第29 「癌と共に~癌治療のターニングポイント~」 2015年3月23日
1. パクリタキセル(PTX)6コースの治療成績
2. 癌患者の独り言
3.北広島市というまち
4.早春の路傍の花
1. パクリタキセル(PTX)6コースの治療成績
化膿性脊椎炎の細菌が陰性化した事で、5コース3投目から49日振りの2月5日に6コース1投目のPTX100㎎の点滴静注を常法通りに実施した。2月12日の2投目、2月19日の3投目も問題なくPTX100㎎を常法通りに点滴静注する事が出来た。
1投目の血液検査:白血球数6400、ヘモグロビン10.1、CRP<0.02、CA19-9 83.5
2投目の血液検査:白血球数5200、ヘモグロビン 9.0、CRP<0.02
3投目の血液検査:白血球数3400、ヘモグロビン 8.0、CRP<0.02、CA19-9 109.4
48日間の癌未治療によって1投目の腫瘍マーカーCA19-9は83.5U/ml(正常値:0~37)、3投目は109.4U/mlと上昇したが小松医師はこの数値を誤差と考えている様である。2月12日の2投目点滴の前に採血室では、いつもより1本多くサンプリングされた。外来にて小松医師の診断を受ける際、全身状態も良く、白血球数、好中球数、腎機能、肝機能、CRPも安定しているので、PTXの増量(dose up)を提案したが、現在の投与量で効いており、不要という判断であった。むしろ効いているから次にUGT1A1遺伝子型を有する塩酸イリノテカン(商品名:カンプト注)を私に使えるかどうか検討する為に採血サンプルを1本余計に取ったと言う事であった。3投目の2月19日の外来ではUGT1A1遺伝子の検査結果が出て、カンプト注が使えると言う結論に至った。
カンプト注の副作用は、UGT1A1遺伝子の働きだけでなく、他にも色々な要因が関連する為、この検査を行っても万全という訳ではなく、仮に強い副作用が出にくいタイプであっても、私のPS(performance status患者の日常状態0~4段階)、肝臓の機能等の情報に応じて、カンプト注の量(dose)を減量するとも言っていた。私が強い副作用の出やすいタイプと判明したとしても、1投目は量を通常よりも少な目にし、使う事になりそうである。 3月9日、採血、X線撮影、整形外科外来、消化器内科外来、外来治療センターと忙しかったが、3月6日のPET/CTの結果も良く、癌細胞はいずれにも見られなかった。血液検査による白血球数6600、ヘモグロビン9.1、好中球数2825も問題なく、CA19-9 は前回より134.0と多少増加しているが、PTX投与に何ら問題なく7コース1投目は常法通りに点滴静注出来た。2投目のCA19-9が増加する、或いは低値となっても、PTXが効いているうちにカンプト注の投与を考えたいとの主治医の意見であった。
2月12日整形外科外来長濱医師の面談で化膿性脊椎炎の細菌は抗生物質の服用で陰性に維持出来ており、今しばらく継続服用をすすめられた。私としては悪心・嘔吐、ふらつき、下痢等の副作用の低減を考えて現在服用している抗生物質の減薬、減量をお願いしたが、陰性とはいえ、体内に黴菌(細菌)は存在するので、今しばらく続けて服用すべきとの考えで、3月9日の外来受診日に減薬、減量を検討すると言う事になった。3月9日の外来診断で、X線像及びCRP0.02と(-)で継続しており化膿性脊髄炎の細菌は完全に除菌できたと診断し、今後はミノマイシン1剤のみの服用となった。
入院中(12月24日~1月29日)は、先ずスペクトラムの広いセファゾリンNaで点滴除菌したが、決定的な効果(除菌)が得られず、セファゾリンNaのdose upと同時に内服のダラシンを追加(1/13)し、更にミノマイシン(1/19)、セフカペン(1/27)を追加した。これで除菌はなり、セファゾリンNaは点滴を終了(1/26)し、1月27日より自宅で以下の3剤の服用となった。副作用はめまいや、ふらつきを経験した。
