31稿 「癌と共に~CPT-11万歳!?~」 2015612

1.CPT-112クール1投目・2投目

2.癌患者の日常生活

3.癌患者の独り言

4.壮年期を振り返ると…

5.再発胃癌の1例報告(患者自身による報告-Part2-)

 

1.   CPT-112クール1投目・2投目

CPT-111クールは1投目から2週間後の2投目終了2週間後迄をいう。

1)CPT-112クール1投目

GW中は体調悪く、背・腹部痛及び排尿痛に悩まされ、経口的に食事もままならない状態が続いた事で、訪問医に自宅で発熱予防の為に抗生物質をCPT-112クール1投目前日まで点滴してもらった。水腎症の疑いを指摘されておりステントの留置が必要かもしれない。このところ、どうにか背・腹部痛も軽減し、201557日北大病院に行く事が出来た。採血結果は、ヘモグロビン値が低値で小松主治医より2クール1投目はスキップの提案があったが、出直すのも面倒であったので他の検査値に問題なければCPT-11を点滴してもらい、その後輸血をすることで了解してもらった。白血球数7,900μ(北大参考値3,5009,300)、ヘモグロビン7.7g/13.417.6)、CRP 0.83/(00.39)、血清総蛋白5.6g/(6.78.3)S-アルブミン2.6g/(4.05.0)、尿素窒素26/(822)、血清クレアチニン1.24/(0.601.10)、腫瘍マーカーAFP3.0ng/ml1.010.0)CEA3.3ng/ml1.06.5)、CA19-9 281.1U/ml037)でヘモグロビン値以外には特に治療をスキップする理由は無く、外来治療センターで常法通りCPT-11160㎎点滴静注した後、消化器内科外来処置室にて輸血を行った。帰宅後から45日間は全身状態も良く食欲もあり、何故か肛門より便通が3日間続いた。便通の理由は良く分からないが、体調は回復した様である。

尿素窒素、クレアチニンは、参考値より高く、腎臓からの排泄物で腎機能が低下したため血中の値が高くなっている。蛋白、アルブミン値が低いのは全身の健康状態が悪化傾向で腎機能が低下している事がうかがわれる。511日、昨年末より化膿性脊椎炎の治療を抗生物質服用で続けていたが、整形外科で診断してもらい、本日で服薬終了となり今後は1ケ月毎に外来診断する事になった。

2)CPT-112クール2投目

2015521日.北大。採血、外来治療センターにて常法通りCPT-11160㎎靜注。

消化器内科外来受診時、小松医師より排尿痛の改善については検査値が北大基準に達していない場合は、泌尿器科が受け入れてくれないという院内事情もあり、他院で手術する事になる。小松、家庭医の戸井医師間で相談の結果、戸井医師の骨折りで自宅に近い恵み野病院で610日に入院し、ステント挿入手術を行う事になった。血液検査値は、白血球数7,700μ(北大参考値3.59.3)、ヘモグロビン8.1g/13.417.6)、CRP1.00/(00.39)、血清総蛋白5.9g/(6.78.3)S-アルブミン2.8g/(4.05.0)、尿素窒素31/(822)、血清クレアチニン1.37/(0.601.10)、腫瘍マーカーAFP4.3ng/ml1.010.0)CEA2.8ng/ml1.06.5)、CA19-9 306.5U/ml037)で、尿素窒素、クレアチニン、CA19-9は前回より悪化していた。腎機能の低下については、実際、腎臓の働きが低下しており尿素を十分に排泄出来ず、クレアチニンも同時に高くなっている。身体の蛋白質が大量に分解され値が増加しているのか、あるいは水分摂取不足による脱水で血液が濃縮されている事も考えられるが、私の場合、絶えず輸液を施行しているので当てはまらないかも知れない。消去法で行くと度々の感染症による発熱が原因である事は間違いない様である。

腫瘍マーカーAFP,CEA,CA19-9についてAFP,CEAの数値は基準値内であり、癌の危険性を暗示していない。しかし、CA19-9の数値は測定ごとに上昇している。306.5U/mlは高度異常(100以上が高度異常)で、明らかに何らかの癌の存在を示している。この腫瘍マーカーは膵臓癌に特異性の高いものであり、私の場合、画像で膵臓癌は認められないので、やはり胃癌の増殖を暗示しているのかも知れない。AFP,CEA値も上昇していれば胃癌が進行していると確信できるのだが、主治医はAFP,CEA値は動いていないので気にする必要はなく詳細はPET/CTで判明すると言っているが気懸りではある。63日にCT/PETで撮像し、腫瘍の動き、CPT-11の効果について確認することになった。

 

2.癌患者の日常生活

5月を例にあげると、1日(金)そよ風の花摘看護師が自宅訪問(火~金曜日)し、体温、酸素量、脈拍、血圧、患部の打診等、バイタルサインを測定し、輸液のセットを行う。さらにストック医薬品、輸液チューブなどの在庫を確認し、不足分を薬局に戸井医師を通して発注する。7日(木)21()は北大で2週間毎に血液検査、消化器内科小松医師の診断、外来治療センターにてCPT-11の点滴静注、その他必要に応じて撮像等を行う。11()18日(月)25()はそよ風の戸井医師が自宅訪問し問診・診察し、北大の主治医小松医師と定期的な情報交換をする。家内は訪問看護に伴う医師・看護師を迎える為の準備(玄関・居間・水回りの清掃、茶菓等)に労力を割いている。土、日、祝日は家内が輸液のセットから取り外し、フェントステープの午前9時頃張り替え、薬剤の管理まで全て面倒見てくれている。18時に輸液をセットし、6時に輸液を外してくれ、昼間の12時間が私の自由な時間である。気が向けば作陶、家庭菜園への種蒔き、苗の植え付けを行っている。食事は嚥下困難の為に通常の5分の1くらいしか食べられないので食事の献立にはとても苦労させている。犬の散歩も家内任せで、2年前に右足膝半月板損傷手術をしたが、今度は左膝を痛めたようで、整形外科医院に通院している。ルーチン作業はメールの閲覧・返事、老水庵への投稿原稿の作成、新聞を読む等である。娯楽は、テレビでのスポーツ観戦(日ハム戦)、ドラマ(3本程度)、家内の運転で月に2~3度程度の買い物、その他は除草作業である。実にシンプルな生活と言える。ただ、気持ちは一日も早く自由に動けるようになって家内の負担を軽減したいと思っているが、徐々に体は疲弊していくようで不安である。

 

3.癌患者の独り言

「ロン、おとうさんの病気はロンの超能力で治せないか?痛みに耐えかねている時など、単に舐め回すだけでなく、鎮める事は出来ないのかな~」 

―ロンはアーモンド目で私の目を真っ直ぐに見据えて黙って聞いている。15分後にはソファから跳び下りて台所に行って腹ばいになる―

「今年は正月早々病室。化膿性脊椎炎の治療に専念したが、ほとほと疲れた。もう、いいかな。毎日が面倒臭くなってきた。老水庵への投稿もしんどくなってきたな~」

―会社の後輩が訪れた―

「元気ですか?実は最近鵜木さんのブログが止まっており、元気かどうか様子を見て来て、と言われて・・・」

「あっ、気にしている人がいるんだ。やはり頑張れるうちは頑張って書かないといけないな。痛みを紛らわす・克服する為にも書こう!」

―どうにか31稿までは送付出来、余命がどれほどか分からないが出来る限り書き続けることにした。あの世へのカウントダウンが始まる前に最終稿も準備しておく事にする―

「癌と共生する事をテーマにこれまで来たが、なかなか現実は難しいことである。癌が私と同じ気持ちになってくれないと共生なんて出来るものじゃない。宿主が機能しなくなれば癌だって機能停止になるのに頭が悪い!」

―亡くなった時は、家内には葬式をしないで、戸井医師に看取って貰った後、死亡診断書を書いてもらい、市役所で火葬して貰うようにお願いしている。葬式は東京で骨壺を前に息子達と食事会をすることで終わりにしてもらう。息子には死に顔は見せたくないのである。死に顔を見るのは家内だけでいい―。

「おい、おい!いつ死ぬかも分からないのに気が早くないか?君の死生観ってその程度のものなの?」

「いやいや、ちゃんと死後、家内が困らない様にお金のことや家のこと等、詳細に伝わる様に遺言書は書いてパソコンに保存してあるよ」

「そんなことじゃなくて社会人として守るべきことがまだまだ残っているんじゃないの?」

「そういえば、何人かの友人に自作の陶芸作品を贈呈すると言っていたな~、結婚式に出る事も約束したな~。書きかけの私小説も中途半端のままだな~、友人が送ってくれた自伝も読まずに感想を送っていないな~。有難う!これからの残された人生を如何に生きるべきか整理して考え直してみる事にするよ。」

「そのとおり、やっと君らしくなってきたな。ぼくは安心して君の中に引っ込む事にするよ。それじゃ機会があれば、また会おう!」

木々の若葉が西日に映えて眩しい。体力をつけて兄、姉に会いに行こう!

