5.3 憲法改正のおおきな論点~「2.5権分立」から「6権分立」へ 2016415

 

■問題:

憲法改正は、おおきな政治問題である。「主権在民」という民主主義政体で生きる国民のひとりとして、わたしは政治にどう向きあうか?

「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが、「待機児童問題の改善」にかかわる国会議員におおきな影響をあたえた。ひとりの若い母親が、ブログを書くという「政治参加」を、どのように理解すればよいか?

そもそも差異の多様な国民の意見や要求を、政治にどのように反映できるのか?

 

■問題の本質:

 国民が、直接的に政治に参加できる制度が、つぎのつだけで貧弱すぎる。

①被選挙人として、国政選挙に立候補し、立法府の議員となること

②選挙人として、立法府の議員候補と最高裁判所判事の認否を投票すること

③公務員資格試験を受験し、立法・行政・司法の職員となること

④裁判所に提訴すること

 

■問題への対応

国民が、直接的に政治に参加できる制度を多様化するべく憲法を改正する。

①被選挙人として、国政選挙に立候補し、つぎの国家権力機関の上層経営幹部となること
A;
国民会議、B:憲法会議、C:立法議会、D:行政府、E:司法裁判所、F:地球警察隊

②選挙人として、国家権力機関に就職する上層経営幹部を、選任・罷免すること

③公務員資格試験を受験し、国家権力機関の職員となること

国民会議の集会において、意見を述べる義務をはたすこと

⑤裁判所に提訴すること

 

1)わたしにとって「政治」は社会生活の一部でしかない

自然生命自分→生物(動物(人間(社会人(日本国民(公務員)))))

わたしは、生物・動物・個人として生理的に生きる。その生理は、誕生*(少年/学業期→壮年/職業期→老年/終業期)*消滅という自然のサイクルに包摂される。

わたしは、社会的動物の一個の人間として、他者と共に多様な社会生活を営む。

社会は、個性と自我をもった自由で多様な人間たちのカオスな集団である。そこでの社会生活は、わたしの「身―心―頭」の欲望がむかう「政治―経済―文化」にわたる協調・対立・競争の諸関係である。

その社会生活の一部の出来事に、わたしは国家がさだめる日本国民の資格(権利・義務)でもって、能動的・自発的・直接的または受動的・強制的・間接的に関与する。

国家とは、主権、領土、国民で構成された統治機関をもつ政治的共同体である。国家は、地球上の人類社会に、特殊な集団領域を形成する。

だが、国民として生きることは、人間として生きること、社会人として生きることの一部にすぎない。人は、個人生活と社会生活と国民生活を重層させながら生活世界を形成する。

国民生活は、「私―共―公」の枠組みでいえば、「個人と国家」の関係性である。「政治―経済―文化」の枠組みでいえば、法治国家の「権利と義務」にかかわる「政治」の領域である。

国家秩序を維持する「法治」は、「人治」と「徳治」への対立概念である。「法治」という法律にもとづく政治システムは、わたしの趣味道楽や倫理道徳や死生観を強制できない。

国民生活は、国家権力にしたがうが、個人生活は、良心と天道にしたがう。社会生活は、成文法なき「寄りあい衆議の人治」でも「聖人有徳者にしたがう徳治」でもありうる。

 

へりくつをいえば、日本国民としての「権利と義務」の資格がなくても、わたしは生きることができる。法律をいちいち意識しないで、人間としての社会常識や道義心をもって、他者との経済活動と文化活動に参加できる。「法治」される「国民」でなくとも生きていける。

だが、わたしは日本に定住し、日本国民であることを選択した。日本国憲法にもとづく国民生活の「権利・義務」関係を統治する国家システムに従って生きるしかない。わたしは国家がさだめる日本国民の資格(権利・義務)でもって、能動的または受動的に、政治に関与せざるをえない。

では、「政治」にかかわる出来事は、わたしの社会生活の一部でしかない現実をふまえながら、立憲主義や主権在民という理念を具体化する仕組みとして、主権者が政治に関与する「政治システム」を、どのように了解すればよいか?

 

2)「主権在民」という政治の図式

日本国憲法は、立法議員、行政役人、司法官僚などを、国民に奉仕する「公務員」とする。「公務員」は、国家システムの運営責任者であり、統治者であり、為政者であり、国家権力者である。

公務員は、世襲や特別な身分ではなく、日本国憲法と法律=法規範もとづいて、国家権力を行使できる権能をもつという、特殊な国民集団であり、国家統治機関の職員である。

だから、現実の政治とは、政治家・役人・裁判官などの国家権力者、つまり「公務員」と一般国民との関係性であると了解できる。

この視点から、国民と公務員の政治的関係を、つぎのように図式化する。

◆国民と公務員の関係

 賛成・反対・意見・要求・提案    国民                   評価・改善・改革     

   ↓↓↓                  ↓選挙                              ↑↑

民意収集→政策→公務員{議会(法案・審議・採決)→行政(予算・執行)}→成果

                      ↑ 

                    日本国憲法         

 

狭い意味の「政治」活動とは、統治者としての「公務員の職業」を意味する。

「公務員」でないわたしにとって、直接的な政治関与は、①国民の代表である立法議員を選挙すること、②最高裁判所判事の賛否投票をすること、③裁判所に司法判断をあおぐこと、のみっつでしかない。

ここで根本的な疑問がでてくる。主権在民、民主主義の理念が、この程度のレベルの政治制度によって実現できるのだろうか?

