2.2 公共私の歴史概観       改2015年7月1日

 1)日本社会の公共私の歴史概観

2)聖徳太子の「17条の憲法」抜粋

3)修身、斉家、治国、平天下

4)江戸時代と明治維新の後の天皇制国家時代

5)戦前:「官・公」が「共同体」を支配する「私」不在の「公・共」の二階建社会

6)戦後:「共」を温存した「公」と「私」が調和した戦後の日本社会

 

1)日本社会の公共私の歴史概観

◆縄文、弥生、大和朝廷、平安、鎌倉、足利、戦国、江戸の各時代

採集狩猟の縄文時代および農耕をはじめた弥生時代、古墳時代の古代社会の日本人(南方系原住民+大陸系渡来人)は、部族・集落など地縁・血縁の生活圏で暮した。その社会は、大家族のイメージである。ここには「共」のみであって、「公・共・私」の区別はない。(注:厳密には、古墳時代から「公」ヤマト国家が萌芽した。)

人は、自然への知識と経験を積み、道具を操作する技術を発達させ、衣食住の生産能力を進化させた。集落の勢力範囲を拡張させ、部族どうしの闘争を繰り返しながら、武力を基盤にした祭政一致の貴族・武家社会に代わった。

ここに「公」が支配権力・統治者として日本列島に君臨した。その統治形態の「公」は、土地に帰属する富と民の支配機構であった。被統治者たる普通の人々、凡人、庶民、女こども、奴隷、人民は、「個人」として「公」に向き合う主体ではなかった。苗字と名前をもたなかった。

この前近代は、「私」なしの「公と共」の二階建社会であった。

 

◆明治、大正、昭和の近代

自然への知識と経験と人工物と技術の思考にかかわる合理的理性は、とめどもなく知力を高め、地球上の行動範囲を隅々にまでひろげ、土地に従属しない富と財の開拓と収奪を多様化させた。

己の存在を、祭政一致を司る貴族・武家の「公」に公認され従属していた「商人」勢力が、「流通、契約、交換、貨幣」を武器に台頭してきた。独立した「個人」の自由と「貨幣」の信用力が、神の権威と武力を背後に後退させた。

ここに資本主義的自由人である「個人」の人権思想が登場した。自立した理性的な「個人」が、その良識ある一般意思にもとづいて、「国家形成」の社会契約をおこない、憲法と法律を制定することになった。王権神授から人権天賦への近代革命である。

部族・集落などの血縁・地縁の共同体は、個人情報保護を保証する都市社会において崩壊した。

かくして、昭和後半、戦後、平成の現代まで、自由・人権尊重、合理性・貨幣経済、良識理性・法律を価値原理とする法治国家の近代民主主義の世になった。その統治原理は、フリー/マネー/ルールの三本柱である。

いまや現代日本社会は、西欧に発した個人尊重、自由、平等、民主主義、科学的合理性の価値観を「正義」、「客観的真理」とみなす世界に冠たる先進的な国家となった。

都市文明社会の前代は、「共」なしの「公と私」の二階建社会である。

 

◆まとめ

(1)共働社会 縄文、アイヌ
  私共公が一体 家族、集落 掟・族長の分配

(2)貴族・武家による統制国家 
「共―公」 私なき身分階層共同体  寄進・保護、収奪・搾取

(3)主権在民による民主主義国家 

  「私―公」 共なき私企業と国家  法律・競争・契約・社会保障

(4)未来社会 

  「私→共←公」三階建社会  一国多制度 国家主権の縮減

 

2)聖徳太子の「17条の憲法」抜粋

人は、過去への自己言及を繰り返しながら未来を創造してきた。ここで「私」なき時代の「公―共」の二階建社会を少し振りかえってみよう。

温故知新。「均質共同」ならざる「差異共生」の人間関係の叡智を求めて。

 70億人が住む地球上に多くの国がある。今から4000年もはるか昔に栄えた文明発祥の地のエジプトやギリシャやメソポタニアの地域が、現代おいて混沌たる様相を呈している。

 わが日本は、明治維新をなしとげて西欧諸国と伍するほどの大国になった。その明治維新は、律令制の王政復古であった。明治憲法は、和魂洋才の日本流折衷であった。

ここで聖徳太子の「17条の憲法」から抜粋して引用する。(注;縄文時代の精神性を基層とする仏教、儒教、道教などの外来思想を混淆した現代日本人思想の源流)

第一条: 和を以って貴しとせよ、いさかいをおこさぬことを根本とせよ。

 上の者も下の者も協調・親睦の気持ちで論議すれば、事理おのずから通じ何事もうまくいく。

第四条: 人民をおさめる政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本とせよ。

政府高官に礼あるときは、庶民たちも自ずと礼をもち、国全体が自然におさまるのだ。

第十条: 心の中の憤りをなくせ、あっても憤りを表情にだすな。

ほかの人が自分と違ったからといって怒ってはならない。人みな心あり、人それぞれに考えがある。彼が是とすれば我は非とする。我が是とすれば彼は非とする。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること、耳輪に端がないようなものだ。

だから、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと反省せよ。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動すべし。

第十五条: 私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。

第十七条: ささいな少事は別にして、大事なものごとはひとりで判断するな。判断をあやまるかもしれない。みんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

 

 約1500年をへた2013年の今、国会やテレビ討論で与野党議員の先生方が議論している。メディアがそれを報道する。議論の様子、メディアの姿態、・・・。人間の理性や知性の進歩とは?!

