26.癌と共に~癌関連の疾病、ロンⅡ世の独り言 20141127

 

「目 次」

1.  発熱20日間(10/1010/29)の喘ぎ

2.  パクリタキセル4コース1投目~3投目までの治療経過

3.ぼくの家族との二年間

 

1.  発熱20日間(10/1010/29)の喘ぎ

107日より9日まで久し振りに作陶した。輸液をリックに携えての作陶で、電動ロクロでの作業は、とても疲れて、満足いく作品は出来なかった。結局、準備と後片付けで体力を消耗した様で2時間足らずで作陶を打ち切った。89日は手回しロクロで3つの湯呑をつくり、少々熱がある様に感じられ午前中で作業を終えて帰宅した。私の平熱は36.5℃くらいであるが、夕方37.1℃で体のだるさを感じた。10日より39℃台の熱が出て、解熱剤のカロナールを服用して対応し、数時間後には熱は下がり、汗もかいて完解すると思ったが、更に高熱となり、そよ風の家庭医吉崎院長に往診を依頼した。ウイルス、ノロ検査は、いずれも陰性、熱は下がらず持続する事で吉崎院長V-ポート由来の細菌感染の疑いが濃いと判断した。翌日も改善の兆しは無く、抗生物質の点滴を行い、今度こそ完解するのではと思ったが、それも叶わず戸井Dr.の薦めもあり14日に北大で採血、外来での診断、CT撮影し、村中医師の診断を仰いだ。CT画像でV-ポート(IVHリザーバー留置)周辺の感染も無く、数日で熱も治まるのではないかという楽観的な話で、16日の外来で再確認するという事になった。16日は抗生物質の効果もあり、36℃台で維持出来ていたが、主治医の小松医師との診断中に震えが止まらず、パクリタキセルの4コース目の点滴は見合わせる事になった。小松医師から村中医師に私の入院の手続きをしておくように指示があった。帰宅後、再度発熱し北大に連絡したところすぐ入院を薦められたが、17日に4男の健一郎が来札する事もあって、私の都合で入院はペンディングにした。18日も解熱の目途は立たず、19日に北大福島医師と家内の電話のやりとりを聞いて、家内、4男に付き添われて家を9時に出て10時に12階の病室に緊急入院した。病室で病衣に着替えると同時に福島医師が現れて、ポートの抜去手術をすると言い、その足で12階の処置室で30くらいかけて抜去した。細菌検査の結果が出るのが遅かったと言う事で、抜去後は嘘の様に平熱となり完解に至った。

入院11日間(10/1910/29)の体重、体温、血液検査の推移は以下の通りであった。

体重(kg):56.054.653.453.452.852.252.251.451.351.050.9

体温(℃):36.836.236.136.036.336.136.336.436.336.536.8

白血球数:6,20010/20)⇒4,60010/27)⇒6,00010/30

好中球数:2,827     ⇒1,435        2,460

赤血球数:2.530,000   ⇒2,820,000    3,200,000

ヘモグロビン:7.5    ⇒8.4          9.4

血清アルブミン:2.7   ⇒3.4         3.8

CRP:           4.56    0.12         0.35

V-ポート抜去後は右手首に点滴用のアダプターを設置し、ビーフリード輸液1000ml、抗生物質マキシピーム1g生食100mlを点滴静注した。血管が脆いせいか数時間で皮下出血し左手首に設置し直したが、血液が逆流し、設置部が赤化し、痛みも生じ、腫れもある事から、福島医師の判断で、手首からの点滴は止めた。25日より抗生物質マキシピームを内服薬のクラビットに変更し、輸液は28日のV-ポートの再導入手術まで点滴を中止した。

入院当日にV-ポートを抜去した事で体温は平熱となり、体重は病院食やV-ポートを使えない事もあって入院時の体重56kgが退院時には50.9kgとなり、約5kgの減量となった。