 

4.壮年期を振り返ると…

 私の言う壮年期とは、就職してから定年退職までである。楽しかった20代、悩んだ30代前半・忙殺された30代後半から50代前半、のんびり過ごした50代後半から60歳定年までの5年間、総括すると良き人生であったと思っている。

1)   楽しかった20

 私は大学一浪、留年半年で24歳の秋に社会人になった。23歳卒業時には塩野義製薬、中外製薬、協和発酵に内定していたが、単位不足で卒業できず、その中で協和発酵は卒業まで待つと言ってくれたが、格好悪くて入社を辞退した。10月に何とか単位取得し、卒業するか、来春まで学生を続けるか迷ったが、父親のコネで、ヤクルトに11月から就職した。京都研究所勤務と言われていたが、何故か国立のクロレラに配属された。

最初の仕事はクロレラの種母管理、製品化までであった。微生物を扱うのは初めてであったが、今に思うととても興味ある楽しい仕事であった。上司は6歳上の佐々木一郎さんで、鹿児島大学水産学部出の佐賀県人であった。とても几帳面で寡黙な人であったが、写真好きで私の長男の1歳の時のポートレートを撮ってもらい、今でも部屋に飾ってある。二人だけの試験室で、仕事の手順は、太陽光を利用しないタンクでのクロレラの純粋培養で、先ず元気のいいクロレラのコロニーをシャーレの寒天培地で培養し、試験管→300mlコルベン→5コルベンに培養し、最終的にはタンク培養し、スプレードライヤーで粉末化するまでである。試験室とプラントを繋ぐ仕事で、新入社員の私を責任者にして任せてくれた。コンタミネーションすると培養液を廃棄する事になるのでリスクも大きかった。クロレラ粉末が出来ると、クロレラを素材とした応用である。食糧にする為にクロレラの硬い細胞壁破砕の為のフレンチプレス処理、ワサビの色付け(実用化できカネクワサビに納品)、新潟まで出かけ錦鯉を買い、5坪のプレハブ室を作ってもらい水槽内で錦鯉の餌を開発した。クロレラ入りヤクルトジョアの開発も行った。終業後は有志で同人誌を作り、ウィークエンドは鎌倉材木座海岸まで出向き56人で購入したヨット(Y-15)でセーリングした。とても自由で楽しい4年間であった。

2)  悩んだ30代前後

薬学部出身という事で、ヤクルト飲料の科学的裏付けの為に乳酸菌を薬にする様にとの特命を受け、兵庫県西宮市の近畿ヤクルト製造()に出向した。消化酵素剤の許可を持っており、そこをベースに、乳酸菌を新薬として許可を取る様にという無理難題の特命であった。無知とは怖いものである。何とか医療用医薬品の後発品としての許可を取得したが、宣伝に使えないと言われ、更に大衆薬としての承認も得た。しかし仕事として評価される事は無かった。医薬品のプロジェクトは乳酸菌が薬になった時点で1年足らずで解散になった。この時のプロジェクトスタッフは、工場長兼開発責任者の九谷さん、阪大発酵工学科出の渡邊さん、阪大薬学部出の松本さん、近畿大薬学部出の鉢木さん、京都府立大農学部出の中田君、大阪薬科大学出の岡崎さん、事務の徳田さん、私を加えた8人であった。その他に他社からリタイア組の東大薬学部出の成定さん、京大薬学部出の大石さん、武田薬品光工場の工場長中川さん等、経験者はおり、私にとっては製薬事業のなんたるかを学ぶにはとても貴重な時間になった。本社の製造管理部勤務となり、1年後東京工場に赴任し、乳酸菌の技術屋の道が開かれたが、また、1年後には医薬品事業をスタートすると言う事で西宮に行く事になったが、乳酸菌製剤や消化酵素剤の再評価対応業務に忙殺された日々で、乳酸菌しか知識の無い会社で本気で医薬品事業に取り組むとは思えず、今後も評価されることはないと悟って辞表を出した。31歳であった。

今回のプロジェクトに前回のスタッフで残ったのは、九谷さん、中田君、私の3人で他は全て見切りをつけて退職した。私は・・・新たに配属されてきた志賀さんに引き止められ、私が入社に関わった萩原、古代君ら後輩とのしがらみでずるずると・・・約30年の年月が過ぎ定年を迎えた。

3)忙殺された30代後半から50代前半

カンプトの製品化の目途が立ったのは私が39歳の時であった。中央研究所の澤田君がカンプトテシンから多くの化合物を合成し、我々で有用な物質を3個に絞り、更に1個に絞り込んだ時から猫の手も借りたいほどの忙しさとなった。新薬申請の為の社内体制作り、研究会の発足…、医薬品としての承認は私が49歳の時であった。実に20年の歳月を要したことになる。

4)のんびり過ごした50代後半から60歳定年までの5年間

 55歳でライン定年を迎え、古巣の開発業務に戻り、自由な立場で国内ライセンシングの仕事を中心に、カンプト研究会のサポート、他社との流動食研究会や乳酸菌研究会などに参画し、海外にも自由な身分で視察や学会等への参加をさせてもらった。60歳で退職する事には申し訳なかったが、子供達にも手がかからなくなっていたので我儘とは思ったが、退職させてもらった。そして北海道に移り住み10年が過ぎ去った。病を抱えた昨今ではあるが仕事に恵まれ、多くの出会いに恵まれ、良い家族を持ててこれ以上の人生はない、幸せな生き方をさせてもらったと思っている。

 

5.再発胃癌の1例報告(患者自身による報告―Part.2-)

はじめに

 北海道大学病院でいう緩和ケアは、治療が辛く無い様に、癌と上手に付き合って行く為に苦痛を取り除く事に重点を置いた治療、看護である。緩和ケアは癌が再発した時期だけではなく、癌の診断や治療と平行して行われるべきものであると言う。痛みやだるさ等の身体(からだ)と心の症状を少しでも軽くしたいという患者の側にたった考え方である。再発胃癌は完全に治癒する事はまれで、基本的には癌の進行を抑えてなるべく長く快適な暮らしを送る事を目標とした延命治療である。胃癌の場合は、術後の病理診断で病期Ⅱ以上の患者に再発の危険性が高いとされている。

 

「患者背景」

疾患名:再発胃癌

患者氏名:鵜○ 一○、 年齢:69歳  性別:男性

治療歴:KKR札幌医療センターにて胆嚢・胃全摘術(2011.7.5.)、再発防止の為S-18クール内服(20117.29.~20126.81クール120/day朝・夕食後各3カプセルを28日間連続服用後2wk休薬)、術後腸閉塞により開腹癒着剥離術・人工肛門増設、Vポート挿入(20138.12.)、SP療法(S-1 +CDDP)の開始・中止(20138.30.)、当院に転院(201310.2.)。

「組織診断名」 Por2>sig gastric carcinoma  TNM分類:T(2b)N(0)M(0)CY(0)stageb

1.   治療と経過

北海道大学病院消化器内科にてSP療法7クール実施

1)  SP療法

11クール目の治療経過(20131010日入院、1015日退院)

  朝・夕食後S-12錠(100/day)を3週間連続服用。2週目(day8)にCDDP90㎎を点滴静注、2週間休薬

 基本投与図(1クール35日間)