以下の3剤はいずれも細菌による感染症を治療する抗生物質である。添付文書から「効能・効果」「用法・用量」「副作用」を抜粋して記した。まれに発現する副作用は割愛した。
☆ダラシンカプセル150㎎(日本薬局方クリンダマイシン塩酸塩カプセル)
<適応菌種>クリンダマイシンに感性のブドウ球菌属、レンサ球菌属、肺炎球菌
<効能・効果>表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、慢性膿皮症、咽頭・喉頭炎、扁桃炎、急性気管支炎、肺炎、慢性呼吸器病変の二次感染、涙嚢炎、麦粒腫、外耳炎、中耳炎、副鼻腔炎、顎骨周辺の蜂巣炎、顎炎、猩紅熱
<用法・用量>通常成人はクリンダマイシン塩酸塩として1回150㎎(力価)を6時間ごとに経口投与、重症感染症には1回300㎎(力価)を8時間ごとに経口投与する。
<副作用>ショック、アナフィラキシー、偽膜性大腸炎等の血便を伴う重篤な大腸炎、中毒性表皮壊死融解症、皮膚粘膜眼症候群、急性汎発性発疹性膿疱症、剥奪性皮膚炎、薬剤性過敏症症候群(初期症状として発疹、発熱が見られ、更に肝機能障害、リンパ節腫脹、白血球増加、好酸球増多、異型リンパ球出現等を伴う遅発性の重篤な過敏症状が現れる事があるので、観察を十分に行いこのような症状が現れた場合には、投与を中止し、適切な処置を行う事。投与中止後も発疹、発熱、肝機能障害等の症状が再燃あるいは遅延化することがあるので注意する事。
☆ミノマイシン100㎎
〈適応菌種〉ミノサイクリンに感性のブドウ球菌属、レンサ球菌属、肺炎球菌、腸球菌属、淋菌、炭疽菌、大腸菌、赤痢菌、シトロバクター属、クレブシエラ属、エンテロバクター属、プロテウス属、モルガネラ・モルガニー、プロビデンシア属、緑膿菌、梅毒トレポネーマ、リケッチア属(オリエンチア・ツツガムシ)、クラミジア属、肺炎マイコプラズマ(マイコプラズマ・ニューモニエ)
〈効能・効果〉
表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、リンパ管・リンパ節炎、慢性膿皮症、外傷・熱傷及び手術創等の二次感染、乳腺炎、骨髄炎、咽頭・喉頭炎、扁桃炎(扁桃周囲炎を含む)、急性気管支炎、肺炎、肺膿瘍、慢性呼吸器病変の二次感染、膀胱炎、腎盂腎炎、前立腺炎(急性症、慢性症)、精巣上体炎(副睾丸炎)、尿道炎、淋菌感染症、梅毒、腹膜炎、感染性腸炎、外陰炎、細菌性腟炎、子宮内感染、涙嚢炎、麦粒腫、外耳炎、中耳炎、副鼻腔炎、化膿性唾液腺炎、歯周組織炎、歯冠周囲炎、上顎洞炎、顎炎、炭疽、つつが虫病、オウム病
<副作用>ショック、アナフィラキシー、全身性紅斑性狼瘡(SLE)様症状の増悪、結節性多発動脈炎、顕微鏡的多発血管炎、自己免疫性肝炎、中毒性表皮壊死融解症、皮膚粘膜症候群、皮膚粘膜眼症候群、多形紅斑、剥奪性皮膚炎、薬剤性過敏症症候群、血流障害、重篤な肝機能障害、急性腎不全、間質性腎炎、呼吸困難、間質性肺炎、PIE症候群、膵炎、痙攣、意識障害等の精神神経障害、出血性腸炎、偽膜性大腸炎
<用法・用量>通常成人は初回投与量をミノサイクリンとして、100~200mg(力価)とし、以後12 時間ごとあるいは24 時間ごとにミノサイクリンとして100mg(力価)を経口投与する。なお、患者の年齢、体重、症状などに応じて適宜増減する。
☆セフカペンピボキシル塩酸塩錠100㎎「トーワ」
〈適応菌種〉セフカペンに感性のブドウ球菌属、レンサ球菌属、肺炎球菌、淋菌、モラクセラ・カタラーシス、大腸菌、シトロバクター属、クレブシエラ属、エンテロバクター属、セラチア属、プロテウス属、モルガネラ・モルガニー、プロビデンシア属、インフルエンザ、ペプトストレプトコッカス属、バクテロイデス属、プレボテラ属、アクネ菌
〈効能・効果〉