今回の入院はV-ポート由来の細菌感染による発熱であった事から、原因がはっきりしていた事でV-ポートの抜去で全て解決していた。11日間は細菌を抗生物質で完全に除去し、

V-ポートの再導入手術を待つだけの入院で、白血球、好中球、赤血球、ヘモグロビン、アルブミン、CRPも改善し、良い静養になったと思っている。V-ポートの細菌感染に辿り着くまでに随分遠回りしたが、癌治療に支障もなく、苦しい思いもしたが結果オーライであった。

 

2.パクリタキセル4コース1投目~3投目までの治療経過

11投目~3投目の治療経過

退院翌日(10/30)のパクリタキセル4コース1投目もなんの問題も無く、常法通りパクリタキセルの副作用防止の予防薬として、アレルギー予防・吐き気止めにデカドロン13.2㎎+ファモチジン20㎎+クロールトルメリン10㎎+グラニセトロンバック3㎎を30分点滴靜注し、引き続き1時間パクリタキセル100㎎(5%ブドウ糖液250ml)を1時間かけて点滴静注した。2投目(10月6日)は、8時半の採血に間に合う様に家を7時に出た。まだ通勤のラッシュには早かった様で815分には採血室に到着し、予定通り採血を済ませ、ロイヤルで軽食(サンドイッチ)を取り、消化器内科外来で9時半前に待機していたが、予約一番だったらしく、9時半には小松医師と面談できた。血液検査結果も何ら問題なく、外来治療センターで4コース2投目の点滴静注を行う事が出来た。1015分パクリタキセル副作用対策の前処置を常法通り、30分間(1015分から1045分)点滴し、引き続きパクリタキセル100㎎を1時間(1145分まで)点滴静注した。全てが順調で1220分には支払いを済ませ、ジョイフルで冬用の絨毯を購入し14時前には帰宅出来た。いつもは暗くなっての帰宅であったが、こんなに順調に治療が終わったのは初めての経験で、午後の時間を有意義なものにすることが出来た。3投目(1113日)は、雪が降ると言う事で、8時半の採血に間に合う様にいつもより早く645分に自宅を出た。自宅を出る前の体温は37.5℃で、パクリタキセル点滴に支障が無い様に解熱剤ロキソプロフェン1錠を服用して出かけた。9時半からの小松医師の外来診断では、血液検査値からは何ら問題なく外来治療センターでパクリタキセルの点滴を受ける指示書を頂けた。パクリタキセルは外来治療センターで従来通り常法に従い問題なく実施し終了した。4コースのスタートは退院翌日で慌ただしい思いをし、3投目には、発熱はあったものの、投与計画に沿った順調なものであった。

201175日に胃全摘、胆嚢全摘後、リンパ節転移、遠隔転移も無く、再発予防の為、ティーエスワンを1年間(8コース)服用し、2013626日にイレウスが認められるまでは順調な経過であった。術前補助化学療法は一刻の猶予も無かったのか実施されずに、スキルス胃癌と診断されるや胃全摘となった。切除胃は非充実性低分化腺癌の成分が主体で一部に印環細胞が認められた病期Ⅱbであった。再発転移進行胃癌は、胃以外の腹膜(横行結腸)に転移が認められ手術等の局所治療は困難となり、抗癌剤による治療が唯一の治療法となった。再発進行胃癌は完全に治癒する事はまれで、基本的には癌の進行を抑えてなるべく長く快適な暮らしを送る事を目標としての延命治療を行って来た。胃癌の場合は、術後の病理診断で病期Ⅱ以上の患者に再発の危険性が高いとされている。術後補助化学療法として現在最も長い生存期間を記録しているSP療法で一次治療を始め、効果が認められなくなった段階で二次治療としてパクリタキセル療法治療を採用し、現在も継続中である。ここまで延命出来た事は、病期がⅢやⅣでなく、Ⅱbであった事が幸いしたのかもしれない。