①②③④⑤⑥⑦ ⑨⑩⑪⑫⑬⑭ ⑮⑯⑰⑱⑲⑳ ×××…××

S-1内服   CDDP点滴静注   ×より2週間の休薬

  S-1 25㎎朝・夕食後各2錠(100/day)を服用し始め21日間連続服用する。7日目にはCDDPによる嘔吐、吐き気を予防する為、CDDP点滴静注前の副作用対策の為に、

先ず、CDDP点滴前日⑦の午後にCDDPの副作用対策として補液(フィジオ140 1000ml、ヒシナルク3500ml)を翌朝10時までに流し、2日目も引き続き10時より24時間、同時に生理食塩水500ml2時間投与し、11時半には吐き気止めのイメンドカプセル120㎎を内服する。生理食塩水が終わると更に吐き気止めのアロキシバック0.75㎎、デカドロン9.9㎎を補液に入れる。12時半に治療目的のCDDP90㎎と生理食塩水500mlを入れ、14時半より1時間かけてマンニトール300ml、引き続き4時間かけて生理食塩水1000mlを入れる。実質的には2日目で治療は終わり、残りの5日間はイメンドカプセル80㎎内服、デカドロン6.6㎎靜注し、吐き気を抑え、CDDPS-1の毒素を排出する為に毎日1000ml以上補液を入れ、更に経口からも11000ml飲まされた。この一連の補液靜注と11000mlの飲用はCDDPによる腎臓への影響を低下させる為である。これがSP療法を行う際のCDDP点滴前に行う副作用を抑えるBSCbest supportive care)であり、各クールでの約束事である。

退院3日後に発現した下痢は、CDDPに起因すると思われたがロペラミド服用により改善し、S-1による副作用は認められなかった。

22クール目の治療経過(20131121日入院、1130日退院)

   朝・夕食後S-12錠(100/day)を3週間連続服用。2クール目は1112日より1216日までの35日間であった。入院翌日のCDDPの点滴静注の可否を判断する為、採血し、白血球/好中球数が基準値より低値で、CDDPの点滴静注はスキップした。3日後の1125日に再度採血し、白血球/好中球数は回復したので、S-1を服用し始めて10日目にCDDP90㎎を常法通りに点滴靜注した。点滴中に体重が2kg以上増加すると浮腫による増加と判断し、マンニトール300mlをその都度追加点滴靜注した。全ての点滴はCDDPの腎毒性を抑制する為の処置である。1127日より2日間は吐き気止め、補液をふんだんに点滴し、CDDPの腎毒性を抑制しながら体外に排出する為のハイドレーションを30日まで続けた。2週間の休薬期間中は下痢が発現したが、間欠的な泥状便であり、ロペラミド服用により改善した。

33クール目の治療経過(20131225日入院、1229日退院)

 主治医は、2クール終了後の2013129日に血液検査し、白血球数は参考値内に回復し、赤血球、ヘモグロビン、血小板数、ヘマトクリットはやや参考値より低値であったが、今後の治療の妨げにはならないと判断した。腫瘍マーカーのCEACA19-9も参考値内で動きも無く良い傾向であったと説明した。

S-1服用期間:20141218日~201517日、朝、夕食後各2錠(100/day)を連続21日間服用した。休薬期間は18日~121日の2週間。

1225日の入院時、血圧測定、採血。原田医師より採血結果にて腎機能低下、白血球数低値が見られ、1227日の採血結果でも回復せず、3クール目のCDDPの点滴はスキップする事になった。現状でCDDPをスキップしても全身状態から判断して特に問題なく、自宅ではCDDPの影響を排除する為に毎日水2飲む事を指示された。途中、水2が飲用不能となった場合は腎機能の更なる機能低下も考えられるので、病院に電話連絡する様に指示された。その際はS-1の減量も考えなければならない。年明けに採血、CT画像診断し、小松医師の診断を受ける事になった。16日採血、116CT撮像後、123日に外来で小松医師より説明を受けた。課題の白血球数は5700/μ、好中球も57%に回復し、肝機能、腎機能共に正常となり、CT画像でも再発癌は認められず、治療は順調であるという評価であった。以上の経緯で3クール目はCDDPの点滴静注は出来ずにS1のみの変則な形で終了する事になった。

44クール目の治療経過(2014130日入院、25日退院)

S-1服用期間:2014123日~212日、朝、夕食後各2錠(100/day)を連続21日間服用した。休薬期間は213日~226日の2週間。

CDDP点滴は4クール開始9日目の131日にCDDP90㎎を常法通りに点滴静注し、治療は予定通り完了した。

55クール目の治療経過(2014312日入院、318日退院)

227日の血液検査で好中球734と低値だった為、CDDPを点滴靜注すると骨髄抑制を生じ、貧血、特に感染症の心配があるので白血球/好中球数の回復を待って、36日入院予定を1週間延ばした。抗癌剤投与の初期の頃であれば白血球数は、投与後1~2週間後に最低値になり、回復に710日かかる様であるが、私の場合は、長い事、抗癌剤を服用しているので、抗癌剤の蓄積毒性の影響が出て白血球/好中球数の回復が更に2週間遅れていると推測される。回復が予想される36日の血液検査で白血球3,000、好中球1029に回復し、12日より5クール目の入院となった。しかし好中球数値はCDDPを点滴静注できる条件に無く、17日まで回復を待ったが回復せず、治療を断念し318日に退院した。7日より服用していたS-1324日で服用中止とした。その後の血液検査でも好中球は回復せず、改めて331日に血液検査をする事になった。白血球4,200、好中球2,054に回復しSP療法6クール目のCDDPの点滴静注は可能となったが、白血球、好中球の回復が遅いので、今後はS-1及びCDDPの減量で治療を続行するか、S-1単独で様子を見るかどうかの提案を主治医より受けた。CDDP併用による相乗効果より骨髄抑制の方が気懸りだったのでS-1単独での治療をお願いした。331日より夕食後S-12錠(100/day)を410日の朝まで服用した。その間42日より倦怠感、食事後には吐気、嘔吐が生じ、休みながら途中でS-1を服用し、更に少し休んでから食事をする日が続いた。S-1の服用についてはSP療法という観点からすると変則的ではあったが、間に2週間の休薬を挟んで何とか5クールを終了した。

6)6クール目の治療効果(2014512日入院、513日退院)

S-1 100㎎/day(朝食後250㎎、夕食後250㎎)を2014428日より服用し、512日の入院まで継続服用した。入院当日、CDDP点滴靜注の前日に採血、検尿、心電図、レントゲンを撮り、待機していたが、白血球低値(2700)、好中球959とい低値となり、SP療法自体の治療を中止せざるを得なくなり、翌日13日に退院した。今後の治療としては、S-1100mgから80㎎(朝食後2カプセル40㎎、夕食後2カプセル40㎎)に減量し、CDDP90㎎から70㎎に減量する事になった。S-1休薬後の、417日のCT画像でも、癌病変は確認されなかった。しかし、癌病変が無いと言う事ではなく、2㎜スライスであれば見つかるかもしれないという懸念は残るので421日の血液検査(白血球数4400、好中球数2086CA19-9 26.2)及び放射線科医師による画像診断を総合的に診断した上で、私のこれまでの治療経過も参考にして、念のためにSP療法は9月まで継続する事にした。ちなみに欧米の再発胃癌の場合、画像的に癌細胞を確認出来なくなった際は、いたずらに抗癌剤を投与し続けるべきではないと言う考えから治療終了・退院になるそうである。

仮にSP療法終了時にPET/CTで癌細胞が認められ二次治療が必要となった場合は、カンプト注、エルプラット注(わが国開発の白金化合物で、DNAの複製及び転写阻害の作用機序を持つ抗癌剤)での治療を考えているが、その折は安全性を含めてSP療法を超える治療成績を期待したいものである。

77クール目の治療効果(2014617日入院、623日退院)(626日緊急入院、726日退院)

胃全摘後3年間S-1を服用してきた事で白血球/好中球数は低値安定となり、術前の状態に回復する事は無くなった様である。休薬して数値が回復してもS-1の服用を始めると、好中球数は1000以下の低値になり骨髄機能を維持する為にCDDPを投与出来なくなってきている。現状、CT画像では癌は確認できていないものの、実際は癌がSP療法に耐性をもった様である。63日に採血し、白血球は3,700、好中球は1,510と回復した。S-1611日より80㎎/day100㎎を減量。朝食後240㎎、夕食後240㎎)を継続服用し、616日の入院前日の血液検査では白血球数3600、好中球数1688と安定しており、17日より入院し、CDDP70㎎/day90㎎を減量)を常法通り点滴靜注した。623日に退院したが、帰宅後2日目の625日の夜より腹痛が生じ、26日は激痛となり、腸閉塞が確認され緊急入院となった。入院当日よりS-1の服用も中止となりSP療法は終了した。