表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、リンパ管・リンパ節炎、慢性膿皮症、外傷・熱傷及び手術創等の二次感染、乳腺炎、肛門周囲膿瘍、咽頭・喉頭炎、急性気管支炎、肺炎、慢性呼吸器病変の二次感染
<副作用>ショック、アナフィラキシー様症状、急性腎不全、無顆粒球症、血小板減少、溶血性貧血、偽膜性大腸炎、出血性大腸炎、中毒性表皮壊死融解症、皮膚粘膜眼症候群、紅皮症、間質性肺炎、好酸球肺炎、劇症肝炎、肝機能障害、黄疸、横紋筋融解症
<用法・用量>通常成人は、セフカペンピボキシル塩酸塩水和物として1回100㎎(力価)を1日3回食後経口投与する。なお、年齢及び症状に応じて適宜増減するが難治性又は効果不十分と思われる症例には1回150㎎(力価)を1日3回食後経口投与する。
2. 癌患者の独り言
「…スキルス胃癌ですね。」
―ここから私の新たな生活が始まった。―
「さてっ、身の周りの整理でもするかな。写真は残しても処分に困るだろうから、家族の知らないものは全部処分しておこう。手紙も…」
「無治療だと数ヶ月でしょうかね。治療されるなら清田区の病院に紹介状を書きますが…
それとも自宅で余生をゆっくり過ごされますか?そうであれば私が在宅訪問してケアさせて頂きますが…、奥様とご相談ください。」
―2011年6月下旬のクリニック医師と私の会話である。この日から私と癌のつきあいが始まった―
「スキルスだそうだ…、多分そう長くないから、自宅でのんびりさせてくれないかな~、幸い、子供達も自立できているし、左程思い残すことも無い…から」
「貴方がそう言うのであれば……」
「明日、年金基金に行こう! 遺族年金のこと、確認したいことがあるから…」
―厚別区の新さっぽろ社会保険事務所お客様相談室年金相談担当の水戸巧子さんとのやりとり―
「唐突ですが、2011年12月31日に私が亡くなった場合、遺族年金は何時からいくら家内に支給されるか試算してもらえませんか?」
―水戸さんは僅かに緊張した表情をみせたが、席を立ち15分程して席に戻り回答してくれた。―
「奥様は現在お幾つですか?…62歳でいらっしゃいますと、3年後の満65歳時にはご主人の国民年金・厚生年金保険の年金額の90%はお受け取りになれます…」
「家内の年金は合算…?」
「ご主人の遺族年金という事になりますので、その際は奥様の年金は支給されません」
「有難うございました」
―年金、生命保険、家賃収入、いざとなれば現在の家、マンションを売却すれば家内一人、何とか暮らせると単純に判断し、心配は無くなった。しかし、家内にとってはリアルな事実・現実を突き付けられ、大きく心境変化を来すことになった―
「貴方は治療しないと言い、私もそれでいいと思ったけど…やはり手術して欲しい…お願いだから、北大か札幌医大で手術してっ。お願いだから…」
「いやぁ、困ったことになったな~、手術、いつ果てると分からない治療…苦しい思いをする事になるな~」
―家内が考えた末の結論であり、今までの家内の苦労を考えると、そうも自分勝手な事は言うべきでないと気持ちを整理して、どうすべきか考えざるを得なかった―
「井上先生に相談してみることにしたよ。それでいいか?」
―井上先生は北大の第三内科出身で仕事上でとても親しい間柄の友人で、徳洲会病院の腫瘍センター長をしている医師であった―
「鵜木です。お変わりありませんか?…実は…スキルス胃癌で、…どこか病院を…」
「うん、KKRの赤坂院長に鵜木さんが行く事を、電話しときます。彼は三内時代の仲間で、仲人もしたし、家族ぐるみで付き合っている良き友なので」
―翌日、KKRのルールに則り、さとわクリニックの佐藤医師の紹介状を持参し、赤坂病院長を訪ねた。既に受け入れ準備は万端で、私の担当医は32歳の外科の石川医師であった―
「二度手間と思われるかも知れませんが明日から術前検査をやらせてもらいます」
―検査結果に従い、手術は2011年7月5日と決まった―
「鵜木さ~ん、分かりますか―、手術は終わりましたよ―っ、ここは病室ですよ―っ」