2)残されたカード塩酸イリノテカン、オキサリプラチンへのチャレンジ

小松医師から、パクリタキセルが効いているうちに鵜木さんもご承知のカンプト注(これまで腸閉塞の為使えなかったと理解しているが…)やエルプラット注(10月より胃癌に使える様になった)を試してみませんかとの提案があった。私としては主治医のいうレジメンには異存がないので、そのようなタイミングが来たらお知らせ下さいと、小松医師の提案を受け入れた。癌化学療法を受け入れたのは、それ以外の選択肢が無かったこともあるが、ここまで来たら完解、更には完全治癒を目指そうと思える様になってきた。私の場合、転移・再発はあったもののティーエスワン、シスプラチン、パクリタキセル等の抗癌剤は、効果を示してきた実績があるので、残るカードの塩酸イリノテカン(カンプト注)、オキサリプラチン(エルプラット注)にもチャレンジして完解・治癒の可能性を確認したいと思っている。完解したとか治癒すれば万々歳であるし、治療が続けられれば延命した事にもなるので、それも良い話である。そうするうちには分子標的薬のラムシルマブも使えそうなので、延命すればするほど完解、治癒の可能性は開けてくるのではないかと思っている。

第12稿でも説明したが、カンプト注を使うにあたっては、今迄の治療経過から単独療法が考えられそうである。カンプト注は150/㎡を2週間毎に点滴する。カンプト注は腹膜播種よりも血行性転移、すなわち未分化型腺癌よりも分化型腺癌に有用性が高いとの報告が多い。私の切除胃は非充実性低分化腺癌の成分が主体であり、カンプト注の効果は期待できると思われる。カンプト注とティーエスワンとの併用療法にTOP-002試験があるが、カンプト注の上乗せ効果は証明されておらず、スキルス胃癌に対する一次療法には不適であるが、二次療法でのスキルス胃癌に対しては、期待が持てるのではないかと思っている。スキルス胃癌には未だ有効な治療法が確立されておらず、将来的には腹腔内化学療法(+全身化学療法)、分子標的治療薬や遺伝子治療などを駆使しないと満足のいく治療成績を得る事は困難な状況下の様である。カンプト注は癌細胞内にあるDNAを切断する事で、癌細胞が分裂・増殖するのを妨げ、効果を発揮する抗癌剤である。副作用は骨髄抑制、下痢である。また投与前に水様便、腸閉塞、黄疸、多量の胸水・腹水がると副作用が強く現れるので使用できない場合が多い。胃癌では初回治療が無効になった後の二次治療以降で用いられることが多く、単剤若しくは初回治療でシスプラチンを使用していない症例に対してはシスプラチンとの併用で用いられる事もあるが、既に私は一次療法でSP療法を経験しているので、私にはカンプト注の単独療法が妥当なのかもしれない。

エルプラット注は、恐らく「治療切除不能な進行・再発の胃癌」を適応症として公知申請中で、今秋10月より保険償還が始まり、胃癌の適応として使える様になった。その根拠となった比較試験としてはSOX療法が考えられる。2011110月 685人(SOX343人、SP342人)が登録。SOX群は3週間を1サイクルとしティーエスワン40/㎡を1214日間投与し、オキサリプラチンは治療1日目に100/㎡を投与。SP群では5週間を1サイクルとしてティーエスワン40/㎡を1221日間投与し、シスプラチンは8日目に60/㎡を投与した。結果、PFS中央値はSOX群が5.5ケ月に対してSP群は5.4ケ月でほぼ同等の成績であった。奏効率(PR)はSOX55.7%、SP群が55.2%であった。この比較試験では進行胃癌に対してSOXSP療法とでは無増悪生存期間(PFS)はほぼどちらも同じである事が証明された。そうであれば、シスプラチンを使った治療の場合は副作用対策の為の入院が必要なのに対して、オキサリプラチンは外来治療が出来てより簡便に使えるので私にとってのメリットは大きいと考えられる。この件については第18稿で「二次治療で期待されるオキサリプラチンの適応拡大の現状」で経過を述べた。

