内クルーズ/対岸の山下公園への往復ランチクルーズ

b.釣り/船上バーベキュー

c.海難予防訓練、水難救済模擬訓練、夜間船内泊体験

d.船内での勉強会;小型船舶操縦士試験向け、危険と訓練、自然へ畏怖の念

e.花火見物、夜景クルーズ、夜間航海訓練

f.カヌー体験教室、大岡川桜見物、付近の運河めぐり

g.30フィート前後のヨット教室、帆走航海訓練

h.海水浴&デイクルーズ: 八景島、横須賀/猿島

i.1泊ランチクルーズ : 保田漁港/ばんや、温泉、宴会

j.数泊ナイトクルーズ:  三崎/初島/伊豆諸島/波浮港

k.ロングクルーズ   : 横浜~鹿児島、沖縄など

 

3)なぜ「海洋教室」などの「夢」が実現できないか?

横浜港は、横浜市港湾局が管理している。これまでの横浜市の港湾行政は、つぎの思想のようだ。

~横浜港は、産業港・商業港である。遊びやレジャーのための小型船舶やヨットなどに港湾をうろうろと走しられたらこまる。仕事のじゃまになり危険である。

港湾は、一般市民に開放されているわけではない。港湾施設は、産業用目的の施設しか許可されないのだ。(ただし、横浜市が関係するイベント時などの臨時使用は除く)

 

4)横浜市のビジョンと現実のへだたり

横浜市の都市計画やビジョンには、つぎのような美しい文言があふれている。

○水際線緑地や市民交流施設など、地域・市民に親しまれる、にぎわいのある港湾空間の創出と自然・環境にやさしい街をつくっていく

○臨海部再編整備により、「東神奈川まち・海軸」に不可欠な海や港を象徴する、にぎわいとうるおいのある空間をつくる

○就業・居住空間が融和し、運河などの親水空間を含む魅力的な複合都市空間をつくる

海・運河・河川など水際線の市民利用の促進や公園・プロムナードの整備、また、これら水や緑のネットワーク化などの自然環境の活用・回復・創出により、水や緑と親しめ、次世代へ残していける持続可能な街づくりをすすめる。

ところが、この地区に接するウォータフロントの現状は、「禁止」看板のオンパレードなのだ。これまでの施策は、「海・運河・河川など水際線の市民利用の促進」ではなく、真逆の「禁止」だらけである。

なぜなのか。

◆そのひとつは、海は「きたない」、「きけん」だから「禁止」という3K論理

人工物とコンクリートにまもられた都市環境の生活は、かぎりなく自然から遮断されてきた。海や海岸は、生活の糧を採集できる共有環境・入会地ではなくなった。子どもたちは海に飛び込んで泳ぎを覚えるのではなく、陸地や建物のなかに作られたプールで、おまけに監視員に見まもられながら水遊びをさせられることになった。

岸壁のまわりは、柵でかこわれ、「危ない!」、「立ち入り禁止!」などの看板だらけである。

◆もうひとつは、市民と行政との関係性

近代文明社会の都市住民たちは、日本人が縄文時代から受けつぎ、豊かな自然風土のなかで育んできた「地域共同体」の伝統と知恵を喪失した。

プライバシーと個人情報保護にかじょうなほどに敏感になり、ほどよい隣人関係のあり方を訓練されない都市住民たちは、身の回りの困りごとを、自分たちのコミュニティで解決する知恵と思想性を劣化させてきた。

だから、困りごとの解決と責任を、かぎりなく行政に求める。

行政にとって、その責任追及に対応する効果的な方法は、「何もさせない」予防線を張ることになる。このことが、水際線を「立入禁止」だらけにする光景をつくりだす。「にぎわい」どころではない。

このような事態をつづけるかぎり、「にぎわいとうるおいのある空間をつくる」などの文言は、どこまでも空虚な響きしか残さない絵空事ではないだろうか。

横浜市のマスタープランがうたいあげる美しいビジョンと現実とのへだたりは、あまりにもおおきい。では、どうするか。

5)「これまでの3K」を「これからの3K」へ ~「禁止」から「活用」への転回

これまでの3Kは、「きたない」、「きけん」だから「禁止」。

これからの3Kは、「きれい」、「くんれん」、そして「活用」。

河川や海洋の「きたない」については、「きれいに」むけてこの地区でもNPOなどによるいくつかの取り組みがある。しかし、その活動は、一定の成果をあげているだろうけれど個々の活動主体に閉じているようにおもわれる。