  腸閉塞が癌増殖によると判断した理由

   7クール目のCDDPの点滴静注が終わり、これまでの治療経過を考えて効果を期待したが、退院後2日目に腸閉塞で緊急入院した事に担当医等も、その事を理解出来ない様であった。416日のCT画像では腹腔内の脂肪織は軽度densityの上昇はあるが、明らかな播種は無いとしている。また、再発した626日の腸閉塞の緊急入院時のCTでも416日の画像と同様に、同定可能な播種病変はないと言っている。通過障害の原因として播種や癒着等は考えられるが、CT上は鑑別困難としている。腸閉塞で上行結腸から横行結腸が狭小化し、上行結腸には浮腫状の壁肥厚を認め、これは、播種や癒着等が原因として考えられるとしている。77日の画像でも腹膜播種に伴う癒着が疑われると言及している。右腎盂拡張の出現、腹膜播種の可能性がある。

結局、CTで腸閉塞の原因が播種によると最後まで断定出来ていないのである。担当医等 も放射線医の読影にはもやもや感が残ったものの、播種癌が腸管を腹膜に癒着させストーマ近くの腸管が細くなり、蠕動による腹痛の発現或いは腸排液の貯留・ガスが腹痛の一因になっていると結論した様に思われる。従ってSP療法は再発胃癌に効果が無くなり、2次治療として、小松医師が考えている胃癌治療の中から現状で私に一番適しているPTX療法を行う事にした。

  閉塞の治療と原因究明(2014626日入院、726日退院)

2014626日の緊急入院時の体重は51.05kg、身長167.3cmであった。その日より絶食水が始まり、治療はひたすら絶食水を続け、定期的にX線撮影、CT、ストーマから内視鏡にて食道腸管撮影をして、腸閉塞の原因を解明する検査が続いた。途中より水の飲用が許され、缶コーヒーも追加された。腸閉塞に伴い、食事は出来なくなり栄養補給は中心静脈栄養に頼った。ストーマへの排液(糞便)の排出能力が著しく減退したこと、腸の排液・ガスが腹痛の一因と判断し、内視鏡カメラで確認しながら、鼻からイレウス管を230cm大腸部分に留置した。腸からの排出量が少ない時、腹部の張りが強い時、腹痛がある時は、その都度50mlシリンジにて三方活栓を用いて用手的に腸排液の吸引を行った。輸液調整や排液回収については入院中に指導を受け退院後も訪問看護師、家内で問題なく管理できていた。最も注意を払っている事は「清潔操作」であり、現在もそのことを家内は十分理解して看護師並みの能力を発揮している。

③治療経過、現状の問題点及び今後の治療方針(201477日)

  腸閉塞の原因が完全とは言えないが、状況的に播種によると総合的に診断確定出来て、小松医師のICを私と家内で聴取した。これまでのCT所見では経過は良好であったが、626日、腹痛で来院し、CTで確認した結果、腸閉塞の状態になり、イレウス管ロングチューブを挿入した。74日に撮像を行ったが、大腸が狭くなっている事が判明した。イレウスの原因は癒着か、癌細胞の播種によると考えられ、これまで用いてきた再発胃癌の1次治療であるSP療法(S-1+CDDP)の効果が無くなり、癌細胞が増殖してきた可能性が高いと判断した。イレウス管からの排液量が多量であった為、イレウス管の抜去は現状では難しく、他の患者の例を考えても抜去する事はPTX点滴でも困難と思われたが、私の場合、腹部に病態が限定されているのでPTXによって癌細胞が減少していけば、抜去の期待感はある。しかし、現状では、食事も困難で、完全静脈栄養を代替食として考えていくしかない。その為に出来るだけ早いうちに2次治療としてPTXの点滴靜注を実施したい。

今後の治療については、在宅療養を希望していたので、村中医師が院内調整してくれることになった。イレウス管については経鼻的な状況はいろんな面で不自由であり、経食道的なイレウス管に入れ替えられるかどうかも検討してもらう事になった。痛み対策についてはモルヒネを含めたオピエイド系鎮痛薬を使って痛みを減らす事にした。退院後は北大への通院にて治療すべく、訪問診療・看護のケア、家内の自宅での介護の習得が整い、PTX療法が開始された。

2)二次治療PTX(パクリタキセル)療法開始

  PTX点滴靜注は入院の必要は無く通院治療によるものである。基本的なPTX療法は、血液検査で治療に支障の無い事を確認し、PTXのアレルギー予防・吐き気止めにデカドロン13.2㎎+ファモチジン20㎎+クロールトルメリン10㎎+グラニセトロンバック3㎎を30分かけて点滴静注し、PTX120㎎(5%ブドウ糖液250ml)を1時間かけて点滴静注するものである(以下、常法通りとする)。今回のPTX点滴静注は、1クール13回目、2クール1~3回目の投与量は120㎎とし、20149183クール1回目まで120㎎点滴していたが、末梢神経障害(しびれ)が出て、癌治療を中止するか、休薬するか、又は減量を行う必要があったが、癌治療を優先する為に投与量を102日より120㎎から100㎎減量した。

1PTX1クールの入院治療(2014626日入院、726日退院)

PTX1回目(入院治療)

入院中であった為、714日、AM6:00に病棟病室にて血液採取し、PTX療法1クール1回目の治療に支障が無い事を確認し、翌日PTX120㎎を常法通りに1時間かけて点滴静注した。靜注後、事前に説明を受けていた副作用の発現は認められなかった。

PTX2回目(以下、外来治療)

2回目は1週間後の722日を予定していたが、高熱が続き延期となった。私は在宅療養を希望し、自宅で輸液(以下、HPN)、イレウス管排液処理の訓練を受け、実際に夫婦でHPN管理出来るかを1日の試験外泊で確認し、ソーシャルワーカー奈良看護師のコーディネートで受け入れ先の札幌在宅クリニック・訪問看護ステーション「そよ風」(以下、そよ風とする)のメンバーと北大12F.病棟会議室で顔合わせし、引き継ぎ後726日に退院した。731日北大に通院し、血液検査後、小松主治医の外来診療を受け、白血球5900/好中球3888と回復しており、支障なしと判断し、腫瘍センターで2回目のPTX療法を、常法通り、PTX120㎎を1時間かけて点滴静注した。この日より脱毛が始まり、1回目の点滴静注から17日目の事であった。軽微ではあったが点滴後しびれも感じたが、すぐ消失した。

  PTX3回目

8月7日は北大外来と言う事を承知で、そよ風で血液検査(85日)をしてもらい、白血球は危惧した通り2,500と低値であったが、好中球は1,625であった。ただ、CRP1.58と基準値よりも異常に高く、感染症や炎症性疾患を原因とした発熱が考えられた。2日後の血液検査では白血球3,900/好中球1,973と回復したが、CRP1.84と高値であったが、外来治療センターにて予定通り、常法に従いPTX3回目の点滴靜注を無事終える事が出来た。

④自宅での訪問看護の開始と通院治療

726日の退院当日は帰宅後に花摘看護師と戸井医師が来てくれ、自宅での継続的な医療サポートについて意見交換し、最期は自宅で終えたい私の気持ちを伝え、長い付き合いになる為にお互いを知り、信頼関係を築く為に、取り敢えず土、日曜日を除き、毎日、花摘看護師に自宅に来てもらう事になった。自宅に戻ってからは入院時に比べて体温、血圧、体重、尿量も普段通りになり筋力も回復傾向にあった。