 

3)修身、斉家、治国、平天下

江戸時代の官学であった儒学に「修身、斉家、治国、平天下」という思想がある。世間を見渡せば、いまでも多くの日本人に、この儒学の「君主と臣民」という縦社会を統治する精神性が色濃く宿っている光景がみえる。

それは日本を訪れた外国人が、日本人の秩序、親切、規律、清潔などの規範性、集団性にびっくりすることと同根だと思う。その淵源は、縄文人に発する神仏儒が混交して聖徳太子の「和をもって尊しとなす」にいたる思想性まで遡るといってもよいだろう。

 「修身、斉家、治国、平天下」は、「大学」の「格物/致知 /誠意/正心/修身/ 斉家/治国/平天下」の後半である。生半可な知識だけれども、これを以下のような諸概念に対応させてわたしは理解する。 

格物/致知 

・物事の本質論、自然観、認識論、形而上学

誠意

・頭/ 理性、知性、言葉、能動的分析 物理、論理、数理 規範、理想

正心

・心/ 感情、感性、無意識、言葉以前、受動的綜合 喜怒哀楽、真善美 希望

修身

・身/ 肉体、自律、呼吸、心臓、消化、排泄、免疫、運動、感覚、睡眠、快楽

斉家

・家族、血縁 地縁、社縁  自分たち、貴方たち、共同体 集団、組織 

治国

・国、公 みんなのお上、支配、権力、警察 司法、法律、統治、自由の抑制

平天下

・社会全体、世間、世の中、人類社会、グローバル世界 地球 動植物 命

 

◆格物/致知は、存在論、認識論である。 

◆誠意、正心、修身は、人生論の規範である。

◆斉家、治国は、社会の統治論である。

◆平天下は、人類の価値観―倫理観である。

儒教思想は、私/下と公/上の関係原理を「修己治人」とする。その倫理観、人徳の支配原理は、「天道」、「天命」、「お天道様」である。

 

4)江戸時代と明治維新後の天皇制国家時代

江戸時代は、薩摩藩や長州藩など300諸侯の地方分権の幕藩体制であった。明治維新により廃藩置県の中央集権国家体制になった。教科書的な知識では、以下のように理解できる。

平天下 

国家 : 天皇と将軍 権威と権力 鎖国 封建制度  寺社の管理

治国

地方行政: 諸藩 武士による立法、行政、司法の一元化
  役人、一部の特権階級エリート==>威張って、徴税・賦役・人民支配

地域共同体: 農工商の身分制 世襲
  村社会 寺請制度 人別帳 自由移動の禁止 職業選択の自由なし
  集落、自治会、5人組、青年団 「結・講・座」の互助・共助の共同体
  誰のものでもない入会地・共同所有物

斉家

大家族:家制度 長子相続 少壮老/三世代同居 6名前後の兄弟姉妹

修身/誠意/正心

個人: 身頭心
    ●基本的人権思想ナシ  *世襲・身分制の制約
    ●職業選択の自由度は少 *家や共同体に帰属
    ●個人の自由よりも社会的義務が強制される

格物・至知

宇宙 自然 生命 迷信 鎮守の森 神社仏閣 祭り 祈り

 

5)戦前;「官・公」が「共同体」を支配する「私」不在の「公・共」の二階建社会

大和民族の精神性は、「出る杭は打たれる」、「世間体を気にする・周囲に気を配る・配慮」、「謙遜・謙譲・控えめ」、「自然や環境と共生・順応する」、「お互い様、譲り合い・我を張らない」などと理解されている。

自制、配慮、相互扶助の精神である。古くは縄文的な沖縄やアイヌの優しさ、仏教の慈悲、儒教の礼・仁、老荘の敬天(道)などの八百万が混交したものである。西洋的な一神教的で自由な自己主張を尊重する風土とは異質な性格をもつ。

部族社会の縄文時代から続く血縁・地縁・社縁の日本人的な共同体精神は、江戸時代にさらに発揮された。

江戸時代の幕藩体制は、士農工商の身分制であった。農工商の庶民は、名前をもたず、個人ではなく身分でしか認知されなかった。武士である「お上:公:官」は、個人としての「私」を直接統治しなかった。個人ではなくて農工商の身分制集団を統治の対象とした。ひとり一人の責任と義務を身分制の共同体に負わせた。

「公」は「共」を相手にすればよかった。統治を簡素にする知恵である。システムのモジュール設計論に通じる。 

 

