第8稿「癌と共に~癌治療の混迷・愛犬との別れ~」

目 次

1.      近藤 誠 医師の言い分と今日の癌の実情

1)    近藤 誠氏の主張を考える

2)    市民公開講座「日本のがんを考える」から

2.      愛犬「ロンの鎮魂」

1)序章

2)屋外のロン

3)室内のロン

4)外出時のロン

5)立川でのロン

6)ロン二世

7)終章

8)ロンを偲んで~1年忌~

 

1.近藤 誠 医師の言い分と今日の癌の実情

 1)近藤 誠氏の主張を考える 

平成元年の頃だったと思うが、慶應義塾大学放射線科橋本教授と面談の際、近藤講師に会っている。とても冷静で無口な人であった様に記憶しているが、教授のキャラクターが強過ぎて、彼との会話については殆ど記憶にない。恐らく開発中の抗癌剤か経腸栄養食に関しての面談だったと思う。

最近、近藤医師は、マスコミへの露出が頻繁で、彼の言う、癌もどき、本物の癌の区別がもっと患者にもわかる明確な説明であれば、理解出来るかなと記事を拾い読みしているが、何故手術しないで延命出来るのか、放射線治療で本物の癌も完治出来ると思っているのか、欧米の癌治療の現状はどうなっているのか等、説明が欲しい。

恐らく彼の本や記事を読んで正確に理解できる患者はいないであろう。1215日の朝日新聞に「がん患者力」がん放置大丈夫?に近藤氏の主張、日本医大武蔵小杉病院教授勝俣氏の反論記事が紹介されていた。近藤氏は、

・「本物」は手術でも抗癌剤でも治らない。「もどき」は治療不要、よって無症状なら治療は不要。

・生活の質を上げるための治療は必要。

・がん発見時に転移が潜む「本物」と、転移しない「がんもどき」に二分される。

・検診を受ければ死亡数が減ると言う根拠はない。

・抗がん剤の臨床試験の生存曲線は形が不自然で、人為的操作があったと推測できる。と以上5項目について主張している。

一方勝俣氏の反論は近藤氏の主張に一つ一つコメントしているが、決して納得のいく反論とは言い難い。唯一、乳癌の治療の現状についてだけはやや納得のいく程度で、あとの反論は一部の患者には当てはまるとか、臨床試験データの人為的操作は国の立ち入り調査があるのでありえないと反論しているに過ぎず、私は反論になっていないと思った。

私の癌は、彼の言う本物の癌である事は検査で確定しているが、それでも手術は間違いだったというのであろうか。手術して2年後に腸閉塞を起こし、転移していたことは、本物の癌を手術した事によると言うのであろうか。腸閉塞で食事も出来ず、酷い腹痛など、生活の質を下げる自覚症状があるなら治療すれば長生きできることもあると近藤氏は言っている。又、本物の癌は、基本的に抗癌剤では治らず、手術は癌細胞の増殖を速める恐れがあるから治療は無意味と言っている。もどきと言われる癌は放置すべきと言っている。

私は、現在進行胃癌をSP療法で治療中であり、再発から既に半年が過ぎた。近藤氏が抗癌剤では治らないと言う事は理解しているし、幾分でも癌が縮小し、或いは変化が無くても全身状態が良く延命につながればいいと思っている。また検診で早期発見された癌が「がんもどき」だから治療の必要はないと言われても患者はどう理解していいのかわからず、むしろ、もどきを良性の腫瘍と言えるのであれば、治療の必要はないと納得するのではなかろうかと思っている。

検診で癌が早期発見されて手術した群と放置した群の比較データは無いので近藤氏の放置を全面的に否定は出来ないが、可能ならば疫学調査で確認するしかないと思う。もどきの定義は記事では理解できない。生存曲線のデータに人為的操作が加えられている点については臨床試験において腫瘍の縮小とかCR,PRNC,PDと言った臨床評価及び臨床試験終了後の患者の追跡をどのように行い、5年生存に至ったのか不明なのでコメント出来ないが、人為的操作は言い過ぎと思う。この主張、反論を正確に理解出来る患者は恐らく数少ないと私は思う。要するに癌治療の実態は経験的には副作用の発現を極力抑えこむ工夫が出来る様になって延命につながっていることは事実であるが、いずれにしてもエビデンスが未だ出尽くしていないと言う事が、かみ合わない主張・反論になっていると感じる。