―午後5時、覚醒すると医師や看護師6~7人に囲まれていた―
「明日から院内を歩きましょう」
「えっ、こんな格好で?チューブが7本くらいついているようですが・・・」
「大丈夫ですよ。看護師にサポートさせますから!」
「鵜木さん、奥さんと石川先生のICを受けて下さ~い!。」
「外科的には胃の腫瘍は全部取りきりました。リンパ節転移も無く、遠隔転移も腹膜転移もありませんでしたので、これから約1年間ティーエスワン120㎎/dayを8クール服薬して再発予防していきたい…」
―それから2年後、2013年6月13日、突然の腹痛、6月26日フォローアップCTにて再発胃癌、7月25日術後イレウス(開腹癒着剥離術)人工肛門増設術、8月12日Vポート挿入手術、SP療法(S-1+CDDP)―
「SP療法ですが、1クール35日間の治療になります。ティーエスワンを3週間、シスプラチンをティーエスワン服用8日目に点滴静注しますので1週間入院してもらいます。4週目、5週目は休薬になります。」
―好中球が低値でシスプラチンは投与出来ず、1クールで中止、シスプラチン減量し、クレスチンで治療を検討―
「クレスチンですか・・・う~ん、考えさせてください」
―この頃からもう一人の私が私に意見するようになった―
「クレスチンは薬じゃないと思っているんでしょう!折角積極的に治療すると決めたんだから君の思うようにしたら?」
「・・・そうだね、自分のことだもんな。」
―セカンドオピニオン制度を利用して北大病院消化器内科小松医師に面談―
「鵜木さんお久しぶりです。覚えていらっしゃいますか?お引き受けしますので…引き続きSP療法で行こうと思います。只、シス120㎎を100㎎、ティーエスワン100㎎/day
(朝食後1カプセル25mg錠×2錠、夕食後2錠)でスタートします」
「人工肛門、Vポート、35日スパンの入院治療か~鬱陶しいな~」
「らしくないな。積極的に癌化学療法を受けると決めたじゃないか、うん、君らしくない!」
「そうだな。糞便は早くストーマパウチの処理に慣れてペースをつかまないとな。入院中は本でも読むかな。」
「そう、そう!明治、大正、昭和史をとことん読んでみよう」
―木ノ下さんに癌で療養中である事を連絡すると、彼のブログに鵜木ページを用意するので闘病記を寄稿するように言われる。2013年11月12日第1稿を送る。それから7か月後…―
「木ノ下さん、お久しぶりです。札幌は梅雨が無く爽やかでしょう?…まあ、Ⅰっ杯!ところで老水庵への投稿も先月5月で19稿になりましたが、こんな調子で続けてもいいんでしょうか?」
「うん、なかなか良い塩梅になって来たようなので、もっと続けたらどうかな」
「そうですね。もう少し、頑張ってみましょうかね。」
―この後、2014年6月26日腸閉塞で緊急入院、口から食事が出来なくなり、栄養は輸液のみとなり、腸排液は鼻から入れたチューブから排出する事になった。7月26日退院―
「参ったな~。死ぬまでこんな姿でいるなんて…」
「鼻はこすれて痛いし、ストーマパウチから糞便は出てこないし、それでもパウチは3日に1度は取替えないといけないし、鼻から糞便を頻繁に回収する生活なんて…俺の生活はこれで終わってしまう…嫌だな~」
家内沈黙「・・・・・・・」
「またまた、らしくないなっ。全く君らしくない。これも想定内じゃないの?」
「…だよな。いつまで続くか分からないが、原稿を書いたり、作陶したり、読書したり、身辺整理でもするかな…結構忙しいな。どこまで出来るかな。」
―8月23日だったか…、奇跡!。ストーマパウチに糞便、イレウスチューブから殆ど排液が出なくなった。―
「お母さん!腸の通りが戻った様だぞ。チューブ抜けるかもしれないな!戸井先生に相談してみよう」
「チューブを抜去して、いつ腸閉塞が再発するか分かりませんが、鵜木さんが抜去したいと言うのであれば、私が抜きますよ。」