「きれい」になった→「海であそぼう」というステップアップ企画など「インナーハーバーの活性化」につながる横断的な連携への思想性が見られない。残念なことである。

「くんれん」は、水難事故を予防する事前教育である。「くんれん」とは、「きけん」に対応するための個人的能力と社会的諸条件の成長・育成への取り組みである。この水難予防活動は、自然の危険性を学び、自己の能力と海況とを考量し、自然を畏怖し、危険に対する判断知性と対応技能を向上させる危険予防の訓練にほかならない。「危険・禁止」という看板だけでは、「水難事故の予防」には無策なのだ。

「くんれん」活動は、横浜市マスタープランがいう「水際線緑地や市民交流施設など、地域・市民に親しまれる、にぎわいのある港湾空間の創出」と同時進行となりえる。

釣り大会、魚の食育、カヌー教室、ヨット操船とクルージングなどが、市民にとって「にぎわい」の内実となるだろう。

この「くんれん」イベントが、「インナーハーバーの活性化」につながるのではないか。

 

6)市民と行政との新たな関係性へ ~「私」と「公」の関係の直接民主主義の実践

横浜市マスタープランがいう「地域・市民に親しまれる、にぎわいのある港湾空間の創出」のためには、地域住民の自覚が必要だと考える。

その自覚とは、地域住民の身の回りのことを、自分たちのコミュニティで主体的に取り組む「共同体の自治」的精神である。何ごとも行政の責任にする「お任せ民主主義」の弊害への問題意識である。

「私」的な空間と「公」的な空間の中間層としての「共」的な自治活動への意識である。「自分たちの課題を自分たちで解決する」という「共」的空間創出には、「地域住民は行政サービスのお客様」、「お客様は神様」、「行政に文句をいえばいい」、「モンスター住民」など、受け身の立場を超える意識が必須となる。

それは民主主義国家システムの要素である国民の主体的な「自治精神」、「自己責任」意識である。国民ひとりひとりが責任をおうべき主権者なのだから。

これは、「私」と「公」の関係性をあらためて自覚する民主主義=主権在民という「主権者教育」の領域である。この教育は、うえの「きけん」を「くんれん」でのりこえる自己努力に重なるものである。

主権とは、国家を統治する権力の最終責任主体を意味する。戦後日本の民主主義国家は、戦前の全体主義的天皇制にかわって、立法→行政→司法の三権分立体制をたてまえとする。

その国家権力の行使者は、職業としての「公務員」である。公務員とは、議員(立法)→役人(行政)→警察官・検察官・裁判官(司法)である。主権者である国民は、立法、行政、司法それぞれの権力行使を「公務員」という職務に「委任」する。

だから、ひとりひとりの「私」個人は、主権者として「民主主義をどのように実践するか」、「主権をどのように行使するか」、「その主権の権力行使を公務員に委任するとはどういうことか」が、重大な問題となる。

この問題を、わたしは憲法第15条をベースにしてかんがえる。

◆日本国憲法 第十五条「公務員」

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

「私」個人→選挙→「国会議員」→立法プロセス→法律・政策・予算→「公務員」→行政プロセス→奉仕→全体→「私」個人→評価→不服→司法プロセス→裁判

国民の司法プロセスの参画には、裁判員制度と裁判手続きがある。

国民の立法プロセスへの参画は、選挙による代議制、委任である。

国民の行政プロセスへの参画は、どうであろうか?

 

7)【横浜港の港湾区域内における水域の占用等に関する条例】の改定を要求する

 目の前にひろがる横浜港の岸壁を活用して「海洋教室」などの「夢」を実現するには、どうすればいいか。

主権在民の民主主義の「あたりまえの実践」という視点から、わたしは横浜市の条例に着目する。

それは、河川、運河、岸壁、海など水際線を市民も利用できるために、現行の「水域の占用等に関する条例」に「海洋教室等の許可」を追加することである。  

現在の【横浜港の港湾区域内における水域の占用等に関する条例】(平成12327日)は、つぎの各号について、許可申請を市長にしなければならないとされている。

(1)水域占用許可 (2)土砂採取許可 (3)工事許可

ここに(4)「海洋教室等の許可」を追加できないか。

横浜市マスタープランがいう「市民が、水際線の利用を促進し、市民に親しまれ、にぎわいのある魅力的な港湾空間を創出する」に当たって、現行の条例は障害となる。

 なぜならば、水際線の現状は、既得権益の業者または未使用のままの放置状態が続く行政の占用空間となっているからである。

現実に、東神奈川臨海部周辺地区における水際線は、「立入禁止」表示のオンパレードであり、市民が水際線を利用することを、強制的に排除している状態である。

横浜市の港湾行政は、戦後から続いている港湾荷役産業政策に過度に偏重している。その根本的な見直しを要求したい。その具体的な要求が、「水域を市民も利用できる条例」への改定である。

条例改定は、横浜市議会の立法プロセスの所管であろう。では、住民は条例改定をどのように要求すればいいのか。しかるべき市会議員に相談すればいいのか。

 

8)条例改定をどのように要求するか?