 

2)市民公開講座「日本のがんを考える」から

1212日の朝日新聞に「日本の癌を考える」紙上採録―市民公開講座の紹介があった。がん研究会の有明病院病院長の門田氏は、癌医療は進歩しているという前置きから始まり、第1期の全体目標として、癌の死亡率を20%減らす、療養生活の質を向上させる。第2期は、癌になっても安心して暮らせる社会の構築が加わり、個別目標として癌の教育、癌患者の就労支援などが定められた。現在は、癌サバイバーが増えて、癌にかかった人が社会に戻ってどう生活していくかが大きな課題となっている。近畿大学学長の塩崎氏は、食道癌や胃癌は早期発見で内視鏡を入れて粘膜切除するだけで完全な治療できるが、ある程度進行すると化学療法、放射線療法、免疫療法などを組み合わせた集学的治療が必要と述べている。氏自身もステージⅣの進行胃癌を経験し、氏自身は医師としてステージⅣの患者を手術で1人も助けられなかったが、癌患者となった氏自身の治療として、氏は抗癌剤と放射線を一緒にする術前化学放射線療法を教授に相談したが、まだ効いたという報告がないと即座に断られ、それでも無理を言って治療してもらい、リンパ腺の腫れも消え、4週間後に手術し、現在この場で講演していると告白している。

この公開講座でがん研究会メディカルディレクターの武藤氏は、癌は遺伝子の病気であり高齢者の病気であり、歳を取ったら癌になると、ある程度覚悟しないといけないと言っている。

ただ無駄に早死にする事はないので、予防や検診など、やる事はやってあとは天命を待つと言う態度が必要ではないかと思う。癌と共存してなるべく長生きすると言う治療法も必要で、実際、実績も出ており、これからの患者は癌の知識を覚えて、賢く生きて下さいと総括している。私も前述した事で、氏の意見に同感するものである。

 

2.愛犬「ロンの鎮魂」

ロンは私にとって最愛の息子であった。私の術後の体力回復・精神的支えとなり、今までにない規則正しい生活のリズムを与えてくれ、健康に過ごせている今に大いに感謝している。ロンと出会わなければ、今のロンとの出会いも無かったし・・・・。

1)序章

ロンは福井県で生まれ、生後100日で、三男、龍の舅である中村さんに連れられて、中村さんの堺市に住む99歳のお父上に引き取られた。平成23年8月29日の事であった。お父上は一人暮らしで100歳過ぎのご高齢であった為、ロンの世話が困難になり、縁あって我が家であずかる事になった

以前より家内に犬を飼おうと言われていたが、スキルス胃癌を全摘し、再発予防のためにTS-1を服用中で、体力に自信を持てない状況であったので犬を飼う状況にはなかった。

しかし、龍の舅さんからの頼みという事もあって、これがきっかけとなって、残りの人生をサバイバーとして、ロン共々ゆっくりと規則正しく、暮らして行こうと決心するに至った。ロンが私と出会ったのは生後1年と46日目であった。ロンは胴長で短足を特徴とし、フローリングの廊下・居間等は滑って腰に悪いと家内に言われ、ホームセンターで絨毯を買い求め、家中のフローリングに敷き詰めた。又、ロンが自由に1階、2階を行き来して怪我をしないように階段の登り口に金属製の柵を購入し、2階の下り口の柵は手作りした。

ロンが外での生活を好むかもしれないと思い、手作りのコテージ(小さな家)も用意した。絨毯敷もコテージも柵作りも初めてにしては良く出来たと思っている。中村さんからケージとロン用のリード、固形食が届いた。あとはロンの来るのを待つばかりである。