現在は、体重が減り、相対的に腎機能が落ちていると思うので、フルドーズは無理と思うので主治医の意見を聞きたいと思っている。
効能・効果は、恐らく治療切除不能な進行・再発の胃癌になるのではないかと思っている。

用法・用量は術後補助化学療法にはA法又はB法を使用する。私の場合はA法と言う事になりそうである。

A法:他の抗悪性腫瘍剤との併用において、通常、成人にはオキサリプラチンとして85/㎡を11回静脈内に2時間で点滴投与し、少なくとも13日間休薬する。これを1サイクルとして繰り返す。

B法:他の抗悪性腫瘍剤との併用において、通常、成人にはオキサリプラチンとして130/㎡を11回静脈内に2時間で点滴投与し、少なくとも20日間休薬する。これを1サイクルとして繰り返す。本剤を5%ブドウ糖注射液に注入し、250500mlとして、静脈内に点滴投与する。

オキサリプラチンは体内で活性体に返還され、その活性体が癌細胞内のDNAと結合する為、DNAの複製および転写が阻害されて抗癌作用を発揮する。

オキサリプラチンは同じ白金製剤のシスプチンとは異なり、腎臓への影響が少ない為、短期入院による大量点滴投与が不要であり、外来での継続投与が可能である。オキサリプラチンは単剤では治療効果を示さないのでSOX,FOLFOX,XELOX療法として用いることが殆どで術後の再発予防として使用する、あるいは切除出来ない転移のある患者に有効性が報告されている。副作用としては急性期の感覚異常と蓄積性の末梢神経毒性(しびれや痛み)があり、私の場合にはパクリタキセルで経験しており、気になるところではある。

1)スキルス胃癌の治療の現状と今後

 スキルス胃癌に対する術前・術後補助化学療法は確立されておらず、悪性度が高く、治療成績も不良であり、未だ有効な治療法は確立されていないのが現状である。更にスキルス胃癌だけをターゲットにした臨床試験は少なく、標準療法が確立されていない要因の一つでもある。タキサン系薬剤であるパクリタキセルは腹膜への移行性が高く、長時間にわたり維持されることから腹膜播種再発の多いスキルス胃癌に対する有用性の高い化学療法剤として期待される。また、パクリタキセルは未分化型腺癌にも高い奏効率を示す事が報告されており、未分化型腺癌の多いスキルス胃癌においてはさらに高い有用性が期待できる。さらにパクリタキセルは腹腔内投与の有用性を検討した報告もあり、腹膜播種再発の多いスキルス胃癌では術後補助化学療法の一つとしての選択肢で、確かに私には効果を示している。

治験としてスキルス胃癌に対する薬効評価をした情報は現段階では見当たないが、少数例での学会発表があるのかもしれないが、治験では特にスキルスと通常の胃癌を分けていないので、情報は無いに等しい。論文になっていないが、エルプラットの日本での開発にあたり、当初はスキルス胃癌を考えていた様であり、東大医科研の先生がデビオ社から直接薬を貰って、ある病院で15例ほど使い、良く効いたという報告がある様であるが、その成績を見た事は無い。いずれにしてもオキサリプラチンの進行胃癌に対しての治験結果が無い時点ではあるが、選択肢の極めて少ない状況にあっては、エルプラットに期待したいと思っている。使う順序としては、カンプト、エルプラットの順で考えたいと思っている。

3.ぼくの家族との二年間

1)ロンのプロフィール

 Name of DogWING OF LOVELY WAN CASTLE JP

BreedWELSH CORGI PEMBROKE (MALE)