「わあ、すっきりした。ご飯食べられますね。8月25日忘れられませんね。有難うございます」「酢豚、美味しいな、麻婆豆腐も美味しいな~、有難いな。」
―12月7日上京、息子の婚約式で食事。鎮痛麻薬、解熱剤を持参。翌日より腰の背中部分が痛み、熱も出る様になった。―
「化膿性脊椎炎かもしれませんね。大学で検査したほうが良いですね。」
整形外科の長濱医師「24日から入院して除菌しましょう、先ず抗生物質で始めましょう」「どれくらいかかりますか」
「2,3ヶ月は見ておいた方が良いでしょうね」
「再発胃癌の治療に支障ないでしょうか?」
「う~ん、…まず、除菌ですよ」
「12月18日から2週間休薬になりますので、年明けて10日過ぎくらいから抗癌剤治療という訳には行きませんでしょうか?」
―12月24日より1月27日までの整形外科病棟に入院―
「抗生物質点滴で除菌、1週間くらいで陰性になるかな…」
「セファゾリン1.5gに増量しますね。ダラシン、ミノマイシンも服用して下さい。」
「…朝6時、昼食時12:00、夕食時18:00、深夜0時6時間おきにセファゾリン点滴、朝8時、14時、22時ダラシン内服、ミノマイシン朝夕食後内服…嫌だな~こんな状態だと本も読めない!。いつになったら解放されるんだろ~。朝、目が覚めなくてもいいな~」
「頑張ろうよ!CRPも陰性になった事だし、もう少しの辛抱だよ。」
「1月15日CRP陰性、4日後1月19日陽性、低値ではありますがもう少し続けましょう」
「癌治療が随分ご無沙汰になったが、増殖しないでおとなしくしているかな。心配だな。腹痛もあるし、オキノームも頻繁に服用する様になったから増殖しているんだろうな~。本当に面倒臭い、もう治療何て!」
「おいおい、ここまで来てどうしたと言うんだい。正子さんも犬の世話や君の世話で肉体的にも精神的にも大部参っていると思うよ。3日後にCRPが陰性になればいいんだろう。もう少し待とうよ」
「陰性になりましたね。恐らく大丈夫でしょう。更に3日後に陰性なら退院の目途が立つでしょうね。もうしばらくの辛抱ですよ。」
「もう大丈夫です。26日も陰性でしたので除菌完了と言う事です。腰の痛みも無いようですね。」
―様子を見て2015年1月29日のCRP値が陰性である事を確認して退院となった。―
「明日から自宅でダラシン朝昼夕内服、ミノマイシン朝夕内服、セフカペン朝昼夕内服して下さい。1ケ月継続服用後様子を見て減量するか否か考えましょう。」
―パクリタキセル6コース目開始―
「CA19-9が134かっ。パクリもここまでかな~。」
「3月16日にCA-19-9がどうなるか、カンプトを使うか…考えましょうか」
「いよいよカンプトですか、下痢、白血球減少…気懸りな事もありますが、小松先生にお任せしますよ。私としては副作用に悩まされず、日常生活に支障なく、延命につながれば良い…」
「腸閉塞の無い今、カンプトを使うチャンスですし、4月になればラムシムマブも使えるようになりますので、…エルプラットも含めて使いこなしていきましょう」
「いよいよ私の癌との共生も佳境に入ってきた様である。よくここまで延命出来たものである。カンプト注、ラムシムマブ、エルプラット注まで使えれば思い残すことはない。」
3. 北広島市というまち
1) まちの成り立ち~文化と歴史~
私の住む北広島市は、石狩平野を通り日本海と太平洋を繋ぐルート上に位置し、1857年には「札幌越新道」と呼ばれる陸路(ほぼ現在の国道36号)が開削され、人々の往来、交流が行われてきた。1873年(明治6年)、札幌農学校に初代教頭として着任していたクラーク博士が退任し帰国する際、わが家から2kmほどの島松駅逓所において、見送り に来た学生達に「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の言葉を残したことは有名で、今もその精神はこのまちに根付いている。