8月に入ってからは、自宅で花摘看護師と戸井医師に午前中サポートしてもらい、2日、3日の土、日曜日は、朝、体温、血圧、体重を測定し、引き続き家内の看護でHPNの取り替え、イレウス管からの腸排液の吸引・排泄を行ってもらった。3日は腸排液が出ず、ストーマからも少量の排泄であり、朝方には腹痛があり、設置のモルヒネで効果なく、レスキューボタンを押してモルヒネの追加に頼った。午後から調子が悪くなりずっと横になっていた。4日は午前中に花摘看護師の看護を受け、午後2時頃寒気がして震えが止まらなくなり、窓を閉め洋服を厚着し、電気ストーブを点け、座薬を挿入して、何とか37℃代に熱も下がり、5日は花摘看護師に昨日から今朝までの状況を説明し、急遽、戸井医師に訪問してもらい診断してもらった。鼻粘膜からの感染症或いは腸の蠕動痛に伴う炎症を原因と考え抗生剤を点滴してくれた。戸井医師から小松医師に詳細な在宅での診察・治療経過記録が届けられており、又、それが外来看護師、腫瘍センター看護師にまで情報が共有化され、外来では富樫看護師が私の様子を見に来て、ベッドで休む様にと気遣って、「そよ風」との連携・連絡が良いだけでなく、患者に対する配慮が行き届いていた。

2PTX2クールの治療

PTX1回目

休薬後の821日に小松医師より白血球/好中球数は8300302187日の1コース3投目の白血球/好中球は39001973)と改善している事はもとより他の検査値も軒並み改善が認められるとの説明を受けた。しかし、CRP0.54CA19-9149.9と高値であったが、外来治療センターで常法通り、PTX120㎎の点滴靜注を無事終えた。1クール終了後自宅で疼痛及び腸排液のイレウス管による管理を続けている中で、1週間後くらいにイレウス管からの腸排液が出なくなり、ストーマ(人工肛門)から排出する様になった。この事実を主治医に知らせて、イレウス管抜去の可能性を打診した。小松医師の見解は、結論は賛成であるが、イレウス管を抜去した後、腸閉塞の再発のリスクもあり、再度、イレウス管挿入処置で苦しい思いをする事も考えておく必要があり、決めるのは患者自身ですと言われた。確かにPTXは癌細胞を縮小している様だし、今後を見極める必要もあるが、いずれにしても生き残った癌細胞は耐性を獲得し、その都度強力になっていくと考えられるので、当然、次の抗癌剤に何を選択するかも考えておかなければならないと思っている。家庭医の戸井医師からもファックスで、イレウス管抜去は今がチャンスではないかと進言してきた事が知らされた。今回も戸井医師から小松主治医に詳細な治療及び病状記録が届けられていた。

PTX2回目

726日退院後、癌治療は北大、ケアは自宅として、札幌在宅クリニック・訪問看護ステーションそよ風(以下、そよ風)に訪問看護・治療をお願いしてから1ヶ月余りが過ぎた。821日のPTX2クール1回目の投与後から腸排液がイレウス管より出なくなり、ストーマ(人工肛門)に排出し始めたので、小松医師、そよ風戸井医師と相談の上で、825日に自宅で抜去してもらった。2m以上のチューブを曲りくねった腸管から引き抜くので、今まで経験した事の無い気持ち悪さであった。2回目の点滴による副作用は少し両膝関節の痛みがあったが、それ以外の症状は特に認められず平穏な1週間であった。願うべくはPTXの効果が持続し、腸管も詰まらず、今の生活が続けられる事である。828日、PTX2回目の点滴靜注は、血液検査後、中積医師の診断は、PTX点滴実施条件である白血球数、好中球数は7900/4464と基準を満たしていたので点滴静注は可能であったが、ヘモグロビン値が7.0g/と胃全摘以来最低値になり、10.0g/より下限値だったので、輸血を行うべきか否か中積医師は判断しかねていた。しかし、CRP0.08と陰性を示していた事もあってPTX120㎎の点滴靜注は常法通り実施できた。

輸血をする根拠は、私の場合、血液中の赤血球数231×10000(正常値;400557)、ヘマトクリット21.2%(正常値;38.950.7)、ヘモグロビン値は7.0g/(正常値;13.417.6)と正常値よりかなり低い事で貧血と診断せざるを得ない。恐らくPTX由来の有害事象であると思われ、点滴時には脈拍数80を超え、軽微な眩暈や倦怠感等も発現した。

  PTX3回目

  201494日の採血後、外来診察で小松医師にヘモグロビン値が6.4g/dまで下がり、輸血を薦められた。輸血の際に起こりうる副作用の説明を受け、承諾書にサインした。我が身内の癌もPTXの効果に対抗しようと必死になっており、ヘモグロビン値を下げてしまうのであろう。白血球/好中球数は4900/1303と基準値を満たしていた。小松医師の指示で輸血する際の事前検査(私の血液と輸血との適合性、血液型の確認等)する為に看護師に採血してもらい、輸血の為の注射口を右手肘下に留置した。外来治療センターに出向きPTX120㎎を常法に従って点滴靜注した。何の問題も無く終了し、その後、消化器内科外来治療室で、右手肘下の注射口より生食を注入し血管内に流れる事を確認し、RhA型の血液240mを最初はゆっくりと点滴し、数分毎に体温・血圧・脈拍を測定し、アレルギーショックや発疹、その他の副作用発現の無い事を確認した上で毎分80滴の速度で2時間かけて輸血(点滴靜注)した。これでPTX3回目が終わり、1週間の休薬に入った。戸井医師、花摘看護師のケアもあり、十分休養にもなった。PTXの抗癌効果については、X線やCTで画像を確認しなくてもイレウス管が取れて経口的に食事が取れている事から必要ないとの小松医師の意見であった。主治医はPTXの効果がある限りは使い続け、無くなれば新たにオキサリプラチン(商品名:エルプラット)や近々承認予定の分子標的薬のラムシムマブにつなげる事を考えている。

3PTX3クールの治療

PTX1回目

  2014918日、採血後、消化器内科外来の小松医師の外来診療となった。血液検査値についての評価は前回(94日)に比べてとても良い、白血球数は5,500/μ2週間前4,900)、赤血球数2,920,000/μ2,090,000)、ヘモグロビン9.0g/dl6.4)、好中球数1,821/μ1,303,CA19-9 131.9H u/ml8/21 149.9)であった。PTX1回目の点滴静注するのには十分な条件であり、ヘモグロビン値も輸血により6.4から9.0に改善しており、今の体調、状態を今後とも維持する為に9.0より低値になった際は、再度輸血する事を主治医として薦めたいと言った。PTX1201投目の点滴静注は常法通り実施できた。更に、BRM療法で免疫力を高めてPTXの効果を維持・向上させる為に、クレスチンの服用も合わせて薦められた。化学療法による免疫低下は確かに一時的に免疫力を低下させているし、PTXに併用して低下した免疫力を回復かつ高める事で癌細胞を攻撃するのではないかと判断する事にした。919日よりQOLの向上を期待してクレスチン細粒2gを朝、夕の2回食後に服用を開始した。PTXの副作用と思える末梢神経障害に伴うしびれが発現して、放置していると固まってしまうのでPTXの点滴を中止するか否かについては延命との兼ね合いがあり、当面は延命を優先する事にしてメチコバール(ビタミンB12)細粒0.1500㎎を918日より朝・昼・夕食後に500μg/1包(0.5g)を3包服用開始した。その為、102日よりPTX120㎎を100㎎に減量する事になった。PTXSP療法の後を受けて2014715日より点滴靜注を開始したが、前日の腫瘍マーカーCA19-986.2Hu/mlで、821149.9918131.9であった。小松医師はPTXが効いていると判断し、この状態を維持する為に、免疫力を上げるクレスチンを、手足のしびれにメチコバール(ビタミンB12)を処方した。腫瘍マーカーが最高値(CA19-9 149.9)であったがPTX2クール1回目で、3クール1回目には131.9に値が約20下がっていた。

PTX2回目

  2014925日、採血後に消化器内科外来にて中積医師の診断を受けた。血液検査ではヘモグロビンが先週より0.6下がっていたが、PTX点滴投与条件の白血球数/好中球数は6,3002678(先週5,5001,821)と、より改善しており、外来治療センターに出向いた。常法通り、PTX100㎎(120㎎を減量)を点滴靜注した。