ロンⅠ世を東京で事故死させてしまい、帰宅後、いわゆるペットロスというかショックで寝つけない日が続き、P.C.でロンⅠ世と同種のセーブルホワイトのウェルシュ・コーギー・ペンブロークを探したところ、奈良にロンⅠ世に良く似たコーギーがいたので早速連絡して写真及び当該犬の情報を知らせてもらった。第一印象も良かったので家内の同意も得、北海道に空輸してもらい、平成241129日に石狩のペッツファースト(株)緑苑台店に出向いた。平成24722日生まれで、生後4か月と7日目の出会いで、体重4.2kgでひ弱い印象と円形脱毛症もあり、引き取る事を逡巡したが、縁のものと思い手続きを済ませ、正午に段ボールに入れて13時過ぎに自宅に戻り、晴れて我が家の一員になった。ケージに入れると既にわが家という認識でリラックスして仰向けに寝入ってしまった。翌日は給水器で幼犬用の水(電解質)を一気に飲み、朝食後は家中を走り回っていた。私は127日より5日間、所用で福岡に行き、帰宅すると家内の躾宜しく「おすわり」「待て」が出来る様になっていた。体重も4.2kgから5.0kgに増えていた。1213日から紐やタオルを引っ張るのが好きな様で、随分紐やタオル等を廃物にしてしまった。乳歯が1本抜け落ち夕食後2本目の乳歯も抜けた。15日には初めてのシャンプーをしたがおとなしくて洗い易かった。今は散歩後、汚れると風呂場に自ら進んで行くほどである。20121217日に敷地内の雪道を歩かせ、初めての雪を不思議そうではあったが、雪を食べて、且つ楽しそうであった。27日に市内のフルヤマペットクリニックに狂犬病の予防注射を受けに行った。既往の円形脱毛症は完治し、口腔内及び耳内、その他、体の表面的な異常は特に認められないと言う診断であった。201319日散歩中初めてのオシッコ、翌日オシッコと初ウンチ、理由なくとても感動した。19日の体重測定で7kg22日には8kgになり順調に成長している。316日に、とても迷った末に去勢手術をした。525日に血液を採取しフィラリア抗原検査をする。陰性であった。20131129日、ロンが1年前に我が家に来た日である。ロンは最初の散歩が雪道で、この地で四季を二度体験し、今日から3度目の雪道散歩である。私も家内にもすっかり馴染んで言葉も沢山理解出来る様になった。散歩、ご飯、待て、ロープ、外(そと)、いい子いい子、遊ぼっ、お風呂、おいで、こっち、ハウス、お留守番、ねんね等々である。良く遊び良く食べ良く寝る、健康優良児である。友達も出来て、お向かいのチョッパー、アデル、はす向かいのパン、散歩途中の別荘風の家のケンで、特にチワワのチョッパーとアデルがお気に入りでしょっ中、3匹で走り回っている。甥の結婚式で近所のペットホテルに2日間預けたが良く遊んでいた様である。それでもストレスかウンチはしなかったそうである。家内に連れられて駐車場でいきなりウンチをした。ロンも我が家が一番なのであろう。

2)ロンのこの家での2年間の感想

ぼくは、老夫婦の家族になって今月(11月末)で2年になる。家には、自分のことを「まさこさんが・・・」という人とまさこさんを「オイ、オーイ」と呼ぶ人がいる。まさこさんは、ぼくに「おじさんに遊んでもらいなさい」というのが口癖である。まさこさんがおじさんと呼ぶ人は、ぼくに「おとうさんはね・・・」という。だからぼくは二人を何と呼べばいいか整理する必要があった。今はまさこさん、おとうさんと呼んでいる。

ぼくの一日は5時過ぎに起きて小さな声でおとうさんに「起きて!」と呼びかける。お父さんは「待て!」と言ってから5分ほどで寝室から出てくる。先ず、身繕いして、トイレに行き、洗面所で歯を磨き、顔を洗って、帽子を被り散歩のために玄関に向かう。ぼくは嬉しくて脱兎のごとくおとうさんの横をすり抜けて、玄関のドアを開けようと力の限り押すが、残念ながらぼくの力では開かず、いつもの様におとうさんを待たなければならない。