まちづくりは、1883年(明治16年)に広島県人の和田郁次郎が、一村落形成を目的に東部地区(北広島駅の東側)に入地したことに始まる。1882年北海道開拓を志し、初めて渡道し、適地を求めて道内各地を探索した和田郁次郎は、1883年6月、札幌郡内に良好な原野を見付け、ここに入地した。1884年(明治17年)には入植を受け入れ、総数25戸から北広島の開村に向けた歩みが始まった。この広島開墾地は、その後入植数が増加し、1893年(明治26年)には合計385戸の一大村落を形成するに至り、現在の北広島市の発展の礎がつくられた。広島県からの入植者が多かったことから、その後も広島県との交流が盛んに行われ、東広島市とは姉妹都市交流が行われている。又、広島市の「広島平和記念公園」にある「平和の灯」を分火し、世界の平和と友好を願い、北広島市平和の灯公園に「平和の灯」を灯してその意志を表明するなど、広く世界に向けて平和の願いを次世代の人々へ伝えている。北広島市は、札幌、江別市、南幌町、長沼町、恵庭市の5つの市・町に囲まれたまちである。私の家は、国道36号に面した希望ヶ丘団地で700m東奥の道央自動車道の手前の輪厚中沢道の崖上に建っている。まるで森の中の家の様な錯覚に陥るロケーションで、既に築25年になるが飽きる事は無い。わが家を中心に北広島を紹介すると、国道36号を越えて西地区はゴルフ場が4つ、畑地、釣り堀10ポンド、森林で構成されており、まだまだ開発の余地は残されている。東地区は我家から道央自動車道をくぐって4km先の三叉路を右に更に4km行くと道都大学、市役所、生協、JR北広島駅、北広島団地等のある中心部がる。三叉路を左に行くと大曲地区があり、三井住友アウトレットなど大型店が沢山あり、急速に発展している。国道36号に並列に羊が丘道路があり、沿線はマンションや店が連なり札幌まで続いている。三叉路の左右は道道栗山北広島線で、沿線はレクノ森という原生林で、小高い森に包まれたクラッセホテルの2つが町の中心を占めている。5つの市・町の中心に在りながら発展しないおおきな理由がこの森のある様な気がする。一方で札幌に隣接しているにもかかわらず、準農村地帯を守り続けられてきたのかとも思われる。もっと企業誘致して子供達が将来就職できて永住できるような環境が整えば自然環境も維持しつつ、いいまちに発展する可能性は十分ある。2000万円もあれば100坪の敷地と家を購入でき、日本海も太平洋も車で1時間以内の便利な所である。
老後北広島で悠々自適の暮らしをしませんか?冬を楽しめる人にとってはとても良い所ですよ。
2)自然環境
とにかく緑地が多いまちである。公園や森林などの緑地面積は8,180haで全市面積の約69%を占めている。森林の中に整備された札幌恵庭自動車道線や輪厚川、千歳川等を中心とした親水機能の整備により、住民をはじめ近隣の住民からも広域的に親しまれるなど、身近に自然とふれあえる場所が数多くある。水と緑が、自然として、そしてまちの一部として確かに息づいている、そんな豊かな自然環境が、我々の生活の基盤になっている。
3)交通網
札幌市と新千歳空港の中間に位置し、札幌市や道外のいずれに対しても高い交通利便性を有している。道路では、国道36号や国道274号を中心とした幹線道路網があり、また道央自動車道では、北広島インターチェンジに加え、輪厚にETC車専用のスマートインターチェンジが整備されるなど、札幌圏や新千歳空港等へのルートは充実しており、物流拠点を置く企業も数多くある。鉄道では、JR千歳線があり、北広島駅から札幌駅までは快速で16分、新千歳空港駅までは20分と短時間での移動が可能で、通勤、通学、買い物、レジャー等の足として多くの人々に利用されている。近接する新千歳空港からは、羽田空港行を中心に国内路線24本、国際路線9本が就航し、全国や世界へ容易に移動できる環境が整備されており、多様な人的交流を支えている。
4)生活環境