2)屋外のロン

 ①新千歳空港で

家内に曳かれて、ANA到着口よりロンがトコトコと出てきた。初対面のロンに「ロン!」と声を掛けると、速歩で駆け寄ってきた。感動! 私との相性は良い。

新千歳は犬を曳いて歩いてもO.K.の様だが、駐車場に下りるエレベーター付近でおしっこをした。(6月251445~)

②散歩

北海道(自宅)での散歩は、平成24625日の夕方より同年1117日の早朝までであった。

ロンは散歩が大好きな様で、日の出前1~2時間前に和室の襖に立ち上がって前足でカリカリと引っ掻いて私に起きるように催促した。応答がないと消え入りそうな声で「ワン!」と遠慮がちに吠える。更に応答がないと徐々に声も大きくなり、私は起床することになる。先ずロンは私の股間やお尻に跳びかかり、これがロンの朝一番の私への挨拶である。私がトイレ、歯磨き、洗面、着替えをする間、ロンは一時も傍を離れない。糞便回収のティッシュを少し多めに4組ポケットに入れ、帽子を被ると、喜び勇んで玄関に駆け出して行った。首輪をして、糞便回収袋を用意してドアを開け、いざ出発である。ロンのオシッコは、他の犬同様に、電柱、街路樹、植込み、ポイントの塀であり、糞便は独特で、傾斜のきつい場所や草深い場所に引っ張って行かれたので、ティッシュでの糞便の回収に苦労した。自分の子供の便の処理経験の記憶もなく、ロンだけが唯一の私の経験であった。

早朝の散歩は希望ヶ丘団地内と輪厚自然公園を中心とした4コースで30~50分の散歩であった。食事は散歩後である。給水は公園及び帰宅後であり、このパターンは1117日朝まで不変であった。

夕方は日の入り前の3時から5時に食事をし、散歩に出かける。朝同様に団地内を中心に、天候を睨みながら私の気分で高速道路沿いや、よつば乳業研究所等に足を延ばし、たっぷり1時間の散歩になる事もあった。早朝も夕方も最後は輪厚自然公園の公衆トイレに糞便を流して、自宅で足を拭いて一日の散歩は終了した。散歩は晴れた日ばかりではなく、暑い日や強風の日、大雨の日、暴風雨もあったが、ロンは変わらず散歩を楽しんで、びしょ濡れもなんのそのであった。

③散歩中のロン

・こちらに来た翌日、ロンが私に何を要求しているのか解らない事もあり、昼間は庭につなぎ、夜は室内でロンの様子を観察した。車のドアを開けると、勢いよく飛び乗るので、車での外出は苦ではない様であった。

・手作りのコテージ(犬小屋)は馴染めなかった様で、2回しか入ってくれなかった。11月11日、ロンが興味を引くようにとコテージを玄関に移動した。 

・人間にはとてもフレンドリーで特に女性には人懐っこくて、生協で脱走した時、見知らぬ女性に近づいていき、ロンの頭を撫でている時に確保した。自宅前では秋田犬を散歩中の女性に近づいたところを確保した。

・スピッツを3匹飼っている家やゴールデンの犬小屋の前は通りたくない様で方向を変えたがった。無理矢理連れて行くと、相手の犬同様に吠え、ハンマー投げの鉄球の様に私の周りを吠えながら走り回る。一度ゴールデンとは顔合わせしたが、理解しあったかどうかは分からない。

・早朝に限るが、グランドで人気がない時はロンを解き放して自由にしてやるととても嬉しそうに駆け回る。ボールを投げるとダイナミックな走りで、あっという間に回収してくる。サッカーボールは私とのマッチプレーで飽きずに遊んだ。

遊びを終え、ロン!と呼ぶと戻ってきて素直に紐を付けさせてくれた。

3)               室内のロン

1)シャンプー

動物を飼う事に慣れていない私はロンの臭いが気になり、7月11日にシャンプーした。ぬるま湯のシャワーをかけると風呂場の洗い場中を逃げ回る。どうにか洗い終えてバスタオルで拭いてやり、ヘアドライヤーで毛根まで乾かそうとすると大暴れし、パニック状態で家中を気が狂ったように猛スピードで駆け回る。ただ、時間が経つとブラッシングも喜んでさせてくれた。