ぼくの活動スペースは1階の居間とキッチン、玄関から上り框、お風呂場位であるが、十分な広さである。畳の部屋もあるが、まさこさんに駄目だと言われている。入っていけない理由は僕にはわからないけど、時々知らん顔で入るので特に問題は無い。ぼくのスペースは居間⇒食堂⇒台所⇒洗面所・トイレ⇒上り框⇒居間と回廊になっているので運動不足や楽しい時は猛スピードで走り廻って、ソファに座っているまさこさんに体当たりしたり、お父さんのお腹にドロップキックして遊んでいる。その時はおとうさんもまさこさんもにこにこしてぼくを見守ってくれている。二階はヘアが4つあって広く、天井にも小さな部屋がある様である。初めのうちはフローリングでぼくが滑って転ばない様にと絨毯を敷いてくれた様であるが、階段があるのでぼくが怪我でもするといけないと考えて、行ってはいけない場所になった。でもぼくは1日2回散歩に連れて行ってもらっているのでそれで十分である。いつだったかおとうさんが抱っこして、おとうさんの部屋から窓の下の森の景色を見せてくれた事があった。部屋も歩いたしぼくはそれで良いと思っている。

まさこさんは外で仕事をしているようで、ぼくに「行ってきます。お留守番おねがいね。」と声を掛けて出かけて行く。仕事が終わって帰るとおとうさんに「ロンは寝ていたの? 散歩はしたの? ウンチはどうだった? ご飯はまだなの?」と矢継ぎ早に聞いている。その時、おとうさんはいつも聞き流しているようで、「うん」「いや」「まあまあ」くらいしか返事しない。まさこさんは居間に入るや否やぼくをハグし、「寂しかった?」と言ってボール遊びや綱引きをして、一緒に楽しんでくれる。ご飯も作ってくれる優しい人である。おとうさんも遊んではくれるが、すぐ「飽きた」と言って新聞を長い時間かけて読み始める。この時はとても悲しいが、ぼくを雨の日も風の日も雪の日も必ず朝・夕の散歩に連れて行ってくれるし、2週間に1回浴室でシャンプーもしてくれる優しいおとうさんである。それに夕刊をおとうさんに持って行くとにこにこして「ありがとう」と言って、ぼくの頭をいい子いい子してくれる。いい子にはご褒美をあげないとねとまさこさんが言ってお菓子をくれる。よし、明日も新聞をくわえておとうさんに届けるぞ!

そうそう、皆さんご存知と思うけど、ぼくは人間ではなく犬、名前はロンという。ロンの名前はおとうさんがつけてくれたが、何かいわれがあるようである。犬種のペンブローブウェルシュコーギーからわかるようにイギリスのウェルシュ地方にルーツがあり、コーギーは小さな犬という意味なんだよ。ぼくのことに少しふれると、ぼくの出生は、2012722日に奈良で産れたとお父さんが教えてくれた。そしてある日突然飛行機で北海道に運ばれて、石狩のペットショップのケージに移された。周りのケージには沢山の幼い犬がいてとてもうるさかった。そんな時まさこさんとおとうさんが現れてぼくを小さなダンボールに入れて車で家まで運んでくれた。とても広い家で僕のケージも用意してあった。

ぼくを室内で飼うか、外にあるとうさんの手作りの犬小屋で飼うか迷ったようであるが、ぼくがこの家に来た時、既に冬で外はとても寒く、生後4か月で、かつ、痩せて弱々しく見え室内におくことになったようである。