PTX3回目

  採血後、消化器内科外来受診し、中積医師は、血液検査結果を基に白血球数4300、好中球1312PTX3投目点滴静注に支障なく実施可とし、特にアルブミン値(1週前3.4、今回3.7)の改善、栄養状態が良いという事に注目し、PTXの効果に驚いている様に感じられた。外来治療センターにて、常法通り、PTX100㎎を点滴静注する事が出来た。単球数の減少についての見解は、免疫力の低下というより、造血の状態を見ていると言った。自分自身の全身状態から納得できる説明であった。

(4)PTX4クールの治療

PTX1回目(20141019日緊急入院~1029日退院)外来治療

 4クール目は20141016日の予定であったが、発熱の為、スキップし、更に高熱の為に1019日に緊急入院となった。1023日の血液検査も1回目のPTX靜注は出来ずにスキップし、20141030日には回復し、退院翌日であったが血液検査も問題なく、2度のスキップの後、1回目は常法通りPTX100㎎を点滴静注できた。1010日以降の発熱はVポートが原因であると判明し、入院と同時に右鎖骨下のVポートを抜去し、同時に入院中は平熱になった事考えると感染はVポート由来であったと思われた。10日後に左鎖骨下にポート再導入手術を行い、1週間後に外来で抜糸した。

PTX2回目

  201411月6日の2投目は、採血後、小松医師の診断結果では、血液検査結果も何ら問題なく、外来治療センターで常法通りPTX100㎎の点滴静注を行う事が出来た。

PTX3回目

自宅を出る前の体温は37.5℃で、PTX点滴に支障が無い様に解熱剤ロキソプロフェン1錠を服用して出かけた。小松医師の外来診断では、血液検査値は何ら問題なく外来治療センターでPTX100㎎の点滴靜注を常法通り実施できた。4クールのスタートは退院翌日で慌ただしい思いをし、3投目には、発熱はあったものの、投与計画に沿った順調なものであった。

(5)PTX5クールの治療

PTX1回目

20141120日から続いた腰痛も28日には寛解し、舌炎もケナログ軟膏を直接患部(舌)に塗布して改善傾向にあり、熱は、ロキソニンで平熱になったが、クラビットは細菌感染を危惧して継続服用する事になった。白血球5700、好中球3460PTX100㎎の点滴静注は常法通りに1127日に実施できたが、点滴静注後2日後より高熱が発現し、腰から背中にかけて痛みが生じた。

1回目前の体調は万全とは言えず、採血、X-線撮影後、戸井医師からの報告書に20日頃より発熱し、今も発熱の原因を掴めないでいる事が記載されており、CTMRIにて原因を確認する提案があった様で、小松医師は、考えられる発熱の原因を説明した。痛みの改善にロキソニンを服用していることに対してはむしろ麻薬製剤のオキノーム服用を薦めた。しかも、3時間は十分効くので麻薬と言う事は気にしないで気軽に服用しても良いのではないかとの提案がなされた。腰の痛みに対する精査については、脊椎のつなぎ目の化膿や他にも考えられるので、痛みが続く様だと12月中旬頃にPET/CT.画像で現在治療中の腹部癌の状況を確認すると同時に、合わせて発熱の可能性としての化膿性脊髄炎の再確認も行うとの事であった。1128日、PET/CT.画像の撮影日を1216日午後1340分地下1階の核医学で行うとの電話連絡があった。

化膿性脊髄炎については、整形外科で診断を受ける様にと小松医師より指示があった。

PTX2回目

  124日、採血し、CRP3.75(前回11/27 2.50 参考値0.000.39)、WBC8500(前回11/27 5,700 参考値3,5009,300)であった。2投目であれば私のこれまでの経過を考えると5,000前後が論理的数値であると小松医師は考え、WBCCRPの値も上昇しており、感染症や炎症性疾患が体内で起こっている事は間違いないとして2回目はスキップが望ましいと判断した。それに腰の痛み、微熱、発熱(高熱)が持続している事を考えると化膿性脊椎炎が危惧され、確認の為に125日、整形外科を受診する様に指示された。化膿性脊椎炎は、背骨におこる化膿性骨髄炎である。急激に始まる激しい腰や背中の痛みと発熱が特徴で患部をたたくと非常に痛む疾患との事であるが、私は痛みを感じない様である。最近緩やかに発病するケースも増えているらしく、扁桃炎などの化膿した病巣から細菌が血液の流れに乗って、脊椎に進入する場合と膀胱炎等、泌尿生殖器系の炎症が脊椎に広がって発病する場合とがある様である。

小松医師は若干CRP値が気懸りの様でPTX点滴に逡巡し、私に意見を求め、私がスキップすると思った様であるが、意に反して治療を申し出たので彼も決心して、外来治療センターへの指示書出してくれた。点滴前の体温37.5℃、脈拍90で担当看護師は発熱を気にしていたが、私の意志の強いのを察知してくれ(小松医師に問い合わせたとは思うが…)、1211日にPTX100㎎を常法通り点滴静注した。PTX点滴静注2投目までの6日間、この腰部上の背筋痛、口内炎、発熱に用いた薬剤は・フェントステープ、ロキソニン錠60㎎、オキノーム散5㎎、クラビット、ケナログ口腔用軟膏0.1%であった。

PTX3回目

PET/CT画像(1216)等も参考にして、PTX1003投目は1218日に常法通りに実施出来た。

戸井医師からの報告書に1120日頃より発熱し、今も発熱の原因を掴めないでいる事が記載されており、CTMRIにて原因を確認する提案があった様で、小松医師は、PTXが効果を示し、腸閉塞の心配をしないで済む間にカンプト注の単独療法から始めたいと考えている。カンプト注が欧米では胃癌の標準療法として使われているのに日本はどうも副作用を気にしてか腸閉塞があれば使わない医師がいるが、実際は使えるし、ラムシムマブも使えるので、私にとっての残されたカードは、カンプト注、エルプラット注の2枚だけではないと強調していた。PET/CT画像(1216)等も参考にして、PTX1003投目は1218日に常法通りに実施出来た。

6PTX6クールの治療

PTX1回目

  化膿性脊椎炎の細菌が陰性化した事で2015年2月5日1回目を常法通り点滴静注した。48日間(1219日―2月4日)の癌未治療によって腫瘍マーカーCA19-9 83.5U/ml(正常値:037、前回値46.3U/ml)といくらか上昇していた。

PTX2回目

212日、採血室では、いつもより1本多くサンプリングされた。外来にて小松医師の診断を受ける際、全身状態も良く、白血球数、好中球数、腎機能、肝機能、CRPも安定しているので、PTXの増量(dose up)を提案したが、現在効いているのでという事で断られた。むしろ効いているから次にUGT1A1遺伝子型を有する塩酸イリノテカン(商品名:カンプト注)を私に使えるかどうか検討する為に採血サンプルを1本余計に取ったと言う事であった。2回目のPTX100㎎は何ら問題なく常法通りに点滴静注できた。

PTX3回目

3投目のPTX100㎎は何ら問題なく常法通りに点滴静注できた。

UGT1A1遺伝子の検査結果が出て、カンプト注が使えると言う結論に至った様である。

カンプト注の副作用は、UGT1A1遺伝子の働きだけでなく、他にも色々な要因が関連する為、この検査を行っても万全という訳ではなく、仮に強い副作用が出にくいタイプであっても、私のPS(performance status患者の日常状態04段階)、肝臓の機能等の情報に応じて、カンプト注の量(dose)を減量するとも言っていた。私が強い副作用の出やすいタイプと判明したとしても、1回目は通常よりも少な目の量になりそうである。UGT1A1遺伝子の僅かな違いを調べて、おおよその副作用(高度の白血球減少症や好中球減少症)を予測しておくと言うのである。私としては出来る事なら頻度少なく副作用の出にくいタイプであって欲しいものである。219日に診断が確定しているので、その時にPTXからカンプト注に変えるタイミングを考える事になるのであろう。