その後7月21日、8月17日、9月3日、10月12日、11月14日と5回シャンプーしたが、だんだん慣れてきてシャンプー中は騒ぐことも無くなった。ドライヤーにはついに馴染めなかった。

2)食事中のロンの様子

我々の食事時にはテーブルの下に正座し、食べ物をくれるまでじっと待っている。最近では、くれないと吠えて食べ物を要求するようになっていた。好んで食べた野菜は煮た人参、じゃがいも、大根。トマトはミニトマトが好きで転がして散々遊んだ後に食べていた。うるさく食い物をせがむので遊びながら食べられる容器にジャーキーを入れ、一人遊びさせたが、あっという間に要領を得て、期待するほどの時間稼ぎは出来なかった。固形飼料を食べなくなった日が2日程あったが、3日目には傍で食べ終わるまで待っていると完食するようになった。食事で一番驚いたことは食べたものを全部吐き出した9月20日の事である。私と家内の連携が悪く、過剰におかずを与えた事が原因であった。私がヨーグルトやアイスクリーム、菓子パンを食べていると分け前が欲しいらしく、必ず少しだけロンに残して食べさせていた。ロンの常食で、興味深かったのは、必ず最初の一口はケージ内で固形食を口に含み、一旦ケージから外に出て絨毯に置き、先ず絨毯上の固形食を食べた後、ケージに戻って本格的に食べていたことである。

3)ロンの遊び

家内との綱引き(軍手やタオル)、ボール取りは、双方真剣で見ていて面白かった。ロンは私とでは面白くないらしく家内の起床・帰宅を待って、常に誘っていた。サッカーボールを追い回すだけではなく、ボールを噛んで振り回すことが好きだったようだ。鬼ごっこは私の役目と決めていた様で、室内を駆け回っていた。あのスピードで走ってよくぶつからなものだといつも感心していた。

4)ロンの習性及び表情・仕草

我々の外出時は大騒ぎするが諦めもよく、玄関ドアが閉まるとすぐ寝るようであった。私が出かけると、ソファーから外を見て探し、居ないと分かると玄関で帰りを待っていた。家内が学童保育で出かけると帰る頃合いを察してか、いつまでも玄関で待っていた。室内で左前脚を少し宙に浮かせ考え事をしている様子は、次への行動への準備だった様に思う。約束事も一度許してしまうと、なし崩しにしてロンの思うままになっていく事が多かった。当初は下方ばかりに気を取られていたが、最近では室内の虫の跳ぶ様子や、室外の鳥の動きもじっと見つめる様になっていた。私がソファーに横になって右手の手の平をかざして「ロンおいで!」というと必ず手の平の下に頭を持ってきて、撫でてやると目を閉じて気持ち良さそうにしていた。次に首筋を撫でるとごろんと横向きに寝て、胴を撫でると次は仰向けになってお腹をさすってくれと言うのが常であった。中途半端に辞めると、むくっと起き上がって鼻先で私の右手を突き上げてもっと撫でてくれと意思表示していた。

ロンは経験した事ない重機の轟音、自衛隊の演習の大砲の音、花火の爆発音、落雷音等、全て苦手で震えが止まらなかった。更に電子音にも敏感で、インターフォン・冷蔵庫の閉め忘れ時のP音、プリンターの音、電話の呼び出し音、更には風呂場の換気扇の音には本気で吠えていた。又、やかんの沸騰音、風呂の自動沸かしのお知らせアナウンスにも反応していた。特に電話には我慢出来ない様で受信音がすると電話に飛びつき、私や家内が受話器を取るや跳びかかってきて衣類やお尻に噛みついてきた。これだけは教育仕様がないと判断して、家内は子機を持って2階に上がり、私は携帯を持って外でかけ直していた。家内、私が帰宅すると待ちかねた様に跳びかかってくる。とても愛おしい瞬間・時間であった。

5)ロンの就寝パターン

夏場は玄関、風呂場・トイレの入り口、暖房を入れた10月中旬以降は室内の入り口の僅かに残されたフローリング上、風呂場・トイレの入り口、椅子の下、冷蔵庫の前でよく寝ていた。私がソファーに寝ると、その下で必ず寝ていた。10時か11時の就寝時には、私がトイレに行くと何処からともなくソファーに乗っかり寝ている。