◆「私」の不在、「個」の抑圧 

ひとり一人の「私」は、「共」の中で生きた。身心頭をもった自己の存立確認を、身分で受容された共同体に見つけて安心できた。人は、共同体の中で助け合い・譲り合いの精神を「不自由」に生きた。

人には生まれながらの多くの差別があった。共同体は、出自のその差異を包摂し、容認し、配慮した。身分が義務であり権利でもあった。「自由からの逃走」以前の順応時代である。

人の叡智は、自らの運命の定めを差異として認め、諦観をもって順応した。他者と共生する忍耐と自制の知力・精神力を発達させた。「官・公」である封建領主の過酷な収奪を受けながら、庶民はしぶとく生き抜き、清貧な生活様式や文化をつむいできた。

上層階層あらざる大多数の人民たちは、洋の東西を問わず忍従の歴史を生きてきた。近代思想を金科玉条とする進歩的学者は、この人類の歴史を「遅れた野蛮性」として糾弾する。

部族社会の縄文時代から続く血縁・地縁・社縁の共同体は、明治以降の天皇制においても温存された。農工商の身分が、臣民という姿に装いを変えただけである。

  明治憲法下の戦前の日本社会は、立憲君主制の国家社会主義的天皇制であった。天皇の権威をいだき軍隊と警察の武力を専有する「お上=公=官僚=役人」が、天皇の赤子である臣民を支配した。殖産興業政策において企業を誘導した。

壮年たちは、企業に従属した。生活空間の秩序の統治においては、家制度・隣組等を媒介にして国民を支配した。

個人としての「私」は、企業・会社という社縁という共同体で稼ぎ、家族や集落や長屋である血縁・地縁の地域共同体で暮した。

「私」が不在の「公―共」の二階建社会である。

明治、大正、昭和時代の天皇制の大日本帝国は、西欧列強と植民地争奪の帝国主義戦争を戦った。国民は、国体護持の掛け声とともに滅私奉公の精神で戦争に参加した。

進歩的学者は、この時代を「悪しき熱狂の暗愚の暗黒の時代」とよぶ。

 

6)戦後:「共」を温存した「公」と「私」が調和した戦後の日本社会

戦前の戦時体制において個人を抑圧した天皇制は、完膚なき敗戦により全面降伏した。戦勝連合国というよりもアメリカにより、強制的に民主主義体制に転換させられた。

戦争に負けた。体制が上下にひっくりかえった。国家の威信よりも個人の尊厳が大切だという思想に大転換した。

 

◆「共」の否定、「個」の尊重

西欧流の近代思想は、「共」を個人の主体性を圧迫、抑圧するものとして全否定する。進歩的学者は、「ムラ社会・共同体・集団主義」を日本人の後進性だとなげいた。戦後の知識人たちは、鹿鳴館時代の開明紳士たち以上に、西欧人の主体性思想を憧憬した。

日本列島の狭い島国で、伝統的な「共」精神を生きてきた「主体性なき日本人」は、自由で自立した個人の自覚を強制された。滅私奉公を大転換して「尊私忘公」に向かわせた。国家の主権者としての自覚を国民に啓蒙した。

かっての「臣民・陛下の赤子」の前近代性に代わって、近代的な「自由市民」になることを戦後教育の骨格とした。

そしてアメリカの保護国、属国まがいの戦後体制を受け入れた。自主的に戦いとったものではなく「与えられた個人的人権尊重」ながらも、「自由と平和」という戦後民主主義の恩恵をおおいに享受して、戦後70数年を過ごした。

 私的で自由な活動は、仕事においては会社勤めに精をだし、エコノミックアニマルとして世界市場を席巻した。生活においてはおおいなる消費欲望を拡大させ物質的な繁栄を謳歌した。

 

◆「共」の温存、「私」の抑制

だが、「共」を生きてきた「主体の自覚なき日本人」の精神性が、簡単に崩れたわけではなかった。高度経済成長は、地方から都市への人口移動をもたらし、田舎の集落の共同体が会社の人間関係の共同体に代わった。戦前の国家への奉仕が、戦後は会社への奉仕に代わった。

人々は、そこに自己確認の根拠をおいた。自由で独立した個人の差異は、終身雇用の家族的日本型経営の会社に包摂され受容された。

幕藩体制における江戸庶民の生活様式や明治以降の天皇制における臣民が体に宿した日本人的共同体・助け合い・譲り合いという精神風土の基盤のうえに、戦後の自由と個人尊重が移植されたのである。勤勉な日本人の伝統的な<共>をベースに、<私=個>が自由にその能力を発揮する体制になった。

これが、戦後の日本の驚異的な復興と現在の繁栄をもたらした基盤ではないか。戦後の日本社会は、「共」を温存した「公」と「私」が調和した体制だったのではないかと思う。

  そして2015年の現在、戦後日本社会体制を支えた「公・共・私」の調和が崩壊しつつあるとわたしは思う。

「共同体で生きる、助け合う、譲り合う」という庶民のあたりまえの伝統や風習など「共」なる歴史的な遺産を、わたしたちは急速に食い潰しつつあるのではないか?

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