7PTX7コースの治療

PTX1回目

201536日のPET/CTの結果も良く、癌細胞はいずれにも見られなかった。血液検査による白血球数6600、ヘモグロビン9.1、好中球数2825も問題なく、CA19-9134.0(前回109.4)と多少増加しているが、PTX投与に何ら問題なく1回目のPTX100㎎は常法通りに点滴静注した。2回目のCA19-9が増加する、或いは低値となっても、PTXが効いているうちに次の治療法としてカンプト注の投与を考えたいとの主治医の意見であった。腫瘍マーカーCAE,CA19-9について、北大は参考値として037であれば癌の確立は低いとしているが、一般的には38100位であれば比較的低めの上昇、100以上だと癌の確立が高いとされているが、再発胃癌が継続して現存しており、且つ1219日より未治療であった事を考えると、219日の109.439日の134.0の数値の上昇は想定内であると考える。CEAは腺癌があると上がり易いが、私の場合、一度も参考値1.06.5以上に上昇する事は無かった。36日のPETCTで精査しても何処にも異常が認められない事を考えると、現状での再発胃癌の診断的価値としては低いのではないかと思われる。

4.発熱20日間(10/1010/29)の喘ぎ

私の平熱は36.5℃くらいであるが、夕方37.1℃で体のだるさを感じた。10日より39℃台の熱が出て、解熱剤のカロナールを服用して対応し、数時間後には熱は下がり、汗もかいて寛解すると思ったが、更に高熱となり、そよ風の家庭医吉崎院長に往診を依頼した。ウイルス・ノロ検査は、いずれも陰性、熱は下がらず持続する事で吉崎院長は消去法で考えるとV-ポート由来の細菌感染の疑いが濃いと判断した。翌日も改善の兆しは無く、抗生物質の点滴を行い、今度こそ寛解するのではと思ったが、それも叶わず戸井Dr.の薦めもあり14日に北大で採血、外来での診断、CT撮影し、村中医師の診断を仰いだ。CT画像でV-ポート(IVHリザーバー留置)周辺の感染も無く、数日で熱も治まるのではないかという楽観的な話で、16日の外来で再確認するという事になった。1016日は抗生物質の効果もあり、36℃台で維持出来ていたが、主治医の小松医師との診断中に震えが止まらず、パクリタキセルの4クール1回目の点滴はスキップする事になった。小松医師から村中医師に私の入院の手続きをしておくように指示があった。帰宅後、再度発熱し、18日も解熱の目途は立たず、19日に緊急入院した。病室で病衣に着替えると同時に福島医師の執刀でポートの抜去手術を行った。抜去後は平熱となり寛解に至った。

入院11日間(10/1910/29)の体重、体温、血液検査の推移は以下の通りであった。

体重(kg):56.054.653.453.452.852.252.251.451.351.050.9

体温(℃):36.836.236.136.036.336.136.336.436.336.536.8

白血球数:6,20010/20)⇒4,60010/27)⇒6,00010/30

好中球数:2,827     ⇒1,435        2,460

ヘモグロビン:7.5    ⇒8.4          9.4

血清アルブミン:2.7   ⇒3.4         3.8

CRP:           4.56    0.12        0.35

V-ポート抜去後は右手首に点滴用のアダプターを設置し、ビーフリード輸液1000ml、抗生物質マキシピーム1g生食100mlを点滴静注した。血管が脆いせいか数時間で皮下出血し左手首に設置し直したが、血液が逆流し、設置部が赤化し、痛みも生じ、腫れもある事から、福島医師の判断で、手首からの点滴は止めた。25日より抗生物質マキシピームを内服薬のクラビットに変更し、輸液は28日のV-ポートの再導入手術まで点滴を中止した。

入院当日にV-ポートを抜去した事で体温は平熱となり、体重は病院食やV-ポートを使えない事もあって入院時の体重56kgが退院時には50.9kgとなり、約5kgの減量となった。

今回の入院はV-ポート由来の細菌感染による発熱であった事から、原因がはっきりしていた事でV-ポートの抜去で全て解決していた。11日間は細菌を抗生物質で完全に除去し、

V-ポートの再導入手術を待つだけの入院で、白血球、好中球、赤血球、ヘモグロビン、CRPも改善した。V-ポートの細菌感染に辿り着くまでに随分遠回りしたが、癌治療に支障もなく、結果オーライであった。

 

5.今後の治療

1)カンプト注

PTXが効いている、且つ、腸閉塞の無い今のうちにカンプト注(塩酸イリノテカン)やエルプラット注(オキサリプラチン)による治療を主治医は考えている。癌化学療法を受け入れたのは、それ以外の選択肢が無かったこともあるが、ここまで来たら寛解、更には完全治癒を目指そうと思える様になってきた。再発はあったもののS-1CDDPPTX等の抗癌剤は、一定の効果を示してきた実績があるので、残るカードのカンプト注、エルプラット注にもチャレンジしたいと思っている。治療が続けられれば延命に繋がる事になる。そうするうちには分子標的薬のラムシムマブも使えるので、延命すればするほど寛解、治癒の可能性は開けてくる。

カンプト注を使うにあたっては、今迄の治療経過から単独療法が考えられそうである。カンプト注は150/㎡を2週間毎に点滴する。カンプト注は腹膜播種よりも血行性転移、すなわち未分化型腺癌よりも分化型腺癌に有用性が高いとの報告が多い。私の切除胃は非充実性低分化腺癌の成分が主体であり、カンプト注の効果は期待できると思われる。カンプト注とS-1との併用療法にTOP-002試験があるが、カンプト注の上乗せ効果は証明されておらず、スキルス胃癌に対する一次療法には不適であるが、二次療法でのスキルス胃癌に対しては、期待が持てるのではないかと思っている。スキルス胃癌には未だ有効な治療法が確立されておらず、将来的には腹腔内化学療法(+全身化学療法)、分子標的治療薬や遺伝子治療などを駆使しないと満足のいく治療成績を得る事は困難な状況下の様である。カンプト注は癌細胞内にあるDNAを切断する事で、癌細胞が分裂・増殖するのを妨げ、効果を発揮する抗癌剤である。副作用は骨髄抑制、下痢である。また投与前に水様便、腸閉塞、黄疸、多量の胸水・腹水がると副作用が強く現れるので使用できない場合が多い。胃癌では初回治療が無効になった後の二次治療以降で用いられることが多く、単剤若しくは初回治療でシスプラチンを使用していない症例に対してはシスプラチンとの併用で用いられる事もあるが、既に私は一次療法でSP療法を経験しているので、私にはカンプト注の単独療法が妥当なのかもしれない。

2)エルプラット注

エルプラット注は、「治療切除不能な進行・再発の胃癌」を適応症として、201410月より保険償還が始まり、胃癌の適応として使える様になった。その根拠となった比較試験としてはSOX療法が考えられる。2011110月 685人(SOX343人、SP342人)が登録。SOX群は3週間を1サイクルとしS-1 40/㎡を1214日間投与し、エルプラット注は治療1日目に100/㎡を投与。SP群では5週間を1サイクルとしてS-1 40/㎡を1221日間投与し、CDDP8日目に60/㎡を投与した。結果、PFS中央値はSOX群が5.5ケ月に対してSP群は5.4ケ月でほぼ同等の成績であった。奏効率(PR)はSOX55.7%、SP群が55.2%であった。この比較試験では進行胃癌に対してSOXSP療法とでは無増悪生存期間(PFS)はほぼどちらも同じである事が証明された。そうであれば、CDDPを使った治療の場合は副作用対策の為の入院が必要なのに対して、オキサリプラチンは外来治療が出来てより簡便に使えるので私にとってのメリットは大きいと考えられる。

 

Ⅱ.化膿性脊椎炎の診断と治療

1124日よりクラビットを128日からセフゾンカプセルを追加し1224日まで服用したが、結局は除菌出来ず、1224日の入院時に服用中止となった。1219日に整形外科で診断し、緊急にMRIを撮像し、化膿性脊椎炎と診断が確定したので、1224日より1か月間以上の入院が決まった。化膿性脊椎炎を未治療のままにしておくと、細菌により脊椎がとけたり、壊れたりし、歩行も儘らなくなる事も考えられる。そう聞かされると治療をせざるを得なくなるものである。1113日より時折微熱程度及び39℃を越える熱発が生じ、同時に左腰背部痛が始まり、起き上がるたびに痛みを発した。血液検査、X線撮影、MRI撮影、より診断を明確にするためにPET/CT撮影を行い、1219日整形外科外来にて化膿性脊椎炎と診断され、1222MRIで最終的に化膿性脊椎炎(椎間板に塊)を確認した。

