第9稿 「癌と共に~癌患者の意見~」 2014128

1.      老水庵.net梁山泊への投稿のいきさつについて

2.      庵主との出会い

3.      キャンサー、サバイバー、キャンサー

1)               二人の自分

2)               私の主治医「小松嘉人」先生

4.逸見、筑紫氏等の癌

5.基地問題~辺野古埋め立てについて~

6.アルゼンチン国ブエノスアイレス続報

 

1.老水庵.net梁山泊への投稿のいきさつについて

 昨年10月末に庵主の木ノ下大兄に、胃癌の再発を知らせたところメールで「絶句」と言う一言が返ってきた。私は、今や癌はありふれた病気の一つであり、治療法、副作用サポートも進んでおり、絶句するほどの病ではない事を治療経過と共に私の考え・心境を返信したところ、ご理解頂け、この事をきっかけに庵主よりホームページに私の闘病生活における人生観・死生観を述べて欲しいと誘われ(私への大兄なりの配慮なのでしょう)、11月より「鵜木ページ」に投稿するようになった。今回で9稿目になるが、庵主は、華々しい現役生活を終え、現在を人生の最終章とし、隠居老人の思考道楽と謙遜しつつホームページを立ち上げ、世の中に何かしら貢献したいという気持ちと古希を迎えて、今まで以上に面白い世の中を作るきっかけにして人生を楽しもうとしておられる。その心意気に賛同して、全く文才の無い私が駄文を書き続けている。庵主の意に沿った内容からはずれている気はするが、年寄りの戯言としてこれからも書き続けていく事をご容赦願いたい。自分の書いたものを読み返すと、校正したにもかかわらずIRBIBR、敗戦国を開戦国とミスプリしたりしている。他にもミスプリはあると思うが、その際は想像力を働かせて読んでもらえればと勝手な事を思っている我儘なジジーである。

 

2.庵主との出会い

 庵主とは昭和40年東大農学部に近い鹿児島奨学会同学舎(学生寮)で出会い、私は只のアホな飲んだくれと思われていた様である。当時は学生運動が下火になった頃で、60年安保の挫折組や、自治寮と言う事で朽ち掛けた木造の南・中寮の取り壊しに反対している輩、合気道で後輩を脅かす楽しげな先輩、麻雀命の先輩達、独逸イデオロギーの勉強会の根暗な輩、公務員上級職試験を目指す輩等々、今に思えば多くの個性的な学生がいた。山田斉弘さんを委員長として、庵主と委員会を運営するようになってから寮の雰囲気を一変させてしまった様に思う。それは恐らく、メンバーの年齢と工学部の学生で構成された委員会で、山田、木ノ下、三宅さんが私より1歳年上で、中村君、私が同学年、平川君が2年後輩(唯一文系経済学部)、出身校は私以外の5人はラサール高出身で、漫画を疑問無く回し読みする新人類であったような気がする。後楽園にアイススケートに行ったり、女子大生との合同ハイキングを企画したり、寮祭もガキっぽいお祭りにしてしまい、ある意味では苦学生の良き伝統をことごとく壊した委員会で、古き良き時代の自治寮をアパート化してしまったように思う。それでも個人的には、同学舎で3年間、多くの才能ある人達と出会い、影響を受け、そのお蔭で人生にそれほど迷うことも無く、「てげてげ」ではあったかもしれないが良い老後を送らせてもらっている。

特に庵主と山田さんの二人からは教えられる事、学ぶべき事が多く、社会人になった後も彼らならどう考えた、どう行動したかと、事ある毎に思い出し、そのお蔭で臆する事なく正々堂々とサラリーマン生活を全う出来たと思っている。

 