この家に連れてこられたのは1129日で翌日まさこさんとおとうさんとジョイフルにぼくのおもちゃとおやつを買いに行った。最初の頃の散歩はおとうさんが僕を抱いて家の周りを歩いて、外気に慣らそうと23日繰り返し、その後、首輪をして5分程雪道を歩くことになった。おとうさんは突然一人で1週間九州とかいう遠い所に行ってしまった。ぼくとまさこさんは1週間さびしくて、まさこさんにたくさんの言葉を教えてもらった。おとうさんが九州から帰ってきて、ぼくのことがすごく心配だったらしくとても優しくしてくれた。それから毎日暴風雪でも雨でも強風が吹いても欠かさずおとうさんはぼくを散歩に連れて行ってくれた。人がいないと紐を外して公園を一緒に走ってくれた。ぼくだけで走ることも多かったが、おとうさんは決してぼくから目を離すことは無かった。

おとうさんが帰ってきた頃から散歩の時間が少しずつ長くなって、初めての雪道は冷たくてとても心地良かった。オシッコも雪の上ですると黄色くなって何故かスッキリした。散歩中のウンチはおとうさんがティッシュで「くさい、くさい」と言いながら回収してくれる。雪の上のウンチは雪ごと回収できるが、オシッコは雪を黄色に染めてしまうのでおとうさんは「う~ん」と言いながら先に進む。

この家に暮らし始めていつだったか、おとうさんが「ロン、臭いな~」といってお風呂場でシャンプーしてくれた。とても丁寧に洗ってくれて気持ちが良かった。お風呂から上がるとまさこさんがバスタオルで拭いてくれドライヤーで乾かしてくれた。嬉しくて僕は家の中の例の回廊を何回も何回も駆け回った。数日後(1227日)におとうさん、まさこさんに連れられて車でフルヤマペットクリニックに連れて行かれ、高い診察台に乗せられて、狂犬病の注射をうたれた。まさこさんが「頭に円形の脱毛があるんですが・・・」と獣医に相談していたが、今は少しいびつではあるが生えそろっているので大丈夫ですよと言っていた。

7月になるとおとうさんが家から居なくなり、2ヶ月くらい入院してしまった。まさこさんに一度だけ車で病院までつれて言ってもらったが、おとうさんには会えなかった。犬だから病室には入ってはけないんだって、これって差別だよね。まさこさんと2ヶ月くらい二人だけになり寂しかった。おとうさんは、ぼくにはわからないけど癌という病気でよく病院に行き、1週間も2ケ月も家を留守にする事が度々ある。まさこさんも眩暈がしたり腰が痛かったりして、おとうさんがいないと散歩も大変な様で、近所のおじさんやおばさんが散歩をさせてくれた。時には専門の人にお金を払って散歩をさせたりもしていた。しかし、おとうさんが今年の7月から病気が悪くなって、ほとんどおとうさんは外出もしづらくなって、まさこさんが僕の散歩をしてくれるようになった。まさこさんはおとうさんの病院へ下着を持って行ったり、おとうさんが退院して帰宅するまさこさんはとても忙しくなり、ぼくは、まさこさんの体の事を心配したけど、かえって元気になり、生き生きしているように見え、ぼくはとても嬉しかった。

ぼくの一日は、まず6時になるとまさこさんに「起きて、散歩いこう」と声をかける。おとうさんと違って支度に30分以上かかり、その間おとうさんにいい子いい子をしてもらっている。おとうさんにいい子いい子と頭を撫でてもらうととても気持が良いんだよ。おとうさんが家に居る時は1日に34回くらいいい子、いい子をしてもらっているんだよ。