1.   入院時の治療内容

 入院期間:20141224日~2015129

治療内容(服用期間)

 ・クラビット1錠 20141212日~1223

 ・セフゾン1錠  20141212日~1223

 ・ロキソニン1錠 20141214日~2015125

 ・セファドリンナトリウム(セファロスポリン系抗生物質製剤)1g100ml生理食塩水)

  投与方法11日の0時、12時、6時、18時の4回を各1時間かけて点滴静注する。

  投与期間:20141224日~20151133回目より1.5gに増量。

 ・セファドリンナトリウム1.5g100ml生理食塩水)、ダラシンカプセル1502カプセを6時、14時、22時に服用、ロキソニンを8時、12時、18時に服用

  投与方法220151133回目~126日(セファゾリン)、20151133回目~3101回目(ダラシン)、2014120日~3月 日(ミノマイシン)、2015127日~3101回目(セフカペンピボキシル)

 1)整形外科受診による化膿性脊椎炎の診断

担当医は長濱医師で、先ず血液検査、X線検査を済ませる様に指示され、それぞれのデータが出そろった11時過ぎに診断結果が伝えられた。X線画像では脊椎に異常は認められず、痛みの患部を叩いても反応が無い事で、全身状態が良いので単に化膿性脊椎炎を抑え込んでいるのかもしれないと言う事であった。しかし昨日の消化器内科の検査結果に加えて血沈-1時間値、血沈-2時間値が126138と高値であるので血液を介して全身に細菌がいる事は間違いないという判断となった。血沈-1時間値、血沈-2時間値が100㎜超える値は高値であり、私の126138㎜という数値は基準値110㎜の10倍以上であり、この様な高度亢進では、白血病などの血液系統の悪性腫瘍、腹膜炎の疑いがある。具体的には感染症、心臓病、消化器病、免疫異常、血液病、癌(進行中)などであり、再発胃癌の現状を考えると、血沈の高値は止むを得ないのかもしれない。しかし、血沈検査は主に炎症を伴う病気の有無や程度が分かり、異常がなくても異常値を示す事があり、逆に明らかに病気であるのに正常値になる事もあるため、この検査だけで判断することは出来ない。又、特定の病気を診断するという性格のものではない。その為、MRIで精査する必要があると言う事で、放射線部に手続してくれ、幸いにもすぐ撮影してくれる事になった。

整形外科で造影剤使用によるMRI検査説明を受け、承諾のサイン後、1階のMRI室で手続し、体中の金属を全て外す様に指示され、下着1枚に病衣を着て、人工肛門、IVH-ポートの有無の確認をし、ポートの針も抜くように指示された。MRIは約30分で撮影終了した。結果は1219日に整形外科外来で説明を受ける事になった。それまでの2週間はクラビットと本日処方したセフゾンカプセルで除菌する様に言われた。セフゾンカプセル100㎎は、朝・昼・夕毎食後1カプセル服用するようにと14日分処方された。クラビットと同様に細菌による感染症の治療に使われる抗生物質である。化膿性脊椎炎が確認されると、今後の治療というより私の延命に致命的な結果となるので、何とか抗生物質で除菌される事を期待したい。9時採血(12/11)、消化器内科外来で臨床検査値を見せてもらうと白血球数6,00012/4 8,500)と細菌感染症の影響は改善され、好中球数(4,014)もPTXの点滴に支障のない数値に改善している。只、CRP2.55H(前回12/4,3.75H)と数値的には改善している様に見えるが、未だ体内に感染症、何らかの炎症性疾患がある事は疑い様も無くPTX療法を逡巡する所である。今後の対応としてはCRP値が正常値(0.000.39)になるまで引き続きクラビット15001日朝食後1錠、化膿性脊椎炎対応としてセフゾン100㎎カプセルを朝昼夕食後に服用する事になった。

2MRI診断結果

1)整形外科外来の診断とMRI検査

MRI検査は、強い磁石と電波で体の内部を調べる検査で色々な角度からの断面写真を撮像するものである。124日に撮像した画像に対して整形外科の長濱医師の評価は、私が痛いという箇所とMRIの示す箇所が異なり、それでも明らかに脊椎に病変が見られ、単に化膿性脊椎炎なのか転移であるのか判別できない。1219日、病巣を明らかにして今後の癌治療が円滑に行く様に再度別機種のMRIで撮像する様に放射線部MRI検査室に依頼してくれた。22日に撮像を評価し、細菌感染であれば徹底的に治療する為に緊急入院してもらうと言われた。935分に説明を受け、緊急を要する患者であるので最優先で検査してもらう様に放射線部に取り次いでくれた。950分の受付で1135分には撮像を終えた。撮像の手順は、前回(124日)同様に衣服を病衣に着替え、右手首に造影剤用のリザーバーを設置し、MRI室で耳栓、仰向けで体を軽く固定し、トンネル内で撮像を開始した。4種類の轟音(バリバリ…、ドウドウ…、トゥルトゥル…、ガーンガーン…)の後、造影剤を注入し、今度は2種類の轟音(音は忘れたが、単音と混成音)で撮像は終了した。

3PET/CT診断結果

整形外科の見解は、癌(腫瘍)の増殖、転移は認められないが、脊椎の病変は転移の可能性も考えておく必要もあるものの、私の全体像を判断すると、恐らく初期の急性化膿性脊椎炎と考えた方が理解し易いという診断であった。いずれにしてもPTX5クール終え、PET/CT検査にて化膿性脊椎炎の確定診断に至り、且つ、PTXの抗癌(腫瘍)効果も出ており、2週間の休薬(1219日~11日)もあり、更に1週間休薬して今後の癌治療に影響するものは、休薬中に徹底的に治療し、年明けて新たな治療を始める計画になった。

4)化膿性脊椎炎の感染と治療の考え方

 化膿性脊椎炎はどのような病気かと端的に言えば、細菌が血流に乗り脊椎を化膿させる病気である。中年世代に多く見られるが、私の様に癌により免疫機能が低下している高齢者にもたまに見られる様である。症状としては、急性の場合、腰や背中のかなり強い痛みと高熱があり、私も悩まされた。慢性的な症状は急性に比べて痛みは少なく、熱も高くならず、その部位を押すと痛みがあるそうだが私は痛みを感じなかったので、急性の化膿性脊椎炎と思われる。

 私の化膿性脊椎炎は、重症感染症と考えられる。感染症が重いか軽いかは、細菌が増殖し白血球数(正常値は4,0008,000/μ)は10,00020,000になると、悪化したとし、20,000以上になるとこれはかなり悪化した状況と言えるそうである。CRP(正常値0.000.3/d)についてはCRP25の細菌数の増加で悪化、5以上、特に10以上ではかなり悪化した状況と言える。細菌感染症には抗生物質が有効であるが、血液検査でのCRP値の悪化が強い様な場合は内服薬では治療が追い付かなくなる様である。その為に私は整形外科長濱医師の判断で緊急入院して抗生物質の点滴靜注を施行する事になった。

抗生物質の効果の指標として整形外科はCRP、血沈を重要視している様である。

CRP(C-Reactive Protein)とは、細菌表面のC多糖体という部分と反応(reactive)する蛋白質(protein)として発見されたのでこう呼ばれている。その後、感染症等により炎症反応が起こると出てくる蛋白質である事が分かった。化膿性脊椎炎の原因は脊椎内に細菌が感染する事で起こるが、血液やリンパ液によって脊椎に黄色ブドウ球菌や緑膿菌等の様な細菌が運ばれると、脊椎に細菌が感染する要因になる。又、脊椎周辺の臓器からの各種の細菌も考えられる。カテーテルや注射器の使用を媒介として、脊椎に細菌が感染する場合もある。いずれにしても今回の私の感染についての原因については、医師からの説明は無い。

 

Ⅲ.結語

 KKR札幌医療センターより転院し、SP療法7クールを実施し、内4クールはCDDP点滴静注出来、次いで2次療法としてPTX療法を7クール1回目まで点滴静注し、現在も引き続き治療中である。3次療法はPTX療法の7クール2回目の結果でカンプト注の単独療法を考えている。

2013102日転院後15ケ月延命、胃全摘からは38ヶ月延命していることになりいい治療成績であるといえる。

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