3.キャンサー、サバイバー、キャンサー

1)二人の自分

 癌告知された時、私は一人であった。自分に起きた災難であるとストレートに理解する事が出来た。胃全摘後に私の癌は、胃壁の中に深く入りこんで、且つ外側の漿膜も突き破り、膵臓にも影響を及びそうな段階であった事が主治医より知らされた。前述した様に私の知識では、私の胃癌は特殊な胃癌であり、胃壁の中で広がって粘膜の表面に現れない浸潤性のスキルス胃癌で、スキルスと分かった時は既に60%の転移が見られる癌であった。更に腹膜播種という転移をきたし易いという特徴を持っていた。腹膜転移とは、胃壁全体に癌が浸潤し胃壁を貫いて外に出てしまい、腹腔内に散らばって腹膜癌が増殖する事をいう。又、進行度合いによっては50%の患者が手術出来ずに、胃癌の中で最も悪性度の高い癌である。その為、私は治療しても苦しむだけで効果は期待できないと判断し緩和療法であの世に還ろうと決めていた。手術は家族の為であったが、結果として、癌は全部取りきって、いわゆる外科的には完全治癒切除出来たと言う事で、再発予防の為のTS-1服用、定期診断は行ったものの、癌サバイバーとして、ごく普通の生活をさせてもらった。余命3カ月が既に2年半を過ぎて、このように原稿を書いている。

 

もう一人の私は術後2年目の昨年6月に腸閉塞になり人工肛門を増設した時から現れてきた。2度目のキャンサーである。2度目は転移進行胃癌と言う癌で病期(ステージ)Ⅳであった。私の場合、転移時点の病期とはリンパ節や他の臓器への転移の有無によって決められ、転移が大腸の横行結腸に認められたので病期Ⅳが確定し、その結果を受けて全身療法であるSP療法という進行胃癌の治療法が決められた。確かに診断や治療の進歩により、胃癌は治り易い癌の一つと言われるようになったが、胃癌の大きさや広がりによって細かく決められており、私の様に進行した状況で発見された場合は治療が難しいと考えられている。現段階で癌巣がはっきりしていれば手術で全ての癌巣を取りきって15%の患者は治癒する様だが、私の様に転移癌がCTで判然としない場合は切除出来ないので引き続き抗癌剤治療が中心となる。転移して再びキャンサーになると最初の癌告知とは異なり、精神的にはダメージが大きく、ちょっとした自・他覚症状でも癌が悪化しているのではないかとか、抗癌剤が効かなくなってきたのではないかとか、転移進行胃癌の生存中央値は10か月から1年だったなとか、疑心暗鬼になる様である。そんな時もう一人の私が「胃全摘による自・他覚症状だよ、主治医の小松先生を信じよう!」と言って平静を保っている。内なる二人のバランスが崩れた時、私はどんな患者になるのか怖い気がする。せいぜい日頃から気弱な自分に言い聞かせて、恰好悪いキャンサーにはならないようにしたいと思っている。

2)私の主治医「小松嘉人」先生

私の主治医は、20数年前に仕事上で知り合った医師で、今や世界を舞台に活躍しているオンコロジストである。先生は、胃癌、大腸癌は全癌の25%以上を占め、早期発見であれば手術で治癒出来るが、既に癌が進行して手術出来ないケースや再発、転移のケースでは全身的な化学療法が欠かせないと言っている。先生の肩書は、北海道大学病院腫瘍センターの副センタ―長且つ、診療教授であり、部下任せにせず自ら日々癌の新しい治療開発に一生懸命で、患者の話をよく聞き、病状や治療方法についても分かり易く時間をかけて説明してくれる。その為、外来での待ち時間が延びて予約時間を大幅に過ぎるのが常である。先生の目標は志を同じくするドクター等とグループを組織し、北海道をトップレベルの癌診療が受けられる地域として、北海道発の最新治療を世界に向けて発信する事を目標にしている頼れる先生である。

 

4.逸見、筑紫氏等の癌

1)フジテレビのアナウンサーの逸見氏は、検診と検診の間に急に大きくなる中間期癌で、私と同じスキルス胃癌であった。生死を分けた私との違いは彼の死後の週刊誌及び他病院のオンコロジストの言によれば医師の治療判断に問題があったと言われており、その後も今話題の近藤誠医師と未亡人の奥さんとの対談で生々しい事が喧伝されている。病院、医師の選択は難しいと言う事例である。

