35稿 「癌と共に~再発癌の宿命~」  2015926

1.第四次療法XELOX療法の3クールの開始

1)北大でのエルプラットの点滴静注

2)自宅でのゼローダ服用2週間

3)休薬期間のケア(1週間)と日常

4)自由時間とケア2週間

 

35稿は2015824日より925日のXELOX療法3クール目を纏めた。XELOX療法はこれまで進行・再発大腸癌、大腸癌術後補助療法に推奨されている治療法であるが、2015320日に再発胃癌にエルプラットが使えるようになり、主治医の考えで629日よりXELOX療法を第4次療法として用いる事になった。

 

1.第四次療法XELOX療法の3クールの開始

1)北大でのエルプラットの点滴静注

 2015824日北大でXELOX療法3クールが開始された。主治医の小松医師はバリ島へ出張中との事で澤田医師の代診となった。採血結果は727日に比べて白血球数5,3004,800、赤血球数3.443.36、ヘモグロビン10.19.9、血清総タンパク5.85.9S-アルブミン3.13.3、尿素窒素2626、血清クレアチニン1.391.21CRP 0.50.22AFP4.50.22と左程変化も無く、むしろ改善項目もあり3コースを開始する事には何ら問題無いと判断され、1階の外来治療センターでZELOX療法3クール目の点滴を受ける様に指示された。外来治療センターではポートの針を取替え、先ず悪心・嘔吐等の副作用防止の為、アロキシ0.75㎎、デカドロン6.6㎎50ml30分点滴静注後、エルプラット160270ml2時間かけて点滴静注した。エルプラット靜注後、一般的には発疹、掻痒、気管支痙攣、呼吸困難、血圧低下等を伴うショック、アナフィラキシーが報告されているが、幸いにもこれまでの3クールでは一度も私には発現していない。ちなみに今回のエルプラットの保険適応は治る事が期待出来ない胃癌を対象としての承認されたものである。

2)自宅でのゼローダ服用2週間

 824日夕食後よりゼローダ錠30014錠(1,200mg)30分以内に服用し、97日朝食後まで継続服用した。ただ残念ながら830日朝食後は酷い吐き気が治まらず、やむを得ず1回だけ服薬を断念した。この時は2週間ゼローダを飲み続ける事は難しいと感じていたが、澤田医師の「9日間飲めば治療効果は十分ではないでしょうか」というコメント(診断)を拠り所にもう少し頑張ろうと言う気になり、結果的には何とか2週間の服用を全うする事が出来た。ゼローダ服薬開始の2526日の朝食後は、ゼローダ服薬前にデカドロン1116錠を2日間服用し、ゼローダの副作用発現防止に努めた。その他の治療は専ら癌性疼痛の緩和を目的にフェントステープ、オキノーム散、ロキソニンの服用である。激しい痛みを生じる癌性疼痛は心身を疲弊させ平穏な日々を目指す私にとっては何よりの障害になる。医師に言わせると、この様な痛みを無理に我慢する必要はなく、今日では痛みに対する理解が深まり、その治療も系統的にきちんと行われるようになった。フェントステープは非オピオイド鎮痛剤及び弱オピオイド鎮痛剤で、治療困難な再発転移胃癌の鎮痛に適した薬剤である。20136月に再発し、それ以降1日も欠かさず使い続けている薬剤である。このテープは当初2㎎から始めたが鎮痛効果が無くなってきて1㎎増やして、2㎎に1㎎のテープを追加して3㎎を毎日午前9時頃に左右の鎖骨付近に交互に貼付してきた。914日は北大での外来診断日で帰宅してから翌日まで腹部症状が落ち着かずに、原因はなんだろうと考えたところ、うっかりテープの張り替えを失念した為であった。フェントステープは経皮型で痛みを抑える強力な作用を有する貼付剤であり、特に持続する鈍痛に効果が高く、一般的な鎮痛薬が効きにくい癌性疼痛に有効である。皮膚からゆっくり吸収されるので持続痛を抑える定時薬として用いられている。テープ使用前に使っていた塩酸モルヒネ製剤に比べて便秘や眠気等の副作用は軽減されているのが特徴である。この1年間で徐々にテープ含量のフェンタニルが増えて、レスキューのオキノームも倍量になった事で、癌細胞の増殖を制御出来ない状況になっているのではないかと不安にかられる事もある。私に発現するフェントステープの副作用は吐気・嘔吐、貼付部の痒み、口の渇き、しゃっくり、腹部膨満と多岐にわたっている。更に依存性や呼吸抑制もあるようだが今の所、私には無縁の様である。