私が寝たと感じたら我々の近くで朝まで寝ていた。

4)外出時のロン

車は好きなのかどうか最後まで分からなかった。車に飛び乗った時はとても嬉しそうに感じたが、道中は落ち着かず吠え続けていた。我々の結論ではロンは車で移動することは好きでなかったと思い、出来るだけ留守番をさせ、我々も出来るだけ早く帰るように努力した。ロンは興奮すると体毛が抜けやすいようで、後始末が大変だった。

ロンの事、我々はどれほど理解できていたのか、もう知る由もない。

12月1日、車内の清掃をしたが、ロンの体毛が沢山付着していて、とても切ない気持ちになった。

5)立川でのロン

  11月18日朝散歩:残堀川から富士見町団地 夕:富士見町団地及び36号棟野球グラウンド、 11月19日朝;階段公園から富士見町団地、36号棟野球グラウンドでドッグラン 夕:都立衛生試験所から緑地丘公園、富士見町団地 11月20日朝:残堀川から根川 夕:散歩させようと帰宅すると、家内が涙ぐんで、「ごめんなさい」と私に言うので、・・・・・事情を聴いても力が抜けてしまって・・・後悔。

21日に昭島市で丁重に火葬し、あの世に送り出してあげられた事、遺骨を北海道に連れ戻ってこられた事で幾分救われたが、中央線・モノレール・飛行機の中で一度も胸から手放さない家内を見ていると生前のロンを思い起こして涙を禁じ得なかった。新千歳空港の荷物受取所でローラー上の空っぽのケネルキャブを見つけた時も、これからの日々が憂鬱でならなかった。

今となっては唯一の救いとでも言えるかも知れないが、立川で毎夜同じ部屋、布団を一緒にして、ロンの体温を感じながら寝た事である。

6)ロン二世

  ロンのコテージ、ケージ、ケネルキャブ、カラー、リード、おもちゃ、餌、室内フローリングの絨毯等々、始末する事は今迄のロンとの生活を否定するように思われ、処分しても今まで以上の胸の痛みが残ると思い、初七日に焼酎を飲みながら、どうせロンを忘れられないのだから、ロンを呼び戻せばいいと考え、ネットでロン似のコーギーを探した。私にも、家内にも今やロンは必要不可欠な家族・存在であり、非論理的ではあるが相似形のロン二世に助けを求めざるを得なかった。というより私達にとっては同じロンという事である。当然、ロン二世の名前は「ロン」である。

 

7)終章

ロンの事、もっともっと思い出してもいいはずだが、今はこれで精一杯。四十九日、一周忌に思い出すこともあろうし、ロン二世を育てながら改めて気づいたり思い出すこともあろうし、何気ない日常の家内との会話の中にも再発見する事ともあろうし、ロン二世の成長を見守りながら、これからもロンと一緒に歳を重ねていきたいと思っている。

  

8)ロンを偲んで~1年忌、平成13年11月20日~

ロンが立川で事故死し、一年になる。早いものである。我が家での生活は僅か5ヶ月であり、一年半の寿命であった。どうして、何故ロンは外に飛び出して行ったのだろう。見知らぬ立川で何処に行こうとしたのだろう。私を探しに行ったとしか思えない。前日息子等と会食し、気分転換する為立川駅まで出かけたのが運のつきであった。中村さんにロンを会わせたい、その時、中村さんは堺市に住むお父上の病気見舞いで留守であった。立川の家内の実家の住人にロンの事を細かくお願いする事を怠った。千葉に20日に連れて行こうと思ったが、疲れていたので取りやめた。いろんな偶然が重なり、死なせてしまった。平成251120日は北大病院に入院する前日であったが、私流に焼酎で一周忌の供養をした。一年も経つのに悲しかった。遺骨は未だに私のデスク上に安置している。庭に埋葬しようと思ったが、私があの世に還る時一緒に連れて行こうと思っている。

以上  No.7へ  No.9へ  No.1へ