2)TBSキャスターの筑紫氏は、平成24年5月上旬に毎年行っている検査入院で小細胞肺癌が見つかった。500日生存し、その間全身転移し、肺、膵臓に水が溜まり激しい痛みを伴いながらキャスターの仕事を最後までやり通している。同志社大学にも定期的に講師として学生に講義をするなど、堂々たる一生であったと思う。

3)俳優緒方拳は医療を拒絶し、8年生存している。

癌治療に関しては歴史が浅い事もあるが、最先端の癌医療の矛盾もあり、これからは、大学での診断学の一層の発展やオンコロジストの養成、治療法のエビデンスの確立が待たれる昨今である。近藤医師が表舞台でいろいろ持論を展開出来るのは、治療エビデンスが曖昧模糊としている現状にあると私は思っている。

 

5.      基地問題~辺野古埋め立てについて~

1)基地としての価値

満州国建国や韓国併合はロシアの南下に対し、日本本国を守るための橋頭保としての国策であったと思っている。同様に米国は日本が南北に2,787kmの領土を有し、ロシアや中国、韓国の重要な港から東南アジアや北米に向けて太平洋に出るためには、必ず日本付近の海峡を通過しなければならず、東アジアの国々にとって日本列島は太平洋の出入り口になっている。つまりユーラシア大陸から太平洋に出るには日本は関所の様な立地に在るという事である。米国は、第二次世界大戦後、太平洋を自国の勢力圏として保持し、かつ本国の橋頭保として日本本土を含め沖縄が戦略的にも最適な基地になり得ると判断し、米国が連合国の戦勝国としての権利で他の連合国を差し置いて自国の国益の為に沖縄を基地化したと思っている。沖縄戦で軍人・軍属・一般人188,136人が戦死し、内、沖縄出身者は122,228人戦死しているにも関わらず、この地に基地を設けた米国のデリカシーの無さ、広島、長崎に原爆を落とされ多くの一般人が犠牲になったにもかかわらず、米国を非難しない日本人は実に不思議かつ不可解な民族である。

2)辺野古埋め立て承認について~仲井真知事の真意~

沖縄県の平成25年度の予算は約7,000億円で毎年100億円強の赤字を出している。安倍総理は2021年までの8年間、地域振興助成費として毎年3000億円を約束している。名護市は、辺野古埋め立てに反対しており、米軍再編交付金が無くても財政は良好な状況にあるとしているが、この不況下を考えると強がりとしか思えない。

仲井真知事は普天間基地の県外移設を公約とし、知事になった人で政治屋なのか、真の政治家なのか現時点では理解しにくいが、客観的に考えると8年間で2兆4,000億円を沖縄の為に勝ち取っている。1年、2年の地域振興助成金ではなく、8年間という年月に仲井真氏は政治家として県民・名護市民の為になると判断したのであろうか。名護市・辺野古の埋め立てを知事は承認し、市長選に立候補している再選された稲峰氏は反対の立場に立っている。落選した末松氏は地域振興助成金を元手に名護市の発展を計画していた。仲井真氏は、どちらが市長になっても8年後までには状況が変わる事を予測して県外移設が実現できると考えたのであろうか。今後、沖縄県・国は辺野古の埋め立てを名護市民の反対運動にどう対峙していくのか、稲峰氏は埋め立てには反対していくと宣言しているが、どのような展開になっていくのかじっくり見守っていきたい。