横浜市は、2015年(平成27年)2月「横浜市都心臨海部マスタープラン」を公表した。重点施策のひとつに「都市活動の担い手が活躍する仕組み・体制の充実」をかかげる。

・都心臨海部の魅力を今後一層高めるため、市民・事業者との双方向の対話や協働の中で、地域の様々なニーズ・課題に市民・事業者・行政が一体となって対応していきます。

・パブリックスペースの維持・管理や、利活用による賑わいつくりなど、エリアマネジメントの視点から地域の更なる魅力向上に向けた活動を推進します・

都心臨海部のエリアマネジメント活動を促進するための仕組みづくりに取り組みます。

・自治会町内会や管理組合等の住民コミュニティ、就業者コミュニティや商店街等の地域の様々なコミュニティの充実に向けた活動の場づくりや、コミュニティ相互の連携強化を図ります。

では、自分が住むこの地区で、エリアマネジメント活動をどのように促進できるか?

地域住民のエリアマネジメント活動を、横浜市議会の条例改定議案にどのように反映させればいいのか。

条例改定を要求する目的のひとつは、たとえば「ウォータフロントを利用した小中高生むけの海洋教室を継続的に開催する」こと、「そのための一定の施設を岸壁に設置する」ことを可能ならしめることにある。

しかし、この目的だけでこの地区のエリアマネジメント活動がもりあがるとはおもえない。海洋教室に関心のある人は、限られるだろう。海が嫌いな人もいる。「一部住民」の要求運動ならば、公的なエリアマネジメント活動になじまない。

「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」のだから、エリアマネジメント活動は、「エリア全体の要求」にもとづかなければならない。

「エリア全体の要求」とは、エリア関係者の住民や事業所などが、エリアの現状と未来にかんする不満や苦情や要望や評価の維持や希望などの総体であろう。

この地区では、自治会、マンション管理組合、周辺事業所から構成される「地区連絡会」という任意団体が、毎月1回の定例会議をひらいて情報交換をおこなっている。横浜市の都市計画マスタープランにも関心がたかい。前節で述べた「通路敷設の要望」もある。この地区に残された唯一の未開発街区にどのような商業施設が開発されるのかにも関心がある。港に面して岸壁をめぐるウッドデッキ通路は、企業の私有地ながらも一般住民の利用をのぞむ声はたかい。

このような状況を背景にして、つぎのような「エリア全体の要求」をかかげるエリアマネジメント活動をになう組織体を創出できないか、と老生は夢想する。

A:海水面利用条例の改定要求==>横浜市

B:岸壁利用を有効活用するイベント企画提案==>岸壁のウッドデッキ所有企業

C:通路開設の要求==>横浜市および国交省

 

9)「私と公の関係」のあらたな創造にむけて

地域で生活時間のほとんどを過ごすのは、つぎの人たちである。

  子育てに専念して家ですごす主婦

  壮/職業期世代で生活の場で仕事ができる自営業や自由業の住民

  時間がたっぷりある老/終業期世代の老人たち

壮/職業期世代のほとんどの住民の生活の中心は、職場であって地域ではない。地域のコミュニティ活動に参加できる時間は限られる。未来の社会よりも目の前の仕事に責任を果たさなければならない。

未来の社会への希望は、少/学業期の高校生・大学生・専門高校生たちに向かう。

時間がたっぷりある老/終業期世代が、少/学業期世代を応援する「エリアマネジメント活動」の仕組みができないか。

このような老人世代の社会参加、地域力の充実への取り組みは、少子高齢化社会の老人問題と教育問題への対応策にもなるのじゃなかろうか。

 

国境を横断する「共同体的自治集団」への夢

「私と公の関係」のあらたな創造にむかう地域ごとのエリアマネジメント活動を「直接民主主義」の実験とみなす。

その実験をとおして「共同体的自治精神」の訓練を探求できないか。

この活動をとおして老生は、「私」→家族→身辺→集団→国家→世界→国境を横断する「共同体的自治集団」→国民国家権力の相対化などという未来の世界像を妄想する。

冒頭で述べた「私」と「公」の関係の問題意識の根底には、そういう世界像への夢がある。

a.グローバル社会における国民国家主権を相対的に縮小する共生思想への夢

b.第二次世界大戦の戦勝国が支配する国際連合機構を創造的に解体する夢

c.日本国憲法の理念をかかげる国際交流機関と集団的自衛「地球警察隊」を創出する夢

 このような夢=希望をもって、「往還思想」の人生論をもとにして、「共生思想」の社会システムと国家論をかんがえつづけたい。

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