30分くらい散歩してオシッコをし、ウンチ2回位して、まさこさんが「帰ろう」というと、もう少し歩きたくても帰る事にしている。風呂場で汚れた足を洗ってもらい、ぼくは足が短いのでお腹も洗ってタオルで拭いてから、朝ご飯を食べる。イギリスのメーカーのご飯で、とてもぼくの嗜好にあっている。ご飯が終わるとおとうさんにロープ引きで遊んでもらうが、おとうさんはぼくが満足するまでは付き合ってくれない。まさこさんは朝ご飯の準備で忙しそうだから一人でボール遊びをしている。朝食はテーブルの下で分け前を二人に要求するが太るからと言ってなかなか応じてくれない。それでも粘ると少しずつ生野菜やトーフ等、ぼくが食べても差しさわりのないようなものばかり食べさせてくれる。でも、おとうさんは果物や魚や肉を少しだけまさこさんの目を盗んで食べさせてくれる。まさこさんは調理したものは水道で洗ってから食べさせるのであまり美味しくない。うるさくすると玄関に締め出されてしまうので加減が難しい。昼間、おとうさんはパソコンに向かって原稿ばかり書いているので、その時はおとうさんの下でぼくは寝ている。今年もお父さんは6月中旬から7月末位まで北大病院に入院した。帰ってくるとそよ風クリニックの戸井先生や花摘看護師さんが来るようになった。おとうさんは二人が来るといつも楽しそうに見えた。ごはんが食べられない様で、毎日、新聞を隅々まで読み、本を読み、パソコンでなにやらたくさん字をかいていた。とても憂鬱そうで、おとうさんのお友達がつぎつぎにお見舞いに来ても、おとうさんは、只、お友達がお酒を飲んだり食べたりするのを見ながら、お話をしたり聞いたりしていてとてもかわいそうだった。ところが8月25日に戸井先生が鼻からチューブを抜くと、おとうさんはとても嬉しそうな顔をした。それからはお見舞いの人達とお酒は一緒に飲めるようになりとても楽しそうであった。

おとうさんが病気のせいか、振君、正君、龍君、健君の4人のぼくのおにいちゃんが東京から見舞いに来るし、お嫁さんの貴子さん、順子さん、健お兄ちゃんのお嫁さんの千穂さん、姪の志保ちゃん、甥の武志君、まさこさんの妹の啓子さん、お母さんの敏子さん、おとうさんのお姉さん節子さんと旦那さんの本田さんも来てくれた。いわゆるぼくの親戚である。おとうさんのお友達も沢山来てくれて、ぼくはみんなにとても可愛がられた。いつもそれぞれが帰って行くと寂しくなる。正お兄ちゃんの七央ちゃんはぼくのことが大好きの様でぼくは子供にはそれほど興味はないが七央ちゃんは、ぼくと同じ目線で遊んでくれるので大好きになった。この家に一緒に住めばいいのにな~と思った。

ぼくの友達のチワワのチョッパーは小さくて、よく一緒に遊ぶけどゴールデンのアデルは体ばかり大きくて、すぐぼくのおとうさんやまさこさんのところに行くので好きじゃない。あたまにきて噛みついて毛をむしり、鼻にも傷をおわせた。チョッパーとアデルのおかあさんは、子供の喧嘩には知らん顔で診ている。まさこさんは大きい声で「そんなことをしたらダメ!」と怒る。一番頭にくるのはアデルがぼくのおとうさんにいい子いい子をしてもらうことである。それを見るとまた、噛んでしまいたくなる。

まさこさんに「お留守番お願いね」と言われて玄関にかぎが掛けられると、二人が帰るまで寝ている。時々郵便屋さんが来たり、チャイムが鳴ると目が覚めて少し威して「ワン‥ウー」と唸ってからまた寝入る。まさこさんに留守番を頼まれたので仕事をしただけの事である。ぼくはおとうさんの傍にいると落着くので、いつも家ではくっついている。おとうさんがソファーで寝ていると飛び乗っておとうさんの足の上で寝るのが一番好きかも知れない。二人がとても可愛がってくれるので、この家でのぼくはとても幸せだな。まさこさんもおとうさんもいつまでも元気でいて欲しいな~。とくにおとうさんには早く病気を治して、又散歩に連れて行って欲しいな~。1127日、ここの家族になっての暮らしは2年になる。今日(1115日)のまさこさんとの散歩は、ぼくの大好きな雪道で、ぼくにとっては三度目の冬を迎えた事になる。おとうさんが27日は何かお祝いしてやらないとな…ぼくの耳にかすかに聞こえた。

以上    No.25へ   No.27