オキノーム散はフェントステープの効果が薄れた時のレスキュー剤で当初は5㎎で対応していたが現在は10㎎に増量している。一般名はオキシコドン塩酸塩で中等度から高度の疼痛における鎮痛に用いるが、疼痛が増強した場合や突発性の疼痛が発現した場合は直ちに本剤を臨時追加服用している。

ロキソニンはプロピオン酸系の消炎・鎮痛剤であり、傷みや熱の原因物質をすばやく抑える優れた鎮痛効果を発揮するポピュラー薬剤であるが、私はオキノームで効き目がもう一つの時、邪道ながらロキソニンに頼っている。

 

3)休薬期間のケア(1週間)と日常

 97日夕方より14日まで休薬期間であったが、14日の北大での血液検査で腫瘍マーカーCA19-91803.0(7/27 394.28/24 1452.3)急激に上昇しており、CEA(癌胎児性抗原)も正常域内ではあるが6.4(7/27 4.18/24  6.3)と上昇した事から、XELOX療法は即刻中止し新たな治療法を選択することになかった。候補としては23の抗癌剤が考えられたが、14日より開始するには精神的に抵抗感があった為、24日か28日に実施してもらうようにお願いした。抵抗感とは、三つあり、一つは、やっと副作用から解放されて、副作用の苦しみの余韻が払拭出来ていなかった事、一つは、丁度、3男夫婦(9/12154男夫婦(9/1517)が東京から見舞いに来ていた事、一つは、19日が私の71歳の誕生日と言う事が理由であった。7日は比較的気分も良く散髪に行った。抗癌剤による脱毛を考慮し3分刈りにしていたが徐々に生えそろってきたので元通りに73に分けられるようにし、ドライヤーもかけてもらった。9日には輸液も1日スキップして体調がどう変わるか試みてみたが、全身状態が良くなることも無かったので基本に戻した。

結局、1週間の休薬は12日まではゼローダの影響で吐き気・嘔吐、倦怠感、癌性疼痛、腸管粘膜の損傷なのか原因は分からないが肛門からの体液の流失等、大変鬱陶しい思いをした。15日は午前中に戸井医師が4男夫婦に私の治療経過、癌の現状、今後の見通しについて説明してくれた。既に第4次療法まで終了し、カンプト注以降の癌化学療法は再発胃癌に対して確固たるエビデンスは無く、主治医の経験と判断において実施している。そして癌化学療法は中止して緩和治療に移行しても良いステージであるが、最期まで可能な限り癌化学療法にチャレンジすると言う私の意思を尊重して今日に至っている。

この説明で私の病状が重篤である事を息子には理解出来たようである。実際、北大の小松主治医も家庭医の戸井医師も本心では「緩和治療に移行してゆっくり余生を送った方が良い…」と思っている様である。私も余命は1カ月単位でしか考えておらず満71歳を迎えられた事にとても感謝している。人工肛門を増設してから2年が過ぎ、その間いろいろ苦労もあったが、ストーマパウチの取替えも全身状態が優れない時はとても疲労する様で、「もう、いいか!」と言う気に何度もなった。家内に運転してもらい恒例のショッピングや友人宅訪問もままならず、更に家の外壁、屋根のペンキ塗り替えで家の周りを足場で囲い、更に黒いネットで覆い、有機溶剤の臭いも鬱陶しくて散々な思いをした。たまたま飛び込み営業に家内が反応し、多大な出費にもかかわらず、その気になり、私が工事(外壁の洗浄・コーキング、外壁の樹脂塗装、屋根のペンキ塗装)を了承した事から始まったことなので自業自得ではあるが…。冷静な判断にかけていた様である。それにしても家内は、私があの世に逝った後も、一軒家に一人住むつもりなのだろうか?又、新たな心配事が出来てしまった。四男が私の誕生日プレゼントにi padを買ってくれたので、今後は家内の所有物としてテレビ電話代わりに用いる事で4人の息子や孫娘等と楽しく、交流・相談しながら何とか一人でも暮らしていけるかも知れないし、いずれにしても心配しても仕方ないことと腹を括るしかない。

 

4)自由時間とケア2週間

 私の希望で次の治療をシルバーウィーク後の24日から開始する事をお願いしたが、主治医の都合もあり、私の具合を見た上で28日より第5次療法として実施する事になった。15日からの2週間は私の自由な時間である。15日に陶芸作品が焼きあがり、1011月の展示に出品する作品はどうにか間に合った。2627日の展示即売に関しては今まで作り置いた作品を選び出して出品することにしたが、お金を頂く事には作品の出来栄えの良し悪しとは別に落ち着かないものである。