3)普天間基地の県外移転について

私見、暴言である事を承知で言うならば、米国の軍事基地としての立地条件を満たす地域は、日本国内においては東シナ海、日本海に面した鹿児島、熊本、長崎、福岡、山口あたりであろうと考えるが、何処も手をあげないのが現状である。只、沖縄県民の総意として、心から県外移設を願っているのか否か実際の所は良くわからないが、確実に言える事は独立国である日本に他国の軍事基地が存在する事はあってはならないという事である。1月20日の朝日天声人語に「…その民 天性礼譲に狥い/古より未だ甲兵を用うるを聞かず…」とあり、琉球は戦後70年の日本に近似(戦争をした事のない自衛隊、いわゆる甲兵は有しているが…)していたと思う。私は歴史的(日本史)に考えると、私自身が鹿児島県人であって、鹿児島が手をあげて引き受けても良いのではないかと思っている。勿論、立ち退きさせられる県民も多数出ると思うが、十分な移転補償と将来基地が無くなった時、提供した土地を無償で返還する事が約束されれば実現の可能性はあるのではないかと思っている。明治維新の立役者になれたのは、沖縄(琉球)無しでは実現できなかった事であるし、10年、20年基地を引き受けて、時節を待って真の独立国として他国の基地の無い真の独立国・日本にする立役者になって欲しいと思っている。基地があれば戦争に巻き込まれる事は避けられないが、大都市である東京や大阪、名古屋も無事ではいられない事も確かである。一方、日本国民として真剣に考えないといけないと思う事で、戦後約70年間、他国との戦争もなく、内戦すらなかった我が国の現状を考察して、現行の日本国憲法を維持した上で基地を撤去していくという議論も大切かと思っている。

 

6.アルゼンチン国ブエノスアイレス続報

 ブエノスの友人よりメール、今、アルゼンチンンは政治・経済が上手く回っていない様である。思うにアルゼンチンと言う国は第一次世界大戦、第二次世界大戦時には欧米に穀物を輸出し、世界で最も裕福な国にもなっている。資源にも恵まれた国であるが、どうも有能な政治家に恵まれないのか、米国に依存し過ぎて独自の経済活動が出来ないのか分からないが、あっという間に債務不履行国に陥っていくようである。その繰り返しが今また起きている様である。彼の原文を以下に示す。

・・・70年の人生で今年初めて停電の大晦日を過ごします。 人気取り政策による、公共料金の政府補助政策でインフラへの再投資が皆無の結果、電線も老朽化し、猛暑による需要増に対応できず、電気回線が パンクした結果です。何時修復するか解りませんが、半分諦め状況です。あれだけの大国であったアルゼンチンが一握りの政治家によりこれだけ悪化することを誰も予想できなかった事は悲しい限りです。 小生の人生は残り少ないですが、子供等の将来を考えると不安でたまりません。12月 29日に小生のアパートが停電となり、隣から借電で冷蔵庫と、扇風機、3-4箇所の電気は確保しましたが、猛暑でどうしようもなく、1月4日から14日までフランコ(彼の61歳時の息子)と避暑地の海岸に行ってきました。ブエノスから300キロ南ですが、夜は冬以上の寒さで困りました。戻って5日経ちましたが、運悪く又々猛暑で(体感温度40度弱)うだっています。エアコンはありますが、停電の苦い経験があり、停電にならぬようにと祈りながら、恐る恐るエアコンを点けており 安心して生活ができません。思えば小生が渡亜した1957年は、ブエノスは世界でも最も近代化した町でしたが、今は表面上はそうであっても、中身は後進国のしんがりを追うような状況です。大豆を初めとする穀物の国際価格の高騰による双子黒字の健全なる

財政も、人気取り政策による、公共料金を政府補助にて補うことでの料金凍結(政府・企業間の癒着、賄賂の根源、近代化を図るインフラ投資ゼロ)等により現在は全てのインフラの老朽化 (停電、鉄道事故石油産出国から輸入国へ転落等)、失業者に対する補助金供与等如何に政治家が国を駄目にするかの良い手本ですが(悪い意味で)息子等の将来を考えると不安でなりません。とは言え残り少ない人生ですので、家族と一緒に楽しい生活を送れるよう祈っている次第です。・・・

 

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