主権在民といえども、国民が直接的に政治に参加できる制度は、被選挙人資格制度、選挙人資格制度、公務員資格制度、訴訟制度だけでしかない。

これは、理念偏重とおもわれる現行憲法の、法規範として、根本的な欠陥ではないか。

「主権在民」という民主主義と平和憲法の理念を実現する政治システムの設計→構築→運用→評価という仕組みが、きわめて貧弱なのではないか。

差異の多様な国民の意見→民意収集→整理→政策立案→制度設計→法案作成という一連の政治プロセスに、国民が主権者として参加できる制度設計が、必要ではないか。

一部少数の国会議員で構成される憲法審査会が、憲法改正原案を作成するという制度の欠陥を、もっと重大視すべきではないか。

国権の最高機関である立法府の国会議員をえらぶ「小選挙区比例代表並立」選挙制度の合理性と正統性は、もっと問題にされるべきではないか。

国会議員に立候補する被選挙民の資格と見識と知性・理性・品性などトータルな器量・能力を訓練する制度の必要性を、もっと問題にすべきではないか。

民主党政権は、「無駄をはぶき財源を捻出」、「沖縄基地は最低でも県外」、「コンクリートから人へ、ダム建設中止」などと声をあげた。だが、官僚と既得権益者に抵抗され、アメリカに反対され、あっけなく自壊してしまった。

なぜなのか、その理由は、山ほどあるだろう。

わたしが解釈する理由は、うえの政治図式でいえば、国民の意見→民意収集→整理→政策立案→制度設計→法案作成という一連の政治プロセスの事前準備が、あまりにもなさすぎる、あまりにもおそまつすぎる、あまりに訓練不足ということである。

選挙以外に国民が政治参加できる政治プロセスの制度設計に、もっともっと人類の叡智を結集すべきではないか?

「主権在民」という立憲主義、民主主義を具体的に実行するうえで、選挙以外の「国民の政治参加」を規定しない日本国憲法には、国家経営システムの制度設計の面で根本的な欠陥があるのではないか?

 

3)憲法改正の論点 → 「6権分立」

1億人以上の日本国民は、理想、価値観、思想、信条、道義心、死生観などから、老若男女、職業、地域、家族構成、地位、貧富、能力、性格、趣味、品性、欲望などまで「多様な差異をもちながら共存」して生きる。

国民の多様な差異を、政治に、国政に、法律に、国家権力者に反映する仕組みが、政治システムである。システムは、一般に要求→設計→構築→運用→評価というプロセスをたどる。

そこで、政治システムのプロセスを、つぎのように図式化する。

国民の意見→民意収集→→政策立案・制度設計・法案作成→→立法・行政・司法→成果

敗戦後の日本国憲法がさだめる国家権力は、立法・行政・司法の三権分立である。

だが、議員内閣制にもとづく現実の国政は、行政機関がいちじるしく強大に肥大化し、立法議会能力がきわめて弱体劣化している、とわたしはかんがえる。

この複雑きわまるグローバルな情報社会において、(民意収集)(政策立案)(立法・予算化)を職業とする政治家の資質と能力が、もっともっと問われなければならない。

現実は、三権分立ではなく、2.5権分立にすぎない。

そこで老生は、この現実を克服する方策として、「6権分立」の政治システムへの憲法改正を求める。6権とは、A;国民会議、B:憲法会議、C:立法議会、D:行政府、E:司法裁判所、F:地球警察隊である。 

 

◆国民が国家権力に関与する「6権分立」政治システムのイメージ

 意見・要求・提案              国民                       評価・改善・改革      

   ↓↓                        ↓                            ↑

A:国民会議                 ↓                            ↑

民意収集・政策案募集 →→ 政策案投票、国家権力者選挙      ↑

                            ↓                              ↑

B:憲法会議 C:立法議会 D:行政府 E:司法裁判所 F:地球警察隊 ➡成果

 

A:国民会議の論点は、国民の意見と政策提案を公募・収集する基本法の制定である。

B:憲法会議の論点は、憲法96条の憲法改正手続きの改正である。

憲法会議を、国権の最高機関とする。

憲法会議は、6つの機関の設置法案を作成し、国民投票により承認をえる。

憲法会議は、憲法改正原案を作成し、国民投票により承認をえる。

国家権力を行使する国家権力者の選任と罷免は、それぞれの機関設置法にさだめる。

C:立法議会の論点は、法案と予算案の衆参二院制における討議プロセスの改正である。

D:行政府の論点は、「中央政府―地方政府―町内自治会」の三層統治体制の改正である。

E:司法裁判所の論点は、裁判官の資質訓練制度の改正である。

F:地球警察隊の論点は、憲法9条にもとづく自衛防衛軍の改正である。

 

この憲法改正がめざす「6権分立」の政治システムは、グローバルに進展するネット社会の情報技術(IT)と人工知能(AI)とロボット技術を基盤とする高度な情報システムでなければならない。

その政治システムは、少/学業期→壮/職業期→老/終業期の世代が、自由で多様な差異を共に生きる、多元重層の「カオス*ソフト*ハード」システムでなければならない。

その政治システムは、狭量なナショナリズムに閉じることなく、理念過剰の理想主義に堕することなく、ローカル*ナショナル*グローバルな世界観を包摂しなければならない。

その政治システムは、現行憲法が根拠とする「政治―民主主義」、「経済―資本主義」、「文化―自由主義」という近代思想を批判的に乗り越えなければならない。

 その政治システムの内実は、憲法9条、自衛隊、日米安保条約という現実の「解釈改憲」を建設的に克服し、人口70億人の地球の未来をみすえて、人間―個人―社会―国家―自然」の全体性を見通す、人類の叡智を結集した思想・哲学」の実践にほかならない。

 

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