日常的な腹部の癌性疼痛は16日に3㎎から4㎎に増量した麻薬フェントステープで管理している。24時間しか効力を維持できないので、毎日午前9時頃に鎖骨上の左右に交互に張り替えている。腹部の痛みが消えない場合は、基本的にはオキノーム10㎎を服用する事で、対応しているが、さらにスッキリしない場合はロキソニンをレスキュー剤として服用している。フェンタニルが徐々に増えているにもかかわらず、腹部の癌性疼痛のコントロールは儘ならないようで、癌細胞が増殖中と言う事であろうか。

食事は水道水で嗽後、日本茶で喉を潤してから、嚥下に違和感なければカレースプーンで2~3杯お粥を食し、味噌汁を啜る程度である。寝てばかりでは筋力も落ちるので庭の散歩、菜園の野菜の収穫、雑草の始末で運動不足を補った。昼食はパスタ、特に明太子パスタが相性良くて週3回は食べた。但し、量を過ごすと激しい嘔吐が生じ吐いてしまう。吐いて爽快な気分になる事も、逆に嘔吐感が持続して不快感が続く事もあった。いずれにしても経口的に十分な栄養補給は不可能で輸液無しでは生命を維持していく事は出来ない状態にある。輸液開始は基本的には13時で1時間に130mlのスピードで22時に終える。1160Kcalを輸液に頼っている。実際は15時に開始したり0時に終えたり、私の都合で弾力的に行っていると言える。輸液の問題点は頻繁にトイレに行く事で、その為に就寝後の輸液はしない事にしている。今回は腹水もあって腹部が膨満し苦しい事もあり、利尿剤ラシックスで尿を出し腹水を減らす必要があり、服用したところ、15分おきくらいにトイレに立つ事になったので、午前6時に服用開始し、14時まで頻尿が続き往生した。腹水の減少については未だ結論は得られていない。腹水、つまりは癌性腹膜炎と思われるが、今後の自宅でのケアのポイントになると思っている。利尿剤ラシックス錠で腹水量を減らし、腹部膨満感の鬱陶しさを和らげようと思っている。それも効果が無ければ注射で取り出す事になるが、そこに至ると坂道を転がる様に身体は疲弊し、私のX-dayは早まると自覚している。ストーマパウチは中2日、3日で取替え、先ずストーマパウチの準備、トイレでパウチを右下腹部より剥離剤リムーバーで剥がし、クッキングペーパーでストーマ周辺を拭き取り、乳児用せっけんで洗浄しシャワーで洗い落とした後に皮膚に発赤・湿疹があれば外用副腎皮質ホルモン剤アンテベートローションをストーマ周辺の発赤・湿疹部に塗布し、乾燥後パウチをストーマに張り付ける。その後10分程ベッドで皮膚にパウチが馴染むのを待つ。夜は出来るだけ睡眠を取れるように輸液無しで就寝するがそれでも3~4回はオシッコに行く。睡眠不足で午前中はソファーで寝ていることが多い。これからも避けられない面倒な作業である。娯楽にはテレビのお蔭で不自由せず、大相撲、プロ野球、バレーボール等々飽きる事は無い。気持ちが画面に取り込められると癌性疼痛も気にならないくらい夢中になっている。良き時代に生まれたものである。連日テレビで国会討論を?拝聴し、とてもいい加減な審議、そして時間切れで安全保障関連法が成立してしまった。ここで反対意見を述べると果てしなく広がりそうなので割愛する。既に第9稿で基地問題~辺野古の埋め立てについて~、第15稿~第19稿で日本国憲法に関する私見、北方領土、隣国の中国・韓国との関係、近代史(江戸、明治、大正、昭和、平成)、国連での日本の立場について私の知識を総動員して勇気を出して投稿させてもらったが、再度手を加えて仮題「国際社会における日本の…」として気力が続くものならば、今回の安保法成立をきっかけとして纏め直してみたいと思っている。私の20歳前後の運動は学生が中心だったが、今回は高校生から後期高齢者に至る幅広い、むしろ国民主権に目覚めた民衆の反対運動であった。安部政権は与党内での安定政権を頼んでいるが、創価学会の一枚岩も崩れ、次の選挙では大打撃を受けるのではと思っている。そうなると次の政権は民主党中心の野党連合???、私は今回の安保法には反対の立場です!

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