札幌市と恵庭市との間に広がるなだらかな丘陵地帯にあり、豊かに息づく緑の環境、ゆとりの土地空間、整備された交通網等、自然と都市機能が調和したまちとなっており、充実した生活環境が我々の生活を支えている。持ち家比率が高く、敷地面積が広い個人住宅を中心に、マンション、賃貸住宅等多様な住宅が建築されており、ライフスタイルに合わせた居住環境を選択する事が出来る。通勤、通学、買い物、通院等の面でも多様な交通手段による利便性の高さが、札幌市など周辺市町村を含む広い生活圏を実現している。福祉面においては、各種の福祉施設などを拠点として高齢者や障害者に優しいまちづくりが進められている。また、子育て支援も充実しており、地域の力を活用した母子の見守りやアドバイスなど、安心して子供を育てられる環境が整備されている。保育園、幼稚園から専門学校、大学まで教育等の施設が揃っているほか、芸術文化ホールやふれあい学習センターなどの生涯学習拠点や市民ボランティアなどに支えられた図書館活動など、学びの環境も充実している。
4.早春の路傍の花
雪国において冬という季節は、一面銀世界で路傍の花は無く、あるとすれば雪の下で早春を待つと言う事であろう。早春の花は、北広島では雪融けの4月中旬から5月初旬で先ずは蕗の薹が早春を告げる最初の花である。
1) 蕗の薹
本来、雪が融けた後、枯草の間に見られるが、今年は異常気象のせいか、我が家の東側、建物の基礎に沿った日当たりの良い所に頭をだし、私は春一番の恵みを、てんぷらで食べたかったが、家内は蕗味噌にして食べた。花は雪が融けた4月から5月に咲き、小さな花が集まって一輪になっている花で、白い花が雌花、黄色い花が雄花であり1m以上になる。我々が食べるのは、最初に地上に出てくる頭と花の後に地中の茎から伸びてくる葉柄の部分である。葉柄は、ピクルスや煮物にしても美味しく食べられる有難い食材である。
2)福寿草
4,5年前に市内の松原農園で購入したもので、毎年約束通りに我が家の道路沿いのエンジュの木の下に咲いてくれる。雪融け直後に雪の中から顔をのぞかせると毎日庭に出て生育状況を観察する。20cmくらいになると朝日を浴びて黄色い花を咲かせ、日が沈むと閉じてしまう。毎年、雪融け時の楽しみな花で、この花を見ると春を実感する。
3)水芭蕉
わが家から歩いて5分、公園の裏側の湿地帯に群生地がある。他にも、4月中旬から
近所で借りていた畑に続く森の中に分け入ると小川があり、あちこちに、散らばって生えている。持ち主は高齢で森に分け入る事も出来ずに、毎年我々が写真を撮り、見せてあげている。花の白い部分は花びらではなく、葉の変形で苞というそうである。葉は花の後に大きくなる大形の多年草で、雪が融けるとすぐ大きくなり黄色い花をつける。一度、引き抜いて家の庭に植えようとスコップを持って採集しようとしたが、湿地帯で作業しづらく、根が複雑に絡み合って、更に地中の茎は悪臭が強く、採集を断念した。わが家の周辺を歩くと、道路沿いの水たまりや原野の中にごく普通に見られる60~80cm程の多年草である。毎年同じ場所に同じ景色で咲くが、飽きない花である。
4)座禅草
水芭蕉と同じところにぽつんぽつんと淋しげに咲いているある意味では目立つ花である。家周辺では自宅公園裏でしか見た事は無い。黒頭巾(黒紫色)を被った坊さんが、座禅を組んでいる姿に似ている事で名づけられた。花は葉が出来る前に咲き、果実は初夏から黄色に熟すが毒である。全体が肉厚質で水芭蕉同様に悪臭がある。
5)白花延齢草
わが家の東側向かいのよつば乳業の敷地内の林に散らばって生えている。1本採集して庭に植えたが、白樺の木の下に毎年4月中旬頃には可憐な白い花を咲かせ、大きな3枚の葉が目立つ花である。平地には育たない花だそうだが、わが家の庭は適地の様で今年は2,3本採集してみようかと思っている。
草花に興味を持つ様になったのは定年後であり、北海道の樹木図鑑、北海道の花、日本の山野草、夏の野草、四季の山菜等、買い揃えて照合しながら楽しんでいる。